第十一話 相談窓口の人は偉い人と話すハメになる 1
現在のエナミのダンジョン攻略課での仕事は主に冒険者の相談窓口とそれに伴う事務作業である。この2年半はレラへの新人指導もあったが、その前の10年間は彼が若干十五歳で激務である冒険者相談窓口の担当になった事と他の職員の飽くなき出世欲の影響もあり、出世に関わる雑事や研修などを任される機会も少なく、比較的自分のペースで仕事をする事が出来ていた。
その為、エナミの冒険者相談窓口で使用するメリダダンジョン攻略の資料やマニュアルは、彼の手で既に5年前には作り上げられ、その後は公務員らしく、わざわざ新しい仕事を増やすような事は無かった。
当然「異端なる者」による八十階より先の最深階層の攻略情報のアップデートはあったが、エナミの仕事の主な範囲である三十階までの、冒険者ランクがゴールドランクに上がるまでの攻略情報の提供には大きな影響が無いのは分かっており、かの冒険者に会わない限りは突然の残業などは考えられなかった。
レラに関しても、時々こちらを探るような様子はあるも、優秀な者しかなれない相談窓口の担当になるだけの事はあり、早々に担当者として必要な仕事を覚え、ここ最近はアホで暴走しがちな奴が担当冒険者でいるにはいるが、概ね安心して見ていられるため、指導する内容も限られ、彼が時間を取られる事も少なくなっていた。
つまりエナミは暇であった。こうなると彼は優秀な同僚達がステップアップの為に鎬を削るように仕事を獲得して残業してるのを尻目に、極力定時で仕事を上がり、その都度何処かに姿を消していた。
そこにはサーヤやレラが考えるようなミステリアスなエナミの姿は無く、ダンジョン攻略課の人間に出会わないように、まず間違いなく彼らが出入りしないスラム街にほど近い、裏寂れた酒場に入り浸る、酒に溺れた情けない姿があるだけだった。
エナミは王立アカデミーを卒業してから十二年以上、長年妬まれるばかりのダンジョン管理事務局での自分のあり方に辟易していたので、こうした場所にいるだけで気持ちが落ち着いた。
今日も今日とて、いつもの「その力は何時の為に」という洒落が利いてるのかも、よく分からない名前だが、いつ来ても開いてる酒場に身を投じ、「マスター、いつもの!」と職場ではまず聞けない大きな元気な声でアルコールとツマミを頼む。
注文してからすぐに出てくるショットグラスに入った、酒だか何だか味もぼやけた飲み物を2杯も引っ掛けると、ようやく飲むペースも落ちつき、エナミは職場では一切吸えない筈の煙草を胸元のポケットから取り出し火をつけ、周りを見渡した。
この酒場にはダンジョン管理事務局の「末成りの物語」と後ろ指を指されて呼ばれる自分を知るものはいない。その気楽さと、ここ3年で完全禁煙になった職場では吸えなかった煙草を吸える事が、エナミの表情を柔らかくする。
酔っ払いすぎてダラダラと意味不明な奇声を上げながらくだを巻く者、グループで煙を撒き散らしながらキマったように笑い続ける連中、誰かから財布を掻っ払おうと抜け目なくカウンターで周りを伺う者。
全ての視線が自分には向いてないという孤独感が、昼間の冷笑と陰でチラチラと見られる職場の重たい空気と違い、逆に自分自身をリラックスさせ、心を満たしていく。
そんなエナミがカウンターで暫く一人を満喫していると、自分のカウンターの席の両脇に年上の男二人組が現れる。エナミには誰かが自分の側に来た事を5メートルくらい手前から察してはいたが、一人についてはその威圧感で誰かも分かっていた。
「隣、良いかな?」
「…えっと、嫌ですけど」
「固い事言うなって、今日は会わせたい人がいるんだよ」
「だから嫌なんですけど」
「いや、それだと困るんだよ。お前も誰だか本当は分かってるだろ?」
「スマンね、エナミ君。私が頼んだんだ」
「……はぁ、しょうがないなぁ、どうぞ」
