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昭和二〇年八月三日①

昭和二〇年八月三日


 幸継は町のはずれの空き地でみんなを待っていた。空き地と言っても、小学校のグランドほどもある大きな空き地だ。


 今日はみんなで野球をする約束になっていた。幸継は一二歳、小学校六年生だ。いつもなら近くの小学校で集まるのだが、今は軍の施設になってしまい、立ち入り禁止になってしまっている。




 今は昭和二〇年八月三日、太平洋戦争真っ只中である。だいぶ日本軍の旗色は悪いが、政府は国民を見事に洗脳・操作し、敗色濃厚となったこの時期にもまだ、日本は勝つと大多数の国民が信じていた。


「おーい。何やってんだよ。遅いぞ!!」


 幸継は、遅れて走ってきた圭介や葵に声をかけた。


「ごめんな。家の手伝いがなかなか終わらなかったんだ。」


 圭介の家は八百屋だ。もっとも、戦争が進むにつれて、圭介のお父さんは八百屋家業ではなく、呉の造船所の方に駆り出されている。


 葵のお父さんは市役所に勤めている。この戦時下、役所仕事はほとんどが軍への物資援助の遣り繰りだ。そのおかげで市民に回せるだけの食料は、十分に確保出来ているとは言えなかった。




 二人は家族ともども疎開する事が決まっていた。葵は京都へ、圭介ははるか遠い埼玉へ、だから、しばらく会えなくなるので、最後に遊ぼうと言う事になった。


「じゃあ始めるからな。」


 幸継はボールを取り出した。この時期の子供の遊びと言えば、国民的スポーツである野球だった。しかし、今のような器具はほとんど手に入らず、グラブは布を使った手作り、バットは小学校が軍の施設に変わる直前に忍び込み、何とかグランドで見付けた物を使っていた。


 さて、この頃の日本の状態を少し話しておこうか。昭和一六年一二月八日、空母六隻を中心とした日本機動艦隊は、空母に搭載した述べ三五〇機の艦載機で、アメリカ合衆国ハワイ島パールハーバーを奇襲攻撃した。俗に言う、『真珠湾攻撃』である。これにより、アメリカと日本は太平洋戦争へと突入する。


 開戦当時の日本軍は破竹の勢いでその勢力圏を拡大し、満州国(現在の中国東部)、朝鮮半島、ビルマ(現在のミャンマー)シンガポール、インドネシア、フィリピンなど、資源国を中心とした大東亜共栄圏を樹立した。


 しかし、昭和一七年六月五日、戦力でアメリカ海軍をはるかに上回る日本海軍は、ミッドウェー海戦においてまさかの惨敗。この日を境に、敗戦への階段を降る事になる。


 昭和一八年五月アッツ島玉砕、昭和一九年十月神風特別攻撃隊編成。昭和二十年三月十日東京大空襲、一三日大阪大空襲。四月アメリカ軍沖縄上陸、救援に向かった戦艦大和撃沈される。


 日本はその勢力を維持する事は出来ず、本土への侵攻を許してしまう。この頃の日本にはもはや戦う力は残ってはいなかった。飛来する敵機を迎撃する戦闘機すら残っていない、ジリ貧の状況だった。


 そんな中、幸運な事に広島市は大規模な空襲もなく、疎開令もなく、他の激戦地域に比べると、いささか静かと言えた。




 さちこはゆっくりと目を開けた。一瞬、空の風景が視界に飛び込んできた。しかし、その景色があまりに澄み切っていて、さちこは目が痛くなり再び閉じた。


(私、どうしたんだっけ?)


 顔に降り注ぐ太陽の光を感じながら、さちこはゆっくりと深呼吸をした。その間に、いくつかの事を理解した。自分は車の事故に遭った事。今は昼間である事。怪我はなさそうだという事。自分は今、草の上に寝転んでいる事。たぶん、合っているであろう事実を、さちこは出来るだけ冷静になって考えた。


 勇気を出して目を開けようとした瞬間、耳をふさぎたくなるような大きなサイレンの音が鳴り響いた。びっくりして、さちこは目を見開いた。そこは・・・見覚えもない、見た事もない場所だった。


(ここ、どこ・・・?)


 さちこの心臓が、俄かにドキドキし始めた。自分は夜、いつも帰る道で事故に遭った。しかし、今は昼間で、しかも視界には見た事のない風景が広がっている。理解しがたい状況に、さちこの頭の中は完全にショートした。


 サイレンは相変わらず鳴り続けている。さちこはゆっくりと立ち上がり、ざわめき始めた方向へ歩き出した。


 その時、はるか上空で、今までに聞いた事のない機械音が響いてきた。




 幸継は空襲警報の音が聞こえると、野球道具を慌ててまとめた。


「みんな、防空壕まで走れっ!!」


 三人は懸命に走った。防空壕は、空き地から田んぼを挟んだ反対側の丘の地下に作られている。田んぼ道を全力で走って、走って、必死に走って、ようやく防空壕の入口が見え始めた時に、幸継は後ろを振り返った。自分よりも後ろを走っている葵や圭介に向かって、一機のF8F型戦闘機ベアキャットが急降下して迫っていた。


「危ない! 避けて!!」


 幸継は声の限り叫んだが、ベアキャットの黒い悪魔のように光る二〇.〇〇ミリ砲が火を吐き出す音にかき消された。立ち込める土埃に、あたりは見えなくなった。


「坊主、早く来い!!」


 防空壕の中から見知らぬおじさんが手を伸ばして叫んでいた。幸継は防空壕に向けて再び走り出した。が、丘の上に立ちすくむ女性が目に入った。


「おじさんっ、丘の上に女の人がいる!!」


「放っておけ! 敵はまた戻ってくるぞ!!」


 幸継は後ろを振り返った。わずかな時間にすっかり盛り上がった土煙の中から、圭介と葵が飛び出してきた。


「二人は防空壕の中へ!!」


 少年は再び正面を向くと、持っていた野球道具を投げ捨てて、一気に丘の上まで駆けて行った。丘の向こうには、旋回してくるベアキャットの姿が青黒く輝いていた。少年は走った。そして、女までもう少しわずかという所で、


「避けてっ! 早く!!」


 そう言われた女性=さちこは、子供の叫ぶ声でハッと我に返った。目の前で起きた光景が、今もまぶたに焼き付いている。しかも、目の前の少年は、自分に向かって逃げろと訴えている。


 さちこが身体を動かそうとした刹那、少年は渾身の力を振り絞ってさちこに飛び付いた。その直後、さちこが立っていた場所を、二〇.〇〇ミリ砲の弾丸が通り抜けていった。


 少年は素早い動きで起き上がると、


「早く、あいつはまた来るよ!!」


 そう言ってさちこの手を引っ張った。二人は転がるようにして丘を下り、防空壕の中に滑り込んだ。


 深い階段を降って行くと、さして広くもない場所に、何人もの人々が体を寄せ合って震えていた。さちこは少し入口側の空いている場所に、幸継と並んで座った。すぐ見える所に、圭介や葵も座って震えていた。


「畜生、あいつら、いい気になりやがって。畜生・・・」


 さちこには、今だに状況が飲み込めていなかったが、迫り来るプロペラ機の攻撃で、自分は殺されそうになった事は理解出来た。背筋が凍るほどの寒気を感じたが、さちこにはいまだに状況がよく理解出来ていなかった。ここは、なんなのか。必死に考えを巡らせた。


続く

ここまでお読みいただきありがとうございます。

\(^o^)/


作者激励のために、

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