02.モブ令嬢は王子様からお願いされる
三か月前に起こった、一年生女子達が留学生に嫌がらせをしていたという、前代未聞の事件以来、王立アマリリス学園では表立った事件も起きず、生徒達は平和な学園生活を送っていた。
放課後、生徒達が教室を出て寮へと戻って行き、校内放送で職員室へ呼ばれた担任教師が教室を出て行くと、三年B組に残っているのはリージアと日直当番のナンシーだけになった。
「リージア様、さようなら」
ナンシーを手伝い教室の窓を閉めていたリージアは、自分の方を見上げて頭を下げた一年女子達へ控え目に手を振る。
嬉しそうに、何度も頭を下げる女子達が可愛らしくて、リージアは微笑んだ。
「あーそうだわ。リージアさん、来週末の連休は実家に戻るの?」
日誌を書く手を止めたナンシーに問われ、リージアは教室の壁に貼られているカレンダーを見て、連休だったことを思い出した。
来週末は、週休と祝日が上手い具合に重なり、七日間の連休になっていたのだ。
「実家に帰って家族に会いたいけど、勉強することがあるから王都に残ることになりそう」
学園が休みになっても、王太子妃教育のために王宮へ通わなければならない。
実家に帰りたいとエルシアに申し出れば、王太子妃教育を休ませてくれるだろう。だが、香料に含まれる魔力に反応してアレルギー反応を起こしてしまう、厄介な体質のユーリウスを置いて実家には戻れない。
ユーリウスの体内に蓄積したアレルゲンの除去は、今のところ魔力を無効化する無属性スキル持ちのリージアにしか出来ないのだから。
「そうよね。王太子妃教育があるものね。はぁー、卒業してリージアさんが殿下と結婚したら、今みたいに気安く話しかけられないのよね。寂しいな」
目を閉じてしみじみと言うナンシーの側まで歩み寄り、リージアは壁にかかっているカレンダーを見詰めた。
「私も、皆と会えなくなるのは寂しい。気軽に参加できるお茶会の機会を作るわ」
「約束ね」
「ええ」
当番日誌を書き終えたナンシーに挨拶をして、教室を後にしたリージアは教室棟と中央棟を繋ぐ渡り廊下へと向かった。
(あれは……)
中央棟の方から歩いて来る、くたびれた白衣を羽織り髪に寝癖を付けたままの男性に気が付き、足を止めた。
「ブルックスお兄様? どうして学園にいるの?」
所属している魔法研究所から来たのだろう、皺のついた白衣を羽織り、ぼさぼさの髪を適当に一纏めにしたブルックスの目の下には、濃い隈が出来ていた。
「授業はもう終わっているよな? 学園には打ち合わせに来たんだよ」
「打合せ?」
目を擦りながら頷いたブルックスは、周囲に人がいないことを確認してからゆっくりと口を開いた。
「オベリア国王がうちの商品に興味を持ったらしくて、イザーク王子経由で注文が来たんだ。オベリア国王のサインと国璽付きの手紙付きでね。この前会った時に言わなかったか?」
「何も聞いていません。手紙って、お兄様は依頼を引き受けるののですか?」
「面倒だけど、国璽付きの手紙を無視することは出来ない。だから、イザーク王子と打ち合わせしに来たんだよ。あと、リージアに会いに来た」
言葉を切ったブルックスは、白衣のポケットに手を入れて封筒を取り出した。
「はい、これ。殿下と婚約してから帰って来ないから、母様が心配しているって」
手渡された封筒を受け取り、文字から母親からの手紙だと分かったリージアの眉尻が下がる。
「お父様とお母様、お姉様に会いたいし帰りたいけど……」
「分かっている。『王太子妃教育が忙しくてなかなか帰れないけど、リージアは頑張っている』って、母様達に伝えておくよ。手紙の返事と一緒に、リージアの姿を録画して送ろう」
「お兄様、ありがとう」
微笑んだブルックスはリージアの頭に手を乗せた。
近付いて来る足音が聞こえ、リージアの頭を撫でていたブルックスの手が止まる。
「ブルックス様! リージア様!」
教室棟の方から笑顔でやって来たイザベラは、リージアとブルックスの顔を交互に見てハッとした。
「ブルックス様、顔色が悪いですわ。しっかり食事はされていますか? お仕事に夢中になりすぎて、寝るのを忘れていませんか?」
「あー、ちゃんと食べているし、寝られる時に寝ているから。心配してくれて、ありがとう」
ブルックスの返答を聞き、リージアはギョッと目を見開いた。
「よかった」
僅かに口角を上げたブルックスを見上げて、イザベラは頬を赤く染めた。
(え、ブルックスお兄様が「ありがとう」って言ったの? それにイザベラ王女って、感情が分かりやすいというか、可愛い)
頬を赤らめたイザベラは、王女様ではなく恋する女子だった。
家族以外の他者にほとんど興味を示さないブルックスも、見た目よりも素直で可愛いイザベラと接しているうちに、彼女に対して親しみを抱いたのかもしれない。
(でも、お兄様には婚約者がいるのよ。イザベラ様の想いは報われないじゃない。お兄様はどうするのかしら?)
