3 どの面を下げてやってきたんですかね
「どの面を下げてやってきたんですかね、あいつ!」
客人を――しかも相手は高位貴族だ。追い返すわけにはいかないからとユーシスを客間に通してからサラは厨房に引っ込んだ。
ソフィアがプンプンと怒ってしっぽを逆立てている。
控えめに言って、可愛い。
「どの面……って。見慣れた顔よ。せっかく忘れかけていたのにね」
湯を沸かして茶でも淹れるかと思っているとソフィアに「あたしの仕事です」と椅子に座るように指示された。お願い、と力なく言って厨房の隅の椅子に座り込む。
本来なら客間に行ってもてなすべきだろうが、二人きりになりたくはなかった。
ユーシスは三年前までイゼル伯爵家に住んでいた遠縁の青年だ。
いや「だった」というのが正確か。
十歳の頃に両親を失い、亡き父、イゼル伯爵が不憫だからと引き取った。
二つ違いのサラとは兄妹同然に育ち、……いや、これは嘘だ。
婚約者として少なくともイゼル子爵には言い含められて育てられた。
だが、紆余曲折あって彼は実父だと判明したベルハイム侯爵に引き取られ、今や雲の上の存在たる「侯爵閣下」である。
コポコポと音を立てて湯が沸く。
サラが小さな頃には火種を起こして沸かすしかなかった湯も、今では好きなときに沸かすことが出来る。
十年ほど前――ちょうどユーシスが家に来た頃だ――王都の魔法使いが火を魔石に閉じ込める技術を生み出したからだ。
あっという間に沸いてしまうのは――今日だけは憂鬱だ。
「それで?何の用なんです?」
「他人行儀だな、サラ」
ソフィアに茶をついで貰いながらサラはユーシスの対面に座って問いかける。
他人ですものと言いたかったが。冷たくあしらうのも……何か、彼に特別な感情を抱いていると思われそうで不本意だ。
答えずに肩をすくめるにとどめた。
「夫が不在の間に殿方を屋敷にあげるのは――道徳にもとりますもの。はやく要件をお話になって。そして早々に退散して」
ユーシスは青い目を細め、口元を尖らせた。
「そのことで来たんだよ。僕は聞いていなかったよ」
「……何を?」
「何って……!君の結婚のことに決まっているだろう!――イゼル子爵が死んでから君は家に引き籠もって、どこにも顔を出さないから心配していたんだ」
「元から外出は嫌いなのよ」
「教会の集まりすら出なかっただろう!――どうしているかと気にかけていたら……結婚?結婚しただって?あり得ない!」
「私の結婚なんて、あなたには関係ないから。それは知らないでしょうね」
何を言い出すのかと思えば、とサラは呆れた。
サラの様子に気づかず、ユーシスは憤慨している。
「イゼル子爵がお亡くなりになった後、君に手紙を贈っただろう」
「ええ。悔やみのお手紙をありがとう」
「何か困ったことがあったら頼ってくれと書いていたのに!返事もよこさないで……」
「……ひどく気鬱だったし、社交辞令だと思ったのよ」
「社交辞令なものか。僕たちは家族だろう!」
サラはちらりと、天井を見上げた。
視線の先の古ぼけたシャンデリアがいきなり落ちてきて、ユーシスだけを潰してくれないだろうか、と願う。
お父様、お父様、幽霊になって屋敷を彷徨っていたりいませんか。
ちょっと力を込めて留め具を外してくれませんか。
「恐れ多いわ、侯爵閣下と家族だなんて」
鼻で笑いたかったが、なんとか堪えてしおらしい台詞に置き換える。
ユーシスがイゼル子爵家を出て行ったときの様子を覚えていれば家族だなんて口が裂けても言えないと思うが……。
ひょっとしたら、彼は己の言動全てを忘れているのかもしれないが。
「君があんな……平民貴族と結婚するなんて」
耳慣れない単語に、サラは首をかしげた。
「平民貴族?シオンのこと?」
「そうとも!――東の成り上がりの蛮族だ」
紛争の後ににわかに叙勲された――あるいは爵位を買ったもののことをそう、揶揄するらしい。
