21.モブ令嬢は恋愛イベントの傍観者になる
お待たせしました。
教室から植木鉢が落下した直後、目撃した生徒達が悲鳴を上げ中庭は一時騒然となるが、ガルシアの的確な指示と騒ぎを聞きつけやって来た教師達が生徒達を誘導し、騒ぎは収まった。
怪我はなかったものの、午後の授業には出席せず休養しているようにと、ガルシアに連れられリージアは医務室へ向かった。
女性医師から問診を受けた後、処方してもらった薬湯を飲み干す。そこでやっと昂っていた気持ちが落ち着いてきた。
陶器のコップをテーブルへ置いた時、廊下を走る騒々しい音が聞こえて医師はペンを持つ手を止めると、肩を竦めてリージアを見る。
「リージア!」
勢いよく開かれた扉から入室したのは、予想通り額に汗を浮かべたユーリウスだった。
「植木鉢が降ってきたと聞いた。怪我は無かったか?」
額の汗を拭うこともせず、ユーリウスは椅子に腰掛けて目を丸くするリージアの肩を掴む。
「は、はい、ガルシア先生が引っ張ってくれたので大丈夫です。気持ちを落ち着かせるため暫く休養をするようにと、配慮していただいて此方で休んでいるだけです」
「気持ちの方は、その、大丈夫なのか?」
「リージア嬢にはかすり傷一つありませんよ。ご気分も、大分落ち着かれたようですね」
ユーリウスの剣幕に医師は苦笑いしながら言い、執務椅子から立ち上がる。
「殿下、私は隣の部屋におりますので何かありましたら声をかけてくださいね」
隣室へ移動した医師の気遣いを感じて、恥ずかしさから少し開いたままの隣室の扉からは見えない位置へと椅子を動かせば、当然のようにユーリウスはリージアの隣へ椅子を寄せる。
「ユーリウス様、今は授業中ではありませんか?」
三年A組の生徒も中庭に数人いたから、植木鉢が落下してきた話は広まっているはず。教室に居ないユーリウスがどこに行ったのかなど明白だ。
「リージアが医務室へ運ばれたと聞いて、授業どころじゃなかった」
俯いたユーリウスに眉尻を下げて言われて、リージアの心臓が跳ねた。
「ご心配をおかけしてしまい、すみませんでした」
隣に座るユーリウスに聞こえてしまうのでないかと、心配になるくらい心臓の鼓動は高鳴っていた。
本来ならば「授業を優先して」と言わなければならないのに、彼が身を案じてくれて此処へ駆け付けてくれたのが嬉しい。
「無事で良かった」
伸びて来たユーリウスの腕がリージアを抱き締めた。
医務室入口で待機している護衛騎士は、此方に背を向けてくれている。しかし、隣室の扉には磨りガラスがはめ込まれており、重なる二人のシルエットで抱き合っているのを医師に気付かれてしまう。
離れなければならないという思いに反して、リージアはユーリウスの背中へ手を回した。
「直ぐに駆け付けたかったのだが、叔父上から出されていた課題が面倒なもので時間がかかってしまった」
深く息を吐き出したユーリウスは腕の力をゆるめ、リージアの目を真っすぐに見詰める。
「何があっても、絶対に俺はリージアと婚約解消はしないからな」
「ど、どうしたのですか。私、何か粗相をしてしまったのでしょうか?」
向けられる真剣な眼差しに、ユーリウスの婚約者に相応しくないと国王から判断されたのかと、リージアは狼狽える。
「いや、リージアは何も悪くない。ただ、俺が割り切れないだけなんだ」
眉間に皺を寄せたユーリウスは苦しそうに顔を歪めた。
「俺を信じていて欲しい」
今にも泣き出しそうな顔でリージアの両手を握ったユーリウスの口から出てきたのは、懇願だった。
「はい」
リージアが微笑むとユーリウスは安堵の表情を浮かべ、強張っていた全身の力を抜いた。
***
翌日の放課後、リージアを心配して教室を訪ねて来たイザベラに誘われ、食堂の一角で彼女の持参したフルーツタルトをご馳走になっていた。
「美味しいです」
「良かったですわ。実は、このお店はブルックス様が教えてくださったのです」
ほんのり頬を染めるイザベラを目にして、リージアはポカンと口を開けてしまった。
「イザベラ様」
