1
再スタートです。
おかしい。
何がおかしいって、全部です。全部。
「ピョ」
目の前にいるピンク色の小鳥が首を傾げる。私も傾げる。
ピンクか……しかも蛍光色……。
「おかしい」
「ピヨヨッ」
私が呟いた声に反応したのか、小鳥が飛び立っていった。その姿を追い見上げた先にある、生い茂った緑葉の枝。
それが視界一面に広がっている。どう考えてもおかしい。
私が住んでいたのがいくら田舎とはいえ……ここまでじゃかった。樹の幹ももっと細かったし、なんというか、空気も違う気がする。
いやそれ以上におかしいこともあるんだけど。
「まず、ここがどこかって話だよねぇ」
辺りを見渡すも、先ほどの小鳥以外の生き物は見当たらない。足首までの草が生えていて、道らしきものもなさそう。というか樹しかない。
迷子……というか、遭難? 明るさからしてまだ昼を少し過ぎたあたりっぽいけど、夜になったら真っ暗闇になりそうだ。
暗闇が怖いなんてことはないけど、知らない場所での移動は危な過ぎるよなぁ。いきなり穴が開いていたり、崖になっていたなんてシャレにならない。
しかし移動するにしても、どこへ行けばいいのか検討もつかない。全方角が同じ風景だ。
「仕方ない。適当に歩いてみるか」
考えてもどうにもなりそうにないので、散策がてら歩き回ってみることに。遭難したら無闇に動いてはいけないって何かで読んだ気もするが、それは雪山とかだったかな?
地面に座っていたせいで汚れた服を軽く叩いて、適当に方角を決めて足を進めた。
それにしても、さっきも感じたけど随分と空気が澄んでいる気がする。
私の住んでいる場所も田舎で自然が多いとはいえ、人が住んでいるからには多少なりと空気は汚れるものだ。主だった原因は車の排気ガスだけど……ここの空気からは全くと言っていいほど感じない。
となると近くに人の住んでいる場所がないのか、車が全く走っていないのか。
前者だと詰み、後者ならまだ可能性はあるけど帰る手段が難しい…………まぁ、うん。
今の一番の問題は、とりあえず――。
「お腹空いた……」
クゥと小さく鳴いた私のお腹だ。今日は朝から何も食べていなかったのです。
数日食べなくても死にはしないだろうけど、動けなくなるのは困るなぁ。
周辺の樹木を見上げてみるも、特に何か実っている様子はない。ただ青々とした葉が茂っている。
季節的なものというより、何か実るような種類じゃないっぽい。
でも、あの小鳥が生息しているんだから、何かしら食べられるものがあると思うんだけど。
まぁ、さすがに虫とかなら遠慮したい。
それに生き物を獲ったとして……さすがに、生はなぁ。火は起こせないし。
なので、出来れば生でも食べられる植物系が好ましい。欲を言えば果物。
そして、何より水だ。
「確か、人間って空腹より脱水の方が危ないって、どこかで聞いたような気がする」
炎天下の中、水分を取らずに数時間いただけで、人間は脱水症状で倒れてしまう。それで病院へ担ぎ込まれたニュースは、夏にはそう珍しくもない。学校でも体育の授業で倒れるとか、年に1度くらいはあったし。
今の気温は涼しいといえるが、動き続けば少なからず汗をかくだろうし、何より喉は乾くものだ。
今日一日くらいは我慢できるとしても……数日は無理。
せめて3日以内には、水は確保したい。というか人のいる場所に出たい。
見渡す限りの樹々の光景は変わることなく、視界の端まで広がっている。
仕方ない。とりあえず行ける所まで行こう。
「おかしい」
日が落ちる頃。私はまた、目が覚めた時と同じことを思っていた。
しかし、その内容は違っていて。
「これだけ移動しているのに……全く疲れが出ない」
いくら歩きとはいえ、整備などされていない場所。
それを、おそらく数時間歩き続けているというのに、身体には全くと言って良いほど疲労感がなかった。
元々、体力には自信があるほうではあるけれども、それでも少しくらいの疲労はあって然るべきだと思う。
なのに、足が怠くなることも、息が切れることもなく、汗1つ掻きやしない。
私はいつの間に、こんなに体力がついていたのやら。
特別、何かをしたわけではないのだが。
「まぁ、困るようなことじゃないし」
むしろ現状では大いに助かる。疲れたから動けない、なんて言っている場合じゃないのだから。
周囲は相変わらず樹ばかりで、人の気配は感じられない。
とりあえず、傾斜は下るようにしている。登るよりも疲れないし、人がいるのなら山頂とかより麓の方が可能性がありそうだから。
でも、ここまで人気がないと不安になる――――ん?
「これは……」
獣道だ。それもかなり大きな。
私が進んできた方角を、横切るようにして獣道ができていた。
どうやら、何かしらの動物の生活圏内に入ったらしい。
「問題は、これが何の動物かなんだけど」
草食であればいいけど。
私には動物の専門知識なんてないが…………どうも、草食動物にしては獣道が大きい気がする。
そして何より、足跡だ。
まるで地面を抉るようにして、足跡が刻まれている。そのサイズは、なんと私が両手を広げた長さ。大体30センチ、とかだろうか?
