05.モブ令嬢は王子様からお願いされる
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嵐の後の天気のように、王妃が立ち去った後の応接室は穏やかな空気に包まれていた。
王妃が座っていた椅子は手際よく片付けられ、クッションが置かれた小さめの椅子に変えられた。
ワゴンを押したメイドがテーブルへ新しい食器を並べ、クリームがたっぷり乗ったカップケーキとフルーツを盛り付けていく。
ティーカップに淹れられたのは紅茶ではなくホットミルク。
仕上げに蜂蜜を入れれば、これらは誰のために用意されたのかは疎いリージアにも分かった。
テーブルのセッティングが終わり、侍女に先導されて淡い空色のドレスに着替えたフローラが居間へ戻って来る。
エルシアとリージアに小さく会釈をした彼女は、少し恥ずかしそうにはにかんでリージアの向かいの席に座る。
先程とは別人のように年齢相応の可愛らしい女の子となったフローラの姿に、リージアも笑顔になって彼女を見詰め返した。
「まだ熱いでしょう。気を付けて飲みなさい」
「はい、義母様」
はふはふ、息を吹きかけてからホットミルクを飲むフローラを見て、エルシアは目を細める。
血の繋がらないはずの二人のやり取りは仲の良い母娘そのもの。
王妃が居た時は能面のような表情だった侍女達も、今は慈愛に満ちた笑みを浮かべフローラを見守っていた。
コンコンコン、控え目なノックの音が聞こえ、護衛騎士が扉の側に立つ侍女へ耳打ちする。
耳打ちされた侍女は頷くと、エルシアへ近付き身を屈めて頭を垂れた。
「エルシア様、ユーリウス殿下がいらっしゃいました」
「あら、今日はいつもより早いわね。余程心配だったのね」
タルトを食べようと口を開けていたリージアを意味ありげに見て、エルシアは愉しげに笑う。
扉の向こう側から廊下を歩く数人の足音が聞こえ、よく知る王子様の気配を感じ取ったリージアはタルトを咀嚼するのを忘れて椅子から立ち上がった。
「リージアッ!」
護衛の制止を振り切り勢いよく扉を開いたユーリウスは、立ち上がって固まるリージアを見てほぅっと胸を撫で下ろした。
「毎回毎回、お迎えご苦労様。王妃が此処に参上したと知り、執務室から急いで来たのでしょう? リージアが関わると、冷静沈着な貴方は何処か遠くへ行ってしまうのね」
呆れ混じりに言うエルシアへ軽く頭を下げ、ユーリウスは立ったままでいるリージアの正面まで歩く。
顔を上げたリージアと目が合うと、ユーリウスの表情が崩れる。
窓からの陽光を受けてキラキラ輝く王子様から、甘さを含んだ視線を向けられるのは恥ずかしい。
タルトを頬張り膨れた頬を手で隠して、リージアは俯いてしまった。
「私は何も変わってはいません。愛しい婚約者との時間を少しでも確保するため迎えに来ているだけです」
「まぁ」
砂糖菓子のような甘い台詞を言うユーリウスに、部屋にいる侍女達から感嘆の息が漏れる。
普段とは全く違うユーリウスを見てしまい、フローラもポカンと口を開けて兄を見上げた。
「では叔母上、リージアを返してもらいます」
優雅さを感じさせる動作でリージアの腰を抱き、ユーリウスはエルシアへ向かって会釈をする。
「お兄様、あの、」
声をかけたものの、続く言葉を発せられずにフローラは下を向く。
「……フローラは急に発熱して、無理に動かすのはよくないと侍医が判断した。暫くの間、叔母上の宮殿で静養させた方がいい。そう父上に伝えておこう」
「っ!」
驚きと嬉しさ、半々の感情を露にしたフローラが顔を上げて口を開く前に、ユーリウスはリージアを抱えるように退室してしまった。
宮殿から庭園へ出ると、ユーリウスは歩く速度をゆるめる。
やっと口の中のタルトを飲み込んだリージアの唇の横を、ユーリウスは人差し指で撫で苦笑いした。
「急かしてしまいすまなかった。昔から叔母上には厳しく躾られていてな。少し、苦手なんだ」
「苦手?」
それなのに毎回迎えに来てくれるのかと、リージアの心臓がドキリと高鳴る。
「王妃に嫌味を言われたり、不快な思いをしなかったか?」
「私は大丈夫です。でも、フローラ様が……」
激昂した王妃に叩かれ、真っ赤になったフローラの頬と泣き顔を思い返してリージアは眉尻を下げた。
口ごもった様子から、何があったのか察したユーリウスの眉間に皺が寄る。
「王妃は息子だけを偏愛しているからな。自分と同じ髪と瞳の色を持つ娘は許せないらしい。フローラの体調が回復しない、とでも言って暫くの間は叔母上が宮殿に留め置くだろう。心配するな」
「そう、ですか」
心配するなと言われてもあんな場面を見てしまったのだ、気分は晴れないまま庭園を歩き抜け王族の居住する区画へ入った。
王宮の奥へ入るのは初めてではないとはいえ、使用人達に頭を下げられるのには慣れない。
頭を下げられる度にリージアの背中がむず痒くなる。
