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 昼休みが終了する昼1時を告げる鐘が鳴る。

 永斗と太一は二人そろって職員室から現れた。背中を丸め疲労に打ちひしがれた顔は一切の精気を感じられない。


「あ……っし……」


 退室の例にならおうと言葉を発してみるが、失敗。聞き取れないほどぞんざいな挨拶となってしまい、カオナシの声真似のようになっていた。本人は「ありがとうございました」のつもりらしい。


 横滑りのドアを閉じ、大きく深いため息が漏れ出た。


「なあ永斗……。俺のこの夏は終わったよ……」


 永斗も「ああ」と力なく肯定する。

 二人の手には同じ内容の書かれた紙が握られている。この先の暗い未来を案じて噴き出たたくさんの手汗をめいっぱいに吸い込んだプリント。いっそのことすべて濡らして見え無くなれと思うが、遠藤は何百枚と刷って渡してくるに違いない。


「まだ補習の方が良かったぜ。授業受けて小テストクリア出来たら夏休みだもんな」


 永斗も「ああ」と心あらずの答えを返す。


「夏の慈善活動? ボランティア? しかも毎日学校へ来いだとさ……」


 乾いた笑いがむなしく放課後の廊下にこだまする。遠くから聞こえてくる部活動の音に飲み込まれ、消えてしまいそうなほど弱い笑い声だ。


「ありえねえ! ちょっとカンニングしようとしただけじゃん⁉ しかもまだやってないのに! せめてテスト終わってから取り上げろよ⁉」


 ……こいつ全然反省してねえな……。

 自分は少なからず後悔と反省をしているにも関わらず太一と来たら。

 若干引かれていることにも気づかず、太一は唐突に怒りを爆発させていた。両手をわきわきと動かせ、蟹股の足で地団駄を踏んだ。何度も何度も踏みつけては足を上げて、そしてまた踏んで――


「っせんだよ神原! てめえの体に石膏塗って海に沈めんぞこの野郎!」


 ガラリと開いた職員室から遠藤が般若の相で睨んでいた。

 猛禽類のような目で太一を捉え、間合いを詰めれば一瞬で狩ってしまいそうな雰囲気だ。小さな獲物と化した太一はぶるぶると震えあがり、身動きが取れない。


「何か言うことあんだろうが!」


「申し訳ございませんでしたっ!」


「てめえ二度目はねえからな! 要が済んだらさっさと帰れ!」


 大きく咆哮して遠藤は勢いそのままに職員室に引っ込んだ。

 それを見る永斗と土下座のまま時が過ぎるのを待つ太一。

 廊下にはぶぉおんと吹奏楽部の音出しだけが聞こえてくる。


「……お前いつまでその恰好でいんの?」


 いまだ態勢をキープする太一は顔だけを横に向け、上目遣いで永斗を見上げた。


「なあ永斗。夏の廊下ってこんなにヒンヤリしてんだな。知らなかったよ、俺」


 悲しい発見をしていた。

 




 太一が自尊心を取り戻すために数分を要したが今は平然と歩いている。

 校舎を出た二人は影の道――メタセコイアの通りを歩いていた。


「やってられん……」


 しかし太一はまだ受け入れらない様子でプリントを見返していた。


「『夏季特別課題実習の案内』ってなんでいきなり案内されなきゃならないんだよ」


 端っこを持ってプリントをひらひら。汚物や腫物を触るように扱われたプリントは憤慨したのだろうか、そよ風に乗って空に舞い飛んで行く。

 太一は慌ててそれを追いかけた。プリント下部に合意書が書かれているため、ここで無くすと遠藤に何をされるか分からない。


「まあ、確かに突然これをやれって言われてもなあ」


 永斗もまたプリントに目を通していた。

『二人のこれまでの行動は目に余るものがある。このまま何もなく進級させることにいささかの不安がある。そこで今回の特別課題を与え、これまでの言行を不問に伏す』

 ここまでは理解できた。確かに体育祭や修学旅行でいろいろやり過ぎたという自覚はある。


『今回の課題は夏季休暇中における本校への登校、および地域における慈善活動とその報告とする。なお期間は夏季休暇開始日から終了日である』

 要するに夏休みは毎日学校へ来い、そして地域でボランティアをしてその報告をよこせというのだ。


 これを突き付けられた時は永斗も当然抗議した。地域への貢献活動はまだいい。だがこれを夏休み中毎日やるというのは横暴すぎないだろうか。職権乱用で自分たちの自由を大いに妨げる行為ではないか。

