ゼラニウム
アイリスの葬儀はカロシナト伯爵領にて、身内だけで速やかに行われた。
カロシナト家の血縁者や使用人以外で参加したのは、我が国の聖女様とヴィーブ様だけだった。例え王家の人間でも、この日はカロシナト家に踏み入ることは許されなかった。
葬儀後、アイリスが亡くなった日にあの保健室にいた者達のみで、アイリスの傍に残って話し合っていた。
「イメルダ。アイリスに毒を持った人物は判明したか。」
「はい。ですが、少々相手に問題があります。それでもお聞きになりますか。」
「そんな物は問題にならない。我が愛しの娘を殺した犯人が何処にいようが、必ず抹殺する。」
エデール様の怒りの籠った声に、イメルダさんは表情も変えずに「かしこまりました。」と答え、アイリスに毒を持った人物の名前を答える。
「犯人はクリスティーナ王女殿下です。」
「何?」
「この事実は国王陛下も知っており、黙認しています。」
イメルダさんの回答を聞いたエーデル様の声が低くなる。その威圧感に空気が震えているようにすら感じる。
「信じられないです。クリスティーナ王女殿下がアイリスを殺したなんて…何の理由があって。」
「理由はわかりません。ですが、購入経路を調べた結果、我が国の王家が購入したと判明しました。」
聖女様は王女殿下の行為と知り、心底驚いている様子だ。聖女様は司祭として王国に尽くしていたのだから当然だろう。
――しかし、確かに王女殿下がアイリスを殺す理由は分からない。何故だ。
「…今から国王陛下に謁見してくる。ヴィーブ嬢。今、〈空間魔法〉は使えるかい?」
「はい。アイリスを殺した犯人を追及できるなら、喜んで協力します。」
「では行ってくる。」
ヴィーブ様が王城に向かうための、〈空間魔法〉を発動する直前に聖女様がお二方を引き留めた。
「待ってください。私も行きます。その方が、王城に入りやすいでしょう。」
「そうですね。ヴィーブ嬢は大丈夫かな。」
「問題ありません。」
お三方が〈空間魔法〉で王城に向かっている間、私達は何人たりともアイリスに触れられない様に、警備を強化していた。
アイリスが亡くなったことを知り、アイリスの遺体を盗むために何度も刺客が送られてきた。歴史上最も優れた〈聖魔法〉の使い手であった彼女を引き入れたいと考える宗教団体や貴族が大勢いた。
その為か、彼女の遺体を欲しがる人間も大勢いる。聖人が死後、神と崇められるように、アイリスを神聖視している一部の人間達は、アイリスの遺体を聖遺物にしたいと考えているようだ。
そんなこと、私達は許さない。アイリスは1人の人間であり道具などでは決してない。
そして今も1人、刺客が伯爵邸に忍び込んできた。
「愚かだな。」
カロシナト家の騎士の水準を知らないのだろうか。
王国騎士団の副団長が育て上げた、カロシナト家の騎士団は、王国騎士団と比較される程の軍事力を有し、人数では劣るものの、騎士一人一人の水準は王国騎士団より優れている。
その為、伯爵邸に侵入した刺客は本邸の外装すら見ること無く捕らえられる。
例え、隠密に優れた刺客がだとしても、伯爵邸の使用人は全員が体術を習得しており、有象無象の刺客では相手にならない。
「イメルダ様。イメルダ様がおっしゃっていた暗殺者が侵入してきたようです。」
エーデル様がいないことを見計らって侵入してきたのか、どうやら例の暗殺者が侵入したようだ。
それは、エーデル様達が王城に向かった直後の事だ。
イメルダさんが騎士団長を呼び出して、懸念事項を伝えていた。
「もしかしたら、昔の同僚が刺客として送られてくるかもしれません。現在彼女は、ンザンビ教に所属しており、あの教団の刺客が移動中も送られてきました。彼女が送られてくるのも時間の問題でしょう。」
イメルダさんは15年前まで、暗殺者ギルドで暗殺者をしていた。恐らくその時の同僚ということだろう。
「わかりました。警戒しておきます。それで、相手の特徴は分かりますか。」
「名前はカタラ。血で染めたような赤髪に同じく赤い瞳で、血の通っていない白い肌を持った、ネクロマンサーの悪魔です。」
「悪魔ですか。騎士の中でも精鋭を集めておきます。」
悪魔は下位でもA級程度の実力がある。カロシナトの家の騎士でも無傷では済まないだろう。
「いえ。その必要はありません。彼女の相手は私がします。騎士団は彼女が召喚したアンデットをお願いします。」
「わかりました、侵入が確認でき次第お伝えいたします。」
