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期末テストを終えた授業は味気ないものだった。テストの解説で終わるものもあれば、適当な教材をプリントにしたためて配布・自習で済ますこともあった。
それでもそわそわと落ち着かないでいたのは永斗だけではないだろう。普段まじめな生徒もこの日ばかりは遠くを見るように黒板を眺めている。手にシャーペンを持ちながらも紙をなぞることはない。宙にあってスタンバイ状態を維持されたまま、ただ時が過ぎるのを待っているようだ。
4時間ほどを経過すると昼休みになる。
永斗は鞄から弁当を取り出し、机の横に引っ掛けていた水筒に手を伸ばす。二重になった箱を一つ持ち上げて横へ並べる。白米がびっしりつまって真ん中には梅干し。もう一つにはスクランブルエッグや野菜炒め、昨晩の残りである唐揚げが個などが収まっていた。
箸を手に持ちどれから食べるか悩んでいたところ、
「おいおい。俺たちが来るの待ってくれてもいいんじゃね?」
空席だった前の机をこちらに合わせ、太一が合流する。
「でもま、仕方ねえか。島のシンボルが壊れたからな」
「ただのシンボルじゃねえよ。あれでも立派な観光名所だったからな」
昨日出会った老夫婦を思い出す。あの時まさかこのような状況に陥るとは夢にも思っていなかった。今までどんなに強い台風や荒波にも負けずに来た岩だった。だから今度も大丈夫だろうと疑うことさえなかったのだ。
だが実際は壊れた。自然現象そのものではなかったが、それが起因して事故に繋がってしまった。砕け散った岩を回収して修復するなんてことは難しいだろう。海底に沈んだ岩々を集めることも困難なはずだ。
いったん箸をおいてお茶を注ぐ。目の前の太一はカレーパンなどを口いっぱいに放り込み、咀嚼中だ。時々むせては牛乳パックのストローをめいっぱいに吸い込んでいる。
「や、二人とも。お待たせ」
そこへ加奈と鏡花が加わる。男二人は席と弁当・パンをずらしてスペースを作る。女二人は自席から持ってきた椅子へ腰かけ、空いた机上に昼食を広げる。
加奈は永斗と同じものをスモールサイズにしたもの。鏡花はラップに包んだサンドイッチだ。レタスの量が異常なほど多いのは夏のせいだろう。どうしても体系が気になる季節なのだ。
ちなみに月乃は隣にはいない。彼女は昼休み中にどこかへ消えてしまう。さすがにそこまで追いかけるのも気が引けたので、永斗は自分の席を動かなかった。
「どうするんだろうね。旅館の細枝さん。さっきもすごい悲しそうな顔して結び岩を見てたけど……」
唐揚げを口に入れて、小さな口を動かしながら加奈は言う。
「結び岩って名前だから本土でもパワースポットとして取り上げられて、お客さんはまあまあだったみたいだけど、今度からはそうもいかないんでしょうね」
「旅館だけじゃないよ。僕の家みたいに名産品とかを作ってるおみやげ関係にも大打撃だよ。島の人が買ってくれることなんて期待できないもん」
鏡花は大きくため息をついた。きっと今頃実家では大騒ぎになっているだろう。彼女の家は港近くで土産屋を営んでいる。島名物のものを買い入れて売っているが、メインは名物の潮饅頭だ。結び岩をイメージした茶褐色の生地にこしあんを使い、表面に島でとれる塩を少しかけたものだ。
島に来た観光客からは受けが良く、なかなかの売れ行きだった。結び岩がなくなったことでこの土産品の未来は大きく影を落とすことになるだろう。
「仕事がなくなったら別の仕事を見つけるしかないわね。そのために、島を離れる人だって出てくるはずよ。仕方ないことだけど……」
「……僕はこの島に残りたいな」
永斗も自分の唐揚げに手を伸ばす。が、視線を感じて視点を弁当から上にそらす。ふと鏡花と目が合った。丸々とした栗色の瞳がこちらを捉えて離さない。
何か言うべきなのかと思案する。
「えへへ」
