機械少女はチョコレートの味を知る
「おはようございます、マスター」
「おはよう、リリア。今日も早いね」
「私は機械。充電と適切なメンテナンスがあれば何時でも動きます」
「そうだね。けど、そんなになんでも頑張ってくれると僕のやることが無くなっちゃうな」
「マスターには研究という仕事があるのでは」
「んー、そうなんだけどね。リリアにはまだ難しいかな」
マスターは笑いながら私の頭を撫でた。『まだ』ということはいずれ分かるようになるのだろうか。
「ところで、マスターは何故厨房に」
「バレンタインデーだからね、何かスイーツを作ろうかと思って」
「バレンタインデー、とは何でしょうか」
「言うなれば、想い合う二人が愛と共に贈り物をする日、かな」
「学習しました」
少し難しい言葉だ。マスターにはたくさん教わるけれど、愛や感情の類は分かっていないと言われることの方が多い。
「レシピさえ頂ければ、スイーツ作りは完了させることができます。マスターは研究を」
「ちょっとした息抜きも兼ねているんだ。だから、一緒に作らせて」
「承知しました」
そう言ったマスターは厨房内を歩き回り、慣れた様子で調理器具や食材を出して行く。マスターが料理をする所など見たことがないができるのだろうか。
「マスター、指示をください。私が動きます」
「あー、もう少し待ってね」
マスターは板状のチョコレートを四種類手に取り適当に割ると、私に一欠片ずつ差し出して来た。
「一個ずつ食べてみて、感想教えて」
「承知しました」
差し出された物の中から最も右のチョコレートを取り口に含む。
「どう? 美味しい?」
「甘いですね」
「そうだよね。それはね、ミルクチョコレートって言って、チョコレートの中だと一般的なものなんだ」
マスターは少し笑ってから、今食べたものの説明をしてくれた。この甘さがチョコレートの中では標準的なものらしい。
「ミルクチョコレートと言う割には、ミルクと同様の要素があまり感じられません」
「確かに、そうかも……。ごめんね、ミルクチョコレートの定義は知らないや。専門外だから」
「では、今後の私の研究課題に追加致します」
「研究課題……」
「許可を頂けますか」
「うん、好きに調べてみるといいよ」
「ありがとうございます」
再び笑いながら許可をくれたマスターに感謝の言葉を返し、次のチョコレートへ手を伸ばす。
「美味しい?」
「ミルクチョコレートよりは苦味があります」
「それはね、ビターチョコレートって言うんだ」
「名前の通りですね」
「ダークチョコレートとも言うみたいだよ」
「ダーク……闇、ですか」
マスターの言葉に思わず口を押さえてしまう。闇のチョコレートと言われると通常の食事と同様に処理しても大丈夫なのか分からない。
「ははっ、そう呼ばれることもあるってだけで食べられないものなんか入ってないよ。安心して」
余程面白かったのか、マスターは涙を浮かべるほど笑ったまま私の頭を撫でた。安全なら普通に処理して大丈夫そうだ。
「次はどっちを食べる? ホワイト? ストロベリー?」
「どちらから頂けば良いですか」
「好きな方を選んでみて」
好きはよく分からない。それにまだ知らないものに対して抱ける感情ではないと思われる。
「この右の方を頂きます」
先程からの法則に従って右のチョコレートを取り、口に含む。
「甘いです。ミルクチョコレートよりも甘い感覚があります」
「ホワイトチョコレートはチョコレートの中でも特に甘い感じがするよね。定義は知らないけど」
「ではこれも研究課題に」
「研究課題がチョコレートってすごく楽しそうだよね」
「マスターの研究課題は楽しいですか」
「うん、楽しいよ。ものすごくね」
「良かったです」
「今もすごく楽しいんだ」
マスターの研究課題は知らないけど、笑顔で語るマスター見ると楽しいならそれでいいかという気がしてくる。
「最後はストロベリーだね。食べさせてあげようか?」
「いえ、マスターの手を煩わせる訳には」
「それは残念」
マスターはやはり笑いながら一度持ち上げた皿をもう一度私に差し出す。最後に残ったチョコレートを口に入れた。
「これは……少しだけ、酸っぱい、です」
「ちょっと酸味があるよね。苦手だった?」
「よく分かりません」
酸っぱいものはあまり知らない。そしてこのチョコレートのように甘くもありながら酸っぱいものは初めて知った。好きとか苦手は分からないが不思議な感じがする。私が思えたのはそのくらいだった。
「そっか」
マスターは笑ってまた私の頭を撫でた。
「先程の指示は完了しました。次の指示はありますか」
「今食べたチョコレートの中で気に入ったものがあったら教えて欲しいなと思ったんだけど、何かある?」
「……ビターチョコレートが気に入りました」
「どうして?」
マスターは少し目を見開いて私に問いかけた。
「マスターが一番笑っていらしたので」
「僕が?」
