ニーズヘッグの毒
「新入生代表挨拶ヴィーブ=マギアス。」
「はい。」
アナトレー国際学園の魔法学部の黒い学生服に身を包み、青色の髪を靡かせる愛らしい姿の少女は、壇上に上がり新入生代表の挨拶を述べる。
「新年の訪れと共に、私達はアナトレー国際学園の1年生として入学式を迎えることが出来ました。
門に咲き誇る花々が、まるで私達を歓迎しているかのようでした。本日は、私達のために立派な入学式を行って下さりありがとうございます。」
「ありがとうございます。次は――」
――あの子が天才黒魔法士ヴィーブ=マギアス。なるほど、本物ね。今は私の方が〈鑑定〉のレベルが高いようだけれど。
アイリスはヴィーブのステータスを鑑定しながら彼女を称賛する。そんな私に、彼女は特徴的な金色の瞳を輝かせながら微笑んだ。
――私が視ているのに気づいたのかしら?流石ね。
私もそんな彼女に微笑みで返すと、彼女は〈念話〉で私に話しかけてきた。
〈もしかして、貴女がアイリス嬢かな。〉
〈入学式中に〈念話〉を使ってもよろしいのですか?ヴィーブ嬢。〉
〈構わないだろう。私と貴女はこの会場で最も優れているのだから、誰かが私達の会話を妨害する余地はない。〉
彼女の言葉に私は勝手に同情した。彼女は私とは違い、今まで孤独だったのだろうか。幼い子供には身に余る莫大な力を手にした私達が理解されることは無い。
私には友人も師匠もいたが、彼女達と私では圧倒的な実力の差があった。その為か、価値観の違いを痛感することも何度もあった。もし、あの時ゼラニウムに会わなかったら。誰かを愛するという気持ちを知らなかったら。私も彼女の様に、己以外を劣る存在と考えていたかも知れない。
〈ヴィーブ嬢。例え私達が優れているとしても、他の人を蔑ろにしてはならないのよ。〉
〈…貴女はそのように考えるのか。ならば〈念話〉は控えよう。〉
――あら。意外と潔いのね。思ったより良い子なのかも。
入学式後、私は教室に向かうとヴィーブ嬢が私の席の隣に座っていた。彼女が私が同じクラスであると知ると、嬉しそうに私に手を振ってきた。
そんな彼女と数日過ごし、彼女の事を少しずつ理解していった。
人一倍自尊心は強いが、目上の人や認めた人の言うことは受け入れ、弱きものを助ける正義感を持ち、貴族令嬢としての自覚を誰よりも理解している。
ハッキリ言えば、模範的な貴族令嬢だ。
彼女は入学前から黒魔法学の専攻を認められており、攻撃系スキルの扱いでは右に出る者はいない。
彼女は私の良きライバルであり、ゼラニウム以外では初めての親友だった。
そんなある日のことだ。いつもの様に、お互いが専攻している授業を終え、一緒に紅茶を飲んでいた時、私にある異変が起きた。
視界が歪み、思うように体が動かず、声を出すのもままならない。ただ、ヴィーブの声だけが、私の耳に届いている。
私の意識はそこで途切れた。
「マギアス侯爵令嬢がお越しになられました。」
――ヴィーブ様が?
私は耳を疑った。何故なら、今日が休日ではなく平日であり、当然彼女は学園にいるはずだからである。
「ゼラニウム殿はいるか!」
ヴィーブ様の焦った声が私の耳にも届き、本当に彼女が来ているのだと確信し、私は急いで玄関に向かった。
「どうされました。」
ヴィーブ様は青ざめ、少し取り乱した様子だった。何事かと私はその様子に驚いた。何度か、長期休暇の際にアイリスに会いにこの屋敷を訪れた彼女とは面識があった。普段は何事にも動じず落ちついた雰囲気の彼女があそこまで取り乱すとは、アイリスに何かあったに違いない。私はそう予感し、その予感は的中する。
「アイリスが毒を盛られた。もう助からないかも知れない。ゼラニウム殿。どうかあの子の傍にいてやってくれ。私はこの国の聖女に会いに行ってくる。〈空間魔法〉を使う、私に掴まれ。」
ヴィーブ様の説明に私は血の気が引いたが、急いで彼女の手を掴み、彼女の〈空間魔法〉でアイリスの下に向かった。
「アイリスはどこですか!」
私が〈空間魔法〉で転移したのは学園の保健室で、ヴィーブ様の出身国であるデンドロン王国の聖女様が項を垂れて椅子に座っていた。
「ゼラニウム…貴方は早くお嬢様の傍に。」
イメルダさんが私の到着に気付き、アイリスが眠っている部屋に案内してくれた。
「アイリス…死なないでくれ。」
アイリスのやつれた姿を見て、私はアイリスの手を握りその場で崩れ落ちる。
「イメルダさん。アイリスに盛られた毒は何の毒ですか。」
「ニーズヘッグの毒と呼ばれる毒で、その毒を治療する方法は現状では無いそうです。」
「何でですか?」
私の怒りの籠った声に、イメルダさんの声が低くなる。
「ニーズヘッグの毒を唯一治療できる〈聖魔法〉パーフェクトデトックスを発動できるのは、今のところお嬢様ただ1人だそうです。」
「…そうですか。」
その毒を治療できるのが、毒に侵されたアイリスだけだと知り私は絶望した。
「アイリス!」
その時、部屋の扉が勢いよく開き、我が国の聖女様とヴィーブ様が入室してきた。
「ゼラニウム君。私にはパーフェクトデトックスは使えないけど、この命に代えてもアイリスを助けるから。」
「…はい。お願いします。」
私は部屋の隅で、聖女様が何度も〈聖魔法〉を発動するのを眺めていた。ヴィーブ様は私とは対角の隅で何やら魔法を発動している。
しかしアイリスが回復することは無く、数十分が経った。そんな頃、突然ヴィーブ様が私に問いかけてきた。
「ゼラニウム殿。私に賭けてはくれないか。」
「何をですか。」
「成功すればアイリスを助けられるかもしれない。」
ヴィーブ様の言葉に、私は耳を疑った。
――アイリスを助けられる?
