03.モブ令嬢は王子様から提案される
学園の食堂二階には予約制の特別席があり、学園に通う生徒であれば誰でも特別室を使用できるとされていた。ただし、高学年と高位貴族以上の生徒優先で使用すること、特別な用事が無い限り特別室へ近付いてはならない、という暗黙のルールがある。
利用者のプライバシーを配慮した造りの特別席は、マジックミラー仕様の硝子の窓と防音壁で仕切られており外から特別席内の様子は分からない。生徒達で賑わう一階を見下ろし、リージアは小さく息を吐いた。
「どうした?」
テーブルを挟んでリージアの正面に座り、日替わりランチセットを食べていたユーリウスの手が止まる。
「二階席でのランチは初めてで、学食なのにレストランに居るみたいだな、と思って緊張します」
普段は、一階席で友人と談笑しながら食べている昼食も、壁際に護衛が控えているとはいえレストランの個室並みの特別席でユーリウスと二人きりの食事となれば、背筋を伸ばし食べ方を気にしてしまう。
「ここのところ、一緒に居られる時間が無かったから」と言う、ユーリウスからの“お願い”に負けてランチを一緒に食べることを了承したのは、今日の2時間目の休み時間だった。
A組生徒の間で人気だというこの特別席は、当日の予約では使えないだろう。実は、数日前から時間と場所の手配をしていたのではないかと、上機嫌なユーリウスを見ていて勘繰ってしまう。
「どうした? コレが気になるなら食べさせてやろうか?」
「明日、下の学食で頼むからいいですっ」
切り分けたチキンソテーをフォークに刺して、今にも口へ突っ込んできそうなユーリウスに、リージアは上擦った声で断る。
食べさせられる、イコール、口へチキンソテーを運ばれ「はい、あーん」をされるということで……
ボフンッ、音を立てるように全身を真っ赤に染めたリージアは、想像したやり取りだけで恥ずかしさのあまり目を回しかけた。
キラキラした笑顔のユーリウスは、冗談ではなく本気で言っている。婚約式を終えてから、彼はリージアへの溺愛っぷりを隠そうともしなくなった。
常に柔和で感情を揺らすこともなかった王子様の変貌ぶりに、生徒達は驚き唖然としていたのだが最近は慣れてきたのか、二人をあたたかい目で見守ってくれている。
リージアの友人なんて「至近距離でユーリウスと護衛の方を見られるし、話せるから楽しい」と言い出していた。
(マジックミラーになっているから、周りからは見えない、とは聞いたけど)
今の自分は締りの無い顔をしているに違いない。こんな顔は見せたくないのに、デレを隠さなくなった王子様は容赦無くリージアを甘やかそうとする。
「リージア」
食べ終わった皿を下げてもらい、席を立ったユーリウスはリージアの傍らへ移動する。
「父上の生誕祭ではドレスを贈るよ」
「いいのですか?」
「俺の選んだドレスを着て欲しいんだ」
片膝を床についたユーリウスは、リージアの片手を握り乞うように視線を合わせた。
「嬉しい、です」
優しく手を握るユーリウスが選んでくれたのが、彼の隣に立つのがヒロインではなく自分だなんて未だに信じられない。
頬を赤く染めたリージアは自分の手を握るユーリウスの手を、もう片方の手でそっと包み込むように触る。
僅かに目を見開いたユーリウスは片手で目元を覆った。
「どうしたのですか?」
グッと言葉に詰まったユーリウスは目元を覆っていた手のひらを外す。
「そんなに可愛い顔をされたら、たまらないだろう」
頬と目元を赤くしたユーリウスは、リージアを熱のこもった瞳で見上げ手の甲へ口付け立ち上がった。
羞恥心、幸福感、彼を独占しているという嬉しさが入り雑じった複雑で単純な感情がリージアの内で生じ、胸の奥が甘く疼く。
「午後の授業を休んで、一緒に居たくなる」
「駄目、ですよ」
頷きそうになるのを踏みとどまり、リージアは首を横に振る。