もしかしてとリージアが言葉を発する前に、音もなく現れた事務職員に扮した護衛の女性が傍まで歩み寄る。
身を屈めた女性から耳打ちされ、イザベラは嫌そうに眉を寄せた。
「またなの?」
溜息を吐き、テーブルに手をついてイザベラは立ち上がった。
「申し訳ありませんリージア様、少しご協力お願いできますか?」
ギョッと目を見開いたリージアは何度も頷く。
眉を吊り上げたイザベラは、悪役王女の役を担うのも納得できるくらい、強烈な圧を放っていたのだ。
教室棟と特別教室棟からは死角となっており、人気の無い中庭の端は異様な雰囲気が漂っていた。
「学園内の男子だけでなく。まさかオーギュスト様にまで馴れ馴れしくするなんて、どういうつもりかしら?」
植え込みの影に隠れるようにして、四人の女子生徒が一人の女子生徒を囲み悪意に満ちた言葉を浴びせかけていた。リーダー格の女子生徒は、金髪を縦ロールに巻いた美人だがきつい顔立ちの貴族令嬢。
「貴女のような身分の方が話しかけていいお方ではありませんのよ」
「全く図々しいですわ」
声量は抑えているとはいえ、女子生徒達は悪意と敵意で顔を歪めて言い放つ。
「オーギュスト様とは偶然会っただけで、私から話しかけたわけではありません」
女子生徒に囲まれている栗色の髪の女子生徒は負けじと言い返す。
「あらぁ? まさか、オーギュスト様が貴女に興味を持っているとでもいいたいのかしら?」
「イザベラ様の庇護が無ければ、貴女など我が国へ留学出来なかったのでしょう? どんな手を使ってイザベラ様に取り入ったのかしら?」
女子生徒達は揃って口元へ手を当ててクスクス声を出して嗤う。明確な悪意を向けられ、栗色の髪の女子生徒は眉を吊り上げた。
「普段から身分とご両親に甘えている貴女方に分からないでしょう。私の留学は日頃の努力を重ねた結果だと思っておりますが?」
「なん、ですってぇ」
「平民の分際で生意気なのよっ!」
怒りで顔色赤くした女子生徒は、叫びながら右手を大きく振り上げた。
「おやめなさいっ!!」
凛とした声が辺りに響き渡り、金髪縦ロールの髪をした女子生徒は腕を振り上げたまま固まる。
他の女子生徒達も、声の主の姿を確認して「あっ」と声を漏らす。
「貴女方は、わたくしの友人に何をなさっているのかしら?」
命じることに慣れた者の口調で問うイザベラに圧倒され、女子生徒達の勢いは一気に萎えていく。
「イ、イザベラ様」
「これは、違うのです」
先程までの高慢な態度から一変し、女子生徒達は狼狽えてイザベラへ言い訳を述べ始めた。目を細めたイザベラは彼女達へ嫌悪感を露わにする。
「何が違うのですか。理由が何であれ、一人を多数で敵意を持って囲むなど許されざる行為でしょう? 後ほど、貴女方のご実家に抗議をさせてもらいます」
普段にこやかなイザベラから向けられる氷のように圧力を感じ、怯えた女子生徒達は震え上がる。
放心した女子生徒達にはもう用はないと、イザベラは彼女達の間をすり抜けて囲まれていた栗色の髪の女子生徒の前まで歩む。
「シャルロット、軽率で誤解を招く行動をしてはいけないと、あれほど言ったでしょう」
「申し訳ありません」
腰に手を当てて言うイザベラへ、女子生徒、シャルロットは素直に頭を下げた。
「シャルロット!」
シャルロットが頭を下げたタイミングで、血相を変えた一人の男子生徒が駆け寄って来る。
緑がかった金髪に整った顔立ちをした男子生徒、サザン侯爵令息はイザベラへ頭を下げるシャルロット、という構図に思いっきり顔を顰めた。
「これはっ?! イザベラ王女、一体どういう状況ですか!」
サザン侯爵令息はシャルロットを庇うように彼女の横へ立つ。
「見て分かりませんか? 貴方の婚約者がシャルロットを責め立てていたのですよ」
呆れを滲ませたイザベラの言葉で、サザン令息は顔面蒼白になった自分の婚約者が側に居ることに気が付く。
「またお前は、そんなことをしたのか!」
怒鳴られた令嬢は肩を揺らし、瞳に涙を浮かべてサザン侯爵令息を見上げた。
(もしかして、これはサザン侯爵令息の恋愛イベントだった?)
