2 窃盗犯は腕を切り落とされる
本日2話目です。
「窃盗犯は腕を切り落とされる。あるいは逃亡を防ぐために、足を」
転がった男とその背後で怯える母子。
三人を見下ろして、シオンが淡々と聞いた。
シオンがイゼル家に婿入りしてから一ヶ月が過ぎた。
夜半、なにやら物音がする、とサラがのそのそと起き上がってきたところ使用人として雇っていた男が厨房をあさっているのが見えた。
夜食でも食べるのかしらと欠伸をしつつ見守っていると、サラに気づいた男は飛び上がって叫んだ。
同時に両手に持っていた――銀食器が転がる。
「ゆ、ゆるしてくださいっ」
「……まあ!」
銀食器は高価だから売れば金になる。
イゼル家は貧乏貴族だから先祖代々のものをちまちまと使っている。さすがに、盗られたら困る……。
どうしたものかと考えあぐねている時に、男の家族が出てきて――物陰に隠れていたらしい。銀食器を拾い集める。
家族四人で仲良く逃げだそうとしたところ、寝ぼけ眼のシオンが現れて使用人を手早く転がした所だ。
「腕と足、どちらがいい」
「お、お父さんにひどいことをしないで」
「恩を裏切ることの方がひどい」
涙声の娘の懇願をシオンは切り捨てた。
荒事に長けているというだけあって使用人をあっさり転がした少年は冷たく一家を眺めた。
「シオン。まさか本当に切断したりしないわよね?」
「困りますか」
「血塗れになるのは困るわ……絨毯の替えがないのよ。やめて」
「じゃあ、指を折るだけにします。血が出ないように努力します」
夫婦のろくでもない会話に一家は震え上がった。
サラはいささか残念な気持ちで、使用人の男を見た。一家が屋敷にやってきて二年ほど。
そこそこうまくやっていたと思うし、給金は少ないとはいえ、きちんと払っていた。
どうしてこんなことをしたのか、とサラが聞くと男は許してください、と突っ伏した。
「そ、その……イゼル家は取り潰されるって聞いたんです。それで、その前に……」
めぼしいモノを貰って逃げようとしていた、らしい。
溜息をついたサラは銀の燭台を一対、布で包んだ。
古いものだが売れば親子三人でひとつき、ふたつきは暮らせるだろう。
「退職したい、と言っていたものね。話を聞かなくてごめんなさい。――退職金代わりよ」
「サラさん?」
とがめるようなシオンの声を無視して、燭台を渡す。
はっと使用人の男は顔をあげて、ありがとうございますと床に頭を擦り付ける。
「紹介状は書けないけど……元気でね」
逃げるようにして去って行った家族を深夜に見送る。
まばらな足音に気づくと、住み込みの――残りの七名の使用人達が不安げにこちらを見ている。
老人、狼族、異教徒。それから前科者。変人だった父の集めた使用人はなかなかに事情持ちで、あまり行く当てもない。
銀食器を盗んだ一家は、借金のほかは「まっとう」だったからイゼル家以外でやっていきたかったのかもしれない。
「退職したい人がいたら、明日私の執務室に来て」
青年二人と目が合った。
今夜はとりあえず部屋に戻るように促すと、シオンだけがそこに残っている。
「不満がある?」
「ありますね。――この家のものは共有財産じゃないんですか?俺に相談せずに銀食器を盗人にあげちゃうんですか?」
「……二年間、よくしてくれたもの。役人につき出すのは気が引けるわ……」
さすがに腕や足を切り落とされることはないだろうが、貴族の家のものを盗んだとあれば使用人は年単位で懲役を科せられる。
一家をバラバラにするような真似はしたくなかった。
「悪人を見逃すと、また繰り返しますよ――今夜は食器でも、次は人の命をとるかもしれない」
「……そうかもね」
「そのことに、罪悪感をいだかないんですか?」
サラはくすりと笑った。
大人びた少年だが、正義感は少年らしく潔癖なものがあるらしい。
