第二話 スミちゃん
――弱った女の子に優しくして、家に連れ込むような男はクズの極みである。
スミちゃんは確かに以前そう言っていたし、僕もその通りだと思う。
だから昨晩は、マドカとの激しい攻防戦に勝ったり負けたりしながら、持ちうる理性を総動員して最後の一線だけは超えないように努めたのだ。暴れる男心を荒縄で絞め上げ、いっぱいいっぱい頑張ったのである。
「……アンタ、そこは手ぇ出しときなさいよ」
「言ってること違くない?」
「そんなもんケースバイケースでしょ」
そんな身も蓋もない意見を叩きつけてくるスミちゃんと一緒に、僕たちはゲームのコントローラを握ると、三人協力プレイでヒゲのおじさんたちをグリグリ動かしていった。
最も淀みなく動いているのがマドカの操るキノコ頭で、全然ダメで死にまくってるのがスミちゃんの操る赤い帽子のヒゲおじさんである。
今朝はあれから、改めてお互いに自己紹介なんかをして、昨日散らかしたリビングやキッチンの片付けを三人でササッと行った。
それで、さぁこれからどうしようと思っていたところで、スミちゃんがヒゲ兄弟のアクションゲームをやりたいと駄々を捏ね始めたのだ。仕方がないので僕がテレビとゲーム機をケーブルで繋ぎ、三人分のコントローラを設定して、そうやってゲームを始めることになったわけである。
ちなみにスミちゃんはゲーム機のケーブルをどう接続すれば良いのかすらチンプンカンプンで、操作の腕前も保育園児とトントンなのだけれど、なぜかゲームをするのは大好きなのである。
「マドカちゃんはゲームが上手ねぇ」
「はい。一人の時はずっとやってましたから」
「あらまぁ。じゃあ職人気質かもしれないわね」
スミちゃんはニッコリと微笑む。
「何かを極める職人はみんな、一人の時間にコツコツと自分の技術を磨くものよ。何をどう極めるにしてもね。それを自然と楽しめるマドカちゃんは、職人に向いてると思うわ」
それを聞いたマドカは少し嬉しそうにしていた。
なんか良い雰囲気だけれど、スミちゃんはさっきから同じ場所で可哀想になるくらいヒゲのおじさんを殺してまくっている。スミちゃんの戦いは常に残機とのせめぎ合いである。
「あとでアクセサリー作りの体験でもしてみる? いきなり彫金なんかは難しいでしょうけど、革細工で小物を作るくらいなら気楽でしょ?」
スミちゃんからの提案に、マドカは興味津々といった様子でソファから身を乗り出した。
◆
毎週土曜日、スミちゃんは仕事を休む。
というのも、放っておくと延々とアクセサリー作りを続けて食事すら疎かになってしまうので、意識して休みを取らないと働き詰めになってしまうためだ。仕事に対して情熱的……というよりも、スミちゃんの場合は単純に趣味だからだろう。
工房に足を踏み入れるのは久々だったけれど、以前は存在してなかった道具や装置がごちゃごちゃと置かれていた。レジンアクセサリーを作るための装置が一通り追加されているし、何に使うのか分からない3Dプリンタもデンと存在感を放っていたりして、雑多な様子がすごくスミちゃんらしいなと思う。
「うちの工房では、オーダーメイドの婚約指輪や結婚指輪を作るのがメインの仕事になってるわ。まぁ、ブライダルアクセサリーに限らず割と何でも作るんだけどね。ネット通販も細々とやってるし」
「……すごい。これ全部スミちゃんが作ったの?」
特に仕事が入っていない時でも、スミちゃんは情熱のままにずっと何かを作っている。
工房の一画にはそういった作品を雑多に保管してある場所があり、マドカは目を大きく開いてキラキラさせながらスミちゃんを質問攻めにしていた。
「古いものから新しいものまで、興味を持ったら何でも触ってみる。それが本業にも良い刺激になるの」
スミちゃんは偉そうに語るが……要はただの趣味である。
スミちゃんの作品の中でも特に出来の良いものは、応接間に飾ってお客さんに見てもらえるようになっている。けれどそんなのは極一部で、僕としては工房に置かれている少々奇抜過ぎるアクセサリーの方がスミちゃんらしいなぁと感じてしまうのだ。