団長が去った後、イメルダさんは普段からメイド服の下に忍ばせている剣をいつでも使えるように腰に下げる。
「ゼラニウム。旦那様がいない間は、私達はカタラの様な化け物を相手にする戦力です。大量の刺客を処理するのに騎士団の戦力を削がれるのは痛手ですから。」
「わかりました。」
彼女の予想は的中した。
私は今イメルダさんと共にカタラという暗殺者の下に向かっている。
「ゼラニウムは、カタラと共にいる男の相手をお願いします。」
無表情で私に指示を出すイメルダさんは、直後、本邸の正面でアンデットを召喚するのに集中しているカタラに斬りかかる。
そんなカタラを守護する様に立っていた男は、イメルダさんが剣を振り上げる直前に放った蹴りを防御したもの、遥か右方向に吹き飛ばされる。
「なんだっ!」
しかし男は無傷なようで、すぐに体勢を立て直しイメルダさん目掛けて走り出す。
「お前の相手は私だ。」
そんな男を私は拳で地面に叩きつける。地面に、男が直撃した影響で窪みができる。
――直撃したからある程度のダメージは入ってほしいところだが。
「面白い。オーヒャごときがそれほどの実力を有しているとはな!」
男は何事もなかったかの様に起き上がり、同時に私に正面から殴りかかった。私はそれを受け流し、男の腹部に蹴りを直撃させるが、男はニヤリと気色の悪い笑みを浮かべて私の腕をつかんだ。
「お前ごときの打撃は効かねぇよ。わかったら女の遺体を持ってこい。」
「断る。」
「そうか。」
男の身体が見る見るうちに肥大化していく。私はすぐさまその場から離れようとしたが、腕を引き剥がすことができず、男の巨大な拳から放たれる打撃を受けてしまう。辛うじて防御は間に合ったが、その場にボキッ!と鈍い音が響く。
「ッ!」
――腕が折れた!まずい早く離れないと。
私は男の肘を蹴り上げる。すると男は反射的に手を離し、私は男から離れることに成功した。
「ゴーレムか。」
「正解だ。」
強靭な肉体に人知を超えた怪力を持つ魔物。オーヒャとは比べ物にならない怪物だ。
しかしそんなことは問題にはならない。私がこいつを倒さなければ、イメルダさんが不利になってしまうのだから。
私に考えている暇はなかった。男は私との距離を一瞬で詰めると、右手から左手、再び右手、次に左足、右手、左手、左手…連続して凄まじい打撃を放ってくる。私はそれを全て避けきり、右足に力を込めて男を蹴り飛ばした。
一度でも打撃が直撃すれば、私は大ダメージを受ける。絶対に全て避けきらなければ。
再び、男の猛攻が始まる。私の集中力はいつも以上に研ぎ澄まされていた。
しかし、その集中は長くは続かなかった。猛攻から1分も経たないで、私は腹部に打撃を食らってしまった。私の身体は後方に数十メートル吹き飛ばされ、私は大量の血を吐き出す。地面に直撃した拍子に、背骨にヒビが入ったようだ。
「なぁオーヒャ。お前は将来有望だ。こんな所で死ぬなんてあんまりだろう。あの女の死体を差し出すだけでお前は助かるんだ?こんな無駄なことしてないで、俺の言う通りにしろ。」
私は既に満身創痍であったが、声を振り絞って男に問いただした。
「お前達は、アイリスの遺体をどうするつもりだ。」
その問いに返ってきた男の答えに、私は言葉を失った。
「多分ミイラにして聖遺物にするんだろう。その前に俺が何回か犯すがな。あんな上玉そうそうお目にかかれないからな。死体っていうのは目を瞑るさ。教団の連中も俺やカタラさんには口出しできないし問題ないだろ。」
「下種が。」
私の怒りが胸の奥底から湧き上がってきた。アイリスを人間だと思っていないこんな連中には、アイリスを一目見ることすら許さない。
こいつはここで確実に、
殺す。
ドクンッ!私の心臓の音が鳴り響く。私は心臓の辺りから力が漲ってくるような感覚に陥った。
――なんだ?
私の手から何かの液体が溢れていることに気付く。
男が距離を詰め、私に打撃を放ってきたので咄嗟に右手で男の手を受ける。直後、男の腕が一瞬にして溶解した。
「ぐわぁぁ。」
男が叫び声をあげる。私はそれが何かをなぜか理解できた。
ニーズヘッグの毒だ。
私は地面に倒れ込んだ男の頭を溶解させ、それがニーズヘッグの毒である確信を得た。
ニーズヘッグの毒は本来、物質を溶解させるほど強力な毒で、アイリスが特別だった為あの程度で済んだだけで、本来ならこれ程の威力を発揮する。
――なんで…私に?
