ヴィーブ=マギアス
ヴィーブは背後から、嬉々とした殺気を放つ気配を感じた。しかし、彼女はその〈鑑定〉の結果に意識を奪われ、一瞬の隙を彼女の背後に立つ人間に見せてしまう。
ただ、それは1秒にも満たないほんの一瞬のことだった。彼女は自分に向けられた槍の気配を察知すると、瞬時に簡易的に発動させた〈空間魔法〉で、本来貫かれるはずだった心臓から軌道をずらした。
――油断した。だが、心臓さえ止まらなければ問題はない。
致命傷を避けた彼女は、直後に発動した〈聖魔法〉ヒールで身体の負傷を修復させる。
「〈空間魔法〉で致命傷を免れたか。」
興味深そうにヴィーブを見下ろすのは、刺々しい緑色の長い髪を持つ女性だ。ヴィーブは彼女に見覚えは無かったが、本能的にその女性が誰なのかを理解した。
女性の顔をまじまじと見ながら、ヴィーブは足元に〈空間魔法〉を展開する。直後、彼女の体を女性の背後に転移し、それと同時に女性に向けて無数の火の槍が放たれる。
高速で室内を飛翔する火の槍が、女性の背中に直撃する。その衝撃で、女性の身体は前方の壁まで吹き飛ぶ。
「当然の様に座標間の移動を可能にするとは、流石は史上最高の魔法士と言うべきか。」
女性の身体が激突した衝撃によって破壊された壁の砂埃が晴れると、無傷の女性が余裕のある表情でヴィーブを見つめていた。
――まずいな。
ヴィーブが危惧していた状況になってしまった。
〈茨の悪魔〉ミストルティン。その女性の名前だ。
ミストルティンは楽しそうに槍を構えると、「邪魔だ。下がっておれ。」とシンボルに命令した。すると彼は、ミストルティンに一礼すると部屋から退出した。
「これで心置きなく戦えよう。」
ミストルティンは狂気に満ちた笑顔をヴィーブに向ける。そんな彼女に、ヴィーブは一切怯む様子はなく、冷静に魔法を発動する。
直後、部屋という空間の幅、奥行き、高さが5倍に拡張され、疑似的な異空間へと変化する。
ミストルティンはヴィーブのその熟練した〈空間魔法〉に感嘆の声を上げる。
「ほう。〈空間魔法〉イクステンションか。素晴らしい。人間にもこのレベルの魔法士がいるとは。」
ヴィーブの実力を称賛するミストルティンは、直後、ひびが入るほどの尋常ではない力で床を蹴り、前進する。
「だが、其方より妾の方が強い!」
一瞬で間合いを詰めるミストルティンの俊敏性に驚きつつも、ヴィーブは振り下ろされた槍を〈聖魔法〉バリアで防ぐ。
「お見事…」
ミストルティンはそのヴィーブの反応速度に歓喜に満ちた笑みを浮かべる。
直後、ミストルティンの身体が不自然に横に吹き飛ぶ。
「なんだ?」
ミストルティンは自分の身に起きた現象が理解できていないようだ。10メートル近い距離での加速を経て、壁に打ち付けられた身体は、その衝撃で痙攣している。痙攣した手とヴィーブの顔を交互に見ている。
――お主には理解できぬじゃろうな。これは儂が開発した魔法。儂以外にはエフィしか知らぬ魔法じゃ。
その名も〈重力魔法〉ホライゾン。指定した対象にのみ作用する重力を水平方向に生成する魔法じゃ。
「知らぬ魔法だ。だがこの程度なら問題はない。」
