頂へ[7]
別山乗越から剱山荘までは、下りとなる。
歩行路には石が転がる、所謂ガレ場に近い状態で、歩き難ささえ感じる。
下り坂は、勢いが付くと大変だ。踏み出した足が石に取られると、場合によっては大怪我の原因になる。急ぐ必要はないのだから、一歩一歩慎重に踏み出し、足場を確かめながら歩いて行く。
「見ろよ!」
「おおっ!」
剱沢まで下った。そこでは、真夏であっても尚も溶けきらない雪渓が見られた。
万年雪などと呼ばれたりもするその情景。5人は互いに顔を見合わせ、自身が北アルプスの一角に居る事を実感した。
「前に来た時より雪の量が多いですね」
「そうだな」
「雷鳥といい、この雪渓といい…、何かツイてるな。この先はもう、登頂成功しかないね」
「亮〜、そんな調子いいこと言って、気を緩めるなよ」
「分かってるって」
―はははははは!
5人は、その雪渓を掠めるように歩行を進めた。しかし、自然とは悪戯好きなのかな? 午後になって、徐々に辺りは霧に包まれていく。
「ヤバイですね」
「いや…これぐらいは当たり前でね。僕に付いて来てください」
これぞ百戦錬磨とでも言うのかな。筒井さんは、急激に変わる天候にも、至って冷静に4人を先導する。
徐々に深まる霧は、登山者達から視界を奪っていく。
霧が立ち込めると共に強風が吹き始め、足音のみが聞こえていた静寂から一転、轟音を響かせる。
どこからともなく水音が聴こえる。
尚哉と亮お兄ちゃんも、一度は経験している。なのに慣れることのないこの雰囲気には、思わず呑み込まれそうになる。そしてその感覚は、明日のアタックへの緊張感と同時に雪渓からの冷気が纏わり付き、吹き荒ぶ風が打ち付ける。大自然の脅威には、思わず体を震わせる。
「はは…、武者震いか?」
「尚哉だって震えてんじゃんよ」
視界は僅か数メートルにまで狭まっている。
市川さんの声が、尚哉を呼んだ。
「どうしました?」
「いや、生田君。これは?」
花だ。高山植物が、この白く霞んだ大地に生命の匂いを放っている。
「チングルマだ。チングルマですよね!」
「そうだ。この辺り、ほら」
「ハクサンイチゲも!」
「可愛い花だね」
まるで人の侵入を拒むかのような空気の中、冷たい風に曝されながらも強く生きる高山植物達。
その生命力に、5人はあらためて勇気をもらった気がした。
「さあ! 見えてきたよ」
「どこに?」
「てか尚哉、お前、どこ見てんだよ?」
「え? 花じゃねえの?」
―わっはっは!
目を凝らせば、確かに見える。斜面に張り付くように建つ、剱山荘の姿。
亮お兄ちゃんは、こんな時にはまるで子供。山小屋の前にあるベンチに、飛び付くように腰掛けた。
「冷たっ」
濃い霧がベンチやテーブルを濡らしていた。
「そりゃそうだろ! こんだけガスってて地面も濡れてるのに」
「おパンツに染みてんだろ?」
―あっはっは!
霧の中に浮かんだ、温もりさえ感じさせる木造建築の山荘を、また少しずつ晴れてゆく空と山が包み込む。
5人は山荘の食堂で夕食を摂った。
その窓から眺める景色は、明日挑む剱岳の勇姿。まるで刃物の如く鋭く、空を切り裂くようだ。
そんな岩峰の姿が緊張感を煽る。しかし、雲の隙間から差し込んだ夕陽は、登山者達の緊張を癒すかのように、優しく雪渓を黄金色に彩った。
「おお…」
「素晴らしいね!」
尚哉と亮お兄ちゃんは、山小屋の玄関から外へ飛び出し、その絶景を眺めた。
先程まで吹き荒んでいた風はいつしか穏やかになり、2人の頬をそよそよと優しく撫でていた。
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