第九話 エナミは嘲笑えない 1
自宅待機でもいい加減一週間も過ぎれば、エナミとしてもやる事が無くなっていた。普段から官舎とダンジョン管理事務局と呑み屋を行くだけの日々だった為に家でやるべき趣味など持ち合わせていなかった為に何をして時間を潰すか迷ってしまった。
後1日経っていたら、恐らく官舎を古代魔法か空間魔法で瓦礫にしてしまうほど発狂しそうになっていたエナミに、普通なら朗報ではないが今の彼にとっては朗報の、査問委員会からの召集命令が丁寧な書面にて届く。
エナミは態々この書面を官舎の片隅まで夜の勤務時間外に届けてくれた人物であるダナン課長を特に何も特徴などない自分の部屋に招き入れた。
エナミは普段から収納で亜空間に物を仕舞うのに慣れてしまっている為に、彼の部屋は物が無く、備え付けの家具がある以外は個人の物は殆ど目に付くところには無く、殺風景だ。
しかし彼自身がミニマリストな訳では無い為、亜空間にはそこそこの物が入れられており、ヤカンやら何やらをその亜空間から出してお湯を沸かして、普段から用意はしてあるが全く使う機会のない高級なお茶を、これまた高級なブランド品であるティーカップに入れて取ってつけたようなテーブルに出して、お互いに一息ついてから本音をぶつけた。
「ありがとうございます、ダナン課長。もう少しでこの官舎が僕の魔法で無くなる所でした……」
「……その顔を見ると冗談じゃないね。恐らくそんな事だろうと私は考えて、この紙を早く出すように人事部にせっついたのだがね。どうやら人事部には査問委員会への直接の命令系統が無い様で、結局ここまでの時間がかかったって訳さ」
両肩を手を上にして竦めて戯けるダナンの表情は、背景の阿修羅像の穏やかな笑顔を含めても、自分の部下がこ自分の持ってきた紙切れ1枚でこれから国家反逆罪の容疑で査問を受ける様にはまるで見えなかった。
ダナンからすれば今回のエナミの茶番劇に自分のこういった嫌な役割があるのも、誰かしら上層部の意図を非常に感じていたが、それを無視してでも部下であるエナミの状態は把握しておきたかった。
もしこの茶番劇がエナミに非常にストレスを与える結果になり、晴れて無罪放免になっても、その後のダンジョン攻略課での彼の莫大な仕事に支障が出るような事になれば、それ自体がダンジョン管理事務局の、ひいてはアルミナダンジョン国の大きな損失になる事が分かりきっていたからだ。
だからこそ、この茶番劇がスムーズに終わるように、エナミに本当にストレスがかからないようにだけを考えて、ダナンはこの自分の嫌な役割をスムーズに終えれるように徹していた。
当然の事だが、個人的な思いとしても、普段から仕事をしている部下もしても、ダナンはエナミの事をナランシェ連邦のスパイとは1ミリ疑ってもおらず、早くこの馬鹿げた謀略をしかけた人間がいなくなればいいのにと心の底から思っていた。
「それでこの紙によると君の査問は明日の朝からみたいだが、エナミ君の準備は大丈夫かね?」
「はい、僕の方は査問に向けて特に準備も何も無いですから。今回の容疑をかけられている件は何も後ろめたい事も無いから、訊かれた事は経緯も含めてちゃんと事実を伝えるだけですよ」
「……そうかね。」
「ダナン課長は何か懸念でも?」
ダナンは眉間に皺を寄せると、結界を周辺にすぐ張る。官舎の中は当たり前の事だが盗聴対策などしておらず、ましてや身内に言ってはいけない事などないという考えから、警戒すらしていなかった。
「ここだけの話だが、今回の君の容疑を担当している査問委員会のグレン・オッペンハイムはある人間の指名でこの任を受けている」
「指名?誰なんですか?」
「古代文字・古代魔法の大家、現王立アカデミー教頭のイシュタル・タランソワだ」
「イシュタル先生ですか?何故?」
「……やはりエナミ君には全く身に覚えは無いのだね。そんな事だろうとは思ったが」
エナミは自分が想定していた所から全く違う所から石が飛んできたような感覚で、反射的にダナンに理由を訊いてしまう。あの王立アカデミーの実技研修で古代文字と古代魔法を教わっていたイシュタルと今回の査問の件が全く一致しなかったのだ。
このエナミのリアクションから、ダナンは今まで彼が受けていた誹謗中傷についてや、望まない二つ名についても彼は本当に何も知らないのだと判断し説明していく。
「エナミ君の中でイシュタル・タランソワという人物はどんな人間かね?」
「王立アカデミーの中では古代文字・古代魔法を教える教員として、中央大陸の中ではその研究の第一人者として知られている人物ですね。教えてもらった身としては2ヶ月だけだったけど、教員としては厳しいけれど評価は公平な感じでしたね」
「それだけかね?」
「イシュタル先生は他に何か問題があるんですか?」
全くイシュタルの出自など分かっていないエナミの無頓着な姿に、何と無防備に好き勝手五大ダンジョンの事だけ考えて生きてきたんだと半分呆れた感じでダナンは教える。
「君は知らないかもしれないが、イシュタル・タランソワは「始まりの七家」タランソワ家の次期当主だ」
「はっ?」
「タランソワ家は元々情報を取り扱う商家として成り立ち、アルミナダンジョン国は歴代彼らの力を諜報部門に使っていた」
「それって」
「そうだ、エナミ君。君はアルミナダンジョン国の暗部に対して今回トラブルを起こしたんだ。その自覚を持って、明日の査問に立ち向かい給え」
ダナンは美味しい筈のお茶を苦虫を噛み潰す様に飲み干した。
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