「それはどの様な方法ですか!」
私は一先ずヴィーブ様がどの様な方法でアイリスを治療するつもりなのかを質問した。
彼女はこのように語った。
〈空間魔法〉で体内に存在するニーズヘッグの毒を空気中に転移させる、と。
私は、そのようなことができるのかと彼女に問いかけた。そして彼女は可能性はあると答えた。私は、最後の希望である彼女に賭けてみることにした。
しかし、1つ問題があった。この治療を行うにはアイリスの両親の許可が必要であった。
それについて私は彼女にも言ってみたが、彼女は「それに関しては問題ない。」と一言返答してきた。
「では、治療を始める。聖女様2人には、私のサポートをして欲しい。」
聖女様2人は頷くと、床に座って両掌を合わせ祈るようにして結界を張る。この結界には空間断絶の効果があり、結界内を疑似的な異世界に変えている。
そして、ヴィーブ様は結界内の異世界に新しく座標を当てはめ、その座標を用いて〈空間魔法〉を発動させるというのだ。
今から治療が始まる。
「ふぅ。」
膨大な数の光がアイリスの周りに出現しては消え、出現しては消え。私は見ていることしかできないが、彼女達の緊張感は私にも伝わってきている。
その濃密で長く感じる時間は、時計を見ると、まだ30秒も経っていない。しかし、ヴィーブ様から流れる汗の量は、到底その数十秒で流れたとは思えない程で、既に大量に床に転がっている先程まで魔力を内包していた魔石の数からも、この数十秒間でどれ程の魔力が消費されたのかを物語っている。
1分が経過したころ、ヴィーブ様の足元に血が垂れているのに私は気づいた。私の側からはヴィーブ様の顔は見えないが恐らく、
目から血を流している。
今、この治療を可能にしているのは、ヴィーブ様の眼のおかげだ。
〈天眼通〉
それは、あらゆる事象を見通す眼だ。この眼を再現する為に編み出されたスキルは無数に存在しており、〈千里眼〉や〈鑑定〉もその1つだ。
この眼を持つ者は過去に数人存在しているが、その効果は様々だ。
ヴィーブ様の場合は、その能力の表層たる遠くを見通す眼。つまりは、〈千里眼〉をより強化した様な能力で、一般に千里の魔眼と呼ばれている物だ。
彼女はアイリスの体内に存在する毒を素粒子でレベルで把握できる。当然、人間の脳で処理できる範囲を超えているだろう。しかし、ヴィーブ様はアイリスを助けるために、その身を犠牲にして〈天眼通〉を無理に行使している。
――くそ。
見ていることしかできない自分が本当に不甲斐ない。
「コホッ!」
ヴィーブ様の血涙に気付いてから10秒が経過した頃。遂にヴィーブ様が吐血してしまう。
「ヴィーブ様っ。」
「心配するな。ゼラニウム殿。わた――ゴホッ!ゴホッ!」
ヴィーブ様の口から大量の血が吐き出される。ヴィーブ様はもう限界だ。そう悟った私の口からある言葉が零れた。
「ヴィーブ様。もう大丈夫です。」
「な…何を言っているんだ?ゼラニウム殿…君が…君が諦めちゃ駄目だろう?私は――」
「ヴィーブ様。もし、アイリスを助けられたとしても、貴女が死んでしまったらアイリスが悲しみます。もう大丈夫です。これ以上のことはアイリスは絶対に望みません。アイリスを想うなら、貴女は死んでは――」
「駄目だ!」
ヴィーブ様は大声で私の言葉を遮る。
「駄目なんだ。アイリスのいない世界は駄目なんだ。私を初めて叱ってくれた人なんだ。私の初めてのライバルなんだ。私の…私の初めての友達なんだ。彼女がいない世界で私は生きていけないんだ…だから。」
そこまで言って、ヴィーブ様は意識を失った。私は強く拳を握り、これからアイリスに訪れる確実な死の悲しみに耐え、聖女様にお願いをする。
「聖女様。ヴィーブ様をお願いします。最後は私とアイリスだけにしてくれませんか。ですが、もしアイリスの両親が来たら、ここに通してください。」
