12.モブ令嬢は周囲の思惑に気付く
生誕祭の続きです。
高潔な王子と評される王子の婚約者の座を射止めたリージアを、貴賓達の興味と嫉妬が入り雑じった視線が全身を貫く。
視線に耐え切れず俯きかけた時、繋いだユーリウスの手に力がこもる。
(ユーリウス様……)
すぐ隣にはユーリウスがいるのだと思えば、取り乱すことはせず踏ん張れそうな気がしてきた。
玉座から立ち上がった国王が謝辞を伝え終わると、ホール内は轟音のような拍手の音に包まれた。
国王が玉座へ座り、ホール内の貴賓達は移動を開始する。
ホール中央から玉座前まで国王と王妃へ挨拶に来る貴賓達が列を作り、リストを手にして高らかに名を告げる侍従長の声が続く。
並んだ貴賓達の中に見知った人物を見付けたリージアは、「あ」と声を上げそうになった。
学園での緩んだ印象とは真逆な、黒を基調とした煌びやかな正装姿のイザークが真っすぐにリージアへ視線を向けていたのだ。彼の一歩後ろに並ぶのは、艶めく黒髪と少しきつめな印象を与える蠱惑的な顔立ちでグラマラスな体型の姫。
「オベリア王国の第一王子であられますイザーク殿下と第二王女であられますイザベラ殿下でございます」
国土の三分の一が砂漠地帯という南方の国特有の、小麦色の肌と艶やかな黒髪を持つイザークとイザベラは侍従長の紹介の後、揃って国王と王妃へ頭を垂れる。
「療養中の父、オベリア国王の名代で参りました、イザーク・デ・オベリア、此方は妹のイザベラでございます」
胸に手を当てて挨拶をするイザークは、学園での軽薄そうな人物とは別人かと確認したくなるほど、完璧な王子様だった。
「イザベラでございます。この度は留学を許可してくださいまして、ありがとうございます」
頭を上げたイザベラの肩と腹部を出した大胆なドレスから、こぼれ落ちんばかりに豊かな胸が揺れる。
「イザーク王子には、ユーリウスの良き友人として親しくしてもらっていると報告を受けている。イザベラ王女もこれから我が国での学園生活を楽しんでもらい、両国の更なる友好を深める役を担ってもらいたい。王女の留学中の環境は、最高級の物を用意することを約束しよう」
目を細めた国王の言葉に、イザークとイザベラだけでなく隣に座る王妃も驚く。
特別待遇を約束した、ということはイザベラ王女がユーリウスの側妃候補だ、と公言したようなものだ。
(イザベラ王女は学園に留学する、それもユーリウス様の妃候補として……!?)
国王の発した言葉を理解したリージアの頭の中は真っ白になる。
チッと舌打ちが聞こえた気がして、顔を動かしてユーリウスを見たリージアは驚きの声を出しそうになった。
公の場で感情を出すことがほとんど無い彼が、苛立ちを露に眉間に皺を寄せて国王を睨んでいたのだ。
イザークとイザベラが下がると次は他国の大使が続く。
他国の大使達は示し合わせたかのように、高貴な身分の美しい女性達を同行させており彼女達がどれだけ優れているか、美しく健康であるかをアピールしていく。
国王の生誕祭は、彼の新たな側妃やユーリウスの妃を選ぶための場ではない。彼女達の表向きの同行理由は祝賀のためだとしても、国王と王妃の厳しい視線は高貴な身分の令嬢や王女を選定しているようだった。
大使達の後には筆頭公爵家夫妻が続き、国王へ祝いの言葉を伝える。
公爵夫妻の後ろに立つ公爵令嬢はリージアへは目もくれず、真っすぐユーリウスへ粘着質な視線を向けていた。
(これって、成る程、そういうことか)
婚約者がいるはずの娘を同行させた公爵の狙いは、娘をユーリウスの側妃、もしくはリージアを蹴落として王子妃とすることなのだ。まだ空いている第一王子の側妃の座、もしくは王子妃の座を狙ってこの場へ来た着飾った女性達は頬を染め、上目遣いでユーリウスを見つめていた。
