*逃亡エンドを迎えたはずのヒロインは不安を抱く
メリルちゃん再び。
またもや変態が出てきます。苦手な方は注意してください。
ガシャンッ!
力いっぱい床へ叩き付けたネックレスは、金メッキの鎖も飾りも大ぶりなだけあって派手な音を立てる。
深紅の大粒ルビーに数本の亀裂が入った。
舌打ちしたメリルは苛立ちの原因の一つ、机上に散らばる激情のまま破った新聞記事を憎々しげに睨む。
破れた新聞の見出しには、易々と戻れなくなった祖国の慶事“第一王子の婚約”が大々的に印字されていた。
(モブキャラがユーリウスの婚約者ですって?! あの王妃が婚約を許したなんて?!)
椅子へ腰掛けて、右手親指の爪をガリガリ噛む。
ゲームのシナリオ通りに進んでいればユーリウスの婚約者となるのは、新聞の見出しを飾るのはメリルだった。
何故、こんなことになったのか。
何度自問自答しても、あの地味なモブ女が原因だとしか考えられない。
(私がヒロインなのに! 私が幸せにならなきゃいけないのに!)
白くなるほど力を込めて握り締めた手がブルブルと震えた。
メリル・ウルスラがただのメリルだった頃、偶然ルブラン王国の田舎町を訪れた神官によって才能を見出され神殿の属性検査を受けた。
検査の結果、正式に光属性持ちだと認められ、その直ぐ後、立派な馬車を用意して迎えに来た神官に連れられて向かったのは領主の屋敷だった。
屋敷の玄関ホールで出迎えてくれた、初めて顔を合わせたはずの口髭を生やした渋い紳士を見た瞬間、メリルの頭の中に大量の情報が流れ込んだ。
混乱する自分へ、渋い紳士が自分から「私は君の父親だ」と告げられて、脳内で混じり合い複雑に絡まってしまった情報が弾けた。
そうしてメリルは理解する。この世界は、前世の自分が暇つぶしのためやっているうちに夢中になっていった恋愛シミュレーションゲームの世界で、メリルは皆に愛されるヒロインなのだということを。
「私はメリル。この世界のヒロインなのよ!」
ピンク色の髪に空色の大きな瞳、黒子すらない白い肌はヒロインに相応しい完璧な美少女。
鏡に映った自分の姿を確認して歓喜したメリルを、遠巻きにしていたメイドたちは怪訝そうに顔を見合わした。
それから一年間、苦痛でしかない勉強と淑女の立ち振る舞いを学び、待ちに待った王立学園編入の日を迎える。
学園の門を通り、職員室へ向かう廊下で早速攻略対象キャラのシュバルツと出会い、ゲームと同一の展開だとにやける口元を必死で隠す。
この世界のヒロインとして、攻略対象キャラ達に囲まれ愛される楽しい学園生活が始まる、はずだった。
編入してから、学園生活もキャラの攻略も順調に進んでいたのに、まさかゲームでは名前すら出てこなかったモブキャラクターに邪魔されるとは。
メインヒーローの王子様がヒロインではなく、地味で可愛くないモブキャラクターと仲良くしているなど許せなかった。
邪魔なモブキャラクターは直ぐに排除されて、王子様はヒロインを好きにならなければいけない。
モブキャラクターが排除されればゲームは正常に戻り、ハッピーエンドが待っていると信じて疑わなかった。
しかし、王子様はヒロインたるメリルを拒絶してモブキャラの女を選んだのだ。
学園生活の途中で断罪されるなど受け入れられず、離島の修道院や神殿に監禁されるバッドエンドより逃亡エンドの方がまだマシだと思い、メリルは助けに来たルーファウスの手を取った。
ルーファウスが持ち出した貴金属を換金し、隣国へ逃亡後冒険者となれば貴族や王族には及ばずともそれなりの水準の生活を送れる算段だった。
それなのに……
ぎりっ、奥歯を噛みしめて立ち上がる。
ぱしんっ!
