昭和二〇年八月四日②
不意に、幸忠はさちこにあてがった部屋の襖を開いた。そう言えば、夕べは遅くまで起きて何かを作っていた。かくまったとは言え、見ず知らずの人間だ。疑念を抱かなかったと言えば嘘になる。では、なぜかくまったのか、それは、仏壇の亡き妻の遺影が物語っていた。そうだ。さちこは亡くなった妻にどこか似ていたのだ。
別に目鼻立ちが似ているわけではない。どちらかと言えばまったく容姿は似ていなかった。言うならば、さちこの持つ雰囲気が、唯に似ていたのかもしれない。
(唯も、子供が好きだったな。)
部屋の机に残されていた色とりどりの布の切れ端と、さちこの事を話す幸継の嬉しそうな顔を思い出し、幸忠は微笑んだ。
「・・・ん?」
幸忠は、さちこの荷物からなんだかやけに分厚い本がある事に気が付き、何気なくそれを取り上げた。
『昭和史』
と書かれた表紙に、幸忠は思わず中を開いた。そして、やがて食い入るように見入る事になる。
少し前、幸継とさちこは、待ち合わせの空き地についていた。結局、圭介たちと約束した時間よりも早く付いてしまったようだ。幸継は、空き地の壁に向かってボールを投げた。勢い良く跳ね返ってきたが、機敏な動きでそれをキャッチした。
「さちこせんせい、やっぱり使いやすいや、ありがとう!」
幸継は何度も何度も壁当てをし続けた。そんな様子を見ていたさちこだったが、空き地の反対側のさらに奥に、幸継達が住んでいた町とは正反対のあばら家続きの集落地に気が付いた。
「幸継くん、あそこは?」
「へ? ああ、あそこは空襲で身内を無くした人達が集まって住んでるんだ。色んな所から流れてくる人も多いし、戦場で怪我をした人が、世間から隠れて住んでるって事もある。父さんはあんまり近付くなって言うけど、あんなかには友達もいるんだぜ?」
「ふーん。そうなんだ。」
「みんな、誰かと一緒にいたいんだよ。血の繋がりなんかなくたって、あそこじゃみんな家族だ。昨日みたいに、自分の事ばっかり考えている連中とは違うよな。」
さちこが家に来た時、まっさきに来た特高の事を言っているのだろう。
すっかり準備が終わろうとした頃、ようやく圭介と葵がやってきた。
「遅かったじゃないか。」
「ごめん。引越しの準備してたら遅くなっちゃった。」
「幸継、ほら!」
圭介はバットを取り出した。
「どうしたんだ?!」
「昨日の話したらさ。親父が物置から出してきてくれて、持って行けってさ。」
得意気に話した。
「おれも、ほら。」
幸継も、早速さちこのグローブを二人に渡した。
「すげぇ! これ、幸継が作ったのか?」
「まさか、さちこせんせいが作ってくれたんだよ。」
幸継は、さちこが学校の先生だと言う事。夕べ、夜遅くまで自分達のためにグローブを作ってくれていた事、しばらくは自分の家に居候する事になったのを、手短に話した。
「そうだったんだ。ありがとうさちこ先生!」
「どういたしまして。ほら、夕方までしか時間が無いんだから、早く遊んでらっしゃい。」
三人は空き地一杯に広がって、野球を始めた。
この時代は、戦時下とは言え、子供達が遊ぶ空き地や、冒険する森や林がたくさんあった。街の中での人々の結束も強かった。さちこはふと、自分の居た時代の事を思い出していた。人工的に造られた自然、危険だとして制限される公園の遊具、その公園で友達と集まっても、携帯ゲームで遊ぶ子供達。それを見ていて、遊ぶ事を促すわけでもなく、大人同士の会話に夢中になる親達、子供が犠牲になる意味の理解出来ない凶悪事件。平成時代は、人々の繋がりが本当に希薄になり、簡単に人殺しが起きてしまう。理由なき事件が多発する。
最近も、幸継達よりほんの僅かに年上の子供達が、親や見ず知らずの人を殺害する事件が続いた。理由は無い。ただそこに出てくる言葉は、
「殺してみたかっただけ。」
「イライラしていた。」
「誰でも良かった。」
そんな理由で、いったい何人の尊い命が犠牲になったのだろう。そんな子供達の親達は、四〇、五〇の齢になってなお、自分の子供ほどの年齢の人を、性の対象にしてしまったり、愛すべき対象のわが子を、一瞬の過ちから手に掛けてしまったりしてしまう。この時代は、生きたいと思っている人が、その当たり前のことができない時代だった。
さちこから見て、平成の時代はこの昭和の時代よりも、食べ物は多く、機器も便利になり、「快適」と言えるかもしれない。しかし、この昭和の人間達の心に触れると、時代が進むにつれ、心は確実に「衰退」しているのではないかと思う。何かが、確実におかしくなってきているのだ。
「あっ、危ない!」
幸継の声にさちこは振り返った。いつの間にか小さな女の子が空き地に入ってきていたのだ。誰かの打ったボールが、女の子めがけて落下してきている。
さちこは咄嗟に飛び出し、女の子をかばった。その瞬間に、すぐ脇をボールが跳ねて行った。女の子は突然の事にきょとんとしている。
「ごめんごめん。あれ、綾乃じゃないか。」
幸継は駆け寄ってきて声をかけた。
「幸継くん。気をつけてやってね。」
「うん。ごめんなさい。綾乃、大丈夫だったか?」
「うん。平気だよ。」
綾乃と呼ばれた女の子は、にっこり微笑んでそう答えた。
「じゃあ、綾乃ちゃんは危ないから、おねえちゃんと一緒に遊ぼうか。」
「ホント! 遊んでくれるの?」
「いいわよ。じゃ、こっちに来てね。」
さちこは、空き地の片隅に置いてあったテーブルに(テーブルと言ってもそれらしく木箱が積み上げてあるだけだが。)現代から持ってきた折り紙を取り出した。
「わぁ、綺麗な紙がいっぱい!」
綾乃は、幸継に比べるとずいぶん幼い。どう見ても、涼風幼稚園の園児達と同じくらいだ。
「綾乃ちゃんはいくつなの?」
「五歳だよ。あそこに住んでるんだ。」
そう言って指差したのは、あの、あばら家の集落地だ。と、言う事は、綾乃には身内がいないのだろうか。
「おねえちゃん。これきれいだね!」
綾乃が取り出したのは、ピンク色の折り紙だった。
「綾乃ちゃんはこの色が好きなのね。」
「うん。かわいい色だいすき!」
「よ~し、じゃあ、これを使って、かわいい物を作っちゃおう。」
さちこは、慣れた手付きで、折り紙を折り始めた。それは、一輪の花だった。
「わ~っ! かわいい!!」
「でしょ? 綾乃ちゃんも作ってみよっか」
「うん!」
二人は折り紙教室を始めた。綾乃は慣れない手付きで一生懸命花を作り始めた。さちこはその間に茶色と緑色の折り紙を取り出し、葉っぱと茎を作った。そして、綾乃の作ったお花を組み合わせ、花束にしてみた。
「すごいすごい! とってもきれい!」
「折り紙って、いろんな事が出来ちゃうんだよ。綾乃ちゃんも覚えたから、次は一人でも出来るよ。」
「うん!」
綾乃の笑顔を持ているうちに、やっぱり子供は笑って遊んでいる姿が一番だと、改めて思った。
続く。
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