4 鏡の中の自分を眺める
鏡の中の自分を眺めるのはずいぶんと久しぶりな気がする。
サラディアナ・イゼルはじっと鏡の中の自分と向き合った。
ユーシスが訪問してきた翌日、サラはソフィアに頼んで久々に外行きの装いをしてみることにした。
子供の頃から「灰色の令嬢」と陰口を叩かれる原因だった灰色に近い艶のない金髪は相変わらず陰気な色で、青灰の瞳も暗い。
背は高く、いささか痩せすぎている。
うっすらと頬に散ったそばかすも華やかさにかける要因だろう。
イゼル子爵は変わり者だった。
王宮で歴史家として、また法律の専門家として勤めて一目をおかれてはいたものの、難儀な性格故にあまり出世はせず、私財を増やすことにも熱心ではなかった。
そんな彼は青年時代に裕福な子爵家の娘と熱烈な恋に落ちて、サラが生まれた。
「もういやよ、嫌なの!こんな暮らし、限界よっ!」
「さ、サラは娘はどうするんだ!」
「要らないわ!あなたにあげる……!」
サラの一番古い記憶は自分とあまり似ていない綺麗なお姫様がわあわあと泣いて、屋敷を出て行く場面だった。
あとで、それは母親だったとしる。父と恋に落ちて幸せな結婚をしたはずだった母は、貧乏な暮らしにもいつまでもうだつのあがらない夫にも耐えられなかった。
子爵家に出戻って、今は再婚をして子供にも恵まれて幸せに暮らしている。
――残されたサラは、それなりに父親の子爵には大事にされた。
気難しい偏屈な父だったが、不器用な優しさはサラには伝わっていたし、父の知識は豊富で話はいつも興味深かった。
――ユーシスが来てからは、同い年の子供との関わり方も多少なりとも知った、と思う。
――十九の時に、ユーシスが侯爵家に引き取られるとなって。サラにも父にも信じられないような捨て台詞を吐いて去ったとき、
さめざめと父は泣いた。
「私がもう少しまともな職を得ていたら……、サラ、おまえにこんな惨めな思いをさせる事もなかっただろうに」
「いいんですよ、お父様。――結婚する前に、ユーシスの本音を知れて良かったわ。結婚もしなくて良かった」
父が国王の側室への耽溺と王妃への不義理、それから王太子への不誠実を許せなかったのも――一線を越えた暴言を吐いたのも、サラのことを思い出したからかもしれない。
不誠実で華やかで、愛される者が、ただ毎日を生きる者達を踏み台にする。そんな構図に憤ったのかもしれない。
ユーシスが侯爵家に行ってから、それまではポツポツとサラにも贈られてきていた夜会への招待状はぱったりと止んだ。
デビュタントの世話をしてくれるはずだった遠縁の親戚達は急病になり、いうならば――一斉にそっぽを向かれた。
老齢のベルハイム元侯爵閣下は息子が子爵家に世話になっていた過去を隠蔽したがって、サラが表に出てくることも嫌った。
「私は別にいいんです、華やかな生活も好きじゃないし……。数年たって、老いた元侯爵がこの世からいなくなったら、まあ……なんとかなるんじゃないですか?」
可愛げの無い口調で父に嘯いていたのが悪かったのか、先に「この世からいなくなった」のは父の方だった。
「あーっ!!お嬢様っ!!やっぱりお髪は編み込んでもいいですかっ!!サイドに編み込むの!さいっこうにイケてますっ!!」
「大げさねえ」
「だってみてくださいましっ、この綺麗なお髪の色。まるで東洋の絹みたい!」
父が夏に亡くなってから、サラは何もやる気がなくて、常にぼんやりしていた。
父は死んだ、サラには頼る当てもない。――再婚して裕福な伯爵家に嫁いだ母に頼み込めばきっと何かしら職を紹介してはくれるだろうが、そんな気分にもなれなかった。
起きて、本を読んで、ご飯を食べて、そして、寝て。
ソフィアが「朝です、着替えてください、ご飯食べてください、図書室行きましょう、お風呂です、夜です!」と規則正しく号令をかけてくれなかったら、きっと寝室で蹲ったまま化石になっていた。
ぼんやりと生きている間に、なぜかシオンが来て、二ヶ月。
――なんだか、本当に久しぶりに頭の中がすっきりとした気がする。
「顔色が悪くなったわね、私」
「……子爵様がお亡くなりになってから、ずっと大変でしたから。顔色なんてささいなことです。おしろいでごまかします」
「そう?ありがとう。さすがソフィアね」
「えへへ。ソフィアはすっごい器用なんです。なんでも出来ますよ」
ぴょこぴょこと耳が動く。本当に可愛い。
サラはソフィアを抱きしめてから、身支度を調えて貰った。
「おはよう、シオン」
「――おはっ、おはようございます。サラさん……」
シオンが目を丸くする。
「どう、したんですか?」
「久々に化粧をしてみたんだけど。変?」