ここ数年、あまり交流はしていないとはいえ、幼い頃から知っているブルックスの婚約者のことを思い出して、リージアは少しだけ複雑な気持ちになった。
「……殿下」
「はっ! そうでしたわ」
侍女から耳打ちされて、イザベラは恋する女子から“王女”の表情へと戻る。
「ブルックス様、お兄様がお待ちです。リージア様も来てくださいますか?」
「私もですか? この後、約束がありまして」
「ユーリウス殿下でしたら、お兄様とご一緒ですよ。実はお二人に声をかける前に、使いの者を図書館へ向かわせてご足労願いましたから」
ニッコリと笑うイザベラから、「否」とは言わせないという圧が発せられており、リージアは頷くしかなかった。
***
学園長に断りを入れて、イザークが特別に借りた生徒指導室内は、張り詰めた空気に満ちていた。
柔和な王子の仮面を外し、不機嫌で剣呑な雰囲気を全身から放って椅子に座っているユーリウスを見下ろして、苦笑いしたイザークはテーブルを挟んだ向かいの椅子に座る。
ユーリウスとイザークの侍従と護衛は、気配を薄くして壁際に立っていた。
婚約者との逢瀬を邪魔され、苛立っているのだと無言でアピールしてくるユーリウスに対して、呆れた目を向けていたイザークは、扉をノックする音に反応して椅子から立ち上がった。
「開けろ」
「はっ」
イザークの指示を受けた護衛が動き、ノックされた扉を開く。
「お兄様、お待たせしました」
一触即発な空気とは真逆な、弾んだ声を発して部屋へ入って来たイザベラによって、室内の空気が若干和らぐ。
「よく来てくれた。ブルックス、リージア」
イザベラに先導されて部屋へ入ったブルックスは、イザークとユーリウスに軽く頭を下げる。
「イザーク様、ユーリウス様、お待たせして」
「リージア!」
「すみません」と続くリージアの言葉は、ユーリウスの声によって掻き消されてしまった。
憮然とした表情だったユーリウスは、リージアの顔を見ると剣呑な雰囲気を霧散させて、彼女に駆け寄った。
婚約者の勢いに戸惑っている妹を横目に、ブルックスはイザークの向かいの椅子に座った。
「さっそくですがイザーク殿下、今回の連絡は寝耳に水というか、こちらとしては驚きました」
「……だろうな。だから学園に呼んだ」
「学園の警備体制は王宮並みですからね」
白衣のポケットに手を入れ、ブルックスは中から手紙を取り出す。
「オベリア国王は個人ではなく、国家としてマンチェスト伯爵家と正式に取引をしたいと考えている、ということでいいですか?」
「俺も気になって調べてみたら、父上は議会の承認は得ていなかった」
「は?」
リージアの手を握ったまま、首を動かしたユーリウスはブルックスが持つ手紙を凝視する。
「私が共同出資していると知っていながら、オベリア国王は個人での注文に国璽を使用したのか?」
国家の象徴として重い意味を持つ国璽を、個人的な理由で使用したことが信じられないと、ユーリウスはブルックスの持つ手紙とイザークを交互に見た。
「……父上が国璽を使った手紙をブルックス殿に送ったのは、現在寵愛している第四妃がマンチェスト伯爵家の宝飾品と織物を気に入り、強請ったからだ。身分による優遇は出来ないと、ブルックス殿に断られたから、強引な手に出たんだろう」
眉間に皺を寄せたイザークは吐き捨てるように言う。
「今の父上は第四妃の言いなりです。側近にすら相談せず、独断で動いたのでしょう」
目を伏せたイザベラは溜息を吐く。
「権威を使ってくる客は嫌いなんだけど、オベリア王の注文を断ったら面倒なことになるだろう? だから、対応を相談しに来たんだよ」
ユーリウスと視線を合わせたブルックスは、持っている手紙をテーブルの上に置いた。
「それで、イザークが仲介役をすることになったのか?」
「ああ。面倒だろ? 来週末から学園は連休に入る。父上がブルックス殿をオベリアに招待したいと連絡が来た。ブルックス殿とリージア、悪いが俺と一緒にオベリアへ来てほしい」
「えっ」
思いもよらない突然のイザークからの「お願い」に、リージアは目と口を大きく開いた。
ブルックスお兄様、イザーク、イザベラのイラストは書籍版に載っています。
練間エリ先生がとっても素敵に描いてくださりました!




