13.王子様は“可愛い”という感情を知る
王子様視点になります。
生徒会役員選挙から一ヶ月後。
学園では後期の行事の中でも生徒達が一番盛り上がる学園祭の準備が着々と進んでいた。
昨日開かれた学園祭実行委員会議へ欠席した幼馴染みの二人へ、ユーリウスは冷ややかな視線を送る。
「学園祭まであと1ヶ月だというのに、お前達は生徒会へ顔を出さずに何をしているのだ?」
急に呼び出されたことが不満らしいマルセルは、フンと鼻を鳴らす。
「三役から僕達を外したのはユーリウス殿下でしょ?」
「それはお前達が生徒会の仕事を疎かにしたからだろう。生徒会は学園内の組織とはいえ国政の縮小版だと、国王陛下、元老院から我々の力を見定められていると入学前に話したはずだ」
呼び出さなければ生徒会室へは来なかっただろうと、マルセルを怒鳴りたい激情は、拳を握りしめ堪える。
「評価が低くなって困るのはユーリウス殿下だけでしょ? 僕は魔力が強いし、魔力が強ければ魔術師団へは入団できるからね。会議は忘れていたわけじゃないけど、B組がいろいろあって落ち着かないのはご存知でしょう? 殿下から頼まれたメリルもジョージ先生から目を付けられちゃって大変だし、彼女のフォローとクラスを立て直すので手一杯なんだよねー」
腕組みをしたマルセルは唇を尖らす。
幼い頃から遊び相手だったせいか、ユーリウスが相手でも子ども染みた態度を変えない。
以前ならば不敬とは思わなかった態度も、今は優先順位が違うだろうと彼の不貞腐れた姿に腹が立った。
「メリル嬢は自業自得だろうが。ルーファウスも、マルセルと同じ考えなのか?」
「殿下、私は」
返答に詰まったルーファウスは目を伏せる。
「申し訳ありません」
「……学園祭終了までは生徒会に席は残そう。出来るだけ召集には応じるように」
これ以上、二人とは話は出来ないと判断し、下がらせた。
ふぅ、息を吐いたユーリウスは閉まったばかりの生徒会長室の扉を睨む。
足早に立ち去って行ったマルセルとルーファウスは、居残りをさせられているというメリルの居る教室へ向かったのだろう。
「マルセルはともかく、ルーファウスまで腑抜け状態になるとはな」
お気に入りのモノを見つけると執着する性格のマルセルは仕方ないが、冷静沈着なルーファウスが己の評価を下げる行為だと理解しながら、ユーリウスよりもメリルを優先するとは。
其処までの魅力がメリルにあるのだろうか。後ろめたさを抱きつつ抗えないといった、あの様子はおかしい。
トントンットン、
生徒会長室の扉がノックされ、一人の男子生徒が入室する。
「殿下」
リズミカルなノックは、学園内で生徒に混じってユーリウスを護衛している暗部の合図。
入室したのは、メリルの動きを探らせていた諜報と精神干渉魔法に長けた者だった。
「何かあったのか?」
「それが……」
暗部の者から報告を受けたユーリウスは「なる程」と呟いた。
「図書館の学習室で二人きりで勉強会とはな。判断力が鈍ってしまったのか、盲目状態とやらなのか」
婚約者がいる者が家族以外の異性と個室で二人きりになるとは、かなり親密な仲か、他人には聞かせられない話をしている、ということだ。
そういう仲だから、ルーファウスが先程の返答をしたのかと納得した。
二人で健全な勉強会をしているとは思えない状態で、行動確認を暗部の者だけに行わせるわけにはいかない。とはいえメリルに近付けば、ユーリウスはあの甘ったるい香りに苦しめられる事となる。
「仕方がないな、リージアに頼むか」
出来ればリージアを巻き込みたくは無い。
何を行っているかによっては、女子には酷なものを見せてしまう。
しかし、メリルが放つ香りの正体が分からない以上、リージアに協力を依頼するしかなかった。
翌日の昼休み後、特別教室へ移動途中のリージアと話をつけ、放課後になり図書館へ足を踏み入れた瞬間、ユーリウスは顔を顰めてしまった。
(くっ、この匂いは)
図書館の奥からほのかに香る甘ったるい香りは、嗅ぎ覚えのある香り。鼻の奥が刺すように痛み出す。
これは不味いと、先に来ているだろうリージアを探す。
図書館の奥、学習室が並ぶ一角の手前でひきつった顔のリージアを見つけ、気配を抑えて近付いた。
本棚の間を抜けリージアの背後に回った時、学習室扉上部の硝子部分から室内の様子が見え、ユーリウスは我が目を疑った。
狭い学習室内で、椅子に脚を組んで座るメリルと頬を紅潮させて床に片膝をつくルーファウス。
女王に跪く下僕、という主従関係が見える異様な光景だった。
(何をやっているんだ?!)
