神
多くの邪神を返り討ちにしひと段落着いた、ソワールとラクの下にシネスの訃報が届く。
「シネスさんが、死んだ?」
「そうか。シネスが…」
彼女の死は彼らにとって衝撃的な物だった。
霧の大悪魔シネス。エリスとアーネに呆気なく敗れたものの、その実力は悪魔の中でも屈指の物であった。
かつて君主の大悪魔ディアボロスには、忠実な4人の配下がいた。
宵の大悪魔ソワール。茨の大悪魔ミストルティン。火の大悪魔レーヴァテイン。そして霧の大悪魔シネス。
シネスは4人の中で唯一臆病だった。死を克服しているのに、死を恐れている悪魔。それがシネスだ。
彼女が死を恐れる原因は邪神王にある。かつて護衛をしていたディアボロスの娘が、目の前で邪神王コウカに魂だけ消滅させられたのだ。彼の娘ラミアは圧倒的な再生力を誇る吸血鬼だった。しかし、ユースと四神を退けて尚、余力を残していたコウカの魔法によって為す術なく消滅させられてしまった。幸い、その高い再生力のおかげで、何処からともなく密集した肉体は再生した物の、その魂は完全に消滅しており、その出来事はシネスにトラウマを植え付けるには充分過ぎるものだった。
「ごめん。私もう…。」
結果的に当時、彼女はそのトラウマを払拭できなかった。そしてそれを理由に、ディアボロスの庇護下から抜けたいとソワールに相談をした。彼女にとっては苦渋の決断。しかしソワールは冷たい態度でそれに返す。
「主様は貴様の護衛失敗を不問にすると言っている。あの状況を考えてのことだろう。それでも貴様がここ去りたいと言うのなら、勝手に去るが良い。だが、その前に俺から言っておくことがある。」
その時の彼の表情は忘れられない。あの強く気高い男が見せたあの、今にも泣きそうな表情が。
「貴様はその命を懸けてでも、ラミア様を守らなければならない盾なのだ。それを一生忘れるな。」
彼の言葉は彼女に深く突き刺さり、自分が役目を果たせなかった事への後悔が更に大きくなった。そして決心がつく。ディアボロスの優しさに頼っては駄目だと。
彼は自分の娘を守り切れなかったシネスを責めなかった。その理由は、彼もラミアを助けらなかった1人であるからだ。彼もまた目の前でラミアを亡くした1人だ。そんな彼にシネスを責める権利はないのだ。
それを理解していても、シネスはその理由をディアボロスの優しさだと思っている。当然だ。彼らには役割があり、シネスの役割はラミアの死守だったのだ。それを果たせなかったシネスを許すのは、彼の優しさのおかげという他ない。だからこそ、シネスは迷わず彼の領地から離れた。そして、その後も戻ることは無かった。
それから、何百万年と言う月日を東大陸のとある地域で平穏に過ごした。時々、悪魔であることを隠して他の種族とも交流をして、そこは戦いとは無縁の場所だった。あの日までは――
「私の領域に侵入したのは貴女達?」
ひっそりと森で暮らしていた時のことだ。吸血鬼と神狼という珍しい組み合わせの2人組が、彼女が縄張りとする領域に侵入してきた。
どうやら彼女達は森に住む悪魔を討伐しに来たらしく、一触即発で戦闘が始まった。結果的に言えばシネスは呆気なく彼女らに敗れた。
彼女らがあまりにも強かったのもあるが、シネス自身が衰えていたのも原因の1つだろう。
「お願いします。命だけは!私は悪いことはしていません。」
彼女はみっともなく命乞いをした。すると、何故か彼女らは止めを刺す手を止めて、何やら相談ごとを始めた。
地に這いつくばって待っていると、どうやら吸血鬼の方が配下にならないかと誘ってきた。彼女に選択肢はなく、その提案をあっさり受け入れる。
後にわかった事だが、シネスの討伐依頼を出したのは、その頃からヴィーブと協力して暗躍していたミストルティンだった。彼女は、エリスの判断力の高さを影ながら高く評価しており、もしかしたらシネスをこの戦争に巻き込めるかも知れないと彼女に依頼を出したらしい。
その後ある機会で2人が話したとき、ミストルティンはシネスのこう言った。
「お前の罪滅ぼしとしてこの舞台に、お前の居場所を用意した。意味わかっているな。」
「わかっているわ。だってご主人様の体は元々はラミア様の物だもの。それに気づいて、私に2度目のチャンスをくれたのでしょう?」
「そうだ。お前があの日の事を後悔していることは知っている。だから今度こそラミア様を守り切りなさい。それがお前の最大の罪を滅ぼしであり、我々の償いだ。」