ミストルティンの表情から余裕は無くなっていた。自分の衣服に着いた汚れを払い、無表情で槍を構える。その姿にヴィーブは魔力を強める。それに応じて重力が大きくなっていく。しかし、重力の大きさに反して、ミストルティンは余裕を取り戻し始めていた。
「どれ程の力に押さえつけられようが、妾の魔力で相殺すれば問題はない。」
対策を始めたミストルティンには〈重力魔法〉は既に意味を成していない。それを悟ってか、無駄に魔力を消費しない為にもヴィーブはその魔法を解除する。
――さて、どうしたものか。
初出の魔法も彼奴の経験と直感で封じられてしまう。魔力量は儂の方が多いが、彼奴は最低限のスキルのみで人智を超えた身体能力を発揮する。魔力量が多かろうが、儂が優位に立っているわけではない。
ミストルティンは、軽く槍を何度か振ることで身体が十分に動くことを確認すると、ヴィーブを見据えて再び槍を構える。
「今のは其方が創った魔法か?」
初めて見る魔法に興味が沸いたのか、ミストルティンはそんな質問をする。ヴィーブはその質問に答えずに、無言でミストルティンと対峙する。そんな彼女に、ミストルティンは「答えてもよいものを。」と呟き、少し不機嫌そうに顔をしかめた。
「まぁ良い。妾に効かぬ魔法だ。気にすることもない。」
ミストルティンは走り出す。床、壁、天井、それら全てを利用し、立体的な動きで空間を駆け巡る。そして十分な加速を経て、ヴィーブの丁度真上の天井まで辿り着いたミストルティンは、その速度を殺さずに天井を蹴り飛ばし、最大にその速度と体重を生かす形で、渾身の突きが放たれる。直後、ミストルティンの槍が、頭部から一直線にヴィーブを貫き――
「ほう。器用だな。」
槍が床に突き刺さり、床に大きくひびが入る。その様子からもその槍の威力が分かるだろう。しかし、その槍はヴィーブの頭上に展開された〈空間魔法〉によって、ヴィーブに突き刺さることは無かった。
「座標を利用した〈空間魔法〉か。」
ミストルティンが直前まで〈空間魔法〉の発動に気付けなかったのは、それが以前エフィが使用した座標を利用した〈空間魔法〉だったからだ。その魔法は、気配と魔力を感じさせることなく発動することが可能であり、それはミストルティンであったとしても気づくことはできない。
ヴィーブは〈空間魔法〉でその場から移動すると、同時にミストルティンに対して無数の風の刃を放つ。ミストルティンは冷静にその風の刃を槍で弾き、同時に、無数の闇の矢をヴィーブに対して放ち、その凄まじい速度の矢とほぼ同じ速度で、ヴィーブに向けて走り出す。
先にヴィーブに迫るのは闇の矢だ。その闇の矢を彼女は土の壁を生成し防ぐ。しかし、その土の壁も、直後迫ったミストルティンによって破壊され、その追撃の速度に、一瞬対応が遅れたヴィーブはミストルティンの蹴りを腹にもろに受けてしまう。
直後、身体が宙に浮き、隙が生まれたヴィーブはミストルティの槍が貫かれる。勝負がついた。そうミストルティンが確信した瞬間。彼女はやっと、罠に嵌められたことに気付いた。
ヴィーブの身体が魔力に覆われる。直後、ヴィーブを中心に魔法が発動される。
その魔法は、ヴィーブが生み出した魔法の中で最も強力な魔法。その名は〈重力魔法〉ブラックホール。
「クッ!」
直後、ミストルティンの身体がねじ曲がり、全身に激痛が走る。
――まずい!
