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R2.7.15 修正しました。
「よ、今日もいつも通りだな」
家を出た永斗と加奈を出向かるように神原 太一は立っていた。島渡家の門にもたれながら手にはスマホ。こちらに気づくとポケットにねじ込むように収納し、尻で門をはじく反動で体を起こした。
紺色のブレザーと薄い青色のシャツ、深緑のパンツ姿は永斗とおそろい。この島にある県立の御波高校の制服である。ツンとはねた髪は風に揺れ、やや吊り上がった目とはだけたシャツ、腕に巻いた十字のアクセサリーがいかにもな若者風情である。
「おっす。毎朝確実に起こしてくれる人型目覚まし時計のおかげでな」
「……私を猫型ロボットみたいに言わないで欲しいんだけど」
永斗の後ろに立つ加奈は恨み節の込めた目をしている。
彼女の出立も彼らと同じだ。同色の衣服を身に纏い、整えた長い髪を後ろでまとめたポニーテルとそれをとめる薄桃色のリボン。膝が見えるくらいのスカートに真っ白なニーソから覗く足はすらりと伸び、日焼けが心配になるほど白い。
「結局、この時間に出るんだから毎朝2時間くらい早く起きる必要ないでしょ。部活に行くでもなく、ただゴロついてるだけじゃない」
そういって加奈は二人を置いて先に歩き出すと革靴の軽い音が晴天の下で響いた。
7月半ばだというのに太陽はすでに本気モードで、立っているだけで溶かされそうなほど強い光を地球規模で放っている。セミは少し出遅れたのかやや控えめな合唱だし、湿度もそこまで高くない。だが太陽だけは夏本番を迎えているようだった。
「朝こそ有意義にまったりとした時間を過ごしたいんだよ」
遅れて永斗、太一も加奈に続く。
「私はまったりと寝ていたいんだけどっ⁉」
「……今日もいつも通りだな」
太一は嘆息と共に目を細める。
この兄妹は年中同じ会話から一日が始まる。
不平を言う加奈、それをへらへらと返すだけの永斗。内容は決まって永斗の目覚ましについてだ。音が大きい、夢遊病らしき手が気持ち悪い、そもそも起きない。加奈がいくら言っても永斗は飄々と生返事をするだけ。結局やめることもなく、この2、3年間はずっと同じ目覚ましをセットしている。たまに曲を変える程度の変化はあったが、決まった時間に流れる大音量は変わらなかった。
加奈はそんな永斗の態度に腹を立てて鞄で殴りつける。背中、肩、今朝つけたたんこぶめがけて頭部。永斗にヒットするたびにドンと低い音が鳴った。
「おい頭は反則だろ! 相手の弱点を責めるようなせこい人間だったのかお前は!」
「効果的な攻撃だと褒められるべきね!」
はあ、ともう一度だけため息をついた太一は二人の間に入り、両てのひらを二人に向けた。
「はい終了終了。どうせ喧嘩したって明日もこれやるんだろ? 朝から無駄なエネルギー使うなって。見てるほうが疲れるわ」
制された二人はぐうと唸る。
にらみ合っていた視線をお互いに外して前を向く。それを見て太一は安堵した。
本当はここまでの工程で毎日の日課が終了となる。
加奈が不満をぶちまけて、永斗は軽く流す。それに立腹した加奈が永斗に手を出して一触即発の雰囲気となるが、仲裁が入って事なきを得る。
「…………今日もいつも通りだわ」
太一は閑話休題と言わんばかりに二人の横に並び、
「ところで永斗よ。この夏は何するか予定決めてるか?」
と聞いて、少しだけ永斗の向こう側を意識しつつやはり視線を永斗に戻した。
「いや、特には。どうせ適当に遊んで、終盤に慌てて宿題して、んでまた新学期だろうな」
「つまり去年と一緒だな」
「その「宿題して」のところだけ違うわ。「宿題写させて頂いて」 これが正しいわ」
3人はT字路を曲がりメタセコイアが林道に立つ道を歩く。この道は通称『影の道』と呼ばれている。理由は単純で大きな木によって太陽が遮られ、ほぼ日陰に覆われているからである。この季節は天然のクーラーとも言える宝物――にはなりえず、ただ日差しから一時的に逃れられる程度であった。
木越しに見える田んぼは青々としていて少しの風で伸びた苗がたなびいていて、画だけだと涼し気ではあるが、とにかく暑い。
「はあ。なんかこう、何かあってもいいだろう。俺たち高校2年だぜ? 少しは青春みたいものあってもよくね?」