容姿端麗、有能で完璧、王太子候補と目されているユーリウスは国内外の権力者からも、令嬢達から見ても魅力的な存在なのだ。
仕方ないとはいえ、あからさまな態度は不快でしかなくリージアは指先から体温が奪われていく感覚を味わっていた。
「大丈夫だ」
顔を近付けて囁くように言い、ユーリウスはリージアの手を取り重ねた手で包み込む。
ホールにいる女性達の視線がリージアへさらに突き刺さり、握る手の温もりがなければ顔を背けたくなっだろう。
ただユーリウスの隣に座って微笑んでいるだけなのに、嫉妬と敵意、興味といった無数の視線がリージアの精神力を削り取っていく。
吐き出したくなる息を堪えてホールへ目を向ける。
側近の男性と話していたイザークが壇上を見上げ、表情を強張らせるリージアへ笑みを向けた。
ホールへ下りた国王と王妃がダンスを踊り終えて、次はユーリウスとリージアが踊る番になった。
「行こうか」
差し伸べられたユーリウスの手を取り、リージアは国王と王妃が踊ったホールの中央へ出る。
ぎこちない動きをするリージアの背中へ手を回し、ユーリウスはやわらかく微笑む。
「いつも通り、集中すれば踊りきれる」
「頑張ります」
不安で押しつぶされそうなのを誤魔化して唇を動かし、無理やり笑みを作って答えた。
演奏が始まり、ユーリウスに先導されてリージアは
彼の動きに合わせていく。碧色の瞳に映り込むのが自分の顔だけだと気付くと、途端に周囲の視線は気にならなくなっていた。
不安定だった足に力を込めて床を蹴り、音楽に合わせてステップを踏んでいく。
放課後、幾度となくユーリウスと練習したダンス。体に染み込んだステップは崩れることなく最後まで踊りきることが出来た。
ダンスが終わり聞こえてきた拍手の音で、大勢の人に囲まれている中で踊ったのだと思い出し、忘れていた緊張感が蘇ってくる。
(ええっと、この後は、フリーダンスの時間で……)
ユーリウスにエスコートされてホール中央から移動したタイミングで楽団が音楽を奏で始める。
上気した頬を扇であおぎつつ、この後の予定を確認していたリージアは背中が粟立つのを感じ、動きを止めた。
ホールの中二階から、鋭い刃物を彷彿させる嫌な気配と明確な殺意を感じたリージアは呼吸をするのを一瞬忘れ、気配を感じた方向を見上げる。
周囲には目もくれずにリージアだけへ注がれた殺意。一瞬だけの異変に、ホールでダンスを踊る者達は気が付いていない。身震いしたリージアの肩を抱くユーリウスの力が強くなる。
「……一部の者しか気が付かなかったようだな。騎士を向かわせるから安心してくれ」
甘言を囁くようにリージアの耳元へ唇を近付けたユーリウスは、殺気を感じた地点を調べる騎士達の姿を横目で確認していた。
顔色が優れないリージアを気遣って彼は傍らから離れようとしない。
遠巻きに様子を窺っている数多の令嬢達は、少しでもユーリウスがリージアの側から離れる気配をみせれば彼の側へ群がるのだろう。
「リージア嬢、一曲踊っていただけますか?」
空気を読まず声をかけてきたイザークをユーリウスは睨みつける。
「ユーリウス、他のお嬢さんが待っているよ。いくら婚約者殿が可愛いとはいえ、王子の役目は果たさねばならない。そうだろう? 義務として次はイザベラと踊れよ」
「何だと」
余裕の表情でニヤリと笑うイザークを、射殺さんばかりにユーリウスは睨む。二人の間に、見えないはずの火花が散っている気がしてリージアは半歩下がった。