しかし鏡花は細く笑って視線を外した。かと思えば手元にあるサンドイッチを一つ手に取り、加奈と交換条件を差し出している。「え、唐揚げ一個とそれ交換⁉」などと困らせていた。
「あ、そういえば永斗。例の夏休みのこと何か考えてるか?」
「いや、特には」
「え、何? 二人とももう遊ぶ約束をしているのかい? なら僕たちにも聞かせて欲しい!」
無事に商談を終えたのだろう、鏡花はラップの上に唐揚げと一口サイズの米がラップ上に置かれていた。一方の加奈はシャキシャキとみずみずしい音を立てながらサンドイッチを食べている。
「違う、逆だよ逆。俺たちこの夏は休み返上でボランティアを命じられたんだよ」
恨めしそうに空になったパンの袋をつぶす太一。
「テストの結果なんてどうでもいいってさ。赤点の補習さえ関係なく、毎日学校に来てはボランティアやって遠藤に報告。これを毎日やるんだと」
「それはお気の毒……」
成績優秀の加奈には縁遠い話だった。今日返されたテストも圧倒的な丸の数。校内成績一位を入校以来独占している彼女は永斗をちらりと見遣り、「ぷぷぷ」とわざとらしく嘲笑して見せる。
「お前遠藤が何か企んでること知ってたろ? プリント預かったって言ってたぞ」
職員室に呼び出された時に見たテスト前のお知らせ。確かに遠藤は加奈から預かったと言っていた。
「知らないわよ。ただ貸してくれって言われたから渡したの。もう読んだし、必要ないからね」
「俺はまだ読んでなかったんだけど……」
「兄も同じものもらったじゃない。他人のことまで構ってあげられないわ」
交わる視線に熱が帯びる。お互いに目を眇めて睨み合い、牽制。
「っと食事中に喧嘩はダメだよ。僕まだ食べてるからね、んぐ。唐揚げ美味しい!」
そうだぞ、と鏡花に倣って太一も混ざる。仲裁役二人が揃って間に入ってくると島渡兄妹は黙り込んだ。むすっと頬を膨らませて先に視線を外したのは加奈だった。永斗は少し恨みったらしく見つめたが、すぐに食事を再開させる。
「あ」
伸ばした手の先に月乃が見えた。
教室の前から入ってくる彼女。口周りになぜか白い米を一粒だけつけてすたすたと早歩きでこちらに向かってくる。
昨日のことで何か言われるのかと身構えたが目の前を完全スルーだった。月乃はそのまま自分の席に腰を掛け、鞄からイヤホンを取り出してスマホを触り、
「……」
ばさり、と机に伏せてしまった。
そんな彼女の行動を教室全員の注目を浴びていた。そしてまた月乃をよく言わない言葉が聞こえてくる。
よそ者だ。島をよく知らないから平然といられるんだ。 あの船のつなぎを取ったのはあいつじゃないかという悪い憶測まで。
そんな中、月乃を見る目の色が違う人物がいた。
加奈は昨日聞かされた話を思い返し、そして母親と重ねていた。
小さく息をつく。月乃に悪態をついているわけではなく、ただ永斗が言っていた「自分と似ている」という言葉を思い出したからだ。
もし仮に自分がこの子と同じ病気になったなら自然に振舞えるだろうか。
いや、と首を振る。そんなこと、絶対できない。
死の宣告を受け、今までどおりの自分を貫けるほど強くない。泣いて喚いて、助けられないことを承知の上で家族や友人に助けを求めるだろう。そして「それは無理だよ」と突き返され、最後には孤独になる。
このまま亡くなるのなら、誰とも接したくない。関わりたくないという感情は理解できた。
月乃はこの島になぜ来たのか分からないが、現状は最終形――つまり誰とも接したくない状況なのだろう。
「……え?」
ふと疑問に思う。この過程において違和感があった。
「どうかしたか?」
太一が怪訝そうにこちらを見ていた。
加奈は「なんでもない」と返し、再び箸を動かした。
ちらりとだけ永斗を見ると、すでに残りの弁当をつついていた。
太一も最後のかけらを口に入れて牛乳で流し込んでいるし、鏡花も「レタス入れすぎたよ」と泣きべそをかきながら水気をたっぷり吸ったサンドイッチに苦戦している。
いつもと変わらに光景。
その様子に加奈はちくりと胸に刺さるものを覚えた気がした。