完全に傍観者と化していたリージアはサザン侯爵令息が登場したタイミングの良さに、これは彼の恋愛イベントなのだと確信した。
他の令嬢を操ってシャルロットを責め立てたとしてイザベラが悪役となり、健気なヒロインの姿に心揺さぶられた侯爵令息の好感度が上がる、というものだろう。
(でも、イザベラ王女はイジメには加わらずシャルロットを助けたことで少し展開は変わった。この先はどうなるの、あっ……!)
芝を踏む数人の足音と見知った気配を感じ、振り向いたリージアは表情を曇らせた。
「これは何事だ」
厳しい表情で辺りを見渡したユーリウスに睨まれて、サザン侯爵令息と女子生徒達は慌てて頭を下げる。
「女の子の嫉妬は怖いね。で、俺の妹が君たちに何かしたのかな? 妹はイジメを止めただけに見えるけど?」
「僕が勘違いしてしまっただけです。申し訳ありません」
いつもの軽薄そうな笑みを口元に浮かべ、しかし目は全く笑っていないイザークは不快感と苛立ちを隠そうとせず侯爵令息達へ向ける。
「では、これから生徒指導室でじっくりと話を聞かせてもらおうか。各々の家には連絡を入れておくぞ」
「え、僕も、ですか?」
「当たり前だ! イジメの原因を全て調べなければならないからな!」
真っ赤なジャージを着て額に青筋を浮かべたジョージ先生の可視化するほどの圧力に圧され、サザン侯爵令息の顔色は青ざめていく。身を寄せあっていた女子生徒達もがたがたと震えだす。
「学園内でのイジメ行為、それも中庭で堂々と行うとは理由が何であれ見逃すことは出来ない。私の方からも君たちの実家へ報告させてもらう」
パタンッ
ユーリウスが言い終わる前に、サザン侯爵令息の婚約者である縦ロールの女子生徒が足元をふらつかせて卒倒する。悲鳴を上げて倒れた女子生徒を支える他の女子達も、今にも倒れそうなくらい顔色を青くさせていた。
「ユー、」
「ユーリウス殿下!」
成り行きを見守っていたリージアが動く前に、シャルロットがユーリウスの目前まで駆け寄る。
「ユーリウス殿下、ありがとうございます」
頬を染めて胸へ手を当てたシャルロットは、熱のこもった眼差しでユーリウスを見上げた。
「礼には及ばない。私の婚約者が困っている様子だったから声をかけただけだ」
平坦な口調で言ったユーリウスは視線を逸らし、シャルロットには見向きもせずリージアの前まで歩む。唖然としていたリージアへ微笑みかけて腰へ手を添えた。
「シャルロット、身分は関係なく実力重視、という学則があろうとも貴族内にはルールがあるのだ。イザベラを困らせるような行動は控えるように。これ以上、問題を起こしたら両国の関係に関わると思え」
「はい、申し訳ありません」
冷淡に言い放つイザークに頭を下げて、ゆっくりと顔を上げたシャルロットと視線が合い、リージアは息を飲んだ。
すぐに逸らされた空色の瞳に浮かんでいたのは、あきらかにリージアへ向けられた嫉妬の炎と敵意だった。
(今のは、気のせいじゃない。シャルロットは私に明確な敵意を持っている。でも、どうして?)
彼女と会話をしたことは無く、顔を合わせたのは今回で二回目のはずだ。
思い返してもシャルロットから恨まれる心当たりは無い。一瞬でも向けられた憎悪の瞳は、刃物のような鋭さと炎のような熱を持っており、リージアの背筋が冷たくなった。
恋愛イベントは未遂に終わりました。
赤ジャージを着た生徒指導のジョージ先生再登場です。




