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少女

私が生まれたのは今から約300年前。当時私はニーズヘッグではなくE級の魔蛇族〈オーヒャ〉だった。


オーヒャは、駆け出しのE級冒険者に狩られる種族で、毒は持っているがそれは若干の痒みを引き起こす程度である。そんな種族であった私、魔物ではない動物を狩っては食べ、人間が現れてはそれが冒険者であれ、一般人であれ逃げ隠れ、そんな暮らしを2年ほどたった1体で過ごした。


ある日、森で散策をしていた私はある1人の少女に見つかった。その少女は日焼けを知らないであろう白い肌に、絹のように美しい白い髪、ブルートパーズの様な水色の瞳を持った、一言でいえば、花のように美しい、そんな少女だった。彼女は私を魔物だと気づかずに不用意に近づいてきた。人間を恐れていた私はそんな彼女の腕に噛みついて、彼女が痛がっているうちに逃げた。


次の日、またあの少女が現れた。手には何やら木の籠を持っている。その籠から彼女は徐に生肉を取り出すと地面に置き、すぐに去っていった。


私は罠である可能性すら考えずにそれに食いついた。直後、私は頭を掴まれ持ち上げられた。私を掴む手が誰のもなのかはすぐに分かった。あの少女だ。少女は何やら上機嫌な様子で私を籠の中に入った、透明な箱の中に入れた。


私は逃げようともがいたが、その透明な箱は頑丈だった。もはや逃げることはできないと理解した。数分後、籠から透明な箱と一緒に私は取り出された。


そこはどこかの部屋の中だ。


「――」


人間の言語は分からないが、彼女は何やら私に話しかけているようだ。彼女の笑顔から私に対する嫌悪感は感じない。どうやら彼女は私の事を普通の蛇だと勘違いしているようだと私はその時気付いた。


――なら、この人間を利用すれば、私は安全に暮らすことができる。オレの寿命なんて高が知れている。それくらいならこの馬鹿な人間も育ててくれるだろう。


それから私は彼女のペットになった。彼女が私に話しかけて来るおかげで、私はある程度人間の言葉が分かるようになった。


「ゼラニウム。はい。ご飯よ。」


彼女のペットになってから5年が経った。彼女は私に〈ゼラニウム〉という名前を付けて可愛がった、彼女からたくさんの愛を貰った。いつしか彼女を守りたいと思うようになった。だから私は、昼は彼女から餌をもらって安全に過ごし、夜はこっそり部屋を抜け出して森で狩りをした。


毎日欠かさず狩りをし、彼女から上質な餌を貰うことで、私は日に日に強くなっていき、その頃にはE級の魔物なら倒せる程度に成長していた。


「ゼラニウムは初めて会ったときに比べて、大分大きくなったわよね。」


彼女の言葉通り、私の身体は大きくなった。5年前の私は精々体長50センチメートル程だったが、今では4メートル程にもなった。オーヒャにしては巨大と言って差し支えない大きさだ。


「でも、どんなに大きくなっても貴方は私の大切な子よ。」


大きくなり過ぎたら逃がす。そんなこともせずに彼女は私を育ててくれた。抱きしめてくれた。愛してくれた。


それから更に1年が経った頃、私はあるスキルを会得した。それは〈人化〉だ。神様のプレゼントだと思った。何故なら、〈人化〉はオーヒャが会得するには高度過ぎるスキルであり、私が何年も求めていたスキルだったからだ。


「あいうえお…」


夜、彼女が眠りについた後、私は〈人化〉を維持する練習を始める。ついでに人語の発音の練習も。


そんな夜を過ごして1週間が過ぎた頃、私が〈人化〉を発動している時に、あろうことか彼女が目覚めてしまった。


「トイレ…」


目をこすりながら体を起こす彼女に、〈人化〉を発動しながら魔法を発動する練習に夢中になっていた私は気が付かなかった。


「あれ…そこに誰かいるの?」


暗い部屋の中に人影を見た彼女は、歩み寄ってその人影に近寄った。そこにいたのは黒髪に赤い瞳の男。そう私だ。


「キャー!」


彼女の叫び声に私はやっと彼女が起きたことに気が付いた。


「どうしたのですか。お嬢様!」


実は、彼女はある貴族の娘であった。その為、彼女の叫び声に彼女付きのメイドが駆け付け、部屋に入ってくる。それよりも早く私は蛇の姿に戻り、彼女は私がゼラニウムであることを理解した。


