合格発表
窓から射す光にエリスは目を覚ます。腕の中には、珍しくまだ起きていないアーネが静かに眠っている。
――まだ寝てる…起こさない様にしないと。
エリスはゆっくりと体を起こしベッドから降りると、剥がれてしまった掛け布団を元に戻した。
――起こして無いよね。
アーネが眠っていることを確認し安心しつつ、エリスは顔を洗いに洗面台に向かう。
「ふぅ。」
吸血鬼である為か寝覚めの良いエリスだが、前世の癖で未だに顔を洗う事から一日を始めている。
「今は、6時半か。」
すっかり覚めた目で時計を確認し、まだ時間があるとエリスは魔法のポットに水を入れお湯を沸かす準備をする。
エフィの影響か、エリスも朝食の前にコーヒーを飲むようになった。勿論アーネもなのだが。
「ふーん…ふふーん…」
機嫌よく鼻歌を歌いながらコーヒーを2人分淹れるエリスは、そろそろアーネを起こそうと、淹れたコーヒーをテーブルにおいて、ベッドの傍まで歩み寄る。
「あっ。おはようございます。エリスさん。」
すると、丁度目覚めた様子のアーネが、どこか恥ずかし気に挨拶をしてきた。
「おはよう。アーネ。」
そんな彼女に優しい笑みを浮かべて挨拶を返すと、彼女は「はい…」と力ない声を漏らす。
「どうしたの?」
「いえ。寝坊したのは初めてだったので…その、恥ずかしくて。」
その様子に彼女を心配するエリスだったが、どうやら初の寝坊に恥じ入っただけの様だ。
「ああ。そんな事。いつも早起きなんだから、少し遅く起きたくらいなら大丈夫でしょ。」
「ですが、朝の訓練をする時間が。」
いつもは5時頃に起きて訓練を始めるアーネだが、今日はそれを行う十分な時間がない。その為、彼女は寝坊に恥じらいつつ落ち込んでいる様だ。
「それじゃあ、後で一緒に冒険者ギルドの訓練場に行こう。そこなら、いつもより長く訓練できるし、朝の訓練の穴埋めになるんじゃない?」
彼女の落ち込む様子に、エリスは代替案を提案する。するとその提案にアーネは納得したようで、「そうですね。」と小さく頷く。
そうとなれば彼女の立ち直りは早い。ベッドから降りると早速顔を洗って椅子に座る。
「それアーネのだから飲んで良いよ。」
いつの間にかコーヒーを飲み干していたエリスは、角砂糖を用意しながらアーネにコーヒーを飲む様に勧める。
「ありがとうございます。」
エリスの用意した角砂糖を受け取り、アーネは彼女に感謝を述べる。そして、甘いコーヒーを啜りながら、エリスと今日の予定を確認する。
「今日は12時からA級試験の合格者発表があるから、それまで訓練場で訓練できるね。」
「そうですね。そういえば、スキルが使える様になっていますね。」
「あっ。ほんとだ。気づかなかったよ。」
無意識に発動していた感覚強化を実感しつつ、軽く掌の上で風魔法を発動して見せる。
「なんだか久々に感じる。数日使わなかっただけなのに。」
魔物と魔法は切っても切り離せない関係にある。数日魔法を使えなかっただけで、彼女達にはかなりの不自由だっただろう。
「はい。なんだか、早く思いっきり戦いたい気分になってきました。そうだ!久々に手合わせしませんか?折角、王都の訓練場に行くんですから。」
「そうだね。やろっか。」
王都の訓練場は高度な結界に守られており、大きな衝撃でも破れない強度と、竜族の加護と同等の加護が付与されている。邪神すら打ち破るまでに成長した2人には、打ってつけの訓練場だ。
朝食とチェックアウトを済ませ、早速移動した訓練場には、既に何人かの冒険者が訓練を始めていた。彼らの邪魔にならない様に、共有の訓練場ではなく、個人用の訓練場の1つに移動する。
「ここなら心置きなく戦える。早速始めようか。」
魔法道具で監視されている為、冒険者カード上のスキルしか扱えない。つまり今の状況だと、エリスは最高でもレベル7程度のスキルしか発動できない。