私は動揺しつつも、毒が溢れない様に制御して平静を取り戻す。
――落ち着け。今はこの力は隠さなければ。せめて、決着がつくまで。
私は男の死体を放置したまま、イメルダさんの元まで戻った。
「イメルダァ!暗殺者を止めて何になったのかと思ったけどメイドなんてやってたの?アンタほどの暗殺者がメイドなんて、宝の持ち腐れじゃない?」
「貴方こそ。暗殺者ギルド以外の所に属するとは意外ですね。何の心変わりですか?」
イメルダさんとカタラでは、イメルダさんの方が一枚上手のようで、イメルダさんが一方的にカタラを追い詰めていた。
「そんなことはどうでもいいでしょう?それより何なのあのオーヒャは!私の部下は元A級暗殺者だよ。あいつを倒すなんて、どうやって育てたらあんな怪物が生まれるのよ。」
「ゼラニウムに戦闘を教えたのは旦那様です。当然の結果でしょう。さて、そろそろ終わりにしましょう。」
直後、イメルダさんの剣が煌めき、カタラの左腕を斬り飛ばす。
「まさか、その剣は聖剣?なんで貴女みたいな暗殺者がそんなものを。」
「〈聖剣〉エッケザックス。絶対に刃こぼれしない剣です。だから、」
イメルダさんの剣は、その煌めきを更に強くし、次はカタラの右足を斬り飛ばす。
「私の様な怪力が使えば、その真価を発揮するんです。」
騎士団長に度々聞かされた、イメルダさんの伝説。私がまだただのオーヒャだった頃、アイリスがある宗教団体に攫われたことがあったそうだ。その時、怒ったイメルダさんが単身で教団の本拠地に乗り込み、その本拠地を素手で更地にしたそうだ。
それからは、使用人のほとんどが彼女に敬語を使うようになったそうだ。
そんな彼女の力は計り知れないだろうし、その力で振られる剣を防げる者も限られるだろう。
「貴女は昔から化け物だったけど、ここまでになってるとはね。これ以上貴女と戦ってたら命が何個あっても足りないわ。」
「そうですか。逃げるなら追いませんよ。」
「ならお言葉に甘えるわ。」
逃げ出したカタラをイメルダさんは本当に追わないようだ。剣を鞘に納めて本邸に戻ろうとするイメルダさんに私は何故追わないのか聞いた。
「カタラは人の身体を乗っ取る力を持っているんです。ここで殺せば使用人の誰かが乗っ取られる可能性があるので、正直殺したくはありませんでした。」
「なるほど。」
カタラを退けた後、私達はアイリスの下に向かった。その後はエーデル様が帰還するまで本邸に脅威が及ぶことは無かった。
「イメルダ。使用人を全員集めなさい。伝えることがある。」
「かしこまりました。」
エーデル様は警備は気にしなくていいと付け加え、イメルダさんに指示する。程なくして使用人全員が集められ、エーデル様から国王との謁見の内容が明かされた。
「国王は私に金を渡してきた。これで黙認しろと言って。」
エーデル様の言葉に、使用人全員が殺気立ち自分の武器を握りしめる。
「私はその金を国王に付き返し、王家に宣戦布告をしてきた。これは皆に謝らなければならないな。怒りに任せすぎてしまった。」
エーデル様が使用人にそう頭を下げるが、その行為を最初に否定したのは騎士団長だった。
「いえ。旦那様が謝る必要はありません。我々騎士団。旦那様と同じ気持ちです。」
「はい。執事一同も同じでございます。」
「侍女一同も同じでございます。」
執事長と侍女長も騎士団長に同意し、3人はその場で跪いた。それを見た使用人全員も続いて跪く。
「皆、感謝する。私と共についてきてくれ。これから王都に出征する。」
――これから王国と戦うことになるのに、誰一人臆していない。皆、私と同じ気持ちなのか。
数時間後、最低限の使用人を残して、ほとんどの使用人が出征することになった。
「ゼラニウム。君はアイリスを守っていてくれ。君がいれば、皆安心できるだろう。」
「わかりました。アイリスに何人たりとも触れることすら許しません。」
「よろしく頼むよ。」
カロシナト家の家紋を掲げて、進軍が始まった。私はアイリスの傍で彼らが帰還するのを待つしかない。
エーデル様は3日で終わらせると言っていたが、そんなに簡単なことなのだろうか。敵地で戦うことになるし、恐らく王家側には他の貴族も協力しているだろう。カロシナト家に親交の深い貴族は中立を保つだろうが、それでも一つの貴族家と王国の戦争だ。
