04.モブ令嬢は女の戦いは恐いのだと知る
リージアの王宮での話。
今回、王子様は不在です。
最上級の茶葉で淹れられた紅茶は美味しいし、大きな口を開けなくても食べられるように配慮して作られた一口サイズのタルトも美味しい。
しかし、洗練された侍女達に見守られて食べるタルトは、食べ方に気を使いすぎて味わって食べられない。
「どうしたの? 口に合わなかったのですか?」
「とても美味しくて、感動していました」
「ふふっ、リージアが感動していたと料理長へ伝えますね」
テーブルを挟んで座る、金茶色の髪を後頭部で纏めて襟元にフリルがついた白いブラウスの上にジャケットを羽織った知的雰囲気を持つ美女は側妃エルシア。
エルシアは橙色の瞳を細めて微笑む。
第一王子の婚約者となってから、毎週末王子妃教育を受けるためにリージアは王宮の奥、碧の離宮へ通っていた。
王子妃教育を行う者は、王妃ではなく側妃エルシアだった。
彼女は第一王子ユーリウスの生母の妹で、学園卒業後直ぐにある伯爵家へ嫁いでいたのだが結婚して二年に事故で夫を亡くし、未亡人となったのを国王が能力の高さを見込んで側妃として迎え入れた。
王妃が行うべき面倒な公務は全てエルシアが行い、王妃は専ら華やかな場への出席のみ。
王妃が行うリージアの王子妃教育は、王妃ではなくエルシアが行うことは国王が命じなくとも臣下は暗黙の了解で受け入れていた。
エルシアから教わる王子妃教育は、妃の立ち振舞いや貴族内の社交に関した面倒なものだけでなく国政にかかわるものも多く、王太子となったユーリウスを支えるために役に立つ知識がほとんどだった。
側妃という肩書きはあってもエルシアの知識量と人となりや、宮殿に出入りする者達の言動から彼女は国王のよき理解者であり、親友のような存在なのだと知った。
王子妃教育が始まってからというもの、学園が休みに入る週末が近付くにつれてリージアの気分は重たくなっていく。
側妃エルシアの教えは要点をまとめた分かりやすいもので、覚悟していた王妃からの嫌味はエルシアが全て盾となり、宮殿にいる侍女や護衛達も嫌がらせから守ってくれていてリージアが被害を受けることは無い。
ただ、自分の気持ちが追い付かないだけ。
王子妃教育が嫌でもエルシアが嫌でもなく、モブだった自分が王子様の婚約者となってもよかったのかという思いが消えない。
この世界は前世の記憶にあるゲームとは違うとは分かっていても、強制力というか続編のストーリーが始まってしまえば、あっという間にユーリウスの気持ちが離れていき婚約は破棄されるのではないかという、漠然とした不安が消えてくれないのだ。
「それで、招待した中でも気を付ける相手は、王妃と三公爵家、オベリアの王族といったところでしょうか」
生誕祭の招待客リストを見るリージアへ、招待客一人ひとりの印象と注意事項をエルシアは伝える。
「……オベリア、ですか?」
第一王子の婚約者となってから初めての大々的な行事参加で、不安が顔に出てしまっていたらしい。
リージアは直ぐには返答できず、たっぷり間を開けてから訊ねる。
「オベリアには我が国へ留学されている王太子殿下の妹御、イライザ王女殿下がいらっしゃるでしょうから。一時期、王女殿下とユーリウス殿下の婚約話の申し出が数回オベリアからあったと陛下から聞いています。ユーリウス殿下は「婚約者は自ら決める」と一蹴したそうですよ」
招待状を送った貴族婦人子女の中でも、隣国の王族となれば一覧に載っている女性の中でも身分が高く、十分ヒロインのライバルと成り得るのではないか。
一覧の端を掴むリージアの指に力がこもる。
「もしかしたら、オベリアの王女様がユーリウス殿下の婚約者となっていたのかもしれないんですね」
「リージア、ユーリウス殿下は候補となる令嬢達には目もくれず、貴女を選んだのですから自信を持ちなさい」
招待状から視線を動かさないまま、リージアは表情を強張らせる。
ヒロインではなくモブが王子様に選ばれたのだと自信を持ってしまったら、傲慢で欲張りなユーリウスの想いを信じきれない臆病者になってしまいそうだった。
(続編が始まってしまって、新たなヒロインが現れてユーリウス様が心変わりするかもしれないのに、婚約者という立場に胡座をかいていては駄目。それに、オベリア王国はイザーク殿下の母国だわ。ますます王女様が続編に関係する、重要人物に思えてきた)
今は好いていてくれても、王女様が素敵でアレルゲンの無い女性だったら、ユーリウスの気持ちはリージアから離れていく可能性もある。
いつか見た夢と同じく、身に覚えの無い罪で断罪され、婚約破棄を言い渡されてしまったら実家にも迷惑がかかる上に幸せな結婚など望めない。
