山に魅せられて[10]
東山駅の階段を上る足取りは、いつになく軽かった。職場へ向かう烏丸御池駅の階段を上がるその時とは、全く違う気分。
今の仕事だって、好きで始めた事。なのにこれだけ気分が違うのは何故なんだろう。
そして、職場では厳しい表情をしている先輩達も、凄く明るい笑顔。
抱えていた不安は、一気に吹っ飛んだ。
まだ観光客もまばらな岡崎の街並み。
待ち合わせた平安神宮の大鳥居をくぐり、冷泉通を東へ向かうと、哲学の道。
なるほど! 銀閣寺前で点呼を取る理由が分かったわ。
どこから湧いてきたのか…あ、失礼。狭い道だというのに兎に角観光客が多く、私達のような明るく鮮やかな色合いの服装をしていても、特別目立つ訳ではない。
そう、外国人観光客の服装が、明るく鮮やかな色合いなんだ。
まだ夏になってもいないのに、派手な色合いのタンクトップが、古都の風情に溶け込む事もなく強く主張している。
いいのよ。ご自身の好きな服装で構わない。
私なら…、うん、華やかな着物を着てみたいわ。
それにしても、この哲学の道…。
京都を紹介するガイドブックや、私達の仕事の資料として置いてある冊子で、桜が満開の頃の様子を紹介した写真を見た事があるけど、実際、見渡す限りの桜、桜、桜。
ホント素敵な道。
その終点に辿り着くと、そこはもう銀閣寺の前。
「点呼取りまーす! 谷山」
「村崎」
「夏川…っ」
「磐田」
「田上っ!」
「以上5名っ!」
ここまでは平坦。逸れずに来れたわ。
でも…。
「ここから山道になります。ゆっくり行きましょう」
谷山先輩がそう言うと、夏川サブマネージャーが先頭を歩き出す。
この辺は、自己主張の強い人という事でご容赦を。うふふっ!
そして谷山先輩は、最後尾からみんなの様子を見て歩くそうだ。
「夏川サブマネージャーは、山にはよく?」
「登山はあんまりしないけど、ここは何回か来てるわよ」
道なんて、目を瞑ってても分かる。そう言いたげなドヤ顔…失礼、笑顔。
いつもは厳しい方だけど、こんな笑顔って初めて見たかもしれないわ。
境内の横を通り抜ける狭い道から、徐々に山道の雰囲気を醸し出していく。気が付けば舗装はなくなり、段々と坂道は急になっていく。
私にとっては、思いのほかきつい。
胸が苦しくなってくる。きっと呼吸がこんな運動に慣れていないからなんだろう。
瞬発力には自信があっても、持久力となると…。
「田上さん」
背後から私を呼ぶ声。谷山先輩だ。
誰かが遅れを取ったり、体調を崩したりしたら、その人を助ける事が出来る人が居ないと大変な事になる。
山にはすっかり慣れ親しんでいる谷山先輩。自分が最後尾に付くって言ってたのは、こういう事なのね。
「ペース、落とそうか」
優しい笑顔でそう言うと、逸れてしまう事を気にする私に谷山先輩は言う。
「ちょっとオーバーペースだったかな。この坂道を登り切ったら火床よ。みんな待っててくれるから、ゆっくり行こ」
「すみません。私なんかの…」
申し訳ない気持ちを言葉にしようとする私の口に人差し指を軽く当て、谷山先輩はもう一度笑った。
「グループでのハイキングはね、みんなそれぞれのペースがあるから、ばらける事もよくあるわ。先に行った3人もそれは分かってくださってるから、心配しないで」
それはルールにも似た当たり前の事で、それぞれのペースが違うのも、全て想定内。
ついて行かなきゃ…なんていう焦りがあると、冷静さを失い、体力を奪われる。各々のペースを守る事が、最も重要な暗黙の決め事なんだ。
谷山先輩はそう言ってくれた。
救われた。そんな気がした。
ゆっくり深呼吸すると、私はもう1度立ち上がった。
少し笑ったと思う。
標高たかだか465m。いずれ富士山を目指そうとする私にとって、まだまだ序の口の序の口。ここでへこたれているようではお話にならないもの。
「自分のペースを掴めば、あとはどこだって大丈夫よ」
「はいっ!!」
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