山に魅せられて[9]
いつもは目覚ましの音に起こされ、閉じようとする瞼と闘いながら、心地良さを感じさせてくれる掛け布団を捲ると、気怠さが全身を蝕んでくる。
今日は違う。
目覚ましなんて不要。
パッチリ開いた瞼、ワクワク感から高鳴る鼓動。
枕元に置いた、丁寧にたたんだハイキングウェアを手に取る。
これに着替えると私は、その瞬間に“山ガール”に変身するんだ。
朝食も摂らないままにウェアを纏い、姿見の前に立ってみる。
「いい色じゃん!」
さすが私。曲がりなりにもアパレルブランドのデザイナー研修生。
あれ? 研修生って「曲がりなりにも」なんて言葉使うのかしら?
そんな事はどうでもいい。言葉使いなんて国語教師に任せておいて、今日私は、ついに山ガールデビューするんだ。
自宅の玄関に鍵をかけて、通い慣れた地下鉄の駅までの道を意気揚々と歩く。
慣れない明るい色合いの服装に、ちょっぴり気恥ずかしさを感じてしまう。ホームドアの前に並んで、思わずキョロキョロ。その方が恥ずかしいと思うんだけど。
―まもなく1番乗り場に太秦天神川行きがまいります。
駅の構内放送が、「スタートラインに立て」と告げているようで、ドキドキする。トンネル内に響く音は、さしずめ応援の歓声といったところ?
何だそりゃ?
程なくして到着した電車には、結構な人数の乗客が居て、それなりに立ち客の姿も見える。
ゲートが開くと、団子状態で人並みに揉まれるように、電車に乗り込む。
きっと誰も気にも留めないはずなんだけど、周囲の乗客の目線を気にしながら奥へと進むと、両側の座席に座る人は皆、落ち着いた色合いの服装。
え? え? 私、浮いてない?
今日降りる駅は、東山駅。
いつもの烏丸御池より3駅手前。
乗り換え駅じゃないから、出口に迷う事もなく階段を駆け上がると、古都の風情を感じさせる川沿いの道を少し歩いて、平安神宮の大鳥居の下で待ち合わせ。
「おはようございますっ!」
いつになく声が弾んでいる気がした。
「おはよう! あらぁ、可愛い」
え? そんな…。
可愛いなんて言われたの、初めてかもしれない。笑顔がぎこちない気がして、顔が熱くなった。
「一端の山ガールじゃない」
谷山先輩の一言が、気分を高揚させる。
何て単純なんだろう、私。
山に登るのはこれから。まだ未経験なのに、ベテランの谷山先輩の言葉に持ち上げられた私は、もう山頂に辿り着いたかのような得意満面の笑み。
一端なのは服装だけなのに。
「じゃあ、点呼! 私、谷山っ」
「村崎」
「夏川…っ」
「磐田」
「あ、た、田上」
「以上5名っ!」
あれ? 宮地さんが居ない?
「放っときなさい。あの子は…」
そ、そんな…冷たくない?
そう思った時、谷山先輩が言った。
「嫌がる人を無理に連れて行ってもね。低山だって危険は付きものだから」
山が嫌なのか、歩くのが嫌なのか。
はたまた団体行動が嫌い?
確かに仕事もワンマンプレイ的な印象は強い。それが、こんなところにも表れてるっていうのかしら。
谷山先輩がいつも言ってるけど、その通りだわ。
「じゃあ、哲学の道を歩いて、銀閣寺前でまた点呼取りまーす」
気持ちを切り替えてと!
今日は村崎マネージャーではなく、谷山先輩がリーダーとして引っ張ってくれる。
うん! 気分が乗ってきたわ!!
麻衣は仕事柄、服装の色に関する知識やセンスを待ち合わせています。
とはいえ、普段着る事のない色だったり、タイツだって身に付けないアイテムなのだから、やっぱり緊張するんですよね。
アクセスありがとうございます。
次回、「山に魅せられて[10]
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