「いえ、素晴らしくお綺麗ですけど……」
お世辞が上手だわ、とサラは感心した。まだ十五歳の少年は実にそつがない。
「いい天気だし、外に出ようと思って」
「!それは」
シオンがソフィアを見る。
ソフィアはどうだ!と言わんばかりに胸を反らした。シオンがソフィアを見て微笑む。
「いいことですね。どこに行くつもりですか?」
「そうね、出来たら……あなたが昼間にどこに行っているか知りたくて、一緒に行っちゃだめ?」
職場なんですから無理ですよ、と断られるかと思っていたが、シオンは屈託なく笑った。
「いいですよ。俺は仕事と言っても、今はあるようなないようなそんな感じなので……せっかくだから、王都の中で遊びませんか?案内してください」
「遊ぶのは構わないけど――あまり詳しくないわよ。ここ数年は引き籠もっていたから」
「じゃあ、俺の好きな店とかいきますか?」
ええ。と頷くとシオンは決まりですね、と笑顔を浮かべた。
シオンがいつの間にか手配していた馬車に乗って中心部まで向かい、少年に手を引かれて王都を散策する。
大通りは、カフェやブティック宝石店や書店などが建ち並び、数年前よりずっと華やかになっていた。
ランチは庶民が利用する――しかし、少し値段は高めの店でとった。
海産物を使った料理が全て美味しい……。
「こんなお店、よく知っていたわね?」
「上司が教えてくれました。俺の故郷は海が隣接していないので、珍しいだろう、って。美味しいですよね」
確かに、と舌鼓を打ちつつも値段が気になる。デザートは我慢しようかと思っているとシオンが「氷菓子が美味しかったですよ」と勝手に頼んだ。
大丈夫かしらと不安になるサラの考えを見透かしたようにシオンが笑う。
「――前々から思ってたんですけど、サラさん、俺を貧乏だと思っているでしょう」
「……違うの?子爵家の爵位を買ったせいで、貯金がもうなくなっちゃったんじゃ?」
シオンは声を潜めた。
「実は、俺は東ではすっごい裕福な家の跡取りで資産家なんです。この食堂を買えちゃうくらい」
「ほんとう?」
「どう思います?」
「そんな人が従者も連れずに、家に一人で来るはずないでしょう!」
はは、とシオンは笑った。
「ばれたか。でも、給料はくれるみたいなんで大丈夫ですよ。――そろそろ冬の備えもしなきゃいけないと思っていたし、ついでに注文して帰ります?」
「……いいの?」
「もちろん。俺の給料も夫婦の共同財産、でしょ?」
それは違う気もするが。
ありがたいのでサラは頷いた。
氷菓子まで食べて店を出て、色々な店に冬の備蓄を注文する。
イゼル子爵の名前を出すと一瞬怪訝な顔をした店主もいたが、シオンがなにがしか耳打ちすると彼らは一斉に態度を変えた。
「それから屋敷の修繕も手配したので何日かしたら職人が来ると思います」
何から何までそつのない少年だ、と呆れるやら感心するやら……。
家の調度品を見て回って夕暮れになる頃にはサラの足はクタクタになっていた。
「疲れましたか?サラさん」
「ええ。久々に外に出たせいね。体力がないって駄目ね。ソフィアと一緒に散歩しようかな」
「そうしてください。俺もたまには一緒に遊びたいし」
街中にある、四角い――まるで商売っ気のない三階建ての建物の前で少年は立ち止まった。
「ここです」
「え?」
「俺の職場。東の出身なのを頼りにされて――輸出品の監査……ていうとかたいかな。手続きなんかを手伝わせて貰っているんです」
そうだったのか。とサラは目を丸くした。
「傭兵だったと聞いていたから軍部にいるのかと」
「軍ですよ。いまは紛争のあとだから。軍部が輸出品の一部を管理しているんです」
そういうものなのだろうか、とサラは曖昧に返事をした。
シオンがあれこれ説明してくれていると、建物から出てきた三十過ぎの男が胡乱な視線を向けてきた。
「なんだ、クソガキ……女連れで職場に来るとはいい度胸じゃねえか!ああん?」
「ウォーカーさん、こんにちは。いつ会っても態度悪いですよね」
「んだと?」
サラはウォーカーに視線を向けられて、礼をとった。
夫が、といいかけてむずがゆくなったのでやめる。
「シオンがお世話になっています。――サラディアナ・イゼルです。ウォーカー卿」
あ!とウォーカーが顔色を変えた。
姿勢をただして敬礼する。
「こ、これはこれは……!サラディアナ嬢がご一緒だったとは……ご無沙汰しております……」
「ええ、本当に」
ウォーカーは父の存命中、何度か屋敷に来たことがある、顔見知りの軍人だった。
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