「フッ、冗談だよ。名残惜しいがそろそろ戻るか」
ユーリウスに手を引かれてリージアは椅子から立ち上がった。
食堂から教室棟へ戻り、ホールの手前を歩いていると前方から4人の華やかな女子生徒を引き連れたイザークが近付いてくるのに気付き、ユーリウスは嫌そうに顔を顰めた。イザークから一歩下がって歩く常に無表情で付き従う従者がユーリウスへ頭を下げる。
「やぁ、こんにちは」
「何の用だ」
片手を上げて挨拶するイザークへ、ユーリウスはあからさまに嫌そうな表情を返す。
「おいおい、冷たいじゃないか。用が無ければ君に話しかけるのは駄目なのか?」
「駄目だ」
即答だった。これにはイザークも苦笑いする。
「私の婚約者と、親しくしてくれるのは有難いが、近付きすぎるのは困るな。」
「国王陛下の生誕祭に向けて、リージア嬢と仲良くしたいと思っているだけで、手を出そうという下心など無いのにな」
「私の婚約者に下心など抱いていたら、それなりの対応をさせてもらう」
憮然と答えるユーリウスの傍らで、リージアはぱちくりと目を瞬かせた。
「陛下の生誕祭で?」
「そう。パレードと舞踏会に俺も招待されているからね。ユーリウスの後でいいから、ダンスのお相手をよろしく」
「駄目だと言っただろう」
今にも射殺さんばかりの表情となるユーリウスへ「怖い怖い」と茶化すように言い、イザークは女子生徒達を引き連れて元来た教室へ歩いて行った。
***
放課後になり、雑用係をしていた時に知り合った生徒会役員から「助けて欲しい」という連絡を受けたリージアは生徒会室を訪ねた。
「リージアさん、来てくれてありがとう」
生徒会室へ訪れたリージアは、緊張感に満ちた室内の空気に驚いた。
生徒会役員達は皆安堵の表情を浮かべ、女子生徒は生徒会長室へ持っていく書類の束をリージアへ託す。
「これに押印してもらえばいいんですね?」
「ええ、お願いします」
各種高い能力を持つ生徒会役員達が「助けて欲しい」とリージアに連絡してくるくらい、今のユーリウスは不機嫌で苛ついているようだ。
生徒会役員達が見守る中、リージアは生徒会長室の扉をノックする。
「入れ」
扉の向こうから聞こえた低く冷たい声。
この様子では、ユーリウスはかなり苛ついているのだろう。こくり、唾を飲み込み「しつれいします」と扉を開いた。
「リージアッ?」
目を見開いたユーリウスは、勢い良く椅子から立ち上がる。
「頂き物ですが、ユーリウス様と一緒に食べたくて来てしまいました」
寮へ戻った後、メイドと食べようと護衛に買ってきてもらった焼き菓子の包みを出す。
「ご迷惑でしたら、」
「ちょうど休憩しようと思っていたところだ」
生徒会役員達が怯えるほど、不機嫌さを隠そうとせず苛立っていたユーリウスの変わり身の早さに、壁際に控えていた護衛は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
ティーポットへお湯を注ぎ、リージアは手際よくティーカップに紅茶を淹れる。
紅茶を一口飲んだユーリウスの気分が落ち着いたのを見計らい、リージアは気になっていたことを訊こうと口を開いた。
「ユーリウス様、生誕祭のことですけど、」
「イザークの相手はしなくてもいいからな」
即答したユーリウスの苦虫を噛み潰したような顔から、不機嫌の原因は昼の出来事かと確信する。冷静沈着、清廉潔白な王子様もリージアが絡むと途端におかしくなるのだ。
「そうではなくて、私、どなたがいらっしゃるのか全く知らなくて先ほどは直ぐに答えられず、ユーリウス様を困らせてしまったのではないかと思って」
「困ってなどいない。あの後、教室でもイザークがしつこくて腹が立っていただけだ」
眉を寄せたユーリウスは紅茶を一口飲み息を吐く。