しかし彼女が極めた剣は、スキルのレベルで左右される程度の水準ではなく、スキルが封印されて尚、S級の魔物に匹敵する程。普通の相手では、問題にならない実力だ。
「行くよ。アーネ。」
「はい!エリスさん。」
エリスは今発動できる強化系スキルの全て発動し、その全身全霊を掛けて必殺の一太刀を振り抜く。
その速度は、アーネの目では到底終える速度ではなく、その重みは並大抵の防御では防ぎきれない。しかしながら、アーネはその一太刀を簡単に籠手で凌ぎ切り、更には、エリスの腹部に足で反撃すら与えて見せる。
「流石。」
アーネの強烈な蹴りが直撃したにも拘らず、エリスは浮かび上がった体を空中で立て直し、簡単に足で着地する。
「エリスさんも流石です。」
エリスを称賛しつつ、アーネはいつの間にか構えている弓から矢を射出する。
直後、10本の矢がエリスに襲い掛かる。正確無比な矢はエリスが回避可能な位置全てを狙って放たれている。その為、エリスには回避の選択肢を取ることができない。
しかし、エリスには神速の刀がある。エリスの魔法が籠められ、威力も強度も増した矢だが、その全てがエリスの刀に切り伏せられ、それと同時に発動される魔法は、エリスの〈聖魔法〉バリアによって防がれる。
その様子を立ち尽くして見ている程、アーネは甘くない。エリスが矢に対応している間も、また10本、10本と、正確無比な矢を射出する。
アーネの魔法袋に蓄えられた矢は、エリスの魔法を籠めた矢だけで1000本以上。普通の矢を含めれば、1万は超えている。
その為、アーネはエリスが崩れるまで、無尽蔵に矢を放つことが可能で、この状況に陥れば今のエリスですら簡単には抜け出せない。
更には、矢と同時に風魔法も放ち、エリスの行動を少しずつ制限していく。
それは大和国で偶然遭遇した、S級の魔物すら葬り去ったアーネの必殺技。
エリスもその状況を見たことはあったが、自分が受けるのはこれが初めて。想像以上の行動の制限に意識が割かれ、魔法を発動する余裕すらない。幸い、矢の速度であれば簡単に目で終える為、未だに傷1つ負っていないが、いつか確実に圧し潰されてしまうのは、火を見るより明らかだ。
エリスは一度、深い集中状態に入り、矢と魔法を対処しながら、この攻撃から抜け出す方法を考える。
――アーネは私の再生能力を信頼しているせいか、私との手合わせだと滅茶苦茶する。もう少し手心を加えて欲しいなぁ。まぁ、それはさて置き、この猛攻、魔法を全方向に発動すれば簡単に抜け出せるが、それと同時に無防備に晒されてしまう。なら、
アーネと一緒に、私も思いっきりやろう。
全方向に魔法を発動し、矢も魔法も諸共弾き返す。それと同時に、彼女の眼前に土の壁を生成し、その場凌ぎで矢を防ぐ。しかし、その場凌ぎでも彼女には充分過ぎる時間。
アーネからの射線が通らない最低限の土の壁を追加で生成し、アーネに急激に迫る。アーネは彼女の接近に弓を仕舞い、籠手で彼女を迎え撃つ準備をする。
アーネを間合いに捉え、エリスは手加減なしの最速の居合術でアーネに斬りかかる。十分な体勢で彼女の初動を待っていたアーネは、その神速の一撃をなんと避けて見せる。しかし、そこまではエリスの想定通り。エリスは居合術が避けられた同時に刀の方向を変え、そのままの勢いでアーネに切り込む。
それはアーネにとっても想定していた状況。その状況を打破する方法をアーネは2つ思いついていた。1つはもう一度避けること。しかし、これは彼女の身体能力では不可能だ。その為、もう一つの方法を取らざるを得ない。
アーネが習得した極限れた状況下でのみ発動できるスキル。その状況とは、まさに今の様な状況。1つ、相手の攻撃が斬撃である事。決して、剣による打撃ではいけない。2つ、籠手を装備している事。盾などの他の防御が可能な装備でも可能。3つ、これが最も重要で相手が剣において一流である事。