当時から生きる大悪魔は全員、エリスの魂が宿る器がかつてラミアだった物だとわかっている。だから彼らは、彼女に敗れれば迷わず、彼女の配下に入る事を承諾した。彼らはどこかで、エリスを彼女に重ねていた。
「ミストルティン。申し訳ないけれど、1つだけ訂正させて。」
「なんだ。」
「次、私が守るのはエリス様よ。ラミア様ではないわ。」
しかし彼らは、エリスの配下となり数か月でその考えを改める。彼女はラミアではなく今を生きる吸血鬼であり、いつか全ての魔物を束ねる存在になるお方であると。
「良い目だ。」
ラミアを忘れてはいない。しかし、かつてのトラウマはその目にはもう無く。今は自分の主であるエリスだけを見ている。そんな彼女にミストルティンは笑みを浮かべる。
「訂正しよう。エリス様こそは守り切りなさい。」
「約束するわミストルティン。私はこの命に代えても主を守ると。」
その宣言が彼女のトラウマに重なる場面に達成されたことを今では誰もが知っている。
「シネスの死は衝撃的だが、彼女にとっては本望だったろう。」
唯一、シネスとミストルティンの会話を知っていたソワールは、あえて笑みを浮かべる。そんな彼の思いを察してか、ラクも悲しげにだが笑みを浮かべて見せる。
「そうっすね。ほんと、あの人らしい死に方ですよ。」
ソワールを除いて、大悪魔達はシネスを尊敬していた。数か月かかってしまった自分達とは違い、彼女だけは初めからエリスに忠誠を誓っていたのだから。
「今、主君と姉君はどうしている?」
ソワールは報告に来ていた大悪魔に2人の様子を聞く。
「お2人は、今取り乱して動けないでいます。」
「お2人は仲間の死を経験していない。それも当然か。」
返答を受けてソワールは黙って少しだけ思案する。そして数秒後「それなら」と口を開いた。
「俺は邪神の残党を狩りに行く。お2人にこれ以上無茶はさせられないからな。貴様らはロウを連れて、お2人の下へ向かえ。」
「了解っす。」
ラク達は、ソワールと別れ早速エリス達の下に向かった。その頃には既に彼女らは平静を取り戻しており、ユースに次の話を聞かされていた。
「黒の世界の制圧がじきに終わる。そしたら、その後を考えなければならない。」
邪神は栄養補給を必要としない為、黒の世界には植物も生物も存在しない。しかし、邪神がこの世界から消滅すれば、次第に次の生命体が生まれ始める。その生物が第二の邪神になる事もあれば、第二の人間になる事もある。それを意図的に調整する為に、邪神王に代わる黒の世界の管理者を据えなければならない。
「黒の世界の神は、メランに任せたいと思っているんだ。」
実は、メランの出生にユースは関わっていない。緑の世界の生命体で唯一、ユースが産み落としていない生物という事である。つまり、彼女はユースやコウカの様な神に等しい存在なのである。
「黒の世界の環境は過酷だ。放置すればどんな生物が生まれるかわからない。そして、メランはそれに対処ができると考えている。なんでこの話を私達に?って顔をしているね。」
今の所自分達には関係がない話を続けられ、2人は首を傾げてしまう。そんな彼女らの様子に気付いて、ユースは笑み浮かべて自分の考えを話す。
「エリスとアーネには将来的に、青の世界の管理人になって欲しいんだよね。」
「え…?」
「今の青の世界は、本来のルートから大きく外れている。」
遥か昔、ユースが生まれる前に遡る。
3つの世界の中で最も最初に誕生した世界は青の世界だった。
青の世界を管理する神プルトは、何もない空間に生まれ落ちた生物だった。プルトはその空間に宇宙を作り、それ以降は干渉せずに宇宙の成長を観察した。
それから約92億年後に、生物が最も豊かに育つ地球の誕生を観測した。それからプルトは、地球に生物が生まれる様にだけ干渉し、地球の観察を始めた。
それから約46億年後、高い知能を有する人間が誕生する。それらは、大気中に無数に存在する魔力を扱う力に長け、急激な発展を遂げた。それと同時期にプルトは、人間を参考にした生物、ユースとコウカを生み出し、彼らにそれぞれ緑の世界と黒の世界を与えた。
その後も人間は大きく発展した。そして、100万年の時が過ぎた頃に事件は起きた。人間は神の存在証明に成功し、プルトの存在を確定させた。たった100万年で人間が神の存在にまで辿り着けたのは、青の世界が黒の世界よりも遥かに濃い魔力濃度を誇っていたからだと考えられる。
それからたった100年後。人間は愚かにもプルトに牙を向き、プルトを神の座から引きずり下ろし殺害した。それは青の世界に大きな影響を与えた。神が消滅した世界は、魔力を保持できない。栓が抜けた様に青の世界からあっという間に魔力が消えた。