ミストルティンは咄嗟に全身を魔力で覆う。そして、その魔法から逃れるべく槍を引き抜くと、ヴィーブの身体を蹴り飛ばしその場から離れる。
「流石じゃな。これでも倒せぬか。」
ヴィーブは、全身から血を流してその場に膝をついているミストルティンを見下ろして、興味深そうに笑みを浮かべる。
「ここは一旦退くとしよう。次は会うときは、儂より強い者も一緒じゃ。」
そう言い残し、ミストルティンの目の前からヴィーブの身体が消失する。
「移動先もわからぬ。史上最高の魔法士…か。」
――それよりも、彼奴よりも強きものか。
「面白いッ!」
ミストルティンは既に完治した身体で立ち上がると、その場で声を出し、高らかに笑った。
「エフィ…」
ヴィーブの声に私は振り返る。そこには、冷や汗を流し憔悴し切った様子のヴィーブが立っていた。
「な――」
何があった。そう問いかける間もなく、ヴィーブの身体が崩れ落ち、その身体を支えるために私は彼女の傍に移動する。
「これは、」
これは魔力切れだ。ヴィーブの魔力量を以てして魔力切れを起こすとは。何の魔法を使ったんだ。
「眠ってしまったか。」
私に体を預けるヴィーブを抱き上げ、彼女をベッドの上に寝かせる。
「…」
彼女は、数十年前から身体が幼い。今では、公的な場では以前の姿を偽装しているが、実際の戦闘ではそうは行かず、相当な苦労をして今の戦闘スタイルを完成させた。
本来の彼女は、〈不老長寿〉という発動した時の年齢で肉体の成長が停止するスキルで、彼女の肉体の全盛期である28歳を維持していた。
とある元S級冒険者に幼くなる前の彼女について聞いた。彼はこう語った。
彼女は、史上最高の魔法士であるにも関わらず、好んで〈武術系スキル〉を使用したと言う。そして、彼女の〈武術系スキル〉の腕は、一流だったという。
しかし身体が幼くなった今、〈武術系スキル〉のほとんどが以前の半分以下のレベルでしか使えない。彼女に言わせれば、使えたものではないようだ。
今の彼女は戦闘を魔法に頼っている。彼女なら少量の魔力でほとんどの魔法を行使できるが、人間を移動させるほどの〈空間魔法〉ともなれば、彼女でさえも莫大な魔力が必要だ。しかし、その〈空間魔法〉でもまだマシな方だ。彼女の魔力量を以てすれば、20分の1程度の魔力で発動できるだろう。だが、〈星魔法〉や〈重力魔法〉の様な〈空間魔法〉を凌駕する大魔法だとそうはいかない。彼女の魔力量の3分の1程度の魔力が必要だ。
更には、圧倒的な力によって空間を直接捻じ曲げるような魔法ともなれば、彼女の魔力量を以てしても、2分の1程度の魔力が必要だろう。
彼女でも魔法のみに頼る戦闘ではいつか足元を掬われかねない。今も魔力切れに苦しんでいる。やはり、彼女の身体を元に戻す方法を探った方が良いだろうか?彼女は以前その必要は無いと言っていたが、彼女が望めば、私なら彼女の身体を戻す方法がぐらい簡単に見つかる。
何故、彼女は頑なに元の姿に戻ろうとしないのだろうか?何の理由が――
「エフィ…」
ヴィーブの弱々しい声に名前を呼ばれ、私は彼女の顔を見つめた。
「なんだ?」
私は静かに彼女の言葉を待つ。
「黒幕の正体がわかったぞ。」
彼女が語った言葉は、既にわかりきっていることについてだった。
黒幕の正体。そんなもの、ヴィーブの今の姿を見れば一目瞭然だった。
「ミストルティンだろう?」
ヴィーブを追い詰めるほどの実力を持つ、ティポトスと関わりのある悪魔など、ミストルティンの他にいない。
「そうじゃ。」
ヴィーブも私の言葉を肯定し、黒幕の正体はミストルティンであると確信を得た。しかし、1つ不可解なところがあった。
「お前なら〈空間魔法〉で逃げれただろう。何故わざわざミストルティンと戦ったんだ?」
それは当然の疑問だった。ヴィーブであってもミストルティンを相手取れば無傷では済まない。それをわかっていても彼女がミストルティンと戦った理由は何だろうか。
私のその疑問への返答は彼女らしくない物だった。
「久しぶりの強敵じゃったからな。滾ってしまった。」
私は思わず笑ってしまった。珍しく感情で動いた彼女に。
「老人が調子に乗るからこうなるんだ。今度からは私を頼れ。」
私は少し強い口調で彼女を責める。以前彼女が感情で動いた時も、彼女は大怪我を負ったから。
「そうじゃな。儂に手に負えない相手はお主に任せるよ。」
「ああ。任せておけ。」
大切な人を失わない為に、はっきりと「任せておけ。」と彼女に伝える。
「魔力が回復するまではそこで寝ていろ。」
彼女が無茶しない様に、私は強い口調で釘を刺す。そんな私にヴィーブは「わかっておる。」と微笑んで見せる。
数秒後、小さく寝息を立ててヴィーブは眠りについた。
深く眠る彼女を守る結界を幾つか張り、私は部屋を後にする。大切な人の危機にトラウマを思い出しながら。




