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あの日

「私がまだ18歳で、アナトレー国際学園に通っていた頃。私は厄災に遭遇した。」


エフィはあの日のことを回想する。


あの日もいつも通りの1日だった。時刻は正午過ぎ。丁度、休憩時間の時だった。


「お姉様!こんにちは。」


「御機嫌よう。アヤメ。」


いつもの様に貴族令嬢らしからぬ口調のアヤメにはつられず、エフィは優雅に挨拶を返す。


「今お一人ですか?」


学園の中庭のベンチで1人座っているエフィに、アヤメは周りをキョロキョロと見ながら歩み寄る。


「ええ。ギルはヴィーブ先生の所に、ステラお姉様は剣を持って何処かへ行ってしまったわ。」


「そうでしたか。では、隣に座っても良いですか?」


「良いわよ。」


やったー。と、アヤメは嬉しそうにエフィのすぐ隣に座ると、手に抱えていた何処から持ってきたのかもわからないバスケットを開いて、中に入っていたサンドイッチを頬張り始める。


「いつも言っているけれど、行儀が悪いわよ。」


「学園の外ではしませんよー。」


話しながらもサンドイッチを頬張り続けるアヤメに苦笑しつつ、エフィは周囲を見渡す。


既にアヤメは型破りだと共通認識になっているが、それでも将来の姉として彼女の体裁を守ろうと、周囲を警戒しているのだ。


休憩時間なので当然数名の生徒が中庭を歩いている。しかし、エフィがいつの間にか張っていた結界の効果で、誰も彼女らに目を向けることはない。


「食べ終わった?」


「はい。」


誰にも気づかれないままアヤメが食事を終えた頃、休憩終了の10分前を知らせる鐘が鳴り響いた。


「もうこんな時間なのね。行きましょうか。」


「そうですね。」


2人が教室に戻ろうと立ち上がった瞬間、遠くから爆音がした。平穏な日々に終焉を告げる音だった。


「何?」


不安そうなアヤメの声を聞いて、エフィは彼女を庇うように抱き締める。


「お姉さ――」


アヤメは見た。大きな大きな、一つ目の黒い生命体を。


「アヤメ。早くこれを持って避難しなさい。」


「はい。」


アヤメは自分の知識が通用しないと瞬時に理解し、何も聞かずに彼女の指示通り学園の屋内競技場に向かう。道中に出会った学生達にも声を掛けつつ、迅速に避難を済ませた。


エフィが彼女に渡したのは、結界を展開する魔法道具。アヤメは競技場に着くや否や、魔法道具を発動させる。


「ご無事で。お姉様。」


エフィの心配をしながら。


一方。エフィは爆音の元に向かった。


――あれは邪神。私1人では荷が重いか。


「全員来い。」


「はい!」


エフィの命令に5人の契約者が召喚される。


「一時的に契約を破棄する。人に被害が及ばない様に邪神を殲滅しろ。私は爆音の元に向かう。」


「承知しました。」


6人はそれぞれの方向にばらける。これで怪我人は出ないとエフィは思った。しかし別れた直後、6人全員の前に、上位の邪神が現れた。


「待て待て。俺らの目的の邪魔はさせないぜ。特異点。」


「どけ。私の邪魔をするな。」


エフィの目の前に現れたのは、長槍を持った顔のない男。


エフィは即座に敵だと判断し、問答無用で拳で殴りつけた。


「おー。怖い怖い。」


エフィは驚く。魔力を込めた拳が、槍によって止められたことに。


「お前…上位の邪神か…」


「正解。」


上位の邪神は、竜族や悪魔族といった優れた魔物が5体集まってやっと同格と言われている。しかし、


「死ね。お前に費やす時間はない。」


膨大な魔力を込めたエフィの右手は、空間を割いて邪神さえ粉々に砕いてしまう。上位の邪神だろうが、契約を破棄して力を取り戻した今のエフィの相手ではない。


邪神を一瞬で殺害し、エフィは再び走り――


「流石に強いねぇ。王様が特異点と呼ぶだけのことはある。」


目の前に大剣が突き刺さる。見上げると、烏の様な羽を生やした女が2本の大剣を周囲に浮かせてエフィを見下ろしていた。


「鬱陶しい。」


邪神の支配を受けている3本の大剣が、邪神と共に宙を舞ってエフィに襲い掛かる。


魔力を込めた四肢で大剣を弾き続けているものの、邪神はエフィの間合いに入らない様に移動している為、防戦一方だ。


更には、四方八方から飛んでくる矢の援護。その場から動かさない為の攻撃に、流石のエフィも攻撃に転じる余裕はない。


唯一、エフィが攻撃できるとすれば、何の変哲もないただの魔力放出。常人であれば大した攻撃にはならないが、エフィの圧倒的な魔力量に物を言わせた魔力放出は、たった一度で、大剣諸共、邪神を消し飛ばす。