二人のうち、口髭を生やした年上の方が謝罪すると、エナミは眉間に皺を寄せながら、最大限の拒絶反応をとるも、諦め承諾する。二人組は気軽にカウンターのエナミの席の両隣に腰掛け、マスターに「彼と同じものを」と手で合図する。グラスが届くまで、三人は会話を交わす事なく、周囲の喧騒に身を任せる。
グラスが二人の手元に来ると、自然とグラスを合わせる。エナミもしょうがなく彼らと合わせる。二人はそれぞれ一口飲むと、ガタイが良い中年の方がエナミに声をかける。
「いつもこんな所でこんな物を呑んでいるのか?」
「ええ、ここ4年位は。この店かこの店の近くで飲んでますよ。官庁街じゃ気楽に煙草も吸える店がほとんど無くなりましたしね。ここら辺まで足を伸ばさないと、ゆっくり出来ないんですよ。分かってて来たんですよね、ダナン課長?」
「まぁな、ここに来るようになったのも、俺がダンジョン攻略課課長になる少し前からだろ。前任から申し送りがあったよ」
「職員の管理が、いや監視が行き届いているようで。あの背中の阿修羅像がいつも見ているんですか?僕には今は見えないですけど」
「嫌味を言うなって、職場でもあるまいし。あれはあくまでもダンジョン攻略課の規律を緩めん事が目的だからな。お前も分かってて言ってるだろう。それに、ましてやこの場はプライベートだろ?」
「こっちがいつも一言多いのは、性格ですから。課長みたいには変えようがないですよ」
エナミは職場の態度とは全く違うダナンの態度には慣れていた。彼は研修や会議の後で部下を呑みに誘うが、その気さくさはオンとオフのはっきりとした違いを明確にさせ、誘われた部下達に親しみと信頼を持たせるには十分な変化だった。
エナミもダナンが就任した際は警戒したしていたが、最初の歓迎会でこういう人間と分かってからは、職場を一歩離れた場では気楽に対応していた。そんな気楽な相手を一頻りしてから、エナミは口髭の男をちらりと見て改めて挨拶をする。
「それはそうと、お久しぶりですね。5年ぶりですか?」
ダナンは苦笑いを浮かべ、口髭を生やした方は感心する。あの時は一瞬の邂逅だった筈で、しかも当時のダナンではない、ダンジョン攻略課の課長に一方的に紹介され、彼は一度頭を下げ、名刺すら渡していなかった。
口髭を生やした男は場違いな高級そうな葉巻を出すと、エナミは直ぐに紙マッチをすり、火をつける用意をする。口髭の男はニヤリと笑い、一息吸い込んで、彼から火をもらい、ゆっくりと吐き出してから名乗る。
「以前はちゃんと挨拶する機会が無かったね。ブルックス家、現当主ケビン・ブルックスだ。娘がいつも世話になってる」
「ご高名は兼兼伺っております。サーヤ様の担当をしていますエナミ・ストーリーです。ケビン様」
「君には1度娘の件で感謝を伝える機会を設けようとしてたんだが、なかなか会えなかったからね。こうやってダナン君に無理を言って来てみた次第なんだ。彼の事を悪く思わんでくれ」
「いえいえ、ダナン課長には不出来な部下を周りからいつも庇ってもらってますから。今回はそう上手くいかなかったみたいですが」
「ケビン様、こいつの口の悪さをお許し下さい。いつも注意しているんですが、これも一つの才能と私も諦めてます」
「分かってるよ。ここ4、5年毎週娘が楽しそうに、彼の文句を言ってるからな」
「もう、それならサーヤ様にはプラチナランクになったんだから、もう来ないように言って下さいよ。彼女も分かってるんでしょうけど、場違いですからって。他の冒険者相談窓口の職員も彼女が来ると俺がサボってるって冷たい目で見てくるんですからね」
「ハッハッハッ、無理だね、そんな事は。私は娘には甘い人間で通ってるんだ。そんな野暮な事で嫌われたくないよ」
「そんなぁ、僕が言っても聞かないんですよ。ここは父親の言葉が一番じゃないんですか?」
「私は娘を極力叱ったり、注意しない教育方針なんだよ。諦め給え」
「はぁ」
エナミは肩をガックリと落とし、両隣の二人は笑いながらそれぞれグラスを傾ける。
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