「はい。ビターチョコレートを食べた時にとても笑っていました」
「ああ、確かに。笑ったね、ダークチョコレートね」
「あれは少し、分かりにくい名前ですね」
「そうかもしれないね」
マスターは思い出したようにまた笑った。
「じゃあ、ビターチョコレートでケーキでも作ろうか」
「では、レシピを」
「うん。一緒に作ろうね」
マスターの言葉に頷き、レシピ本が仕舞われている棚からいつもは使わないスイーツ集の本を取り出した。
◆◆◆
「生クリームってどのくらい乗せたらいいのかな?」
「レシピにある画像と比較するともう少し多い方が良いかと思います」
レシピ本とケーキとを見比べながらマスターの言葉に応える。色も形も綺麗で、慣れないスイーツ作りだが上手にできたように思われる。
「よし、こんな感じかな。結局ほとんどリリアが作ってくれちゃったね」
「マスターとレシピのお陰です」
「リリアがそう言ってくれることだけが救いかな」
そう言いながらマスターは眉を下げて笑った。
「早く食べよっか」
「はい、マスター」
レシピには一晩寝かせるとより美味しくなると書いてあったが、マスターが「一晩も待てない」と言うから一切れずつ食べて残りを寝かせることにしたのだ。
「飲み物は何がいい?」
「飲み物……?」
「の、飲み物はあれだよ?! 液体状の、その、食べるものっていうか! いや違うかそれだとスープも……」
「マスター、飲み物が何かは既に学習しています」
「そっか、そうだよね。……焦った」
私の言葉に目を見開いて飲み物について説明をし始めたマスターを宥める。
「で、さっきの質問はどういう意図なの?」
「質問と言いますか、飲み物を食べる物に合わせるという考えがありませんでした」
「ああ、リリアはまだ水と紅茶しか飲んだことないっけ」
「コーヒーもあります。毒味でですが」
「毒見って、大袈裟だなぁ」
「いえ、マスターの身を守るのは私の務めですから」
笑って言うマスターに、何となく良い気がしなくて間髪入れずに応えてしまう。
「ごめん、そうだね。リリアの大事な仕事だね」
「はい、マスター。私の最大の務めです」
「うん、ありがとう」
マスターがゆっくり笑う。マスターの笑顔を見ると、私も笑顔になれる。マスターの笑顔は私の務めが果たされているという何よりの証明だ。
「それじゃあ、飲み物は僕が決めようかな」
「はい、マスターが飲みたいものを」
「ありがとう、リリア。……そうだね、じゃあカフェオレにしようか」
「カフェオレ」
初めて聞く言葉を忘れないように繰り返す。
「そう、コーヒーにミルクを入れるやつ。本格的な作り方もあるんだけど、とりあえずコーヒーに同じくらいの量のミルクを注げば完成」
「では、お湯を沸かします」
「あ、僕がやるよ。ケーキはほとんどリリアがしてくれたし」
マスターの言葉に行き場を無くしてしまった手を下ろす。
「それに、コーヒーはまだ僕の方が上手に淹れられるからね」
紅茶はもう負けたけど。と続けながら、マスターは手際良くお湯を沸かし、ポットやカップを準備する。
「マスター、上達するためには経験が必須なのでは」
「ケーキ作り頑張ってくれたお礼なんだから、いいんだって」
私の申し出を簡単に断ってマスターはまた笑った。
「ほら、もう出来たよ。早く食べよう」
「はい、マスター。ありがとうございます」
マスターからカフェオレを受け取り、既に並べてあるケーキの側に置く。
「いただきまーす」
「いただきます」
マスターが食べるのを真似してフォークでケーキを口に運ぶ。以前食べたショートケーキと食べ方はあまり変わらないらしい。後に広がる苦味をカフェオレで中和させると、飲み物を食べ物に合わせるということが何となく分かった。確かに水よりカフェオレの方がこのケーキと相性がいいだろう。ミルクティーでも美味しいかもしれない。おそらくミルクの甘さが程よいのだろう。いいことを学んだ、今後より良いものをマスターにお出しできる。
「……バレンタインデー、毎日してもいいかもしれません」
「毎日は普通しないと思うけど……楽しかった?」
眉を下げて笑いながら、マスターは問いかけた。
「楽しい……そうですね、新しいことを知るのは楽しいかもしれません」
「……笑っ、た」
マスターは私の顔を見ると目を見開き、口の中だけで呟いた。よく聞こえず私が首を傾げると、マスターは笑って口を開いた。
「ふふ、そっかぁ。楽しいんだね」
「マスターは今、楽しいのですか?」
「んー、これは楽しいというより、嬉しい、かな」
「嬉しい……」
マスターの言葉を忘れないように繰り返す。人の心はやっぱり難しい。楽しいの笑顔と嬉しいの笑顔。もっと違う笑顔もあるのかもしれない。でも、それらを知っていくのはやっぱり楽しい気がしてくる。
ありがとうございました
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