償い
ファークスが起こした事件から数日が過ぎた。その間に特に大きな事件は無く、エリスとアーネにとって平穏な日々が続いていた。
そんな日々が崩壊しかける事件が起こる。
「何故魔物が、町の中にいるんだ?」
S級冒険者において最も融通の利かない男、ヴェロス=トークソーがオルニス都市に突如として訪れ、1人で歩いていたエリスは不幸にも彼と鉢合わせてしまったのだ。
「はい?何のことですか。」
更にその日はエフィが都市に居らず、助けてくれる人は誰もいない。しかし幸いなことに、その日はアーネもこの都市にいない。彼女が危険な目に合うことは無いということだ。だからか、エリスは焦りを表情に出さなかった。そして、努めて冷静に繕い、誤魔化す。
「すまない。勘違いだったようだ。」
その振る舞いが功を奏したしたのか、その場は何とかやり過ごし、ヴェロスはゆっくりとエリスの横を通り過ぎる。
彼の姿が見えなくなると、エリスは彼から逃げる様に急いでその場から離れ、そのまま自分の部屋に戻る。
――なんでバレたんだ?いや、なんでバレ無かったのかを考えるべきか?
何故、ヴェロスはエリスが吸血鬼であるという確証を得られなかったのだろうか。
恐らく彼はエリスの気配を感じ取り、彼女が吸血鬼であると本能的に理解したのだろう。しかし、彼は確証が得られなかった。何故なら、彼の〈鑑定〉ではエリスを鑑定することができないから。
そう結論付けた彼女だったが、彼女は1つ見落としていることがあった。
彼がS級冒険者だということ。
次の瞬間、共同住宅の壁を破壊することなく貫通してきた不可視の矢が、エリスの頭部を貫いた。
エリスが部屋に戻る数分前の事だ。ヴェロスは冒険者ギルドのオルニス支部を訪れていた。
「オルニス支部の支部長。君はあの少女…金髪に赤目の吸血鬼について認知しているのか。」
ヴェロスは支部長室に入ると、開口一番そう切り出す。彼の鋭い眼光に睨まれる支部長は、冷や汗をかきながら、その圧力に耐えかね重い口を開いてしまう。
「あ…ああ。」
「はぁ。つまり、認知した上で野放しにしているということか。」
支部長の言葉に深くため息をつくヴェロスは、オルニス支部の在り方に苦言を呈する。
「何故あれほどになるまで野放しにした。吸血鬼は吸血をすればするほど、その魔物として能力を向上させていく。恐らくあれにはまだ宝玉はない。しかし、それでもS級に匹敵し得る存在感だった。エフィはどうした。この都市にはあのレベルの怪物ですら軽々屠る彼女がいるだろう。」
彼はエリスと言う吸血鬼の在り方を知らない。その彼からすれば、都市内で悠々自適に過ごしているだろうエリスが、恐らくは相当の血液を吸血しているという事実を受け入れらないのだろう。それを冒険者ギルドが黙認している事実もだ。
支部長はヴェロスが語った言葉の意味を重々理解している。しかし、彼にはエリスを討伐する術がない。何故なら、ヴェロス本人が語った「あのレベルの怪物ですら軽々屠る彼女」こそがエリスの味方なのだから。
「その彼女…が、その吸血鬼を庇護しているのだ。」
その事実を告げる支部長は青ざめている。
「なんだと。」
場の空気は張り詰め、ヴェロスはその事実に怒りを隠せないといった様子だ。
「彼女だけはまともだと思っていたが、どうやら違ったようだ。私があの吸血鬼を殺す。後の処理はそちらに任せる。」
「大丈夫なのか。あのエフィが敵になるのだぞ。」
退出しようとするヴェロスに支部長はそう言葉をかける。その言葉の意味を彼以上に理解しているヴェロスは、至って当然の様に「問題ない。」と答える。
「S級冒険者を全員招集すれば、流石の彼女でも抑えることができるはずだ。」
それは裏を返せば、S級冒険者を全員招集しなければたった1人の冒険者すらも止めることができないと言っているようなものだ。
ヴェロスが退出した後、支部長は机に頭を押し付けて深く深呼吸をする。
「本当に大丈夫なのか。」
この衝突で世界が滅びないことを祈って、彼は王都に出掛けているエフィに連絡を取るのであった。
「ふぅ。」
オルニス支部の屋根の上から放った矢がエリスを正確に貫いたことを確認し、ヴェロスは小さく呼吸する。
――反応速度は人並みだな。
矢が纏った魔力を感じ取ってか、矢に頭部を貫かれる直前に回避行動を取ろうとしたエリスをヴェロスはそう評価する。
――しかし、あの回復速度は通常の吸血鬼のそれとは一線を画している。いや、もはや異常と言うべきか。
また、貫かれると同時にその頭部を修復させたエリスの回復速度に対しては驚嘆し、一種の畏怖の念を覚える。
――聖魔法を乗せた矢だったのだが効果なしか。
