下水道
エフィの眼前に広がるのは数年前の悲劇。
――これは夢だろうか。
彼女は直感的にそれが夢であると理解した。
俯瞰して見えるのは、緑色の髪を靡かせる少女が怒りに身を任せて、何十体もいる巨大な一つ目の黒い怪物を殲滅する姿。
――あれは私だ。
拳に魔力を纏い、禍禍しい怪物を一瞬で殲滅する。
怪物たちの親玉である、女性の人型の魔物は不敵な笑みを浮かべて、無尽蔵に怪物を召喚する。
緑髪の少女、エフィは召喚され続ける怪物を一掃し続ける。しかし、怪物の数は一向に減らない。そして、遂にエフィは親玉の元に辿り着けず、親玉を逃がしてしまう。それと同時に、何か叫んだエフィは、残る怪物を一瞬にして消滅させると、足早と後方に横たわる意識のない黒髪の少年に歩み寄る。
その少年の傍に座っていた金髪の少女は、エフィに向かって泣きながら何かを叫ぶ。エフィはその言葉に無表情で何かを呟き、黒髪の少年を抱き上げる。そんな彼女に金髪の少女は顔を歪ませるほどに、必死に何かを語っている。
エフィはそれでも無表情で、金髪の少女に何かを呟くだけで、彼女の言葉に耳を貸そうとしない。そんなエフィに、彼女は悔しそうに拳を固めて、ただエフィの行動を黙って眺めるしかなかった。
エフィは〈魔法倉庫〉から白いシーツを取り出す。塵一つない純白のそのシーツの上に黒髪の少年を寝かせる。
そしてエフィは、少年の手を強く握りしめると、その膨大な魔力によって何らかの魔法が発動する。その魔法によってか。少年の身体は光り輝き…しかし、何も起こることなくその輝きは消滅する。その様子にエフィの身体が徐々に震えだす。それでも彼女は必死に。何度も何度もその魔法を繰り返し発動する。
しかし、その魔法は一度も効果を発動することは無く、エフィは遂に魔力切れを起こしてしまう。涙を流して、意識を失いかけているエフィの身体を優しく支え、金髪の少女は耳元で囁く。
その言葉をエフィは今もはっきり覚えている。
「ありがとう。」
そこでエフィは覚醒する。
――何か…夢を見ていたような?
エフィは夢の内容の一切を忘れてしまっている。しかし、瞳からは何故か、涙が零れ落ちる。
「大丈夫か。」
既に起床していたヴィーブが私のベッドに座って、心配そうに私の顔を見ていた。
「いや。何でもない。」
忘れてしまったのだから、何でもない事だったのだろう。それよりも、今は彼女に聞かなければならないことがある。
「それより、体は大丈夫か。」
昨日彼女は、魔力切れを起こし気絶していた。忘れてしまった夢よりも、気にするべきは彼女の体調だ。
「まだ万全ではないが、まぁ、大魔法さえ使わなければ大丈夫じゃろう。」
そう答える彼女は随分と元気そうだ。だからは私は「そうか。」と、そう一言だけ返す。それ以上、彼女を心配する必要はないと、そう理解したから。
「朝食にしよう。」
私は起き上がり、服を着替える。そしてそのままキッチンに向かうと、簡単に朝食を作り上げる。
「ありがとう。」
ヴィーブの前に朝食を置き、私も椅子に座る。
「当分は休養するんだろ?」
私は食事をしながら、彼女に今後の方針を問いかける。
「そうじゃな。」
そう頷く彼女に、私は「なら、」と提案をする
「この家で当分は過ごせばよいだろう。ここは私の結界で守らているから、例え竜族であっても傷1つつけることすらできない。」
大層な自信をもった提案に「そうさせて貰おう。」とヴィーブは快く承諾する。
「部屋は、以前貸したことのある部屋を使用してくれ。ギャラルホルンに給仕をさせるから何かあれば彼女に言え。私は今日も依頼をやらなければいけないからそろそろ家を出る。」
「ギャラルホルン。」そう彼女を呼び出し用件を伝える。彼女は一瞬嫌そうな顔をしたが、主人の命令に逆らうことはできない為、渋々承諾する。
「お久しぶりですヴィーブさん。当分、よろしくお願いします。」