「いくら子爵家が惜しくとも、あんな輩に身売りするだなんて。君には貴族としての誇りはないのか!」
熱い湯が入ったポットを握りしめたソフィアの額に、青筋が浮く。
あと一言でもユーシスがわめいたら頭から湯をぶちまけそうだ。
サラも気持ちは同じだが、侯爵に火傷を負わせた平民の、しかも狼族への処罰など考えただけでも恐ろしい――。
「ソフィア、お茶のおかわりを持ってきて」
「……でも」
「お願いよ」
ソフィアは、渋々引き下がった。
サラは平坦な声で言った。
「旦那様との結婚は国王陛下の命令なの。――私に拒否権はなかったわ。それにいい子……いい人だし、おおむね平和にやっているから気に病まないで」
「あんな異国人と平和にやっている、だって?」
口調からするとユーシスはシオンを知っているらしい。
「会ったことがあるような口ぶりね」
「残念なことに、見知っている。粗野で学のない、無礼者の成り上がりだ――!今からでも遅くない、離婚申請をして、あのガキと別れるんだ。僕が口添えをしてやれる」
サラはちらりとユーシスを見た。
かつて婚約者だった自分をあっさりと棄てた男を。
そして、意気揚々と侯爵家に入った「成りがあり」の侯爵を。
「別れてどうするの?私は子爵家を奪われて路頭に迷うわ」
僕が愛人にしてやるとでもいうつもりだろうか、と思ったがユーシスの提案はもっと最悪だった。
「僕の親戚の男を紹介するよ。――善良できっと君も気に入る。覚えているかな以前僕をイゼル子爵家に迎えに来た……」
ユーシスから転がり出た名前に、鳥肌が立った。
三年前、ユーシスと共にイゼル子爵に嫌みを言い捨てて去った侍従の名前だ。
怒りで頭から湯気が出そうだが、耐えた。
「私は元気にやっているから気にしないで。新しい夫も不要よ。元婚約者から部下をあてがわれるくらいなら王命で結婚した方が、まだ名誉よ――そうは思わない?侯爵閣下」
「だけど、サラ」
サラは立ち上がって叫んだ。
「ソフィア!お客さまがお帰りよ」
「ちょ……、待ってくれ、サラ……!君が心配なんだ」
「はい!お見送りしますっ!」
「この、この……ソフィアっ!僕を掴むな!無礼だろう」
「出口はこっちらですよーっと!なにとぞ、おととい来やがりなさってください、ユーシス様っ!」
ソフィアの馬鹿力に引きずられるようにして、ユーシスが玄関の外に押し出される。
ばたん、と玄関に鍵をかけると、玄関前でユーシスが怒りのまま声を荒げた。
「あの子どもは危険だぞ。――君みたいな平凡な女には手に負えない――僕の忠告を聞いて離れた方がいい。何せ傭兵上がり。あの年で人殺しだ」
捨て台詞を吐いたユーシスは反応がないことに怒ったのか玄関を一度蹴ってから、もう一度叫んだ。
「僕は忠告してやったぞ!……また来るからな!」
足音が遠ざかる。
もう二度とここに来ないでほしいと思いつつ、額に手を当ててサラは呻いた。
あの無礼者、今度夜道で襲ってやるとソフィアが怒っているのをどうどう、といなしながらサラは、不在のシオンを思った。
「傭兵上がり、か」
――ユーシスに言われて気づいたのは癪だが、確かに二ヶ月も一緒に暮らしているのに、サラはあまりにもあの少年のことを知らなさすぎる。
「……ねえ、ソフィア」
「なんでしょう、お嬢様」
「――シオンが毎日、どこに行くか知っている?」
ぴょん、とソフィアのしっぽと耳が立ち上がる。
「ええ!ええ!なんとなくっ!場所だけは存じております!!行ってみますか!?シオン様の職場とか見に行きますか!お外に出てみますか!?」
「……そうね」
サラは頷いた。
暑く、歩くだけで倒れそうだった夏は終わった。
――少し屋敷の外に出てもいいかもしれない。
「そうしてみようと思うわ……、明日。晴れたらいいんだけれど」
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