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PURE WIND ~ヒロシマの奇跡~ 【完結】  作者: 水野忠


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平成一七年六月二八日

平成一七年六月二八日


 その日の昼下がり、一台の高級車が涼風幼稚園を目指していた。今日は日が高く、まだ六月だと言うのに真夏日になっていた。後部座席に座っていた老人は、制服を着た運転士に声をかけた。


「窓を、開けてくれんか。」


「はい、会長。」


 運転士は、窓を半分ほど開け、クーラーを切った。


「遠慮はいらん。全部開けてくれ。」


「かしこまりました。風が強すぎたら、おっしゃって下さい。」


 運転士は、全部の窓を全開にした。田舎の田んぼ道、なんとも言えぬ良い空気が社内に充満した。


「思い出すのう。・・・寒くはないか?」


 老人は、隣に座った老婦に声をかけた。


「大丈夫ですよ。」


 ニコニコしながら、老婦は答えた。車は田んぼ道から住宅地に入り、商店街を抜け、ほどなく目的地に到着した。通行人は、小さな幼稚園に止まった高級車がいかにも不釣合いだったので、何事かと振り返った。


「さてと、行ってくるかな。君はここで待ちなさい。」


「はい、あなた。」


 老人は袋を持って、運転士が開けたドアから降りた。


「会長、お足元ご注意下さい。」


「ああ、ありがとう。」


「お持ちしましょうか?」


「いやけっこう、これだけは私が持っていかなくてはならない物なんだ。」


 老人は、車を降りると、腰を伸ばし一度大きく深呼吸した。


「会長、飛行機の時間まであまりございませんので、申し訳ございませんが手短に。」


「わかっておる。」


 老人は、幼稚園の正門をくぐった。いくつかの教室では、子供達が授業を受け、かわいらしい歌声が聞こえていた。園庭では、遊具を使って子供とその母親達が楽しく遊んでいた。


「こんにちは。」


 声をした方を振り返ると、小さな女の子、愛華が笑顔で立っていた。


「おぉ、こんにちは。」


「おじいちゃん。どうしたの、お友達のお迎え?」


 愛華の問いかけに、老人は笑って答えた。


「いいや、お嬢ちゃん。さちこせんせいにご用事があって来たんじゃよ。」


「さちこ先生? じゃあ、まなかが呼んできてあげる!」


「おれも行く~。」


 いつのまにか隣にいた男の子、忠親もそう言うと、一緒に職員室に走っていった。しばらく眺めていると、職員室の中で愛華と忠親が、中にいた先生に一生懸命説明をしていた。


 老人は、職員室の外から、中にいた先生に会釈した。事務担当か、学年の責任者だろうか、開いていたパソコンを閉じると、子供達と一緒に外に出てきた。


「さちこ先生、いなかった。」


「ゆみせんせいしかいなかった~。」


 二人はすまなさそうにそう言った。老人は笑顔で屈み込み、順に頭を撫でてやった。


「そうかいそうかい。ありがとう、じゃあ、遊びの続きに行っておいで。」


「「は~い。」」


 二人は元気よく遊具に走っていった。


「こんにちは。職員の小嶋と申します。」


「突然すみません。加藤さちこせんせいに、面会をお願いしたかったのですが。」


「申し訳ございません。加藤は今、バス通園の子供達を送りに行ってしまいまして、もう、少しすれば帰ってくると思うのですが。えと、何か?」


 突然の高級車と、出てきた老人にゆみはいささか戸惑っているようだ。


「ええ、そうですか。いえ、以前、さちこせんせいに、命を助けて頂いたんです。実は、仕事の関係でしばらく日本を離れる事になったので、お礼をと思いましたが、あいにく、もう時間がありません。」


「そうだったんですか。それはご丁寧に・・・。」


「せんせい。申し訳ないのですが、ご伝言、お願い出来ないでしょうか?」


「ええ、かまいませんよ。」


 ゆみは快く引き受けてくれた。


「ありがとうございます。では・・・、さちこせんせいのおかげで、二人とも幸せな人生を送っています。と。せんせいのご活躍を、お祈り申し上げます。とも伝えて下され。」


「はい。それだけでよろしいんですか?」


「ああ。あと、これを・・・。」


 老人は、袋から古くなって年季の入った、分厚い本を取り出した。


「これは、せんせいから私がお借りしていた物です。これのおかげで、あの後も、何度も危機を乗り越え、そして財産を築く事も出来た。」


「え??」


「ああ、いや。こちらの話です。それからこれも。」


 そして、銀色に輝くクルスのペンダントを取り出した。


「つらい時には、これが支えになってくれた。ありがたかった。さちこせんせいは、来月ご結婚式でしたね。」


「ええ、そうですよ。」


「それに、間に合ってよかった。」


 老人は、『昭和史』とクルスのペンダントを袋に戻し、ゆみに手渡した。


「会長、申し訳ございません。お時間です。」


 運転士が、老人を呼びに来た。


「・・・わかった。」


 老人は頷くと、ゆみに深々とお辞儀をした。


「では、お願いしますね。せんせい。」


「あ、はい。お預かりします。どうぞ、お気を付けて。」


「ありがとう。」


「あの、お名前は・・・?」


 ゆみの言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、老人は、黙って車に乗り込んだ。


「出してくれ。」


「あなた、よろしいんですの?」


「あぁ、・・・いいんだ。」


 その言葉を聞き、運転士は車を出した。


 ゆみは、半分意味がわからずも、預かった袋を職員室に持ち帰った。そして、再びパソコンを開くと仕事を再開したが、老人の事が気になって、書類が進まなかった。そのままパソコン画面を、インターネットに繋ぎ、背伸びした。