ユーリウスが自分以外の女性をエスコートする姿を想像して、心臓が針で刺すようにチクチク痛む。
周囲に見えないよう俯き、下唇を噛んで溢れ出そうになる涙を必死で堪えた。
会話が途切れたタイミングで、エルシアへ近付いた侍女が身を屈めて耳打ちをする。
「わかりました。お通しして」
眉間に皺を寄せたエルシアの声のトーンが低くなる。
何かあったのだと察し、リージアは一覧をテーブルの上へ置いた。
「……王妃がいらしたそうです。先触れを出していただきたいと何度も伝えているのに、あの方には全く通じないようですね」
穏やかな口調とは異なり、エルシアは心底嫌そうに眉を寄せて扉の方を睨んだ。
金糸で刺繍された薔薇が目につくドレスを纏い、深紅色の髪を高く結った王妃が姿を現した瞬間、室内に薔薇の香水の香りが広がった。
侍女に先導されて部屋へ通された王妃へ、エルシアとリージアは立ち上がって礼をとる。
「うふふ、二人とも楽にしてちょうだい」
綺麗に口紅が塗られた唇を笑みの形に吊り上げ、王妃はリージアの頭の先から足元まで見下ろす。
深紅の髪と緑色の瞳の派手な色彩を纏った王妃は、義息子のユーリウスとは全く似ていない。
婚約前、初めて王妃と第二王子、王女に挨拶をした時、リージアは自分とは正反対の、苦手なタイプの女性だと感じていた。
初対面から言動の端々でリージアを見下しているのが伝わってきた上に、王妃が婚約に反対しなかった理由が彼女がつい漏らした言葉で分かってしまったのだ。
『頭の固い子だとは思っていたけれど、まさか辺境の伯爵家から妃を娶りたいだなんて』
辺境の領地を持つマンチェスト伯爵家を政略に使えそうもないと判断したのだ。
顔合わせの後、自分の息子、第二王子には身分の高い侯爵家以上の令嬢か他国の王女を婚約者に据えようとしていると、エルシアから教えてもらった。
王妃に付き従い入室したのは、まだ幼さが残るフローラ王女。
腰まである長い深紅色の髪と緑色の瞳をしたフローラは、愛想笑いもせず無表情で会釈をする。
「突然ごめんなさいね」
侍女が引いた椅子に座った王妃は茶葉の種類を伝え、エルシアへ作ったと分かる笑みを向ける。
「エルシアとリージアに聞きたいことがあったの。貴女方は、陛下の生誕祭でのドレスは決めました? わたくしと貴女達の三人が揃いの形で、色違いのドレスを着たらとっても素敵だと思ってデザイン画を用意してきたのよ。採寸したら直ぐに作成に取り掛かれるようにしてあるの」
ドレスを揃えることは決定事項のように話す王妃に対し、出そうになった「は?」という声をリージアは唾を飲み込み堪える。
冷静な態度を崩さなかったエルシアも、唐突な提案に目を丸くした。
「貴女、本気で言っているの? わたくしたちがお揃いのドレスを着る、ですって? 生誕祭まで一月も無いのよ?」
驚きのあまり、目を見開いて問うエルシアの口調が崩れる。
否定されると思っていなかったのか、苛立ちを露にして王妃は目を吊り上げた。
「まぁ! エルシアはわたくしとお揃いにするのは不満なの? ねぇ、リージアは良いと思わない?」
急に話しを振られ、二人から注視されたリージアは居ずまいを正してから答える。
「王妃様、申し訳ありません。今回は、ユーリウス殿下が用意してくださっているドレスを着るつもりです」
「まぁ! わたくしよりもユーリウスを優先すると言うの?!」
甲高い声を上げた王妃は、叩きつけるように握った手をテーブルへ振り下ろす。
テーブルが揺れて茶器がガチャガチャ音を立てる。紅茶が溢れないように、リージアはティーカップを手で押さえた。
不穏な雰囲気が漂う中、冷静に王妃を見詰めていたエルシアがぷっと吹き出した。
「ホホホ、何をおっしゃっているのですか。婚約者に贈られたドレスを着るのは常識ですよ。デリア様はわたくし達がドレスを先に決めて、陛下にドレスに合う御衣装を用意していただくおつもりですか?」
一頻り笑い、口元に当てていた手をどけたエルシアは笑みを消して冷めた目で王妃を見る。
「生誕祭の主役は国王陛下です。わたくし達は陛下のお側に控え、脇役に撤しましょう」
正論を言われた王妃は、反論の言葉が浮かばず悔しさからギリギリ音を立てて歯軋りする。
「子も成さず、役目を果たさない側妃が、わたくしに意見をするというの!!」
「役目を果たさず? 王妃の代理で公務を行い、陛下の一番の側近として政務にも関わり議会へ出席し地方への視察も行い、わたくしは十分に役目を果たしておりますが?」
王妃の目が吊り上がり、憎々しげにエルシアを睨みつけた。
「このっ! 陛下の温情で側妃になった分際で!」
ガチャン!!