剣の道を極めると、必ずしも欠点が生まれる。それは、太刀筋が美し過ぎること。美しい太刀筋は、いくら神速と言えども、その行きつく先が目に見えてしまう。更には、物体を切断する為の太刀筋は恐ろしい程に一直線に振り下ろされる。その為、進行方向をずらし易い。
アーネは剣が籠手に接触すると同時に籠手を傾け、その太刀筋を強制的に捻じ曲げる。
軌道を曲げられ地面に向かう刀は、紙の様に床を切り裂き深く床に突き刺さる。
エリスがその状況に動揺しているのに気づき、アーネは体勢が直らないままエリスの腹部に強烈な蹴りを放つ。しかし、深く突き刺さった刀を離さないエリスは、その蹴りを受けて尚その場から動かない。
――抜けない。
アーネに蹴られても抜けない刀に、それ以上力を入れれば折れると確信したエリスは、魔法倉庫に一度刀を仕舞い、再び取り出す。
「アーネがそんな技持ってたなんて知らなかったな。」
「貴女に勝つ為に教えて貰った技ですから!」
たった1度でもエリスを出し抜ける様、杏から学んだ技術の1つ。それが無事エリスに通用し、アーネは胸を撫で下ろす。
「それじゃあ――」
エリスが戦闘を再開しようとすると同時に、11時を知らせる金の音が彼女らの耳に届いた。
「あれ?もうこんな時間なんですね。」
「そうだね。今日はもう終わりにしようか。」
個人用の訓練場を後にし、A級冒険者の合格者発表の時間までに軽く食事をすることにした。
「アーネ。何が食べたい?」
「そうですね。まだお昼前ですから軽食ですよね。うーん、そうだ!王都の有名なパン屋さんに行ってみたいです。確か…」
「セリニベーカリーね。ここからも近いし行こうか。」
セリニベーカリーは、とある夫婦が個人経営をしていた小さなパン屋なのだが、ある日、城下を彷徨っていたある王族の目に留まり、一躍有名になった。
現在は彼らの孫夫婦が経営しているが、その味は当時のままで今でも貴族から平民まで地位を問わず多くの人々から愛されている。
「いらっしゃいませ。」
店内は混んではいるが、従業員が多いおかげか止まることなく行列は進んでいた。それなりに時間はかかったが、エリス達も無事にパンを購入することができた。
「これがセリニパン…クリームが美味しいです。」
彼女らが購入したのは、セリニベーカリーオリジナルのセリニパン。見た目は至って普通のクリームパンなのだが、中身が老夫婦が考案したクリームなのだ。その製造方法は孫夫婦しか知らず、その味を気に入った人々が日々研究しているとか。
「確かに美味しい。並んだ甲斐があったね。それに、時間も丁度良い。」
食べ終わった頃には、12時前になっていた。会場の近くのベンチに座って食事をしていたので、そのまま会場に向かった。
会場では合格発表を待つ冒険者が集まっていた。
合格発表と言っても、戦闘試験を受けた受験者達は自分の合格を知っている為、形式的に合格を発表するだけだ。しかし、戦闘試験ではなく、補助を専門とする冒険者の為に設けられた試験を受けた者達は今初めて合格を知ることになる。
会場には、先日の戦闘試験を合格した者達に加え、合格発表を心待ちにする、補助スキルの使い手達も見かけられる。
彼らの緊張感が伝わってくるせいか、エリスとアーネもすっかり黙ってしまう。
それもそのはず、彼らの試験の合格率は、戦闘試験の比にならない程に低い。それは、地竜を倒せさえすれば合格できる戦闘試験に対して、その試験では幅広い知識に加え卓越したサポート能力が必要であるから。
遂に合格者が発表され、会場は歓喜と悲哀に二分された。
A級冒険者は、S級冒険者を除く世界最高の戦力。時には、S級の魔物にさえ立ち向かわなければならないその階級には、確かな実力と豊富な知識、そして多大なる責任感が必要だ。
実力のない者には容赦なく不合格が告げられ、涙を流す者もいるだろう。
彼らの涙をこれからA級冒険者になる者達は忘れてはならない。
A級冒険者に伴う責任を忘れぬ為に。




