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昭和二〇年八月三日②

 どれくらいしただろうか、しばらく聞こえていたプロペラの低音も、今ではすっかりなくなり、息苦しいくらいの防空壕の中は、こもった熱気で強烈な暑さになっていた。さちこは少し眩暈を覚え、少しだけ身体を動かした。


「大丈夫、疲れたんじゃない?」


 少年が声をかけてきてくれた。


「ごめんね。大丈夫だから。さっきは、助けてくれてありがとう。まだ、お礼も言ってなかったよね。私、加藤さちこ。」


「おれは、幸継。川長幸継。」


 とだけ、少年は言った。今になって、さちことくっ付いて座っていた事に照れくさくなったのだろう。両膝を抱え込んだまま、ニコリともしなかった。


「警報解除!」


 外から男の声が聞こえた。


「ようし、みんな、ゆっくり順番に外に出るんだ。」


 さちこと幸継は、並んで外に出た。不思議なもので、防空壕の中よりも、外の日差しの下の方がよっぽど涼しかった。


 相当長い時間がたったらしい。事が起こるまでは高かった太陽も、西に傾き始めていた。


 さちこは、改めて辺りを見回した。舗装されていない道路、一面に広がる田んぼ。そして何よりも新鮮で不思議だったのは、空気がとても澄んでいた。さちこが知っている都会の空気ではなかった。


 ぞろぞろと防空壕から出てきた人達が、それぞれの自宅へ引き上げて行った。また、ある者は、犠牲になったらしい人達をリヤカーに乗せて運び去っていった。防空壕前にさちこと幸継と二人、立ち尽くしてその光景を見守っていた。


「気の毒にのぅ。米軍も腕に自信を持つのが、たまに降りてきてああやって市民を攻撃していく。まだ広島は良い方じゃが、それにしても、気の毒にのぅ。」


 老婆がそう呟きながら帰っていった。


(米、軍・・・?)


 さちこは、何から考えたらいいのかわからなかった。


 気が付くと、幸継が米軍機の攻撃でボロボロになった野球道具を拾い集めていた。


「壊されちゃったね。」


「・・・うん。」


「とても、怖かったね。」


「・・・うん。」


 こういう時、もっと気の効いた言葉がしっかりと出てこないものかと、さちこは自分を責めた。


「そろそろ、帰るよ。いつまでもここにいても仕方ないから。これも、もういらない。」


 幸継はそう言って一度は拾い集めた野球道具を投げ捨てた。


「せっかく、思い出に遊んでたのに・・・残念だなぁ。」


 圭介が、そう声をかけた。


「思い出、に?」


 さちこが聞くと、幸継は答えた。


「こいつら、明日の晩、疎開するんだ。だから、しばらく会えなくなるから、最後に思いっきり遊ぼうって事になってたんだけど・・・あいつらのせいで台無しだよ。」


 さちこは、『疎開』という聞きなれない言葉に耳を疑った。


「ねえ、幸継くん。ここってどの辺りかな?」


「へ? 京橋町のはずれだよ。」


「そうじゃなくって、何県のどの辺りかな?」


 さちこがそう聞くと、幸継達は不思議そうにさちこを眺めながら、首をかしげていた。さちこは慌てて、


「あ、あのね。私、東京からずっと歩いてここまで来たから、自分がどの辺りを歩いているのかすっかりわからなくなっちゃって。」


 そう言って誤魔化した。幸継達はようやく合点がいったのか、


「そうなんだ。ここは広島県広島市だよ。」


 さちこの背中に、まるで電気が走ったような衝撃が走った。自分がいたのは埼玉県川越市だった。幸継と名乗った少年は、広島県広島市だと話した。


 さちこは、再び、辺りを見回した。痩せこけた人達、そして、平成の時代にはまず見る事のないであろう古めかしい着物。未舗装の道路、広がる田んぼ。そう、さちこがこれらを見かけたのは、いつかの夏休みに見たテレビの中の光景だった。


「あ、あのね。今は・・・」


 言いかけてさちこははっとした。とても信じがたい出来事だが、さちこが頭の中で組み立てた仮説が合っていれば、これ以上の質問は返って怪しい。


「どうかしたの? おねえちゃん顔が真っ青だよ。」


「う、ううん。大丈夫、あんなに狭い場所に入っていたから、少し気分が悪くなっただけよ。それよりもね。幸継くん、これってなんて読むかわかる?」


 さちこはそう言って、さっきのダメになってしまった野球道具の破片を拾い上げ、地面に『平成』と書いてみた。


 幸継だけでなく、圭介や葵も覗き込む。


「人の名前? たいら、せい? なんだろう?」


「違うよ。ひらなりさんって、人の苗字だよ。そうでしょおねえちゃん?」


 誰も、『へいせい』とは言わなかった。さちこは、次に『昭和』と書いた。


「馬鹿にすんなよ。昭和くらい読めるよ!!」


 幸継が口を尖らせた。


 さちこは眩暈がしてきた。すぐ道路脇に調度良い高さの石垣が目に入ったので、さちこはゆっくりと腰掛けた。


「大丈夫?」


「うん。大丈夫、ちょっと疲れちゃっただけだから、少し休ませて。」


 さちこがそう言うと、


「あんまり無理すんなよな。おねえちゃん、東京から歩いてきたって言ってたけど、どこまで行くつもりだったの?」


 幸継が聞いてきた。でも、さちこには答えるべき答えが見付からなかった。


「・・・わからない。なんにも、わかんないよ。」


 さちこは呟くようにそう言って、後は頭の中が真っ白になった。ここは、どうやら昭和の世界らしい。それも大戦中のだ。


 でも、どうして自分がそんな時代に? これは夢なのか? でも夢にしては生々しすぎる。もしも、本当に昭和なのなら、どうやったら元の時代に戻るのか。そもそも戻る事など可能なのか。そんな答えのない考えが、浮かんでは消え、消えては浮かんできた。


「あ、あのさ。良かったら、うちへおいでよ。父さんがいるだけだし、困ってるんだろ? これからどうするかは、うちでゆっくり考えればいいよ。」


 幸継は屈託のない笑顔でそう提案した。


「でも、私・・・。」


「父さんにはおれから話すからさ。それに、もうすぐ日が暮れるから、夜出歩くのは禁止されてるだろ? 困った時はお互い様だからね。」


 幸継はそう言ってさちこの手を引っ張った。その時、さっきまでさちこが転がっていた所から、圭介と葵がカバンを抱えて持ってきた。さちこがいつも仕事で使っているカバンだ。どうやらカバンだけは一緒に着いて来たらしい。とは言っても、この中には簡単な化粧道具と、筆記用具、工作用具、裁縫道具と今日の授業で使った布、仕事の手帳と、携帯電話。そして、あの分厚い本が入っているだけだが。


「これ、おねえちゃんのだろ?」


「ありがとう。大事な物なの、ありがとう。」


 さちこはそう言って受け取った。かろうじて笑顔が出せたのは、少しだけ冷静になれたからだった。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

\(^o^)/


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