不愉快そうにお辞儀をするギャラルホルンに睨まれ、ヴィーブは愉快そうに笑う。
「よろしく頼むぞ。天使様。」
天使族は人間族を嫌っている。数千年前の話だが、人間族が天使族を裏切ったのだ。特に、最古の天使の1体であるギャラルホルンは特に人間族を嫌っている。ヴィーブも例外ではない。
「それでは行ってくる。ギャラルホルン。くれぐれもヴィーブと喧嘩しない様に。」
エフィは2人に手を振って、部屋から退室する。そんな彼女にヴィーブは微笑み、ギャラルホルンはため息をついた。
「おはようございます。エフィさん。」
「おはよう。2人とも。」
エフィが家を出ると、既にエリスとアーネが家の前で待っていた。
「早速行こうか。今日の依頼は少々時間がかかるものだからね。」
依頼制限:指名
依頼者:ステラ=エピオテス
依頼内容:王都の下水道の調査
依頼報酬:金貨5枚
依頼期間:エピオテス家到着後3日
依頼失敗時:銀貨50枚
「エピオテス…」
エリスですらその貴族の名前を知っている。この国に3つある公爵家の1つであり、マギアス家が魔法士の名門と呼ばれるのに対して、エピオテス家は剣士の名門と呼ばれている。
代々騎士団長を輩出してきた一族であり、デンドロン王国の剣だ。
「ステラ様は女性だが、次期当主候補筆頭と名高い、この国最高峰の剣士の1人だ。」
一昨日は馬車で向かった王都までエフィの〈空間魔法〉で一瞬で移動する。
エフィの名前で検査なしに王都に入ると、エフィは慣れた足取りで2人を連れて、エピオテス家の屋敷まで歩いて向かう。本来なら王都の門から徒歩で30分以上の所にあるのだが、10分程度で屋敷の裏門に着く。
「お待ちしておりました。」
裏門の前には、執事とメイドが1人ずつ立っていた。
「裏門からということですが、本日は何方かいらっしゃっているのですか?」
「はい。本日はステラお嬢様のご婚約者様がお越しになっております。」
「そうですか。侯爵家のご令息が。大事な日に来てしまいましたね。」
エフィは執事の言葉に申し訳なさそうに答えると、執事が軽く頭を下げる。
「いえ。こちらこそお伝えが遅れてしまい申し訳ございません。」
執事はエフィ達に謝罪を述べると「どうぞ。」と屋敷の中に案内する。
「ステラお嬢様がお越しになるまでこちらでお待ちください。」
「わかりました。」
応接室の椅子に腰を掛け、3人はステラが来るのを待つ。その間に、何度かメイドが紅茶とお茶菓子を持ってきて、そうして10分程度が経った頃、廊下から3つの足音が聞こえてくる。
その足音は応接室の扉の前で止まると、ゆっくりと扉が開かれる。扉を開けたメイドの後ろから、ドレスを着た女性とメイドが入室する。エフィが扉が開くと同時に立ち上がった。エリスとアーネもそれに合わせて立ち上がる。
肩に掛かる程に伸びた、黄金のように輝く絹の様な髪に、サファイアのような透き通った青い瞳を持つ女性。
「お待たせいたしました。」
3人に優しく微笑むこの女性こそ、今回の依頼者であるステラ=エピオテスだ。
「いえ。大事な日に依頼を受けてしまい申し訳ございません。」
「どうか謝らないでください。エフィさんを待たせてしまったのは私の責任ですから。」
「わかりました。」
ステラはエフィが頭を上げたことを確認し、「どうぞお掛けください。」と3人に声をかける。「失礼します。」そう返して、3人は椅子に座る。
その後にステラも、3人からテーブルを挟んだ対面の椅子に座る。
「本日は依頼を受けてくださりありがとうございます。依頼内容は執事から聞いているでしょうが、詳しく私からもお伝えします。」
ステラが背後に控えているメイドに合図を出すと、メイドが手に持ったトレーをエフィに差し出す。エフィはそのトレーの上に乗せられた紙を手に取り、
「そちらをご覧ください。」
ステラの言葉にエフィは紙に目を落とす。
「王都の下水道にバジリスクの死体が…」