一撃で仕留めるつもりだったヴェロスは、もはやその位置から放つ矢が警戒するエリスには当たらないと考え、素早く屋根を伝い移動する。
その途中だった。
「ヴェロス。エリスちゃんを攻撃するとは、いい度胸だね。」
「チッ。」
〈空間魔法〉で移動してきたエフィに行く手を阻まれる。
「エフィ。何故魔物の肩を持つ。お前は何を企んでいる。」
「何も企んでないよ。ただ、あの日のようなことがまた起こった時、私に心強い味方がいてくれたら良いなと思っただけだ。」
ヴェロスは息を呑む。エフィの真っ直ぐな瞳にだけでなく、彼女が語った「あの日」という言葉に。
「あの日…か。」
ヴェロスだけでなく、S級冒険者として活動するならば、誰もが忘れてはならないあの事件。〈偽装〉され、全世界に秘匿された、アナトレー国際学園で起こったその事件では、当時教職を取っていたヴィーブが死にかけ、数名の貴族令息・令嬢が負傷し、そして、エフィの最愛の恋人が死亡した。
ヴェロスは当時の事を鮮明に覚えている。
彼がS級冒険者になった年の事だ。冒険者ギルドから速達で、ヴィーブ=マギアスが未知の魔物に敗したと伝えられた。
彼は驚愕した。それもそのはず、彼の知る限り最高の魔法士たるあのヴィーブが敗れたのだ。魔法士として、否、冒険者としても最高の存在である彼女が敗れたとなれば、それはこの世界が滅びる危機にあると言っても過言ではない。
エルフの国で休暇を過ごしていた彼は、急ぎデンドロン王国の彼女が休息をとっている屋敷に向かった。
魔力を消費しすぎたせいで、ベッドに横になっているしかない彼女の傍には、鮮やかな緑色の髪を後ろで束ねた少女が座っていた。
その少女を彼は知っていた。そう、その少女は、彼と同じS級冒険者であるアデルの妹だった。しかし、その時彼は、その少女がアデルの妹であると気づく前に頭に浮かんだ、彼女を端的に表現する言葉があった。
緑の勇者
そう、その少女は歴史上で最も優れているとされる勇者だ。
「何故緑の勇者が?」と言う疑問は出てこなかった。彼は彼女が今回の事件に最も深く関わっていたことを既に知っていた上に、そもそも彼女がアナトレー国際学園の生徒であることも知っていたから。
「よく来たのう。ヴェロス。」
「あ…ああ。」
少女に気を取られつつも、ヴィーブから掛けられた言葉には辛うじて返答する。
「エフィ。少し席を外してもらえるか。」
「…わかった。」
彼の目に映った少女の瞳には光は無く、暗く淀んでいて、その表情は張り付いたような無表情だった。
その歳の少女がするにはあまりにも悲痛な表情に、彼は息を呑んだ。
彼女が部屋を去ると、先程まで彼女が座っていた椅子に座るヴェロスに、ヴィーブは静かに語り始める。
「あの子はな…この事件の唯一の死者、ギルバート=リーフォスの婚約者じゃ。」
「ッ!」
彼は再び息を呑む。知らなかった。そう彼は知らなかったのだ。あの少女にも年頃の感情があったことを。彼の知るエフィと言う少女は、表情を変えずにあらゆる魔物を狩る絶対的強者の姿。詰まるところ、勇者としての姿だけだった。
「最近の貴族には珍しい、恋愛をしてから婚約した2人じゃった。あのエフィに恋心というものがあったのかと最初は驚いたものじゃったが、孫の様に可愛がっていたあの子が恋愛する姿は微笑ましかった。」
誰かに語りたかったのだろう話をヴェロスは静かに聞いていた。一言も発さずにただただ静かに。
「あの子の幸せを守るためなら、儂はなんだってするつもりじゃった。しかし…しかしッ。」
珍しく涙を流すヴィーブからはその無念さがひしひしと伝わってきた。もう、ヴェロスは驚かなかった。彼女の無念さが、今の彼にも理解できるのだから。
「儂は守れなかった。あの子のッ…ギルバートの最も傍にいたのは儂じゃったのに。」
何があったのか。とは、流石の彼も聞けなかった。恐らく、彼女が敗れたとされる未知の魔物によって、そのギルバートと言う少年は殺されたのだろうと容易に想像がつくから。
「ヴィーブ。あまり自分を責めるな。お前が貴族の子供達を守ってた時、私は…」
悔しかった。エフィのあの表情が頭から離れなかった。
彼は人々を助けるために冒険者になった。彼が弓使いになったのも、より多く遠くの魔物を討伐し、より広い範囲を守れるようにする為だ。しかし、結果はこのザマだ。
彼が休暇を取っている時、別の場所では人が死んでいるという事実を明確に理解してしまった。
あの表情。エフィと言う少女知っているからか、より深く、あの表情が胸に刺さった。
「お前こそ自分を責めるでない。S級冒険者とて全ての人を救うことはできぬ。所詮はただの人なんじゃ。救える命だけを救うことしか出来ぬ。」
