8
甲高い機械音が鳴り響いた。
目覚ましをセットされたコンポが起動して、カーテンで遮られた暗い部屋が秒ごとに虹色に染めていく。
「おおっとそこまでよ!」
永斗の部屋に滑り込むように加奈がドアを開けて乱入する。
いつもの曲のイントロが徐々に大きくなってきたところで近くにあったリモコンへ手を伸ばし、電源ボタンを押し込む。コンポは発光と発音を止め、無色のディスプレイに戻った。
しかし加奈は気を抜かない。
コンポが静まったことを確認した後、すぐさま永斗の右手に注目する。
いつもはばたばたと暴れだす手も今はすっかり大人しい。ぴくりともせずに、ベッドからはみ出ていた。
「よっしゃ!」
加奈は握りこぶしを作ってガッツポーズを決める。
昨日から考えていた奇襲作戦は見事に成功を収めた。
「初めからこうしてれば良かったのよ!」
隣から聞こえてくる他人の目覚ましで起こされるよりも先に、自分の目覚ましで起床すれば良い。睡眠を一時的に中断されるのは仕方ない。永斗の目覚ましで起こされる事に比べればはるかにマシだ。
大きくうなずいて踵を返し、部屋を出た加奈は自室に戻ってベッドに横たわる。
「これからは毎日こうしよう。ああ、あの騒音を聞かない朝って何日ぶりかしら……」
幸せに浸りながらゆっくりとまどろみの中へ。恍惚を浮かべながら加奈はすぐに眠ってしまった。
それから10分後。
予備用にセットしていた永斗の目覚ましが再び起動した。
「だましたわね⁉ 二回もセットしてるなんて! 私の努力を返せええええ!」
太一は今日も玄関前でスタンバイしていた。
ドアの向こうで何やら言い争っている声が聞こえたのでスマホをしまう。それとほぼ同時に二人が現れた。
「だから起きられもしない目覚ましをかけんじゃないわよ!」
「結果的に起きれてるからいいだろ」
「私が起こしてんでしょうが⁉」
御波高校の制服に着替えた二人は太一に気付かないほど言い争いに熱が入っている。
「またか……」
恒例の仲裁役に買って出ようと一歩踏み出した時、
「おい! 結び岩が砕けてるってよ! 昨日の台風の影響らしい!」
通りの向こうから走ってくる男が2人。永斗達と同じ制服を身に着けた彼らはそのまま走り去っていく。
「結び岩が……?」
永斗は喧嘩を放り出して飛び出した。
「おい永斗!」
二人も永斗を追うように走り出す。
いつもの道を曲がらずに直進。そこからいくつかの上り坂を超えた先に人だかりができていた。
結び岩を囲むようにして立つ人々。それらの壁をかいくぐるようにして3人は前へ出た。
「なんだよ、これ……」
昨日までは確かにあった大きな岩。
それが今は大きく穿ち、欠けてる。
内側の黒い部分が台風一過の太陽を受けて怪しいまでに光っているのは、波に曝されて水を纏っていたからだろうか。起伏の激しい荒波が結び岩だったそれをいまだに強く打ち付けていた。
さらに異様だったのは近くに座礁した船だ。
先端が著しく凹んで、痛々しいまでの姿に成り果てていた。
状況からするに船が岩にぶつかったのだろう。昨夜の台風で繋ぎ方が不十分だったのかもしれない。先端から岩に突っ込んだことは容易に想像できた。
「どうすんだ……。この岩以外に観光地なんて明日嘉島にはねえんだぞ……!」
途方に暮れていたのは港近くにある土産屋の店主だ。その横には旅館を営む老夫婦の姿もあった。皆一様に同じ顔をしている。不安と焦り、絶望といった負の感情が表情に刻まれていた。
ただでさえ人口は減少傾向で、高齢化も進む明日嘉島だ。依り代だった観光材料を喪失した今、それを生業としていた人たちはほぼ職を失ったと同義だ。
誰かが言った。この島はもうおしまいだ、と。