例えばそこの壁に掛かっている、ガラス細工がゴテゴテとくっついた木彫りの仮面のようなヤツ……そういう何とも表現しがたいヤツだよ。果たしてこれをアクセサリーと呼称して良いものか、議論は分かれるところだと思うけど、これこそスミちゃんだと思うんだ。
「マドカちゃんは、自分にはどんなアクセサリーが似合うと思う? 素敵なディナーに出かける時、友達を呼んでパーティをする時、大好きな彼氏の家に行く時……」
「えっと……あの、私は地味なので」
マドカが俯いて床を見る一方、スミちゃんはニマァと嬉しそうに口元を歪めていくつかのアクセサリーを手に取った。
「つまりマドカちゃんは、あまり露出の激しくない清楚な印象の服装が好みということかしら。確かに可愛らしい雰囲気だものね……お化粧もナチュラル風の方が合うかもしれないわ」
「え、あの、スミちゃん?」
「こういう革のブレスレットを、服に合わせてさり気なく着けるのも素敵かもしれないわね。髪を編み込みにして、こういうアンティーク調の組紐で結うのも素敵。ワンポイント、さり気なく金属アクセを仕込むのもいじらしいくてキュンキュンしちゃうと思わない? あぁ、それからそれから――」
おぉ、始まった始まった。
こうなったスミちゃんは長いぞ。
「アキラ、アンタはどういうアクセサリーがマドカちゃんに似合うと思う?」
「えぇ……割と何でも似合うと思うけど」
「そうよねそうよね。アキラも良いこと言うじゃない。どうやったって、素敵な女の子には素敵なアクセサリーが似合ってしまうものなのよ。むしろ似合わないアクセサリーを探す方が難しいわ」
スミちゃんはおもむろにスケッチブックを取り出すと、色鉛筆をササッと動かして何かを描き上げていく。
というか、マドカの工房体験の話は一体どうなったのだろう。革の切れ端で何か作ってみるとか言ってなかったっけ。まぁこういう無軌道な感じもめちゃくちゃスミちゃんらしいんだけれども。
「目元のメイクも色々試してみたいわぁ」
「あ、あの、私いつもは眼鏡をかけてて」
「そうなの? いいじゃない! フレーム選び一つでも印象がガラリと変わるものね。職人友達に眼鏡のフレームを自分でデコってる子がいるんだけど、こんな感じで端っこの方にさり気なく――」
火山が噴火するように情熱が迸っているスミちゃんを止めるのは、彼氏であるアサちゃんにすら無理である。僕はもうすっかり諦めて、「昼ご飯の準備してくるよ」とだけ言ってその場を離脱した。
僕がまだ小学生の頃はさすがにスミちゃんがキッチンに立っていたけれど、中学生になると台所周りは主に僕の仕事になった。
別に何か大きな理由があるわけじゃない。ただ、我が家の家計を支えているのはスミちゃんの創作意欲だから、僕はそれ以外の部分で役に立てればと思ったのだ。
昼食の時間にはまだ少し早いけど、そういえば朝食も取ってなかったことに今更ながら気づき、冷蔵庫を漁って適当な食材を見繕う。とりあえずレタス入りチャーハンと中華スープあたりでいいだろう。漬け物も残ってたっけ。
「これは食事としてはどう呼称すべきモノなんだろう。朝食であり、昼食であり、間食のような何か……ブランチって呼ぶほどオシャレなものではないしなぁ」
しばらくすると、工房の方からはカンカンと革細工をする音が響いてきて、休日の静かな家が少しだけ賑やかになる。
残念ながら僕自身がアクセサリー作りにハマることはなかったけれど、こんな風にスミちゃんが何かを作っている音を聞きながらキッチンに立っている時間が、僕は案外嫌いではなかった。
◆
昼食が終わるとスミちゃんとマドカは早々に工房へ戻っていき、再び何かをカンカンと作っている様子だった。この様子なら夕方までカンヅメだろう。
僕はエコバッグを持って近所のスーパーまで自転車を漕いでいった。家にマドカがいようと、結局はいつもと変わらない土曜日の過ごし方になっちゃうんだなぁ。
洗濯物を畳んだり、漫画を読んだり、掃除をしたり、スマホをポチポチ触ったりしていると、スミちゃんとマドカが工房から出てくる。二人ともなにやらやり切ったような清々しい顔をしていた。