それが、片足分。しかも随分と凶悪そうな爪を持っている。
そんな草食動物……いただろうか? まぁ、私が知らないだけでいるのかもしれない。
しかし、肉食動物の可能性の方が大きい。それも大型の。
辺りはまだ視認できるとはいえ、それなりに暗くなり始めている。相手は野生動物。こちらより夜目は利くだろう。
それに対して、私は知らない場所で丸腰。
どう考えても危険しかない。
「はぁ……少し戻るしかないか」
せっかく進んだ距離だけど、仕方ない。
そう思い、来た道を引き返そうと背を向けた。
「――――」
「ん?」
今、何か聞こえたような……。
振り返り、ジッと聞き耳を立てる。
「――――!」
「やっぱり!」
聞こえた。しかも、人の声のようだった。
視界には生き物は映らないが、目を凝らすと、暫く行った場所がかなりの傾斜になっているのが分かった。樹の根本が見えない。
もしかしたら崖のようになっているのかもしれないが、どうも人の声はそこから聞こえてくる。
一度聞こえると分かれば、それなりに耳に届く。そして、距離を考えるとかなりの大声をあげているのも分かった。
あの足跡の主が近くにいるかもしれない場所で、大声を上げるなんて、普通の事態ではないだろう。
しかし、今の私が既に普通の事態ではないのだ。
それならば、いっそのこと人が確実にいるであろう場所に向かった方が、どうにかなるかもしれない。
そうと決まれば、私は声のする方へと駆け出した。草や根に足を取られないように。
すると、それなりに距離があるように感じていた傾斜はすぐに辿り着き、その下を見ることができた。
「ガァァァアアア!!!」
まず視界に入ったのは、巨大な黒い毛だ。多分、熊だと思うんだけど……どうも私の知る熊じゃない。
後ろ足で立ち上がっている状態で、3メートルほどあろう体長。その前足から伸びている爪は、まるで草刈り鎌のようだ。
それでも、全体的なフォルムは熊のように見える。
そして、そんな巨躯に隠れて見えづらいが、1人の女性がいるのが分かった。
私とそう年齢の変わらないであろう女性が、熊から数メートル離れた位置に立っている。
驚いたことに、その両手には剣が握られていた。鈍く光りを反射するソレは、偽物には見えない。
そんな物を手に、熊を決死の覚悟で睨みつけている瞳は――――紫。流れる綺麗な髪は、銀だった。
どう考えても、日本人じゃない。今は険しい顔立ちも、とても美しい、西欧顔。
そして、その前に立ち塞がる凶悪過ぎる熊。
「おかしい」
そう思うも、そんな場合でないのは理解できる。
女性の身体は、所々血を流していた。服が切り裂かれ、痛々しい怪我がはっきり見える。
熊の方も手足に傷が見えるも、あれは掠り傷だろう。
どう見ても、女性の方が劣勢だった。
その視線は熊を睨みつけて離さないが、手足の震えと、息の上がった様子から、かなりダメージを負っていると思う。
それでも剣を構えたまま、逃げ出そうともしない。
きっと、背を向ければ一瞬で、あの爪の餌食になると分かっているのだろう。
そしてそれは、私も分かっている。
だけど、いや、だからこそ。
「おーい!」
眼下に向けて、声を上げた。
当然、こちらに背を向けていた熊も気付き振り返る。それで熊が朱い血のような眼の色をしているのが分かった。
そしてこちらを向いていたが、目の前に脅威があり、何より少し上の位置にいた私に気付いていなかった女性も、驚きに目を見張っている。
「な、何をしているのっ⁈」
おっと、見事な西欧顔の女性から見事な日本語が聞こえた。違和感が半端ない。
しかし、今はそんなこと言っている場合ではなく。
「いいから、早く!」
「っ、はぁあ!」
私の意図に気付いてくれた女性が、驚きを飲み込んで熊へと剣を振り被った。
完全に新たに現れた私に気を取られていたらしい熊の、無防備な胴体へと剣が振り下ろされる。
普通なら大怪我となるであろう攻撃。
――――キィン!
そんな高音を鳴らし、剣が弾かれたように見えた。
まるで硬い金属にぶつかったかのような音。あの黒い毛が、それほどの硬度があるのか。
そして、さすがに攻撃されたことに気付かない熊ではなく。
「ガアアアアア!」
「きゃああ!!」
苛立ったように咆え、その鋭利な爪を備えた右足で女性を横殴りにした。
軽々と吹き飛ばされた女性は、どうやら爪が当たることはなかったようだが、背中から近くの樹へと衝突し、崩れ落ちた。
何より、剣がその手を離れてしまった。女性から少し離れた、しかし手を伸ばしても届かない位置。
すぐ立ち上がれない女性に対し、熊が追撃しようと前屈みになる。
チャンスだと思った。
そして、そう思った時には身体は動き出していた。
傾斜から女性の下まで約10メートル。その間に巨大な熊。
それを、私は跳び越えた。
ありえない跳躍力を気にする暇もなく、女性と熊の間に着地した私は迷うことなく地面に転がる剣を拾い。
駆け出そうと4足歩行へと移行し、頭の位置が下がった熊の首許へと剣を一閃した。
先ほど、黒い毛に阻まれていたはずの剣は、何の抵抗もなく振り切られ。
「グ……」
小さな唸り声を余韻に、熊の頭が地面へと落ちた。
遅れて噴き出した血は、その熊の体毛と同じく真っ黒だった。やたら鼻につく臭い。
「…………え?」
そして背後から聞こえる女性の茫然とした声。
これが私の、この地でのファーストコンタクトだった。
悩み唸りながらリメイクしています。
前作を知る読者様、温かく見守ってください。