長い年月を生きる彼女はその事実を痛いほど理解している。
「…そうか。そうだな。もう帰ることにする。」
彼は椅子から立ち上がり「体に気を付けろ。」そう言い残してそのまま部屋を去った。
あの日、私は理解した。救える命をだけを救うことしか出来ないと。そしてこう思った、救える命だけを救うことしか出来ないのなら、救える命を増やせば良いと。
「あの少女は戦力になるのだな。」
「ああ。私が保証しよう。」
その真っ直ぐな瞳にはあの日の様な淀みは無い。彼女は確実な足取りで前に進んでいるのだろう。
彼に彼女の在り方を否定することはできなかった。しかし、彼にとって魔物と慣れ合うことが受けれ難いことであるのも事実だ。
「あの少女に救われる命もあるのだな。」
「ああ。その通りだ。」
あの少女との出会いが彼女を変えたのか。そう思うほどに、目の前に立っている彼女は以前の彼女とは違うように映る。
いや、実際に違うのだろう。
今までの彼女は淡々と依頼を熟す模範的な冒険者だった。冗談を言うような余裕こそあったものの、今の様な清々しい程の笑顔を見せる程の余裕はなかったはずだ。
「…わかった。」
彼は彼女のその真っ直ぐな瞳に、ついぞ根負けする。
彼の信念は、救える命だけを救うことしか出来ないのなら、救える命を増やせば良い。というもの。その信念に従えば、人に害をなさず、寧ろ益となるのなら、魔物であろうと生かす方が良いだろうという考えに至ったのだ。
ただ、それは言い訳だろう。彼はどうにかしてエフィの願いを叶えようと思ったのだ。
あの日、彼の手の届かぬ場所で絶望の淵に突き落とされた彼女へのせめてもの償いとして。
その後彼はエリスと対面し、突然狙撃した事への謝罪と、彼女を冒険者ギルドに秘匿することを伝えた。正直意外であった。彼が融通の利く人間ではないことをエフィは知っているから。
エフィには知り得ないだろう。あの日の彼の悔恨の情が、彼を普段とは違う行動に移させたという事実を。しかし、彼女がそれを知る必要はない。ただ今は、彼がエリスとの共存を認めたことについて喜ぶべきだ。
S級冒険者たちがエリスを認知し始めた。エフィにとっては喜ばしい事の連続である。しかし、それと同時に、まだ誰もが気付いていない悪意…否、嫉心が、エリスに忍び寄っていた。
「エフィとパーティを組んでいる奴らがいるだと。」
「あれ?知らなかったんですか。」
深く青い瞳を見開いて驚きの表情を見せるキュアノ。その瞳には涙を流すアデルが映っている。
「うぅ。お前には言って、俺には隠してパーティを組んでいたなんて…」
不味い。失言したことを理解したキュアノは、慌てふためいてアデルに弁明する。
「いやッ。きっとエフィさんも言おうとしてたんですよ。ですが最近は忙しかったので言えなかったんだと思いますよ!」
「お前の言い分だと、あの会議の日より前からパーティを組んでいたんだろう。つまり、俺に言う機会はあったはずだよな。」
「うっ。」
図星を突かれ変な声を出すキュアノは、言い訳をしようととりあえず言葉を並べる。
「あっ。そうです。僕はエフィさんに頼まれて依頼をしていたので、それで僕には言ったんですよ。きっとそうです。」
「え。」
キュアノの言葉に驚愕したように目を見開くアデル。そこで、キュアノはまた失言をしてしまったと後悔する。
「お前。俺を差し置いてエフィちゃんと依頼をしたのか?」
「す、すみま――」
アデルの手が勢いよく伸び、キュアノは彼のアイアンクローによって持ち上げられる。
「い、痛いですアデルさん。」
「おいキュアノ。エフィちゃんの仲間はどんな奴らだ?」
――怖いなぁ。
アデルの鬼の形相に怯えつつも、キュアノはその質問には冷静に回答する。
「エフィさんのパーティメンバーは2人。エリスさんとアーネさんです。アーネさんは、正直実力は分かりませんが、エリスさんは低く見積もってもA級以上の実力者です。S級の魔物でも討伐できると思いますよ。」
「ほう。」
キュアノから語られたその事実に感心したのか、アデルの力が少し弱まりキュアノの体が床に落下する。
「エフィちゃんを除けば、フロイド以外にあの都市にそれほどの実力者がいなかったと思うが、何者だ?そのエリスと言う者は。」
「見たら早いと思いますよ。僕はエフィさんに釘を刺されているので、これ以上は何も。」
困り顔のキュアノを一瞥し、アデルはため息をつく。
「わかった。その者達の実力は、俺自身が実際に行って確かめる。エフィちゃんの仲間として不足がないかをな。」
アデルの放つ殺気に、キュアノは苦笑いする。
――本当に確かめるだけで済むかな。
そう心配しながら、キュアノはその場を後にするアデルを見送る。