それにこちらにはエーデル様やイメルダさん、騎士団長と、怪物の様な方達がいる様に、王国騎士団にも怪物はいる。あったことは無いが、エーデル様を差し置いて騎士団長の座についている人。〈英雄〉アーバン=カルミア。20年前の戦争で活躍した騎士だと聞いたことがある。エーデル様の強さを考えれば、アーバンも相当な強さなのだろう。
私は王国について知らないことが多いが、一筋縄で行けるとは思えない。
しかし、数時間後、それが杞憂であった私は知ることになる。
「エキノプス公爵家騎士団。防衛に助力させていただきます。」
「スイレン伯爵家騎士団。同じく助力させていただきます。」
「マーガレット伯爵家騎士団。同じく助力させていただきます。」
――何が起こっているんだ。
カロシナト家の血縁の貴族家の騎士団が伯爵領の防衛に助力する為に伯爵邸に訪れてきた。それからも、カロシナト家と信仰深かった貴族家の騎士団が訪れてきた。
――アイリスの存在はこれ程の影響力があったのか。
合計9個の騎士団が集い、各騎士団の副団長と私を含める数名の使用人で会議が始まった。
「皆様、助力ありがとうございます。こんなにも大勢の騎士団に集まっていただき喜ばしく思います。」
「何を言っているのですか。今日ほとんどの王国民が武器を手に取り、王城を取り囲みました。アイリス様は国民からの信頼が厚く、多くの国民がアイリス様を慕っておりました。戦争に伴い、説明を受けた国民はアイリス様の為に武器を取ることを決めたのです。伯爵領を防衛する為に集まったのは、最低限必要だと判断された本隊を除いた騎士団のみです。この場に副団長しかいないのもその為です。王都には、更に多くの騎士団が集まっていますよ。」
私の言葉を否定したエキノプス家の騎士団の副団長の説明に、私は言葉を失った。
――これは私が思っていた程小さなものではなかった。貴族家と王国の戦争ではなく、王国と王家の戦争だったのか。
結局、3日も経たずして戦争、ないしは謀反は終了した。裁判には公正さを取るために、他国の裁判官を用意し執り行われたが、満場一致で王族の追放が決まり、実行犯であるクリスティーナには斬首刑が言い渡された。
例え王族であっても、貴族を殺した罪は大きいのだろう。
しかし、クリスティーナから語られた理由は醜いものだった。
「アイリスさえいなければ、私が次期聖女だったのよ!アイリスが私の全てを奪ったんだわ。私がイアンを殺そうとしたことも事前に阻止するし邪魔だったのよ。」
何も知らなかったイアン王子殿下は、自分の姉の言葉に動揺している様子だ。正直気の毒だが、判決が覆されることは無い。
貴族殺しの罪は、実行犯は死刑、同家の者は追放と定められているから。
この日、王家の消滅と共に王国は解体された。その後、その広大な土地は連邦と名を改め、貴族がそれぞれの領を独自に統治するという体制が建てられた。旧王都にはもう人は住んでおらず、王都民は望む領に移住した。
私は、それからもカロシナト家に仕えていたが、1年が過ぎた頃には、私のニーズヘッグの力が制御できない程強くなっていた。
「エーデル様。実は――」
私はエーデル様に事情を説明した。
エーデル様は「そうか。」とだけ言って、私が誰かを傷つける前に、私が生活するための場所を用意してくれた。
私はその場所で、200年の時間を過ごした。エーデル様の後継者は私と友好関係を保つことを選んだ。しかし200年も過ぎれば、全てが変わった。連邦国は150年前に既に消滅している。魔王軍の侵攻により滅ぼされたのだ。私は魔物であったためか見逃されたが、最後までカロシナト家と共に魔王軍に抵抗した。
その魔王軍も勇者の活躍により既に存在していないが、この忌まわしいニーズヘッグの力が、魔王には全く通用しなかったのを今でも覚えている。
それからは、様々な地域を転々とした。ある程度力を制御できるようになった数年前からは、ヴィーブ様のご実家があるデンドロン王国の下水道で生活をした。ここは妙に魔物が多く食料には困らなかったが、強力な魔物が多く私の力は更に強くなってしまった。もはや私に制御できるレベルではなくなった。
魔物の本能が徐々に目覚めてきている。
頼む。誰か私を殺してくれ。私が誰かを傷つける前に。