「ほう。例えば?」
太一はちらりと加奈を一瞥。「例えば……」と少しだけ言いよどんで、
「海に入ったり、キャンプしたり、花火やったりとか。そんな感じ」
「いや、それ毎年やってんだろ……」
小さいころから仲の良かった3人はいつも一緒だった。桜咲く4月も、やたらと長いだけでどこにも行かないゴールデンウィークがある5月も、鬱陶しい梅雨も、もちろん夏だって。秋、冬は言わずもがなだ。
何かするとなると必ずこの3人が集合する。そしてあれこれ話をしているうちにもう一人が加わってくるのだ。
「おおい、お三方やーい!」
前方に現れた影がこちらに向かって大きく手を振っている。
それに気づいた3人は各々手を振り返す。永斗は肩当たりで、太一は真上に伸ばしただけで、加奈はその人物に走り寄りながら手を振った。
「おはよう鏡花! 今日は遅刻してない、偉い!」
そうだろうと胸を張り、佐々木 鏡花はふんぞり返った。コンパクトに整えられたボブヘアに白い髪飾り。大きな瞳は幼さを残して凛と輝いていた。
「ふふふ、僕はね、ようやく気付くことができたのさ」
そう言う鏡花の自信に満ち溢れた顔は太陽に負けないくらい強烈な明るさなのだが、加奈は彼女の目にくまができていることに気づく。だが加奈が指摘しようとする暇を与えずに鏡花はさらに言葉を紡ぐ。
「朝起きられないなら寝なければいいんだってことにね!」
ぽかんと口を開ける加奈をよそに鏡花は続けざまに話し続ける。カフェインを採れば眠くならないと知ってコーヒー(だけだと苦くて飲めないので砂糖3杯とたっぷりの牛乳を注いで)を飲んだり。運動中は眠くならないことに気づいたのでランニングをしてみたり。息を止めていればそもそも寝れないので、風呂につかって息止めの自己ベストを更新してみたり。
「どうたい、そうしたら本当に一睡もせずに朝を迎えられたんだよ!」
満面の笑み。この空のように曇りのひとつさえ感じない無垢な表情ではある。
「あ、ああ。そうなんだ……」
だが加奈は気づいていた。彼女が先ほどから反復横跳びのように動き回っていることを。そうでもしなければきっとすぐにでも寝落ちするだろうという現実を。
「おいおい。こんなとこで油売ってると今日も遅刻だぞ?」
こつんと頭を小突かれて鏡花はようやく動きを止めた。
「あ、永斗おはよう! 聞いてくれ、僕は今日遅刻してないんだ!」
はいはいと適当に相槌を打って永斗は先を歩いた。太一は「徹夜ってなんかかっこよくね?」と謎のあこがれを抱いていたが、無視される。
影の道を抜けると太陽光から守ってくれていたメタセコイアが消え、猛烈な光に襲われる。
4人は目を細めてなんとか視界を確保する。鏡花は「目が、目がああぁぁ」と叫びわたわたと手をばたつかせる。その横で加奈が「はいはい、バルスバルス……」とめんどくさそうに相手をしてやっていた。
この道になると御波高校の生徒も多く見えてくる。同じ制服、同じくらいの年の男女が同じ方向を目指してそぞろ歩いている。
(出た、島の4重苦だ)
四人よりも先に歩く女の子グループがこちらを振り向いて呟いた。
「んだよ、見世物じゃねえぞ」
奥二重の目を細めて睨む太一だが、グループはくすりと笑ってそのまま去って行く。嘲笑というほどでもないが、呆れられてはいるようだった。
「そんなだからあんなこと言われるのよ」と加奈は肩をすくめた。
「でもさ、4重苦って呼ばれるってことは仲良しってことじゃないかな? 僕はむしろ言われて心地良いとさえ思っているよ?」
「お前ポジティブだよな……」
そうかなと不思議そうな鏡花。皮肉をこめたつもりの永斗に向かって、
「4重苦ってさ、僕たち4人が重なるとってことだよね? ってことは、僕たちはずっと一緒だったということじゃないかな。バラバラだったら重なるって言葉は変だもん」
「鏡花、苦しいという言葉についても考えたほうがいいわよ……?」
4人いれば何か企んでいる――そう言われ始めたのはいつだったろうか。
永斗は一瞬逡巡する。が、答えはでない。それくらいずっと昔のことで、どうだっていいことだった。
別に意識してやろうとしていたわけではない。ただこの3人が集まると居心地が良くて、なんでもできる気分になれる。結果として迷惑をかけたこともあったかもしれない。だからこそ、彼らの絆は固く結びついたのだ。