「ごめんなさい。ゼラニウムが寝ている時に花瓶を落としまったみたいで。その音にビックリして叫んでしまったわ。」


「そうでしたか。ご無事で安心しました。」


彼女は咄嗟に嘘をついた。割れた花瓶は彼女が驚いた拍子に落としたものだ。


「イメルダ。申し訳ないけど、この花瓶を片付けてもらえるかしら。お父様とお母様には私から話しておくわ。」


「かしこまりました。」


「それと、ゼラニウムもよろしくね。」


部屋出る直前に放った言葉に、イメルダさんは「わかっております。」と花瓶を片付けながら返答をした。


「お嬢様には困ったものですね。お嬢様は貴女をどこまで育てるつもりなのかしら。ねぇゼラニウム。」


イメルダさんの諦めたような呟きに私は同感した。魔物を匿うことの危険性を彼女は理解していない。しかし、1つイメルダさんの言葉には間違いがある。困ったものなのは貴女も同じということだ。


この屋敷で私の存在を知るのは彼女と、彼女付きのメイドであるイメルダさん、そしてこの屋敷の主である彼女のお父様とお母様だけだ。


お父様は彼女の私を飼いたいというお願いをあっさりと受け入れたが、イメルダさんは当初は反対していた。しかし、主の命令には逆らえず渋々彼女と共に私の世話をしてくれた。しかし数年が経った頃にはイメルダさんも私に愛着がわいたようで、とても私を可愛がってくれた。


貴女も彼女も彼女の両親も、私が魔物であることを忘れているのではないだろうか。まぁ、可愛がってくれるなら良いけども。


「イメルダ。ありがとう。」


「私はお嬢様付きのメイドですから。当然のことでございます。」


「ふふ。貴女はほんとにまじめね。」


イメルダさんは彼女に一礼をすると、「お休みなさいませ。」と一言挨拶した後、静かに扉を閉めて去っていった。彼女はイメルダさんの足音が遠退いたのを確認すると、小さい声で私に話かけてきた。


「さっきの男の人、ゼラニウムなのよね?」


彼女にバレてしまった。しかし、そろそろ明かそうか迷っていた所だ。むしろ今バレたのは良かったのかも知れないな。


「はい。そうです。アイリス様。」


私は初めて彼女の名前を口にした。カロシナト伯爵家長女アイリス=カロシナト。それが彼女だ。


「そう…貴方、結構ハンサムなのね。」


彼女は私の顔を覗きこんで、真面目な顔でそう呟く。そんな彼女に私は、「アイリス様…」と呆れたように呟くと、彼女は「冗談よ。」と絶対に冗談ではないと言った表情でにやける。


「それで、〈人化〉を習得した貴方だけど。これからどうするつもりなの?」


彼女の疑問に対する答えは私にとっては簡単な物だった。


「そうですね。できればアイリス様の執事になりたいと思っております。」


そう。私は彼女の執事になりたかった。しかし彼女は、私の返答に疑問を述べる。


「本当に良いの?今まで私は貴方をこの部屋に縛り付けてきたのよ?」


彼女の疑問に私は小さく声を上げる。


「そんなことありません。」


私は彼女の言葉を否定したくて思わず力が入り、彼女の肩を強く掴んで彼女の顔を真っ直ぐ見つめる。


「貴女は私に食事をくれました。住む場所をくれました。そして、生まれてからずっと1体だった私に愛をくれました。貴女が私を縛り付けたことなど、一度もありません。」


私の熱弁に彼女は呆気に取られている様子だ。そして、数秒黙り込んだ後、彼女は小さく「あ…あの。」と声を出す。


「なんですか?」


私の言葉に彼女は頬を赤くして返答する。


「とりあえず…服を着てくれるかしら。」


彼女も私に肩を掴まれてやっと気がついたのだろう。魔物である私には気づけない事実。


私は今、全裸だ。


「はっ!」


気が付かなかった。そうか。人間は服を着るのだった。


「申し訳ございません。ですが私の服など――」


「ないわよね。だから今はこれを。」


そういって彼女が差し出したのは、彼女のベッドの毛布だ。


「私が服を用意するわ。それまで大人しく待っていなさい。」


「わかりました。」


私は彼女から毛布を受け取り羽織った。私が毛布を羽織っている間、反対方向に振り返っていた彼女は、私の姿を確認する様に一目見ると、頬を赤くして逃げるように部屋から去っていった。