その一言が耳にこびりつき、永斗は忘れられなかった。
学校に着いた3人は鏡花を加えて向かい合っていた。
永斗が席に着くと自ずと3人が集結し、昨日の台風と砕けた結び岩について会話が始まった。
「確かに寝ている時は風が強くて少し怖かったけど、僕、ここまでの大事になるとは思わなかったよ」
「まったくだ。予報だったらそんなに強くないって聞いてたのにな。でもまああくまで予報だから外れることもあるんだろう」
「いやいや、永斗それは違うぜ。台風はそこまでだったとしても海は荒れる。結び岩を壊しちまったのはあの船だろ。んでもってそいつの持ち主が責任追負わなきゃって話だ」
いつもとは違うまじめな太一にどこか違和感を覚える3人だったが、突っ込まなかった。
クラス中が結び岩の話一色で島唯一の観光場所が失われたことによる影響を心配したり、太一のように船の所有者を糾弾していたり。思い思いに話がされている中、
「…………すぅ」
月乃はいつものように眠っていた。
ヘッドホンを耳にはめ込み、鞄を枕に突っ伏している。
違うところといえば今日は本当に寝ているらしい点だろうか。顔だけをこちらに向け、穏やかに目を閉じ、呼吸をしている。
「こんな大事なのによく平気で寝ていられるな、星美は」
「そう言わないの。星美さん、この島に来てまだちょっとじゃない。そんな子が岩一つ壊れたくらいでどうにも思わないわよ」
毒を吐く太一をフォローする加奈だが、それは太一だけに伝えた言葉ではなかった。
他にも月乃を責めるような声がいくつか聞こえてきたからだ。
よそ者だから。何も知らないから。
だから一人なんだ。
どこからか聞こえてくる言葉に永斗は苛立ちを覚えた。
月乃のことを知らないくせに。
彼女がこの小さな体で何と戦っているのか知らないくせに。
目の前で組んでいた握りこぶしがギリギリと音を立てる。爪が手の甲に刺さり、力のこもった指は白くなっていた。
「永斗、どうかしたの? お腹でも痛いのかな?」
異変に気付いた鏡花が心配そうにこちらを見ていた。
「……」
どうしてその目を星美にもできないのだろうか。
俺がこの島の人間だからか。結び岩の存在がどれだけ島に影響していたかを知っているからか。
よそから来た奴は敵なのか。岩の価値を知らない奴は悪なのか。
「おい永斗。なんで鏡花睨んでんだよ」
「え……」
太一に言われて気づいた。
目の前に立つ鏡花が少し怯えたように震えて、加奈の袖を掴んでいた。
「い、いやそういうわけじゃない。すまない」
「う、ううん。いいんだよ。僕は気にしないから、さ」
と言いつつも加奈の袖を離さない。
永斗はもう一度謝ろうとしたところで遠藤が入って来た。
3人は自席へと戻って行く。
席に着いた鏡花がこちらを振り返り、「ごめんね」と手を立てていた。
永斗も何か返そうとする。が、遠藤はホームルームを始めてしまい、何もできなくなる。
そんな様子を加奈は見ていた。
いつの間にか起きた月乃を一瞥し、視線を前へ戻す。
遠藤は序盤に台風のことについて触れたが、それからはいつも通りだった。
そのまま何もなかったかのように授業が始まる。
島中に立ち込めた朧げな霧が、たった一日で濃霧へと変化していた。
明日嘉島の未来が閉ざされるという実態が輪郭をもって待っている。
かすかな不安は確信へと繋がってしまったのだ。
人口減少により経済は荒廃し、島民は仕事を求めて更に島を出るという悪循環。
皆子供ながらにしてこの島の状況を察していたらしい。
授業を受ける生徒の顔は皆暗く、心あらずのままただ座っているに近い。
そのような中でただ一人、星美 月乃は熱心にノートを取っていた。