 しかし、遠藤の「言いたいことはそれだけか?」という冷徹な声に押し黙ってしまった。


 それまで出かかっていた言葉たちは一瞬にして融解し、怒りよりも恐怖が身体を支配する。遠藤の相手を射殺す眼に怯み、ただ話を聞くだけの人形になっていた。

 遠藤はすっと机に忍ばせていた紙を取り出して二人に差し出す。それはつい先ほどまで解いていたテスト。最終科目の国語まで採点済みだ。

 さらに続々と現れる紙たちは揃って×印が目立つ、真っ赤に染まった答案用紙だった。

 二人とも全教科で赤点。


 そんな馬鹿なと永斗は奪うようにして紙を受け取ると中身を確認していく。自信のあった歴史は選択肢が一つずれてすべて×、数学は名前が書かれておらず0点扱いだ。


「そんなはず……そんなはずはない!」


 目の前にある現実を受け入れられない。数学なんてひどすぎではないか。名前があれば70点以上はあるはずなのに。0点扱いだと?


 だが遠藤は落ち着いた様子でテスト期間前に配布した、注意事項が書かれたプリントを用意していた。トントンと人差し指で書かれた文章には、確かに0点扱いにする旨が書かれているではないか。ピンクの蛍光ペンでマークもされている。


「お前の妹から借りて来たものだ。お前だけこれを受け取っていないとは言わせない」


「……うおおぉぉ!」


 裏切者ぉぉぉ!

 プリントをくしゃくしゃに丸めて握りつぶす。そのままがくりと肩を落とし、沈黙した。

 永斗、撃沈。

 

 だが太一はここでひるまなかった。

 今でこそ飛んで行ったプリントを掴んで「やったぜ、捕まえた!」と間抜け面をしているが、その時は全力で抵抗した。彼の夏を取り戻すため、勇猛果敢に挑んでいた。


「確かに俺……いや自分はテストでは悪い点だったのかもしれな――しれません! ですがこの仕打ちはあんまりだと思います。自分は勉強がしたい……。こんな点数、自分だって納得がいっていないんです!」


 勉強熱心を装い補習で済ませようとする作戦だ。

 うるうると目には涙を浮かべて、甲斐甲斐しくも勉学に励もうとする学生を取り繕っていた。カンニングペーパーで事を済ませようとしていたくせに。

 遠藤は黙って太一を見つめていた。じっと。ただ真っすぐに。

 笑顔が徐々に引きつりだし、細かい汗を流し始める太一はそれでも何とか笑っていた。

 その様子に諦めたのか、遠藤は視線を外す。


 そしてそのまま遠藤の鞄を手繰り寄せて筆記用具を取り出す。中から鉛筆を一つ取り出して太一の目の前に突き付けると、


「ならなんでこんなものがあるのか説明してみろ。勉強したいと思うやつがこんな運頼みなことをすると思うか?」


 絶句する太一に出されたのはシンプルな鉛筆だ。薄茶色にHBと書かれたもの。

 しかし芯が露わになっていない部分、持ち手の上部には1~6の数字が刻まれている。


 それはカンニングペーパーを奪われた後すぐの休み時間に太一が作り上げたものだ。

 購買へダッシュで買いに行き、教室の隅でカッターを器用に使いながら手際よく削って準備された対選択肢用の鉛筆。テスト開始前、太一は机に魔方陣を描いて、中心に鉛筆を立てながら呪文を唱えていたのを永斗は覚えていた。


「もう一度言おう。言いたいのは、それだけか?」


 太一、撃沈。


 二人は抗えない運命を受け入れるしかなかった。納得はしていないけれど。

 すでにプリントの下には署名を済ませていて、明日これを出すだけ。これで今までのことはチャラにされる。進級も問題なくできる。赤点だけは今度から気を付けることにしよう。

 永斗は割り切ってプリントを鞄にしまった。


 影の道を出ると朝以上にパワフルとなった太陽が顔を出す。じんわりと額に汗がにじんだ。


「ところで永斗さ、今日暇? だったらちょっと遊んで帰ろうぜ!」


「ああっと、今日は……。悪い、ちょっと用事あって無理だ」


「なんだよノリ悪いな。ってもあれか、今日は台風が来るんだっけか。俺も親父の仕事手伝わなきゃだったわ」


 数日前に発表された台風は小型で威力もそこまで大きくないらしい。

 明日嘉島を直撃するらしいが、影響は小さいということだ。通過もあっという間と言われている。

 それでも海は荒れるし、波は高くなる。漁師の命である船を流されないように括りつける作業は絶対に済まさなければならない。


「あ、じゃあ俺こっちだから」


 二人はT字路に差し掛かると、永斗は帰路とは別の道を指さした。


「おう。じゃあまた明日な」


 太一は反対の道を歩いて去って行った。

 永斗は小さくなる太一の姿を見つめ、ひとつ小さく息を吐いた。

 ポケットからスマホを取り出すとディスプレイには木曜日と表示されている。

 よし、と頷いて歩き出した。


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