王妃が立ち上がりかけた時、動きを遮るように派手な音を立てて陶器の皿が床へ落ちる。
怒りの形相となった王妃が振り向いた先には、焼き菓子と陶器の破片が散らばり側には顔色を青くしたフローラが立っていた。
「あ、あ、ご、ごめんなさい、お母様。私、お菓子を貰おうと……」
震える唇を必死で動かして、フローラは近付いてくる王妃へ謝罪の言葉を伝える。
バシンッ!
謝罪の言葉をフローラが言い終わる前に、力一杯王妃は彼女の頬を平手打ちした。
「恥ずかしい真似をするでない!!」
「お母、様」
赤くなった頬を手で覆い、両目に涙を溜めて見上げるフローラには見向きをせず、王妃は侍女へ退室を告げる。
「気分が悪いわ! ドレスは陛下にお願いして、わたくしだけ最高級のものを用意することにします!」
吐き捨てるようにエルシアへ言うと、あ然となるリージアを一瞥してから王妃は侍女達を引き連れて部屋から出ていった。
扉が閉められ、王妃一行の足音が遠ざかっていく。
椅子から立ち上がったエルシアは、床に座り込んだフローラの側へ膝をついた。
「フローラ」
労るようにエルシアは声をかけ、俯いて肩を震わしていたフローラが顔を上げる。
「わたくしを助けようとしてくれたのでしょう? 頬がこんなに赤くなって、かわいそうに」
赤くなった頬をそっと撫で、エルシアは回復魔法をかける。
回復魔法の淡い緑色の光が消え、フローラの緑色の瞳から涙が溢れ落ちた。
「義母様っ」
泣きながらエルシアへ抱き付き首筋へ顔を埋めるフローラは、作り物めいた王女の顔ではなく母親に甘える少女の顔をしていた。
肩を震わせて泣く、フローラの小さな背中をエルシアは優しく擦る。
「さぁ、着替えましょうね。貴女の好きな色のドレスを着ていらっしゃい」
鼻を啜って頷いたフローラは、侍女に手を引かれ退室していった。
恥ずかしそうにはにかみながらリージアへ一礼をした彼女は、とても王妃と一緒にいた時の無表情の王女と同一人物とは思えない。
「陛下に似た色を持って生まれた王子だけを溺愛し、自分と同じ髪色の娘を邪険に扱う。貴族ではよくあることよ。王妃はフローラがいれば、わたくしがお揃いのドレスを了承すると思ったのでしょうね」
「だからって、この仕打ちは酷いです」
王妃がフローラへ向けた冷たい目はとても母親が我が子へ向けるものとは思えず、リージアの声が震える。
「母親の愛情に飢えた子どもを手懐けるのは容易いこと。わたくしも打算無く手を差し伸べているわけではないのよ。しかし、お揃いのドレスだなんて、何を考えているのか。王妃と成って十年以上も経つのに、まだ国母の自覚が薄いと見える」
口調は呆れ果てたものなのに、エルシアは心底愉しそうにクツリと喉を鳴らして嗤った。
見直しが甘いため、手直しはするかも。