「はい。本来は騎士団か魔法士団が対処すべきことなのですが、今は2つの組織同士で軋轢が生じておりまして、お恥ずかしいことに調査ができる状態ではありません。」
「軋轢…何かあったのですか?」
エフィの問いかけに、ステラは暗い顔をして数分押し黙った後に重い口を開く。
「マギアス家が不審な動きをしているのです。」
「不審な動き?」
エフィは真実を知っていながらも、無知を装って首を傾げる。
「…A級冒険者2名、B級冒険者19名、C級冒険者33名、D級冒険者38名、E級冒険者51名。王都内で失踪した冒険者の数です。彼らの全員がマギアス家関連の依頼を受けた直後に失踪しています。」
ステラの言葉にエフィは驚愕する。
――それは…知らなかった。
A級冒険者、ひいては特別S級冒険者である彼女ですら、その情報を知らなかった。その意味を最も理解しているのは他でもないエフィだ。
「驚くのも無理はありません。この失踪事件には情報統制がかけられています。この情報はS級冒険者にも知らせていません。」
それはつまり、国家機密であるということだ。
「何故、私達にその情報を?」
平然と情報漏洩をする彼女に、エフィは困惑しつつも質問をする。
「貴女と。貴女が認めた方々を信頼しているからです。」
エフィの質問にステラは微笑んでそう答える。その笑顔を見て、ガタッ!と音を立てて、エリスが勢いよく立ち上がった。
「どうかなさいました?」
純粋な笑みを浮かべて彼女は、彼女は私を
「いえ。何でもありません。」
――鑑定した。
キュアノさんですらレベル9だったのに、この人はレベル10の〈鑑定〉を持っているのか。
そして、鑑定してなお、吸血鬼である私に、私を連れているエフィさんに疑念を持たないのか。
「それで、今の話を聞いても、依頼を受けてくださりますか?」
ステラの笑みを自然で、そこに悪意はない。
「もちろんです。」
その悪意のなさが、寧ろ怖い。
「それでは調査に行ってきます。」
彼女達は早速調査に向かう。応接室を退室する直前、ステラがエフィを引き留める。
「あっ。エフィさんに私の婚約者から伝言があります。」
エフィは一瞬動揺したように顔を硬直させてから、「…なんですか?」と動揺を隠すように笑みを浮かべてステラに振り返る。
「無理するなよ。だ、そうです。」
「…わかりました。ありがとうございます。」
ステラの言葉にエフィは少し驚いたように目を見開いて、その後ステラに心の底からの笑顔を見せる。
エリスとアーネからはその表情は見えなかったが、彼女達から見えているステラの顔は、妹を想う姉のような。そんな表情だった。
――ステラ様の婚約者とは誰なのだろうか。
エリスは王都の下水道でエフィの後ろを歩きながら、答えを見いだせるはずのない疑問に思考を巡らせていた。
――エフィさんと面識があるようだけど…
アーネの表情を見ると、私と同じように考えているのか難しい顔をしている。
「アーネ。」
私の呼びかけにアーネは我に返ったように私の顔を見る。
「大丈夫です。」
私達は今依頼を受けている。他の事に気を取られている問題ではない。アーネもそれを理解しているから、今の返答をしたんだろう。
直後、私達が歩く下水道の奥から、とてつもない悪臭が漂ってくる。エフィさんと私は大丈夫だが、鼻が良いアーネは辛そうだ。
「アーネちゃん。ちょっとこっちに来て。」
エフィの呼びかけにアーネは不思議そうな顔をして歩み寄る。アーネが至近距離まで近づいたところでエフィはアーネの頭に触れ、アーネの身体を守るように結界を張る。
「これで悪臭はしないだろう?シデロ鉱山のときはアーネちゃんに見せたくない物があったけど、今回は違うからね。」
「ありがとうございます。」
エフィは前に振り返り、歩を進める。悪臭がどんどん酷くなる。その悪臭にエリスは首を傾げる。
――何の臭いだ?
