15.モブ令嬢は学園祭の準備をする
夕陽が射し込む放課後の教室内には、数人の生徒が残り室内の飾り付けをしていた。
床に両膝をつき、刃先を潰したナイフを動かし図面に沿って丁寧に布を切り、壁へ貼る装飾を仕上げていく。
「いたっ」
布を押さえていた人差し指の先に走った痛みで、リージアは持っていたナイフを落としてしまった。
ナイフで傷付けた人差し指には赤い線が走り、じわじわ血が滲み出す。
はぁーと溜め息を吐き、上半身を起こしたリージアは教室を見渡す。
教室に残る生徒はリージアを入れて5人だけ。
女子達は後夜祭で着るドレスの仕上げを理由に、男子達は婚約者や恋人に付き添い帰ってしまった。
少し前に帰って行ったナンシーも、迎えに来た婚約者とドレスの仕上がりを確認すると言っていた。
平民の生徒と一緒に、教室に残り塗料まみれになっている立場は伯爵令嬢のリージアは、周りから相当の変わり者だと思われているだろう。
「また切っちゃたか」
じわりと滲む程度の出血なら、絆創膏だけで十分か。
両手の指先を見ると、連日の準備で貴族令嬢とは思えないささくればかりの荒れた指になってしまっていた。
この指で寮へ戻ったら、メイドに悲鳴を上げられてしまう。
ジャージのポケットから絆創膏を取り出した時、小さな丸い金属製の容器が床へ転がり落ちた。
花の装飾が彫られている容器は、ユーリウスから貰った傷薬。
容器を拾い蓋を開けると傷薬特有の薬草臭がする。
人差し指に傷薬を塗りながら、昨日の王族専用閲覧室でのやり取りを思い起こしていた。
***
淹れて貰ったアップルティーを一口飲み、リージアは感嘆の息を吐く。
林檎の香りが疲れた心を落ち着かせてくれて、メリルに絡まれた不快感も薄れていく。
「学園祭、C組はカフェで出店します。私は裏方担当ですけど。A組は演劇でしたっけ? ユーリウス様は劇に出られるんですか?」
「生徒会の仕事があるから、劇には出ずクラスには顔を出す程度になるな。……それはそうと、後夜祭はどうするんだ?」
首を傾げてリージアは考える。
去年は特に、男子と仲良くなることもダンスも踊ることもなく、美味しい料理を食べるだけで満足していた。
今年も同じく食事メインでの参加になるだろう。
昨年の後夜祭では、ユーリウスは王子様らしく何人もの女子に請われてダンスを踊っていた。今年も彼は女子達とダンスを踊るのだろうか。
(今年は生徒会長だし、忙しそうだから踊る暇は無いのかもな。私とは……無いな。モブキャラの雑用係兼協力者が王子様とダンスするなんて、特別イベントはきっと起こらない)
昨年の後夜祭で、ユーリウスが綺麗に着飾った女子とダンスを踊っていた光景を思い出して、何故か気分が沈んでいく。
学園の後夜祭は、ドレスコードはそれほど堅苦しくは無いダンスと食事を楽しむラフな夜会。
身分とクラスは飛び越えた男女の出会いの場でもあり、女子達が王子様に近付こうとするのは当然だ。
思考を切り替えて、前世の記憶を探り思い出した。
ゲームでは重要な恋愛イベントの一つであり、学園祭前に好感度が高い攻略対象キャラのイベントを成功させると、相手からエスコートを申し込まれるのだ。
好感度が上がる選択肢を選び、ミニゲームを攻略すると学園祭でのイベントは成功。エスコートされた相手のルートへと入っていく。
「婚約者がいないのでエスコートは兄にお願いしています。後夜祭で特に踊る方もいませんし、皆さんの邪魔にならない所で美味しいものを食べています」
あははと笑って答える。
何時もは何も思わないけれど、何故だか王子様に相手がいないと知られたのは少しだけ悲しい。
「そうか。……で、」
体ごと横へ向いたユーリウスは手を伸ばす。
伸ばした先にはマカロンを摘まむリージアの指先があった。
「この指はどうした?」
「紙で切っただけですよ。これくらいの傷、回復魔法を使うまでもないですし」
看板の作成中、厚紙で切ってしまった指先の傷は赤い線になっていた。
大したことないと笑って伝えれば、ユーリウスの顔は険しくなる。
「回復魔法が効かなくても、ポーションを塗れば治るだろう」
「大丈夫ですよ」
マカロンを摘まんだままの手を握られるのは困る。
早く解放して欲しくて笑って誤魔化そうとすれば、さらに強い力で掴まれてしまった。
「駄目だ」
きっぱりと言いきられてしまい、ブレザーのポケットから取り出したハイポーションを凝縮した軟膏を掴んだ指の傷口に塗られてしまったのだ。
王族が使う傷薬の効果は絶大で、傷口は塗ってから瞬く間に治った。
ついでに指先のささくれも治ってしまった。
切り終えた布を他の生徒が塗った木の板へ貼り付け、落下しないように壁に固定して教室内の装飾は完成した。