室内には乾いた音、次いで床に重い物が当たる音が響く。
中流階層用宿の一室、毛足の短いカーペットが敷かれた床へ両膝をついたルーファウスは、潤んだ瞳で自分を平手打ちした相手を縋りつくように見上げる。
怒りのあまり、顔色を赤く染め怒りに満ちた瞳でルーファウスを見下ろしたメリルは、ピクピクと痙攣する唇を動かし「信じられない」と吐き捨てた。
「何やっているのよ!!」
先ほど床へ叩きつけた、首を痛めそうなくらい大きな“幸運のネックレス”を睨みつける。
メリルがネックレスを踏みつけると、ペンダントトップの大粒のルビーはバキリッと音を立てて簡単に割れてしまった。
「あんな奴らに簡単に騙されるなんて! 持っているだけで精霊王の加護を得られるとか、幸運が舞い降りるとか、そんなネックレスをCランク冒険者が手に入れられるわけないじゃない! 上手い話だって、詐欺だって分かりそうじゃないの!」
ルブラン王国を脱出したメリルとルーファウスは隣国オベリア王国へ渡り、偽名を使いギルドで冒険者登録を行い新しい身分を手に入れ、王都に近い都市を拠点にして冒険者として生活していた。
「もぅ! ルーファウス一人で行かせるんじゃなかったわ!」
怒鳴りながら椅子へ座り、八つ当たりでテーブルの足を蹴る。
騙されたルーファウスも馬鹿だが街へ戻った後、魔獣を倒した時に浴びた返り血が気になり先に宿へ向かわなければ良かったと、メリルも後悔する。
一人でギルドへ向かったルーファウスは、引き受けた依頼の報酬を受け取りに行ったはずなのに胡散臭い冒険者から幸運のネックレスを買い、報酬金全額巻き上げられたのだ。
初対面の相手から高額な物を買うなど、詐欺だと全く疑わないなんて馬鹿だ。
世間知らずだからは言い訳でしかなく、ただの馬鹿だとしか言えない。
「あぁ、すまない……私が愚かだった」
平手打ちされた頬をさらに赤くして、謝罪の言葉を口にするルーファウスの震える声と表情からは、隠しきれない被虐の悦びが見えた。
加虐されることへの期待に満ちたキラキラした瞳は熱に潤み、メリルが冷たい視線を向ける度に彼の息は荒くなっていく。
反省の言葉を口にしても意気消沈すること無く、むしろ逆効果で罵倒がご褒美となっている。
平手打ちされて悦ぶだなんて、気持ち悪い上にメリルの神経を逆なでしてさらに虐めてやりたくなる。
「なんて馬鹿な男なのっ!」
靴を脱いでルーファウスの顔面目掛けて投げつける。
「あうっ」
至近距離で投げつけられた靴がルーファウスの額に直撃して頭が左右に揺れる。
顔面に靴跡がくっきりつくほどの衝撃と痛みでルーファウスから上擦った声が漏れた。
「ハアハア、メリルッ、靴よりも君の綺麗な足で蹴ってくれないのか?」
「なっ、リクエストするだなんて! 生意気ね」
頬を紅潮させておねだりする姿は、かつて第一王子の側近候補だと言われていた宰相子息とは見えず、はっきり言って気持ち悪い。
気持ち悪いと思っていても、加虐行為はお仕置きにはならず彼を悦ばせる行為だと分かっていても、この気持ちが悪い男に罰を与えねば気が済まない。
メリルはもう片方の靴を脱ぎ床へ放る。
「あぁっメリル、駄目な私に罰を与えてくれ」
「この変態がっ」
学園在籍時、駆け引きが面倒で手っ取り早く好感度を上げるためだったとはいえ、彼の秘めていた脚フェチという性癖を開花させてしまったのはメリルなのだ。
嫌悪感よりも、虐める愉しさを見つけてしまっていたメリルも、実のところ今の状況は嫌でもなかった。
(外見は知的で落ち着いた美形。容姿端麗で紙の上の知識は豊富、物理攻撃は苦手でも高位魔法が使える。でも、考え方は世間知らずのお坊ちゃまでいつまで経っても実戦慣れはしてくれないし、簡単に騙されるなんてこの先やっていけるかが不安でしかないわ)
罰として床へ腹這いにさせたルーファウスの背中を踏みつけメリルは舌打ちする。
今は金銭面で余裕もあり、贅沢な生活が出来ていても数年後にはどうなるか分からない。
「そういえば、学園は新学期が始まる時期ね。その後、国王の生誕祭になれば続編が開始する、か」
腕組みをしたメリルは、続編のプロローグと攻略対象ごとのシナリオを思い起こす。
「そうか、そうだったわ。うふふ、モブがヒロインに成り代わるだなんて、やっぱり許せない」
肩を震わせて笑ったメリルは、窓へ視線を移して日が落ち始め薄暗くなった空を睨みつけた。
「メリル、はぁ、許してくれないのか?」
顔を動かして見上げたルーファウスは愉悦に満ちていた先程とは変わり、怯えの色を瞳に浮かべ背中へ回した手でメリルの足に縋りつく。
(はぁ、変態だし気持ち悪いしムカつく男だけど、置いて行かれる子犬みたいなこの顔は反則だわ)
脚フェチで被虐趣味の変態でも、可愛い顔で甘えられるとメリルの中にある加虐心が萎えていく。
「ねぇ、ルーファウス。許してほしいの?」
罵声から一変した優しい声で問えば、今にも泣きだしそうなルーファウスは何度も頷いた。
「じゃあ、私の言う通りにしてくれる?」
「愛しいメリルのためなら、何でもするよ」
背中から足をどかして履いていたハイソックスを脱ぐ。素足となった足の指でルーファウスの頬をなぞる。
「ああ、メリルッ」
感極まったルーファウスは両手で脹脛を抱き足の甲に頬ずりする。
「うふふふっ、前作のヒロインの役割を全うしていないのなら、私が続編へ参加してもいいじゃない。バグはちゃんと修正しなきゃ」
息を荒くして足の甲に口づけるルーファウスを見下ろしながら、今後のシナリオを思い描いたメリルは大きな瞳を猫のように細めた。
話の時間はリージアが三年生になったあたりです。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。助かっています。