「あの、もしや執務室ではなくユーリウス様のお部屋へ行かれるのですか?」
「ああ。執務室より落ち着けるだろう?」
執務の邪魔になるより私室の方がいいのかもしれないが、リージアは首を横に振る。
「恐れ多いですし、婚約者でも私室へ入るなど周りの者たちから心配されてしまいますよ」
「愛しい婚約者といるだけで疚しいことは何もない。学園を卒業すれば直ぐに婚姻するのだ。気にする必要はない」
恥ずかしげもなく言いきられてしまうと何も言えなくなる。
「それとも……心配されるような状況になりたいのか?」
「なっ、駄目ですっ!」
先程よりも必死に首を横に振るリージアを見て、堪えきれずユーリウスは声を出して笑った。
「ようやくいつも通りになったな」
「えっ?」
「叔母上は気配りが上手く話しやすい方とはいえ、慣れない王宮で過ごすのは気詰まりするだろう」
王宮ではなるべく感情を面に出さずに、エルシアや王妃に逆らわずにこやかな表情を保ち、常に姿勢を正して立ち振る舞いに気を配っていた。
王太子と目されているユーリウスの妃となるべく受ける教育は、リージアの心に重くのしかかり心身の負担になっていることは自覚していた。
自分で望んだ婚約者の立場ではなく巻き込まれただけなのにと、頭のどこかで逃げ出したいと思っていた。
逃げ出したいのにユーリウスと顔を合わせる度、彼の隣に立っていたいと彼を癒してあげたい思う。
この矛盾した思いは、誰にも悟られないようにしていたのに聡い王子様は見透かしていたのか。
今にも泣き出してしまいそうな顔で、唇を震わすリージアの頭を一撫でしてユーリウスはゆっくりと歩き出した。
二人の歩みを止めぬよう衛兵が扉を開く。
私室の扉前で護衛を下がらせ、先に室内へ入ったユーリウスはリージアをソファーへ座らせ当然のように彼女の隣へ座った。
「此処なら誰の邪魔も入らない。肩の力を抜いて何時も通りのリージアでいてくれ」
膝の上へ置いた手のひらにユーリウスの手が重ねられる。
「それで、フローラのこと以外に気になることがあるのか?」
「気になることというか、エルシア様から招待状を送った方々のリストを見せていただいて、招かれたのは高貴な方ばかりだったので、少し不安になってしまっただけです」
「叔母上からリージアは真面目に王子妃教育に取り組んでいると聞いている。来賓達の顔と名前は覚えなくても、父上も咎め立てはしない。不安なら俺の隣で微笑んでいればいい」
そんなことを言われても不安は拭えない。
オベリア王国イザベラ王女だけでなく、何かと突っ掛かってくるミンティア・サンジェス侯爵令嬢や、王妃の従姉妹で婚約者の座を狙っていると噂されていた、エスメラード公爵令嬢も招待されているのだから。
「明日は城下へ出掛けようか」
「城下へ? でも、明日は兄と出かける予定なのですが?」
急に話題を変えられて、きょとんとなったリージアは数回目を瞬かせた。
騎士団に所属している次兄、学園を卒業後研究員として国立研究所へ勤めだした三兄と一緒に、母親の誕生日プレゼントを購入するために明日は街へ出掛けると、数日前からユーリウスへ伝えてあったはず。
「義兄上達には連絡してある。予定の変更を快く了解してくれたよ。義母上への贈り物は、王室御用達の商会から商人を手配しよう」
「えぇっ?!」
兄達は妹の約束より王子様を選んだのかという落胆と、勝手に手回ししたユーリウスへの苛立ちでリージアの口から大きな声が出てしまった。
少し考えて、そうだったと思い出す。
忘れかけていたが柔和な仮面の裏、王子様の本性は強引な俺様だった。
「義兄上ではなく、俺と一緒に出掛けるのは嫌なのか?」
低くなった声色とユーリウスの纏う雰囲気が変化する。
「いいえっ! 嫌ではありません。急だったので、つい、驚いてしまって」
しどろもどろで答えるリージアの手を握り、指を絡ませてユーリウスは微笑む。
「嫌ではないならば良かった。王宮のような堅苦しい場所でなく、学生らしいデートというものをしたかったんだ。学園では周りの目が邪魔で出来ないし、邪魔が入るからな。手を繋いで歩くとか一つのアイスを分けあって食べるとか、色々やってみたいことがあるんだ。……駄目か?」
「アイスを……」
手を繋いで歩くのは腰を抱くのと一緒では無いのかとか、一つのアイスを分け合うとは、いわゆる「はい、あーん」を王子様はやりたいのかと、リージアの脳内でいちゃいちゃカップルと化した自分と王子様の映像が駆け巡り、爆発した。
目と口を開いて思考停止した、リージアの全身がぼふんっと音を立てて赤く染まっていく。
全身を真っ赤に染めて涙目で見上げてくるリージアの視線に堪えきれず、ユーリウスは「可愛い」と小さく呟いて片手で顔を覆った。
自分を取り巻く周囲の変化と不安で、リージアがうじうじしているのに気付いている王子様視点はそのうち出てきます。
しばらくはうじうじリージアが続きます。




