頂へ[10]
立ちはだかる壁。
降りかかるエマージェンシー。
ここを乗り切らなければ、登頂はおろか命すら危険だ!!
最大の難関・カニのタテバイ。
目の前に現れた、ほぼ垂直に聳える岩壁。冷酷ささえ感じさせる濃いグレー。
山頂に伸びるそれは、何度見ても空を切り裂く刃物の如く鋭利に輝く。
人の接触を拒むかのようなその姿に、登山者達は敢えて挑む。
“カニのタテバイ”
剱岳登山の核心部にして最大の難関を目の前にすれば、尚哉や亮お兄ちゃんのみならず、筒井さん、市川さん、山崎さんまでも足をすくめてしまう。
先行するパーティが2組いる。このパーティに続いて、尚哉達はアタックする。
しばらくの間、体力回復と集中力を高めるための休憩となる。
だけど、その時間が長ければ長い程に、恐怖心までもが高まってしまう。それは、この岩壁に初めて挑む者の常でもある。
この待ち時間であっても、尚哉と亮お兄ちゃんは気を緩めない。
先行者が見えるのは、これ幸い。手足の運び方を見て、イメージトレーニングをするんだ。
「よしっ! ヘルメット、ザックは体に固定されてるか、もう一度しっかり確認して」
例によって、自己確認ではなくメンバー同士で確認し合う。中途半端な固定は、時として命取りにもなる。
実際のところ、ヘルメットなど「落石対応」を謳うけど、高さ1mからの衝撃だってとても大きいものだし、言い切ってしまえば気休め程度。だけど、しっかり被るのとそうでないのでは、リスク回避の意味では大きな差がある。
先行のパーティが進んだ。いよいよ尚哉達がアタックする。
「僕が先に行くから、岡崎君は僕の手足の運び方を見てついて来て」
「はいっ!」
だけど、一度でも下を見てしまった亮お兄ちゃんは、ここでも恐怖心が拭えず、下を見てしまいそうになる。
「亮、下を見るなって」
「あ、あぁ…、そうだな。目標地点を見なきゃ」
「というより、自分の手元足元。もっと言うなら、手がかり足がかりを見るんだ。上を見たって、目標地点との距離感は正確じゃない」
「距離感、狂ってる?」
「そう言った方が分かりやすいか」
例えば山頂が見えたとすれば、人は「あと少し」なんて思うんだろう。でも、実際には少しじゃなくて、進めば進む程山頂も同じように遠ざかる。
追えども追えども逃げて行く目標地点に、やがて冷静さまで失う。苦しい時程心まで窮地に立たされる。 本当に遠ざかる訳はないけど、視覚的、そして心理的にそんな錯覚に襲われる感じかな。
こんな岩稜帯を“よじ登る”のだから、まずは手元足元に集中したいところだね。
亮お兄ちゃん、市川さん、続いて尚哉が挑む。
鎖は鷲掴みにせず、補助として持つ感覚だ。頼りなのは自分自身。両手両足はもちろん、全身の筋力や軽快な動作、そして強靭な精神。
「う、何だこれ?」
足をかける。その先の手がかりを掴む。すると、突き出た岩に胸や腹が当たり、思うように動けない。
「生田君! 岩に張り付いて!」
「はいっ!」
「腕と足。3点支持だけは絶対だからな!」
「はいっ!」
「そうだ! そうして体を滑らせるように進むんだ!」
5人はゆっくりしたペースで進んで行く。ここまでに既に溜まりつつある疲労感が、尚哉と亮お兄ちゃんを苦しめる。
そして…。
「渋滞だ! 少しでも楽に、岩に体を預けられる場所で待機だ!」
先行するパーティのメンバーが、疲労と恐怖に襲われ、先に進めないでいる。
追い越す事も出来ない状態で、先行者が進み出すまで待たねばならない。
当然だけど座る事なんて出来ないし、そればかりか5人は岩に張り付いたままの状態だ。
「耐えるんだ…。耐えろ、耐えろ」
必死の思いで、そう自分に言い聞かせる。
いくつもの鎖場を、岩を這うように進んで来た。
だけど、ここは這うのではなく張り付く格好になる。それでも岩に体を預ければ、体力の消耗は少しでも減らせる。
尚哉はそう思って耐えるのだけど、ここまでにかなりの筋力を使ってきた。滞れば、さらに疲労感が増大する。
「耐えるんだ、生田尚哉! 耐えろ」
しかし、尚哉は待機場所の選択を誤っていた。足は半分程しかかからず、必要以上にバランスを取らなければ、足がかりを踏み外してしまいそうだ。
その時…。
「ああっ!!」
「危なーい!!」
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