周囲にいる令嬢達が怯え出し、ホール内の一角に不穏な空気が漂う。
此処で揉め事を起こして誕生祭を台無しにするわけにはいかない。
コクリ、唾をのみ込んだリージアはユーリウスの腕を両腕で抱きかかえた。
「あの、ユーリウス様、私は大丈夫ですから行ってください。お願い、冷静になってください」
「くっ、分かった。すぐに戻る」
上目遣いでのお願いに、目を見開き言葉に詰まったユーリウスは一瞬だけ顔を顰め、リージアから腕を離してイザークの後方にいるイザベラの元へ向かう。
「イザベラ王女、私と一曲踊っていただけますか?」
「光栄ですわ」
艶やかに微笑み答えるイザベラとは違い、ダンスを申し込むユーリウスは王子の仮面を被り淡々と彼女の手を取る。
他国の王女や他の令嬢と踊るのは王子の義務。頭では理解しているつもりなのに、ユーリウスがイザベラの手を握っているのを目にするのは嫌でリージアは顔を背けてしまった。
「ではリージア嬢、俺達も踊ろうか」
了承する前に伸ばされたイザークの手に肩を抱かれ、ユーリウスと離れたホールの端へと行く。
スローテンポな楽曲の演奏が始まれば余計なことを考える余裕もなくなり、リードしてくれるイザークに合わせてダンスを踊るしかなかった。
ダンスが終わりカップルの輪から退いたイザークは、グラスを乗せたトレーを持つ給仕係を呼び止める。
「イザーク殿下、私が取ります」
「女性にそんなことをさせられない。それに、気の利かない男だと思われてしまうだろう? こういう時は俺の顔を立てて欲しいな」
グラスを両手に持ち茶目っ気ある仕草でウインクされて、クスリと笑ってしまった。他の男性がしたら寒気がしそうなウインクも、イザークがするのは不思議と許せる。
「やっと笑ったな」
「え?」
手渡されたグラスを受け取り、リージアは目を瞬かせた。
「ふっ、ユーリウスが苛立っているな。あれだけ感情を露わにするとは、本当にリージア嬢のことが好きなんだな。っと、来るぞ。今にも飛び掛かってきそうな顔してる。怖い怖い」
怖いと言いながらイザークは楽しそうに口角を上げた。
彼の言葉通り、不機嫌なオーラ全開のユーリウスが大股で歩いて来る。彼の進行を邪魔しないよう人々は道を開け、成り行きを見守っていた。
今にも飛び掛からんばかりの勢いで、ユーリウスはリージアの肩へ触れていたイザークの手を掴む。
「イザーク、そろそろ返してもらう」
「そんなに怒るなって。守ってやっていたのだから感謝して欲しいのに」
肩を竦めたイザークは手首を捻り掴んでいるユーリウスの手をやんわり外す。
「お前と踊りたがっていたご令嬢達全員とは踊っていないんだろう? 後々面倒なことにならないか?」
リージアの側を離れたユーリウスは、イザベラともう一人の公爵令嬢とだけ踊っていた。周囲の者は勝手な憶測をするだろう。それが分からないほどユーリウスが余裕が無いのは何故か。
彼と踊りたがっていた令嬢は一人や二人ではなかったのに、彼女達の相手をせず此処へ来たのはどういう事か気付き、リージアは近くのテーブルへグラスを置く。
「では、お前が彼女達の相手をすればいいだろう」
「ああいった肉食獣みたいにギラギラした女って苦手なんだよ。それに比べてリージア嬢は気楽というか、純粋な感じで隣にいると心地がいいな」
「交代、だ」
余裕無く口調が荒くなるユーリウスの顔色は若干青く、額にはうっすら汗が浮かんでいた。
終われなかった。
あと一話、続きます。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。本当に助かっています。