「男性の招待客は父上と叔父上、女性の招待客は王妃、主に側妃が決めている。俺も招待客の全員は把握していない。明日登城する時に叔父上に聞いてみるといい」
ユーリウスの婚約者となるまでは雲の上の存在だった王妃と側妃。彼女達に会わなければならない明日の登城のことを考えると胸やけがしてきて、リージアは膝の上に置いた両手を握り締める。
「どうした?」
「ユーリウス様の婚約者として、上手く立ち回れるか不安になってしまって」
「リージアなら大丈夫だ。不安ならば、夜会の間は俺の側から離れるな。煩い奴等には手出しさせない」
今まで不機嫌だったのが嘘のように、真剣な表情となったユーリウスから守ると言われ、リージアの心臓の鼓動は速くなっていく。
「ダ、ダンスもちゃんと練習しなければなりませんね」
「ダンスか。今から練習するか?」
「え?」
ニヤリ、という効果音が聞こえてきそうな含み笑いを浮かべ、ユーリウスは席を立つ。
「国王と王妃の次に、俺たちもダンスを踊らなければならないからな」
「い、今からですか?」
「今の時間ならホールは使用されていない。叔父上に鍵を借りてこよう」
驚くリージアが断る言葉を思い付く前に、ユーリウスは壁際に控える護衛に指示を出す。
「明日は学園は休みだろう。もう少し一緒にいたいんだ。駄目か?」
王子様から甘く乞うように言われてしまえば、リージアは何も言えなくなってしまう。
我ながらチョロイなと、分かっていても断りの言葉は言えずに「はい」と頷いてしまった。
「……それで?」
勤務時間外だからか第二釦を外したシャツとスラックスいうラフな格好のシュバルツは、苛立ちを露に腕組みをしてユーリウスを睨む。
「ダンスを楽しみたい、そんな用事で呼び出したのか? 鍵くらい私が対応しなくても他の職員に頼めばいいだろう」
「叔父上、お楽しみの真っ最中にすまない。他の先生では手続きが面倒だったんだ」
発せられる怒りの圧力に屈すること無く、しれっとユーリウスは理由を言う。シュバルツのこめかみに青筋が浮いたのを気付き、リージアは慌てて頭を下げた。
「シュバルツ先生、お忙しいところお呼びだてしてしまい、すみませんでした」
「いや、忙しいというかな」
口ごもったシュバルツはリージアから視線を逸らす。
「リージア、叔父上のことは気にするな。学校でいかがわしい行為に勤しんでいただけだから」
「いかがわしい?」
首を傾げたリージアは、改めてシュバルツを見て気付いてしまった。
普段は、ジャケットかベストを羽織りきっちりと一番上の釦をしめているシュバルツの襟元、襟の端に血液やペンとは違う色合いの赤い染みが付いている。ピンクがかった赤色は、確認しなくても血液ではなく口紅だろうか。よく見ればシュバルツの首筋にもうっすら口紅が付いていた。
(ゲームでのシュバルツ先生って、複数の女の人、女性教師と割り切った体の関係を持っているんだっけ。いかがわしい行為って、学校内で、まさか……)
ピンクがかった赤色の口紅とほのかに香る香水の香りは、薬草学の派手な外見をした女性教師が好んで付けているものと同一。キスマークはいかがわしい行為を邪魔された女性教師のささやかな悪戯だろうか。
行為に及ぶ場所はともかく、配偶者と婚約者がいない相手との大人の恋愛は自由とはいえ、シュバルツを直視出来ずリージアはホールの扉へ視線を向けた。
シュバルツ先生がナニをしていたのかはご想像にお任せします。
ゲームでのシュバルツルートは、彼と仲良くなるにつれてギリギリなセクハラされるわ数人の女性教師から陰湿な嫌がらせをされるという、怖い目にあうため17禁は必要なんじゃない?って内容でした。
誤字脱字報告ありがとうございます。いつも助かっています。
年度末になり多忙のため見直しの時間が足りず、更新は二日おきくらいになります。4月からえらいこっちゃになるので、今のうちに頑張ります。




