第二話 相談窓口の人は怒られる
エナミは足音が鳴らないように滑るようなダッシュで、窓口の後ろに2列に並ぶ机の波を掻き分け、一番奥の机で肘をつき、両手を組み佇む中年の短く髪を刈り上げた男の前に直立不動の姿勢で立った。
その机の前にはピカピカに磨かれた金文字で「ダンジョン攻略課課長ダナン・ハードレット」の黒いネームプレートが置かれていた。ダナンの前にエナミは立つが、下を見ることは出来ず、彼の後ろに見えるオーラで出来た阿修羅像を凝視していた。
ここで少し説明するが、ダンジョン攻略課の課長職は、冒険者にも直接会う機会が多い冒険者相談窓口担当者の安全担保の為に、冒険者としても活動しているダンジョン保安部の第一保安課から選ばれる事が多い。
冒険者相談窓口にくる大半の冒険者はシルバーランク程度までとは言え、武力として睨みを利かせ興奮した冒険者による窓口職員への暴力や恫喝などを抑止させるためにも、最低でもダンジョン攻略階層が三十階を越えたゴールドランクである事が、この職に赴任する立場として必須とされていた。
そして、このダナン・ハードレットという男は第一保安課の課長補佐からダンジョン攻略課の課長への昇進時に、5大ダンジョンの一つであるヤーガーラダンジョンの三十九階を攻略していた「不可侵霊域」の異名を持つ冒険者でもあった。
課長就任から4年、彼はその間に休みを利用し、見事に四十階をクリアしてプラチナランクに昇格した一握りの到達者でもあった。現在はさらにその頂を更新し、四十六階まで攻略が進んでいた。
はち切れんばかりの全身の筋肉の隆起により、着ているYシャツのシワが伸び切っているのをまるで感じさせない静けさで、ダナンはエナミを見ることなく、両手を組み俯いたまま、もう一度声をかけた。
「エナミ君」
「はい!!」
その返事の自分の声でエナミは口が渇き、裏声になっている事を自覚した。ゴクリと喉がなった事で少し冷静さを取り戻し、次の返事は普段の声に戻った。
「何度目だね?」
「…何がでしょうか?」
エナミはまだダナンの後ろに見える阿修羅像を見ている。ダナンも顔を上げずに、右手の人差し指だけが、一定のリズムで組んだ指を叩く。この阿修羅像が目の前から消える事を祈りながら、エナミは頬を伝う汗を感じた。
「分からないかね?」
「いえ、憶測でものを言わないように、課長から常々ご指導頂いてますので」
エナミはダナンの背中の阿修羅像が一気に大きくなり、こちらに近寄ってきた気がした。実際に阿修羅像の顔はエナミの顔に近づき、直立不動の彼の目の前に阿修羅像の憤怒の顔がにらみつけるように佇む。
指が叩く音以外は何も聞こえない状況で、エナミは無自覚に喉を鳴らしていた。その様を確認していたのかは分からないが、結果として喉がなったのを待ってから、ダナンは両手を顔の前で組んだまま、人差し指の叩くリズムも変えないまま目線も上げずに、静かにもう一度エナミに同じ質問した。
「分からないかね?」
「いえ、分かります!!」
エナミはダナンの質問に食い気味に即答した。最早本当に何の話かエナミが分かるかどうかではなく、分かると言わなければ、眼の前の憤怒の顔をした阿修羅像に何をされるか気が気でない為、一瞬でも速く答えたかった。
「質問が相談窓口に来た冒険者が怒って帰るのは何度目か?という事でしたら、ちょうど半月で4回目です」
「それは多いと思うかね?」
「いえ、私個人としては月平均12回ですので、多少減っ…」
エナミはここぞとばかりに調子良く答えていくうちに、更に段々と眼の前の憤怒の顔をした阿修羅像がより大きく近くなった気がした為に、答えに詰まってしまった。実際に阿修羅像の顔はエナミの顔の5㎝程度前にあり、とても強い目で睨みを利かせていた。
ダナンはそんな様子を知ってか知らずか、両手を組んだまま変わらない姿勢と、響く声の調子と相手に圧迫感を与える人差し指が叩くリズムで、沈黙が広がるダンジョン攻略課のフロアの中、答えに詰まったエナミに質問を重ねる。
「多少、なんだね?」
「いえ、非常に多いと思います!!今回の件は相談窓口を担当させていただく職員個人として反省し、今後このような事の無いように、丁寧な相談業務が出来るように鋭意努力していく所存です!!」
エナミには目の前にいたはずの阿修羅像はもう見えなかった。だからといって、隆起した背中がいつYシャツを破るか分からない、時限爆弾のような雰囲気の、机の上に肘を置き両手を組んで、右手の人差し指が一定のリズムを刻んでいるダナンがどんな表情をしているか確認するために、顔を直視する事も出来ない。
ダナンは全く机上にある肘の位置などの姿勢を変えずに、実際の所は表情も変えないまま、ジロリと初めてエナミの顔を見た。阿修羅像の憤怒の顔の方が、何倍か優しいと思える凍てつくような視線で、処分と次の指示を伝えた。
「分かっているなら宜しい。今回の件は不問とする。窓口に戻り、君の言う努力を見せたまえ」
「はい!!」
エナミはダンジョン攻略課の規定にある、最上位の礼である右手で敬礼をして、その場で右に回転し、今度はゆっくりと足音を立てないように歩いて窓口に戻っていった。
その歩く背中がYシャツ越しでもびっしょりと汗で濡れていたのを、2列に並ぶ机で作業している職員達はダナンには気づかれぬように、そっと顔をあげ、エナミが相談窓口の席に座るまで静かに見つめていた。
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