第十七話 サイテカ連合国の誤算
漸く領主館に戻り、自身の執務室にて腰掛けると、ナムト・レインハートは強いウイスキーのボトルの様な酒を取り出して、早々に立ち去ったあの試しの舞台上での出来事を思い出していた。
彼はどんなモンスターが檻から出てくるか分かっていたものの、舞台上でケルベロスを見た瞬間、その凶悪さに震え上がっていた。
当然領主である彼自身が自らあんな怪物相手に立ち会う訳では無かったし、抑制魔法のかかった首輪でこちらを襲って来ないようにはしていたが、それでもアルミナダンジョン国で言うゴールドランククラスのフロアボスモンスターとしての恐怖は変わらない。
彼は当然の様にエナミも自分の様に恐れ慄くと思っていた為、横目で見て、あまりにもリラックスしていた彼ら二人に驚愕していたが、ただただよくこのケルベロスというモンスターを把握しておらずに油断しているという可能性に何とか自分の思考を誘導して、この後の展開を期待した。
しかし現実はそう甘くない。ケルベロスは最初の内は唸って威嚇をしていたものの、エナミがサーヤに解説しながらリラックスしたまま近づくと、モンスターの首輪の効果も関係無く、彼に対して頭を下げ、撫でるに任せるままとなっていた。
ナムトからしてみれば、最早何が現実で何が空想か分からない状況だったが、エナミから今回のダンジョン調査の試しの確認をされれば何の対応もなく承認するしかなかった。
そしてその場から逃げるようにこうして執務室にやって来て、ようやく強い酒のグラスをグッと一息で呷ると自分の後ろに控える執事に語るとはなしに一人呟く。
「何処で間違えたというのだ……」
「旦那様、彼ら二人はミシャールの駅に明日の朝にお送りする予定ですが、変更はなさらないで構いませんか?」
「……当たり前だ。それはそうするしか無いだろう。あれだけ他の領地の方々も呼んで、ダンジョン調査団の試しの成功の証人になってしまったんだ。本来は彼らには失敗してもらう筈だったが、こうなってしまってはワラジアン地方だけではなく、サイテカ連合国の威信にかけてもライン地方へ無事に送るしかないのだ」
「分かりました。ではその様に準備させていただきます」
執事は静かに執務室を出ると音も無く、ドアを閉め出ていった。一人になり、ホッとため息をつくナムトだったが、頭の中ではあまりにも先程のエナミがケルベロスをあやし付けるという異様な光景がチラつき、落ち着く事が出来なかった。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、執務室のドアが静かに、しかしハッキリとノックされた。若干不機嫌さを声に乗せながら、ナムトは答える。
「誰だね?」
「レインハート殿、シュテルンビルトだ」
「はっ、少々お待ちを」
「うむ」
ナムトは自ら慌ててドアを開けに向かい、白髪の大柄なシュテルンビルトを出迎える。
「シュテルンビルト様、お待たせして申し訳ありません。どうぞお入り下さい」
「済まないな、遅くに。早急に二人きりで話したい事があったんだ」
「……エナミ・ストーリーの事ですか?」
「あぁ、その件だ」
ゆったりと応接用のソファーにシュテルンビルトを案内し、彼が足を組むのを見る事も無く、ナムトは新しいグラスを用意し、強い酒を注いで彼に渡たす。白髪の大柄な男は戸惑う事も無く一息でグラスを空にする。
「ありがとう。ワラジアン地方ではこの酒を飲むのが一番だね。特産なのは分かっているが赤ワインはどうにも私には甘過ぎる」
「それでシュテルンビルト様、エナミについては本当にライン地方へ行ってもらっていいのですか?」
「あぁ、彼はやはりストーリー家の人間だったからな。見ただろう?ケルベロス程の凶暴なモンスターをあんなにも簡単に手なづける手腕を見せつけられては我々ではどうにもならない。サイテカ連合国で、誰があんな真似が出来るというのかね?」
「それは……」
「これ以上、彼らをこの地に縛り付ければそれこそ我がサイテカ連合国の恥になるだろうさ。それにあんな人間達をどうこの地に止めておく手段があるのだね?この領土に彼らが移動するのを止められる程の実力者がいるのかね?」
「……分かりました。明日の朝、ちゃんとライン地方へ行ってもらいましょう」
互いにグラスにもう一杯だけ注いで、グラスの中で酒を転がす。シュテルンビルトからナムトに声をかける。
「それにしてもエナミ・ストーリーという者があれ程の人物とは思いもしなかったな。君も見ただろう、彼がケルベロスに対してただのペットの様に近づく様を」
「はい、ハッキリと」
「それに私自ら用意した、聖カムルジア公国産のヒヒイロカネのトラップも簡単に見破った。それも力づくでもなんでも無く、当たり前の様に「鑑定」の魔法で暴いたのだ。間違いなく、ダンジョン調査のスペシャリストとしては我が国に来てもらえる最高の人物と言えるだろう」
「シュテルンビルト様から見てもそれ程の能力だと?」
「あぁ、以前と言ってもだいぶ前だが、我が領地に来たアルミナダンジョン国のダンジョン調査団は彼処までの隔絶した能力を持ってはいなかった。勿論、横にいたサーヤ・ブルックスもプラチナランクの冒険者として十分だろうが、あれは別だね」
「であれば「海鳴りの丘」のダンジョンブレイクも早々に解決されると?」
「そうなるであろう。あの小憎たらしいライアン・ヒューイットが言ってた通りになるのは癪だがしょうがあるまい」
シュテルンビルトはグラスを回すのに飽きたのか、下から光に当たった琥珀色の酒を眺めて言葉を続ける。
「何にせよ、これでエナミ・ストーリーはこのサイテカ連合国に顔と名前を売ったのだ。今回のナムト君がやってくれた試しはそれだけでも価値があったと言えるだろうさ」
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