それと共に、魔力を必要とした人間もあっという間に絶滅し、数万年後、魔力を必要としない、現在の人間が生まれた。
これは本来あってはならない事である。神でさえ、プルトでさえ知覚できない理が全ての世界に存在する。それは魔力によって機能する為、魔力がない青の世界では現在理が機能していない。
しかし、ここで疑問が生まれる。青の世界では理が機能していないのに、鬼心憂や白糸聖は特殊能力が扱えた。それだけでなく、白糸聖を含む白糸家は魔法に似た特赦な力を有しているという話だ。魔力が無ければそれらはあり得ない。
「そこは簡単だよ。私が青の世界に少しずつ干渉し、徐々に魔力が現れる様に仕向けていたんだ。」
エリスの前世、鬼心憂への干渉以外にも、彼女は何度か干渉していた。それにより、かなり微弱ながらも青の世界由来の魔力の生成に成功した。
しかし、それでも正常な世界には戻っていない。その為、ユースは青の世界を知るエリスと、時間操作という圧倒的な特殊能力を有するアーネに、青の世界の神になって欲しいとお願いしたのだ。
「なるほど。事情は分かりましたが、私達に務まるでしょうか。先程の話にもありましたが、世界の管理にはメランさんクラスの実力が必要なんですよね。それなら、私達ではなくエフィさんやユグドラシルさんの方が良いのでは?」
「それは駄目なんだ。シルは、私が何かしらによって消滅した時に代わりに緑の世界の神になって貰う必要がある。エフィは――」
時は決戦の前日に遡る。
「エフィ。この戦争が終わったら、青の世界の神になってくれない?」
唐突にユースはエフィに神になって欲しい頼む。しかし彼女の返答はノーだった。
「神になるということは、不老不死になるというでしょう?そうしたら、私はもう二度とギルに会えなくなってしまう。人間のままだったら、いつか…来世か、そのまた来世かわからないが、再び会えるかもしれない。申し訳ないが、私はその希望を捨てきれない。前例も見てしまったしね。」
「そっか。」
申し訳なさそうにそうに、しかし楽しそうにそう語る彼女に、ユースはそれ以上頼めなかった。
「という訳で、断られたから2人にお願いしてるんだ。なんか代わりに、見たいで申し訳ないけど。でも、2人がメランやエフィに劣っていると、私は考えていないよ。」
「それは過大評価です。今の私達では――」
エリスの言葉を遮ってユースが語る。
「さっき、将来的にと言ったでしょう?君達なら後数年で彼女らに追いつける。それにすぐになって貰おうとも考えていないよ。2人がなっても良いなと思うまで待っても良いし。幸いにも、2人には悠久の時を生きる寿命があるからね。」
彼女の言葉にエリスは思わず「わかりました。」と答えてしまう。
「何十年後か。何百年後かわかりませんが、いつか、その答えを返します。それまで待っていて欲しいです。」
彼女の答えはユースにとって予想通りの物だった。それは彼女の持つある権能の力による物でもあるが、それが無くても予想できる答えだ。何故なら彼女は吸血鬼。既に不老不死なのだから。
「意外でした。エリスさんはああ言ったお願いは聞かない物だとばかり。」
「そう?アーネでもまだ、私の考えが全てはわかるって訳じゃないみたいだね。」
不思議がるアーネに悪戯っぽく笑うエリスだが、その心には少しの陰りが見える。
――私は不老不死だ。でもアーネは。
ある真実に気づいてしまい、エリスは思わずアーネの体を引き寄せて、優しく抱き締める。
「急にどうしたんですか?」
突然の出来事に驚いている彼女を見つめながら、エリスは心の中で呟く。
――アーネと別れたくない。
吸血鬼であるエリスとは違い、アーネの寿命には限りがある。ユースも言っていた通り、彼女の寿命は悠久であるが、それでもいつか寿命が訪れる。魂は巡り、いつか再びエリスとアーネは出会うことができる。しかし、その時のアーネは、アーネであってアーネではない。
エリスは、ゼラニウムやエフィと違い、来世でも良いから出会いたいという割り切った考えはできない。できる事なら、今目の前にいるアーネと一生の時を過ごしたい。そんな、彼女と一生を過ごせる可能性が、今生まれてしまった。その為、彼女にとってユースの提案はこの上なく魅力的なものとなっている。
「何でもないよ。」
そんな身勝手な考えを彼女には言えない。いつかこの気持ちを明かせる日が来るまで。