「…わかりました。」
デンドロン王国の聖女様はヴィーブ様に聖魔法を発動しヴィーブ様の内傷を治すと、ヴィーブ様を抱きかかえ部屋を後にした。
「ゼラニウム君。ごめんなさい。私が力不足なばかりに、アイリスを治すことができなくて。」
我が国の聖女様は大粒の涙を流して、私に頭を下げた。
「頭を上げてください聖女様。貴女のせいではありません。全部…全部私のせいなんです。」
「何を言ってるのですか。貴方のせいなんかじゃ――」
「私が学園に付いて行っていれば、こんなことにはならなかったんです。」
私は聖女様に自分の正体を明かす。
「私は〈オーヒャ〉なんです。だから、匂いで毒を判断することができます。もし私がいれば、アイリスが毒を口にすることは無かったんです。」
聖女様は驚いている様子だ。当然だろう。大切な弟子の執事が、魔物だったのだから。
「ゼラニウム君。貴方がオーヒャであることはずっと昔から知っていました。でも、」
聖女様の言葉に私は動揺した。教会の司祭である彼女が私を今まで見逃していた事実に。しかし、私は彼女の次の一言に、彼女が何故私を見逃してくれていたのか理解できた。
「辛かったですね。ゼラニウム君。自分の能力が本当に大事な時に使えないなんて。」
ああ。この人は本当に優しい方なんだ。そう、改めて私は思った。アイリスを通して彼女を知ったつもりでいた。彼女も人の為に泣ける人だ。私が魔物だろうと、人間だろうと、彼女には関係なかったんだろう。
私がアイリスを。アイリスが私を大切にする気持ちを尊重してくれていたんだ。
「ありがとう…ございます。」
聖女様は私の言葉を聞くと同時に去っていた。
聖女様を見送り、私は再びアイリスの冷たくなった手を握る。改めて、アイリスが死んでしまうと実感する。
私は、人前では我慢していた涙を流した。
私の涙が枯れ、アイリスを失う喪失感から意識も朦朧としてきたころ、力強く部屋の扉が開けられ青ざめたエーデル様とワイス様が入ってきた。
「ゼラニウム!アイリスは。」
エーデル様の問いかけに私は振り返り、声を出そうとする。しかし、
「いや。何も、言わなくていい。もう…アイリスは助からないんだな。」
エデール様は私の顔を見て全てを察したのだろう。ワイス様も同じく察したようで、涙を流して「アイリス」と呟いている。
いつも冷静なお2人の動揺した姿に私は妙に冷静になった。
――まだ整理はできていないけど、お2人にも整理する時間が必要だろう。
「エーデル様。ワイス様。お2人が来たので私は失礼します。」
「ゼラニウム、どこに行くんだ。」
「最後は家族だけでお過ごしください。お嬢様も…それを――」
私の言葉を遮るように、ワイス様が私を優しく抱きしめた。
「えっ。」
私はその衝撃に、普段なら彼らの前では発さないであろう驚きの声を出す。
「貴方も私達の子供でしょう?どこに行くというの。」
「ゼラニウム。私とワイスにとってお前は家族も同然だ。アイリスもそう思っているだろう。家族だけで過ごしたいというなら、お前もここに残るんだ。」
お2人の言葉に、私は感動する。
――家族…
枯れてしまった涙が、再び流れ始める。
「わ…私は、アイリスを守れなかった。エーデル様との約束も…」
「ゼラニウム。アイリスを守れなかったのはお前のせいではない。無理にでもゼラニウムを学園に送らなかった私の責任だ。」
「ですが――」
私が言葉を続けようとした瞬間、エーデル様が「それでも」と声を発する。
「それでも、自分を責めるのなら。これは私達家族の責任だ。お前1人が抱えるな。」
「…はい。」
それから私達は、いつまでも目覚めぬアイリスの傍で彼女が目覚めることを願って座っていた。しかし、そんな奇跡が起こることは無く、後日、アイリスの遺体と共に、私達は伯爵邸に戻ることなった。