矢の攻撃は未だ続いているが、大剣が無くなれば気にする程の物ではなく、矢で捉えるには不可能な速度で移動する。


その頃、


「何よあの化け物!」


魔力で作られた矢を空間魔法によって加速させながら、無尽蔵に放ち続ける四本腕の邪神は、瞬殺された同胞を目の前に驚愕していた。


「こっちの世界に来たせいで弱体化してるけど、あんな簡単に殺されるなんて。」


邪神の住む黒の世界よりも魔力濃度の低いこの緑の世界では、上位の邪神ともなるとその権能を最大限に発揮できない。


「このままじゃ王様に怒られちゃう…。仕方ない無茶をしてでも!」


邪神は魔力を集中させ、たった1本の矢を作る。その矢を無尽蔵に展開した空間魔法によって、限りなく光速に近い速度で、エフィに向けて放った。


「ッ…!」


直後、不可視の攻撃によりエフィの右半身が弾け飛ぶ。直撃したのではない。避けたにも拘らず、その光速に近い矢の風圧は、エフィの魔力の防御すら意に返さず、弾け飛ばしたのだ。


当然、あらゆる物質よりも硬いであろうエフィの防御を破るのだから、矢の軌道上にある建物とその周囲は消滅している。


意図して邪神が軌道を空にずらしていたので被害は少ないが、それでも校舎を半壊にしてしまう。


「なんだ…?」


聖魔法を用いて体を一瞬で復元するエフィだが、その攻撃の正体がわからず立ち止まってしまう。


「これなら当たる!」


困惑している様子のエフィを見て調子づいた邪神は、二射目の準備を始める。その間にエフィは思考を巡らせる。


――魔力も気配も感じない。レベルの高い隠密能力。もしくは…


「足止めさえできれば良い!もし避けられてもこれなら…」


二射目が発射される。速度は先程と変わらないが、その矢を形成する魔力の濃密さはその比ではない。その為か、エフィは先程より大きく避け、その膨大な魔力を防御に集中させたが、彼女の胴体の半分が吹き飛ばされてしまう。


「一瞬だけど致命傷でしょ?」


エフィなら一瞬で治せる負傷。だが邪神にとって、そんな一瞬でも彼女の身動きを封じられるのなら十分だった。


「さぁ、三射目。」


その一瞬で三射目の準備ができるから。


ただ、エフィも治療しながら、思考を巡らすことはできる。


――今の…


三射目が発射される。しかしエフィは避けようとしない。何故なら、彼女はその攻撃の正体を理解したから。


「えっ。」


エフィは空間魔法を展開し、その矢の速度を最大限まで低下させる。それでもその速度は常人では捉えることが不可能。しかし、彼女にとっては既に簡単に掴めてしまう代物となった。


理解さえすれば、彼女にとってそれは容易に対処できる物だった。しかし、邪神の位置は彼女ですら特定はできない。矢を粉々に砕き、次の矢でどの方向から来ているのか確認することにした。


ただ、


「まっ。対処されても関係ないね。」


邪神は空間魔法を駆使して、様々な方向から矢を放ち続けた。位置が特定できないてエフィは、またも防戦一方となってしまう。


「後1分足止めできれば…私達の…勝ち!」


邪神に勝機が見えてきた頃、更に彼女らの勝率を上げる様に、下位、中位の邪神が、エフィの回りに召喚される。しかし、


「誰か知らないけど、たくさん駒を召喚してくれた。これなら――」


エフィの前で、雑兵は足止めにすらならない。召喚と同時に、全ての邪神が消滅する。その不可視の攻撃に、邪神は震撼する。


「何…今の?」


動いた様には見えなかったが、かと言って、魔力を放出したようにも見えなかった。つまり、今しがたのエフィの攻撃は、邪神にすら未知の理論による物。


「関係ない。早くッ!」


邪神が矢を生成し始めると、エフィは途端に走り始めた。逃げたのかと思ったが、矢を放った瞬間。その予想が見当違いだったのだと理解させられる。


矢を転移されるために発動した空間魔法を利用して、エフィが邪神の位置に移動してきたのだ。


「そんな事できるの!」


「…時間を掛け過ぎた。」


再び放たれる不可視の攻撃。なんと邪神は、神懸かった空間魔法で、それを見事に弾き返すことに成功する。そして、直接その発動を見た彼女は、その正体に気付く。


「お前の攻撃はそのままお返しするわ。」


――あれは権能だ。


邪神に限らず、竜族や精霊族と言った〈原初の四種族〉も持つ特別な概念。それが権能だ。魔力に頼らずに発動できる代わりに大きな代償を受けることになるが、どんな権能であろうと魔法とは比べ物にならない程の強力な力を持っている。


四本腕の邪神が持つ、神がかった空間操作も権能の1つである。


――権能と分かれば恐れることは無い。だって、頑張れば避けれるから!