「んあ~! ちょっと休憩。」


「どうかしたの?」


 さちこは声をかけた。


「あれ? さちこ先生、もう帰ってきたんですか? お客様が来られていたんですよ?」


「お客様?」


「ええ。何でも、さちこ先生が命の恩人だって言って。さちこ先生のおかげで、二人とも幸せな人生を送っています。先生の幸せとご活躍をお祈り申し上げます。って伝えて下さいって。」


 さちこの背筋が、一瞬震えた。


「それ、どんな人だった?」


「普通のおじいちゃんよ。まぁ、運転手付きで、すんごい高級車に乗ってきてましたけど。あぁ、これ、借りてた物だからお返ししますって。お名前お聞きしたんですけど、名乗らずに行ってしまって。」


 受け取った袋から、ボロボロになった『昭和史』と、クルスのペンダントを取り出した。『昭和史』の中には、あの日、園長先生から受け取った書類が挟まっていた。その中に、さちこの住所や、この幼稚園の住所が書かれていた。老人は、これだけを頼りにここまでやってきたのだ。


 その時、忠親が愛華と一緒に職員室に入ってきた。


「せんせい。擦り剥いちゃったから絆創膏ちょうだい。」


「はいはい、ちょっと待っててね。」


 ゆみは、救急箱から絆創膏を取り出して忠親に渡した。そして、思い出したように、


「そうそう。そのおじいちゃん、忠親君と一緒で、『先生』じゃなくて、『せんせい』って言うクセがあったな。」


(幸継くんだ!!)


 そこまで聞いて、クルスを握りしめたまま、さちこは職員室を飛び出した。道路まで出てきて、車の行方を追った。


 驚いたゆみは、後を追っ駆けて来て、


「海外に行くって言ってたから、もう行っちゃったわよ。引き止めた方が良かった?」


 すまなさそうにそう言った。さちこは首を振り、


「ううん。いいのよ。」


 そう呟くと、職員室に引き上げた。


「ごめんなさい。事情が良く飲み込めなかったから。」


「いいの、気にしないで。ありがとう。」


 そう話した時、ゆみがパソコン画面を見て声をあげた。


「ああっ! この人この人!! さっき来たおじいちゃん。」


 その時、園長先生が職員室に入ってきた。


「何ですか、騒がしいですよ。」


 難しい顔していた園長先生だったが、パソコンの画面を見て、


「あら、うちの会長じゃない。そう、もう海外事業の着手になるのね。」


 そう言った。


「え? この人うちの会長なんですか?」


「やだ、ゆみ先生知らなかったの? 涼風グループの創立者ですよ。なんでも、戦時中に良く遊んだ空き地は、とてもそよ風が気持ちいい場所だったらしくて、子供達がのびのび健やかに育つ環境を造りたいって、会社名を涼風グループにされたのよ。その場所も、広島原爆でなくなってしまったそうだけど。今回、中東の子達に学校を造るとかでしばらく行くって言ってたわね。」


「さっき、来られてたんです。」


「え!? ここに?」


 二人は、その時、さちこが涙を流して『昭和史』とクルスを抱きしめている事に気が付いた。


「やだ、さちこ先生。どうなさったの?」


「無事だったんだ。生きてたんだ・・・。幸継くん、綾乃ちゃん・・・。」


 困惑する二人をよそに、さちこは流れてくる涙を止める事は出来なかった。




 高速に乗り、それでも窓を開けていた。もっとも、風が強すぎるので、さっきよりは小さく開けているのだが。


「せんせい。あなたのおかげで、素晴らしい人生を送る事が出来たよ。今度は、あなたが幸せな人生を送る番だ。」


 そう言って、老人=幸継は、綾乃の手を握った。綾乃は、ただただ、にっこりと微笑んだまま、何度か頷いた。


「あの日、あなたは最後に、『行きなさい』と言ってくれたと思っていました。でも、あれは、『生きなさい』と言ってくれたんですね。」


 幸継は、遠くを見ていた。遠く、少年の日々を思い出していた。そして、その手には、あの日さちこが持たせてくれた父と母の写真があった。


「あれから、長い長い、そう、とても長い時間が過ぎたんですよ。せんせい・・・。」


 そう呟き、ゆっくり大きく深呼吸をすると、幸継は窓を閉めて、静かに目を閉じた。幸継と綾乃を乗せた車は、空港へ向けて、粛々と走っていった。




 それは、初夏の日差しの強い日の、出来事だった・・・。




PURE WIND ~ヒロシマの奇跡〜 終わり

最後までお読みいただきありがとうございます。


この話を執筆してから、もう一五年以上の歳月が流れました。


当時、子供がお世話になった幼稚園の先生に送った小説です。

子育てがどういうものか、子供とどうやって接していったらいいか、

さちこ先生は大切なことをたくさん教えてくださいました。


卒園後、お会いすることはなかったですが、

ご結婚されてお子様にも恵まれたとうかがっています。

当時のご恩と思い出を、皆様に共有していただけたら幸いです。


ブックマークと高評価も、

ぜひよろしくお願いいたします!

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