「リージアさん、これも片付けてくれる?」
「これも一緒にお願い」
クラスメイト達から押し付けるように渡された塗料缶を、リージアは引きつった笑顔で受け取る。
「う、うん。よいっしょと」
一人で持って行くのは嫌だと言えず、受け取った塗料と自分が使っていた用具を入れた籠を抱えて倉庫へ向かう。
抱えた籠が重い上に、籠が大きくて前がよく見えない。
足元をふらつかせながら慎重に歩き階段手前まで来た時、夕陽に染まる廊下に影が落ちた。
「大丈夫か?」
顔を上げたリージアの抱えた籠を、突然影の主が持ち上げた。
「わっ」
突然軽くなった両腕と籠を持ち上げた人物を交互に見て、リージアは目を見開いた。
「こんなに重いの抱えてたのかよ~」
片手で籠を抱え持ったロベルトが、にかりと歯を見せて笑う。
「ロベルト君?」
「リージア一人でこの量は無理だろ。他の奴は手伝わないのかよ?」
籠を抱えて歩きだすロベルトへ、リージアは苦笑いして答える。
「これは重いし、汚れるからね。仕方ないよ」
学園内では身分制度は関係ない。とはいえ、片付けや掃除を押し付けられたり、クラスメイトから軽んじられていると分かる扱いをされると、目立たず地味なキャラを目指していたリージアでも悲しくなる。
「運ぶのは倉庫入り口まででいいよ。ロベルト君はクラスの分と生徒会の仕事の両方で大変でしょう」
「いや、俺は力仕事メインだから。これくらい余裕だって」
「ありがとう……」
気持ちが沈んでいる時に優しいことを言われて、ゆるんだ涙腺のせいで視界が歪んでくる。
窓の方を向いて奥歯を噛み、涙を堪えた不細工な顔は見せないようにした。
「俺よりも生徒会長の方が大変だって。毎日遅くまで残って準備をしているし、部屋へ戻ってからは第一王子の仕事をやっているみたいだからな」
「そっか。殿下も大変なんだね」
傷薬入りの容器を手のひらの上に置いて「使え」と言い、無理矢理握らせてきた王子様の不機嫌そうな顔が脳裏に浮かぶ。
零れ落ちそうな涙を堪え、リージアはスンッと鼻を啜る。
「で、さぁ、リージアは誰と学園祭を回るんだ?」
前を向いたままのロベルトに問われ、準備のことで頭がいっぱいだったリージアは腕を組み考える。
「ナンシーと休憩時間が合えば一緒に回るだろうけど、彼女は婚約者さんと回るかもしれないし分からないな。ロベルト君はマーガレット様と回るのでしょう?」
「マーガレットとは、時間が合えば一緒に回るつもりだ。あのさ、もしよければ、そのリージアも一緒に、」
「副会長! やっと見つけた!」
ロベルトの言葉に被せるように、男子生徒が廊下中響く足音を立てて走って来た。
「至急、手伝って欲しいことがあると殿下がお呼びです」
「あー、殿下が? リージアすまない、明日の朝続きを話す」
嫌そうに顔を顰めたロベルトは片手で頭を掻いた。
男子生徒は奪うようにロベルトから籠を受け取り、リージアへにこりと微笑んだ。
「リージアさん、副会長の代わりに僕が手伝います」
「ありがとうございます」
生徒会室へ向かうロベルトへお礼を伝え、代わりに籠を持ってくれた男子生徒と資材倉庫へ行き大量の塗料と用具を片付けた。
何度もお礼を言うリージアへにこやかな笑みを向けて、男子生徒は中央棟へ戻って行った。
(あの男子、誰だろう。生徒会にいたかなぁ?)
雑用係として生徒会室を出入りしていた間、生徒会役員全員の顔と名前を覚えたと思っていたのに、彼のことは学年すら分からない。
背も高く整った顔立ちをした男子生徒だから、顔を合わせていたら覚えているはずなのに。
(今度ユーリウス様に聞いてみよう)
中央棟を見上げれば、生徒会室の窓からは生徒会役員達が忙しなく動き回っているのが見えた。
***
髪をとかしていたヘアブラシをドレッサーに置き、トレーに並べた装飾品の中から花を模した宝石のネックレスを選び、チェーンを指で弄る。
「明日よ」
その少女は、ピンク色の腰まである長い髪を肩から払い、椅子へ腰掛ける。
「明日の学園祭が勝負。学園祭でリセットしたら、後夜祭で攻略しなおすの」
放課後、廊下から見えたC組の教室。
ジャージを塗料で汚しながら作業をしていた地味な女子生徒の姿を思い浮かべ、少女の顔が湧き上がる苛立ちに歪んでいく。
「私はヒロインだもの。あんなモブ女なんかに負けないわよ」
鏡の中の自分へ言い聞かせるように呟き、メリルは不敵に笑った。
タイトルが思い浮かばなかったから、そのまんまになりました。
目立たず穏便な学園生活を目指してきたリージアの気持ちが沈み、悶々とする話が続きます。もう少しお付き合いください。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。助かります。