権能は強力だが無敵ではないという事を権能を持つ誰もが知っている。それ故、邪神は少し楽観的にエフィとの戦闘に構えた。しかし邪神は、当然の様にその不可視の攻撃を避けたエフィに警戒を解かない。


楽観的でも油断はしない。戦闘する為に生まれてきた彼女は無意識にそれを実行できる。しかし、彼女とエフィであまりにも差が大きかった。


エフィは次の一瞬で邪神との距離を完全に縮める。そして頭を掴むと、そのまま勢いよく魔力を流し込む。その邪神は弓使い故に防御力は薄かった。邪神はエフィの魔力注入に耐えきれず、その頭を破裂してしまう。


「はぁ。」


結果的には瞬殺。しかしエフィは、鬱陶しそうに溜め息を吐く。彼女にどれだけの時間を消費したか想像に難くなかったからだ。試しに先程まで発動できなかった、空間魔法を発動してみる。


――空間魔法が使える…


実は、先程まで空間魔法が発動できなかったのだ。今の邪神を倒したことで使える様になったと言う事は。恐らくは、邪神の権能によって空間が制御されていたのだろう。


空間魔法が使える様になれば、簡単に目的地まで移動できる。


空間魔法で目的地まで空間を繋げ、一気に瞬間移動する。


「ッ!」


出来得る限り、最短で終わらせたつもりだった。しかし、時すでに遅し。その目には、意識のない血だらけのヴィーブと、意識は辛うじてあるものの、大怪我を負ってしまっているステラ、そして、今まさに手に掛けられた、最愛の人が映った。


「貴様ッ!」


今までに出したことのない怒号を邪神に浴びせる。


「特異点…随分とお早いご到着ね。」


邪神は焦った様に声を震わせる。どうやら彼女らの目的は未だ果たせていない様だ。しかし、エフィの失った物は、彼女の目的を打ち砕いた程度では取り返せない程に大きかった。


「お前ら。特異点の足止めを任せる、私は目的を遂行する。」


何処からか無数の邪神が現れる。しかし、何度でも言おう。有象無象ではエフィの足止めなど不可能だと。


「つっよ。」


「待て!」


エフィの実力を見誤っていた邪神は、彼女の恐るべき実力見るや否や、作戦を切り捨てて逃げの一手を取る。


「想像以上だわ。特異点!作戦は失敗に終わったけど、良い手土産ができた。ありがとう。」


邪神は空間の歪みに身を委ねながら、邪神は笑みを浮かべてエフィを煽り立てる。


エフィは怒りに身を任せて、下位、中位の邪神を全て殲滅するも、世界渡りを開始した邪神には触れることができず、あっと一歩の所で逃がしてしまう。


「クソ!」


貴族になってから使わない様にしていた暴言を叫ぶ。


それからエフィは、黙って地面に降り立つ。そして、恐ろしい程静かに愛する人の下まで歩み寄る。


「エフィ…ごめんなさい!私…」


ステラは泣きながらエフィに謝る。彼女の優れた剣が折れていることから、エフィが到着するまでの戦闘が苛烈を極めた事は言われずともわかり切っていた。


「ステラお姉様。決して、貴女のせいではありません。全ては…私のせいです。」


まだ息のあるヴィーブとステラを治癒して、エフィは彼女の言葉を否定する。全て自分のせいだと。


「違うの!本当ならギルバートが死ぬはずじゃなかった。彼は私を庇って…!だから本当なら私が死ぬはずだった。だから…」


「ステラお姉様。決して、貴女のせいではありません。全ては…私のせいです。」


「ッ!エフィ…」


ステラは彼女に自分の言葉が届いていないと気づいた。しかし、気づいて尚、必死で彼女に謝罪する。何故なら――


エフィは彼女の言葉に聞く耳を持たずに、彼の体を抱き抱えると、清潔な白いシーツを取り出して彼を寝かせた。


「エフィ止めて!そんな事をしたら貴女まで。」


エフィは魔力が続く限り聖魔法を発動した。しかし、奇跡が起こるわけは無く、彼女が魔力切れを起こしても、彼が起きることは無かった。


「エフィ…」


ずっと彼女に必死に謝罪した。何故なら、彼女と彼女の最愛の人、ギルバートの正式な婚約式が明日に迫っていたから。


あと一日。あと一日で、彼女らの幸せが決まった物になっていたはずなのに。


――私のせいで…


しかし、彼女は私の謝罪に聞く耳を持たない。何故なら、恐らく彼女は私に私を責めて欲しくないから。だったら…


そう、ステラは決意して静かに涙を流す彼女を抱きしめる。そして耳元で囁く。彼女に届くように、謝罪ではなく。


「ありがとう。」


感謝を。

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