なんだろう?今の顔。


私にはその顔を理解できなかったが、そんなことを考える暇もなく、彼女は急いで一着の執事服を持ってきた。


「私は後ろを向いているから。早く着替えなさい。」


「はい。」


私は苦戦しながらも何とか服を着る。サイズは驚くほどに完璧だった。


「アイリス様。」


私が彼女にかけると、彼女は振り返り私に笑いかける。


「似合ってるわよ。ゼラニウム。」


「ありがとうございます。アイリス様。」


「それ。」


彼女は唐突に不機嫌そうに頬を膨らませて、私の顔を指でさした。私は彼女のその行動に「なんでしょうか?」と首を傾げる。


「私に敬称を付けないで。貴方は私の親友なのよ。」


親友。その言葉がとても嬉しかった。だから私は、その言葉に素直に従った。


「…わかりました。アイリスさ…アイリス。」


「敬語も無し。」


「わかった。アイリス。」


私がアイリスに笑って見せると、アイリスは私に同じく笑顔で返してくれた。


「今日は寝ましょう。明日、お父様に貴方の事を相談するわ。」


「わかった。お休み。アイリス。」


アイリスが眠りについたことを確認すると、私も〈人化〉を解いて横になった。初めて大好きな人の名前を呼べたことの喜びを胸に、私は深い深い眠りについた。


翌朝、アイリスの心地よい声で私は起床した。


「お父様を呼んでくるわ。〈人化〉を発動なさい。」


「わかった。」


「それと、お父様の前では私のことはお嬢様と呼ぶのよ。敬語も忘れないこと。」


数分後、アイリスの部屋に彼女のお父様が来た。


「お父様。彼がゼラニウムです。」


「そうか。遂に〈人化〉を手に入れたのだな。」


「はい。」


遂に。という言葉に少し引っかかったものの、私は2つ返事でアイリスのお父様の言葉を肯定する。


「ゼラニウム。改めて歓迎しよう。知っていると思うが、私はエーデル=カロシナト。この家に主だ。これからよろしく頼む。アイリス付きの執事ゼラニウム。」


アイリスのお父様は、アイリスと同じ白い髪を持つが瞳は青色ではなく黒色だ。信頼に満ちたその黒い瞳が私に向けられている。


「はい。これから誠心誠意、お嬢様に仕えさせていただきます。」


私はその信頼に応えたい。



ゼラニウムの就任を終え、私はお父様の隣で廊下を歩いている。


「お父様。」


「なんだい、アイリス。」


「イメルダを選んだときはあんなにも時間をかけたのに、何故あんなにも簡単にゼラニウムを私付きの執事にしたのですか?」


私の言葉にお父様は珍しく声を出して笑った。


「アイリス。」


「なんですか?」


「私がアイリス付きの従者を選ぶ基準はただ1つだ。その命を己でも私でもなく、アイリスの為に捨てられることだ。その点、ゼラニウムはイメルダよりも適任と言えるだろう。良かったな。あの子は私と同じくらいお前を愛しているよ。」


お父様は私の頭を優しく撫でると、それ以上は何も言わずに自分の書斎に入っていった。


――ゼラニウムが私を愛している…か。


アイリスは一瞬笑みを浮かべるが、程なくして不機嫌そうに頬を膨らませる。


――ふん。私の方がゼラニウムの事を愛してるもん。


私は部屋の扉に手をかける直前に、自分の頬に手を当てて変な顔になっていないか確認する。


「よし。」


アイリスは扉を開き、自分の部屋に入室する。そこには、自分付きの執事とメイドがいる。彼女はこれからの新しい生活に胸を高鳴らせて2人に声をかける。


「2人とも。これからもよろしくね。」


アイリスの言葉に、ゼラニウムとイメルドは同時に答える。


「はい。」


その返事にアイリスは大きく頷き、2人との明るい未来を確信する。

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