「そんなもの、抱かないわ。――彼らから恨まれるのが億劫だっただけ。正義感から見逃したわけじゃないもの……」
「事なかれ主義なんですね」
「そうよ」
サラは肩をすくめた。
流されるまま、仕方ないわ……と思いつつ生きてきた。いろんなことに。
そうでなくては――今ここで、あなたみたいなワケアリ風な美少年と一緒に暮らしていたりしないわよ、と思ったがそれは言わないでおく。
「せめて叫んでください」
「え?」
「危ない目にあったら、ちゃんと名前を呼んで、叫んでください。助けに来ますから。危害を加えられたらどうする気だったんです?」
いたって生真面目に聞かれて「あー」と、変な声を漏らしてしまった。
何かさっきからシオンが何か怒っていると思ったら、心配をしてくれたわけか。
「そんな、悪いわ……」
「夫婦でしょう」
形だけのね、と言いそうになってさすがにそれは性格が悪いなと反省する。
こんな夜更けに起きてきてくれて、サラを助けてくれたのだ。そうね、と笑う。
「ありがとう――。今度危ない目にあったら大声で呼ぶわ」
「そうしてください」
「ああ、なんだか目が覚めちゃったけど、何か吞む?……お酒はまずいわよね、ホットミルクでも」
「すぐ、子供扱いする……」
シオンがぼやいた。
言葉が少し柔らかいので機嫌はなおったみたいだ。
「勝手に使ってくれていいのよ、厨房も。食材も……。昔から眠れないときはこうして……」
――彼ともよく、こんな風に夜の厨房でひそかに話をした。
口を滑らせそうになって、サラは慌てて口をつぐんだ。
最近、ついうっかりが多すぎる。愚痴も弱音も思い出話も、心が弱っているせいかぽろぽりとこぼれ落ちそうになるのだ。
「ココアを飲むけれど、付き合う?」
「はい」
「甘いもの、好き?」
「いえ、あんまり――でも、たまには悪くないですよ」
そうね、と笑ってサラはシオンに背を向けた。
翌朝。
青年二人が退職を申し出てイゼル家の使用人は全部で五人になった。
*
シオンがイゼル家に来てから二ヶ月が経った。
すっかり、秋だ。
秋まっさかりというのはあまり嬉しくもない。冬が近づくとなると色々と物入りになる。
薪に保存食に冬の衣料品――これは新調せずに補修して使うしかないが。
さらに言えばあちこち壊れかけた屋敷の修理……。
「シオンに頼むしかないかな。あの子家の修理とか得意かしら?」
シオンは相変わらずでかけている。
昼間、彼が何をしているかはよく知らない――。官職についているわけではないと思うのだが。
知りたいとは思うのだが、あまり首を突っ込まない方がいいような気がする。
彼は気のいい少年だが――寝室の事を揶揄ってきたのは忘れることにした――秘密が多い。
「冬までは、ここにいてくれるかしら……だったら家の修理を頼んでもいいかな……嫌がられるかなあ。でも、頼っていいって言ってたし。荒事が得意なら……それは関係ないか」
サラが思案していると元気な声が聞こえてきた。
「お、お嬢様あああああああああああああああああ!!」
「ソフィア!ちょっと廊下を走らないで、壊れたらどうするの」
「だ、だって、お客様が!!!」
「お客様?」
「あいつが、あいつが来やがりましたっ!!」
「……来やがるって……あいつ?」
貧乏子爵家、しかも国王の不興を買って当主が怪死した家に客人などそうそう来ることはない。
どんな変わり者だ、と玄関に到着したサラは、ソフィアに客人の名前を聞かなかったことを後悔した。
誰なのかわかっていれば、居留守を使えたのに。
「やあ、サラ」
「……ユーシス」
口にしてから後悔した。きちんと家名と爵位で呼ぶべきだった。
ベルハイム侯爵閣下、と。
綺麗な青い目をした男性は帽子を脱ぐと、親しげに微笑んで軽く会釈した。
まるで、彼がこの家に暮らしていたときのように。
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