僕はマドカに問いかけてみる。
「どうだった? 納得のいくモノは作れた?」
「あはは、もう全然! プロの凄さを存分に見せつけられた感じだよ。知識も技術も何もかも足りなくてね」
そう話すマドカの顔は、言葉とは裏腹に晴れやかだ。隣りにいるスミちゃんも何だかとても満足そうで、二人がいかに夢中になってアクセサリー作りをしていたのか分かる。
「マドカちゃんは本当に良いセンスしてるのよ。宝石の原石ね。これから色んな作品を見たり作ったりして技術を磨いていけば、一流のアクセサリー職人になる日もそう遠くないわ。将来はそっちの道に進むのも悪くない選択肢だと思うわよ」
そうやって二人がキャッキャと話している姿を見ると、本当に充実した時間だったんだなぁと思う。
ひとまず二人ともすっかり埃っぽくなっていたので、マドカには畳んでおいた制服や下着なんかを手渡して(今までずっと彼女は僕のジャージやらパンツやらで過ごしていた)、風呂場に行ってもらう。スミちゃんも汗と香水が混じって大変なニオイを発し始めていたので、マドカと入れ替わるようにして風呂場に追い払うことになった。
そうしている間に、僕は夕飯の準備をする。暴飲暴食の金曜日を反省するかのごとく、土曜日はヘルシーな夕食を作るのが毎週のパターンだ。
今日のメニューは豆ご飯、豆腐ハンバーグ、海藻サラダと味噌汁。ちなみにドレッシングは自作のものなんだけど、実は最近ちょっと凝っているのだ。なかなか美味しく出来たんじゃないかと自画自賛している。
「ねぇアキラ。ここまでお世話になっておいて非常に申し上げにくいんだけど……私の下着、きっちり畳んでくれたんだね。その、ありがたいとは思うんだけどね」
「あ……ごめん。さすがにデリカシーに欠けてた」
パリッとアイロンのかかった制服姿のマドカが、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめている様子を見て、僕はようやく自分の失敗を理解した。
そうだった、男子が女子の下着を畳んだりするのは、普通に考えて常識外れの行動だろう。
「あー、言い訳をさせてもらえるなら……いつもスミちゃんの透け透けで派手派手の勝負下着を畳むのに心を無にしてるから、つい癖で手が動いちゃってね」
マドカは横目でチラリとスミちゃんの透け透けパンツを見て、うーんと唸る。
「そっか、スミちゃんの……なら仕方ないか」
「うん。なんというか……男物でもあり、女物でもあり、深く考えちゃいけない何かだから……洗濯物を畳む時は明鏡止水の精神で臨んでるんだよ」
「すごい悟りの開き方してるね」
話をしながら、夕飯のお皿をダイニングテーブルに並べていく。こういう二人での共同作業ってなんだか少し新鮮で、むず痒い気持ちになる。新婚夫婦みたいだなぁと。
風呂を出たスミちゃんが、保湿パックを顔に貼りつつ「二人が新婚なら、私は舅か姑か」とまた悩ましいことを言ってきたので、とりあえず「スミちゃんはスミちゃんなんだよなぁ」と答えながら箸を並べる。
場の空気が固まったのは、それからすぐのことだった。
「それで、マドカちゃんは家に帰らないの?」
スミちゃんの発した当然の疑問。
なんとなくズルズルと、答えを出すことを先延ばしにしていた問いに、僕とマドカは顔を見合わせながら固まってしまう。本当は今日のうちに、ちゃんと考えなきゃいけないことだったんだけれど。
――母親に、家を追い出されてしまって。
マドカは簡潔に、昨日僕に拾われるまでにあったことをポツリポツリと説明する。するとスミちゃんは、それはもう盛大なため息を吐いて、マドカの肩をポンポンと叩いた。
「何よもう、水臭いわねぇ。そういうコトはさっさと相談しなさいよ……大人っていうのはね、子どものそういうアレコレを解決する武器を色々と持ってるものなの。ここはアタシに任せなさい」
スミちゃんは口の端を持ち上げ、くつくつと可笑しそうに喉を鳴らした。