人間や魔獣の死体の臭いでもない。そうだ。この臭いは…
毒だ。
「2人とも気を引き締めてね。この先にいるのは、魔蛇の頂点、竜族に最も近い種族。ニーズヘッグだ。」
――ニーズヘッグ…北欧神話の怪物と同じ名前か。アーネと一緒だな。
エリスは〈千里眼〉で下水道の奥に存在する、不自然に広い空間を視認する。
無数の蛇が、粘度の高い赤い水の中を蠢いている。その数は到底数えられるレベルではない。一見不規則に蠢いているように見えるが、その無数の蛇は何かを守っているようにも見える。
直後、赤い水の中から翼を持つ巨大な蛇が出現する。その巨体が暴れだしたことにより、赤い水が下水道を流れ出す。遂には、エリス達の下までその赤い水が流れて来た。
エフィの強力な結界によって赤い水はその場で塞き止められ、それ以上流れ出ることは無い。そして、エフィが結界を徐々に押していくことで、不自然に広い空間まで赤い水は戻されていく。それと同時に、エリス達もその不自然に広い空間に辿り着く。
エリス達の姿を視認し、ニーズヘッグが咆哮する。ニーズヘッグの咆哮が下水道に響き渡り、エリス達の鼓膜を震わせる。
その咆哮に呆気に取られていた私は、「まずい。」というエフィさんの声で我に帰り、嫌な予感がした私は、急いで横に立っているアーネに顔を向けた。
そこには、耳から血を流して立ち尽くしているアーネがいる。
「アーネ…?」
私の顔から一瞬で血の気が引いた。上手く思考ができない。エフィさんがすぐに回復させたから大丈夫と分かっていても、今はニーズヘッグに対しての怒りしか無い。
「エリスちゃん。」
「…大丈夫です。」
私は自分に言い聞かせる様に呟く。
――そうだ。大丈夫だ。さっき〈鑑定〉で確認したニーズヘッグのステータスは、私が到底敵うようにレベルじゃなかった
落ち着け。吸血鬼は魔法に弱い。毒魔法を食らえば、私でも死ぬかもしれない。
怒りに任せて動くな。それこそ、アーネを危険に晒すかもしれない。
「エリスちゃん。ニーズヘッグと戦うの君だよ。」
「はい?」
エフィさんの言葉を私は理解できなかった。
「エリスちゃんにニーズヘッグの魔法はほとんど効かない。毒魔法さえ食らわなければ大丈夫だよ。私がアーネちゃんを守ってあげるし、ここら辺一帯には認識阻害の結界を張ってあげる。だから、存分に戦ってニーズヘッグを討伐するんだ。わかったね。」
エフィさんは私が勝てると信じている。なら、その期待に堪えなければ。
「はい。」
初めて、私は自分より強大な敵の前に立った。どんな時も、私は同格か格下の相手しかしてこなかった。ニーズヘッグはスキルを含めても、私よりも格上だ。魔法によるごり押しはできない。しかし私は物理攻撃に関してはからっきしだ。
エリスは〈魔法倉庫〉から取り出した血液を吸血し、本来の姿へと変化する。〈吸血強化〉を発動する。〈全強化〉を発動する。
最初から全力で行こう。魔法の無駄打ちはできない。
「さて、何からしようか。」
エリスはニーズヘッグを見据えて、そう呟いた。