圧倒されたリージアが後退しようとして、よろめき後ろへ倒れかける。
崩れる背中をとっさに腕を伸ばして支えた。
「ぎゃ、」
「声を出すな」
悲鳴を上げかけたリージアの耳元へ唇を寄せて短く命じる。
驚き振り返ろうとする彼女の口元を手のひらで覆い、目線で黙らせる。
扉の硝子部から学習室の様子を確認したユーリウスは、嫌悪感を露に眉間に皺を寄せた。
口噤んだリージアを後ろから抱え、学習室内から見えない位置にある本棚の影へ移動した。
涙目で見上げてくるリージアから「離して欲しい」という思いは伝わってくるが、まだ彼女を離せない。
「学習室で不埒な行為に耽るとはな。リージア、以前渡した魔石は持っているな? 記録を頼む」
我ながら酷いことを言っている自覚はある。
学習室で繰り広げられている倒錯した世界から逃げ出したいのだろう、リージアの瞳からはぽろぽろ涙が零れ落ちる。
「目を閉じていろ」
口元を覆う手のひらとは逆の手で眼鏡を外し、涙を流す目元を手のひらで覆い隠す。
両腕の中に小柄な彼女の全身をすっぽりと抱き込むこととなり、隙間無く密着すると石鹸の香りが鼻腔へ広がる。
至近距離で感じるやわらかな感触と甘い吐息に、今更ながら異性なのだという事実を実感してしまった。
力を込めれば手折ってしまいそうなリージアを傷付け泣かせたのだ。
きっと自分を嫌うだろう、と思うと胸が締め付けられるように苦しくなる。
「最近、邪魔ばかり入ってユーリウス様とお話が出来なくて寂しいの。私にユーリウス様と二人きりでお話する機会を作って欲しいの」
思考に耽っていたユーリウスは、メリルの声で我に返る。
声だけ聞けば可愛らしく恋人に甘えている声なのに、内容は図々しいものでユーリウスの眉間に皺が寄る。
「はぁはぁ、可愛いメリルのお願いならば、頑張って叶えるよ。ユーリウス殿下もメリルと話せば君の魅力の虜になるよ。僕みたいに」
吐息を混じりで発するルーファウスから、自分の発言に疑いを持っていないのが伝わってきて、背筋が寒くなった。
「うふふふっ、ルーファウス様っ大好きです」
椅子が軋む音が響き、素足になったメリルに踏まれて喘ぐルーファウスの声に、治まっていた頭痛が甦ってきた。
(馬鹿か。俺が男を踏みつける女の虜になると思っているのか?!)
苛立ちから手のひらに力が入った時、腕の中にいるリージアが震えているのが伝わってくる。
頭頂部へ鼻を近付け、髪の香りを嗅げば苛立ちが萎えていく。
嗅いでいるうちに震えるリージアの耳たぶを食みたくなった。
これは、変態の影響かと衝動を我慢し、唇で掠める程度で耳へ触れた。
涙して震えているのに、まだ彼女を解放してはやれない。
(リージアがいなかったら俺は……)
恍惚の表情で踏まれているかつての友人は、メリルによって抑圧していた性癖の全てをさらけ出して幸福感に包まれている。
腕の中のリージアがいなかったら、頭痛がするほど甘ったるい香りに絡めとられ、ルーファウス同様メリルが作り出す淫猥な世界に飲み込まれてしまう。
見えない意思から逃れるように、正気だということを確認するために抱き締めた。
学習室からメリルとルーファウスが去った後、崩れ落ちかけたリージアを片腕で支える。
「別の部屋を押さえてある。歩けるか?」
「足に力が入らな、きゃあっ!」
言い終わる前に、背後から支えていたリージアの背中と膝裏へ手を差し入れ、そのまま横抱きに彼女の体を抱えた。
「な、な、なにをっ」
「この方が早いだろ」
動揺のあまり、はくはく口を何度も開閉するリージアを抱き抱え、ユーリウスは学習室が並ぶ通路の奥へと歩き出した。
脱力しているリージアを無理矢理歩かせるなど考えられない。
抱き抱える姿を、暗部の者は見ていることだろう。暗部以外の他の者に目撃されても構わなかった。
王族専用閲覧室へ入り、抱えていたリージアを長椅子へ下ろす。
部屋全体にかけられた制約で、王族専用部室は王族と許可を得た者だけしか入れない。たとえ国王の命を受けた暗部でも許されない。
護衛達は外で待機、室内には呆けたままのリージアとユーリウスの二人だけ。意識すると妙な気分になってくるのを、軽く咳払いして誤魔化した。
図書館へ呼び出した理由を話すと、リージアは巻き込んだことへの怒りをぶつけてくる。
怒りを露にして睨むリージアの瞳は涙で輝き、純粋に綺麗だと感じてじっと見詰めた。
「リージアでなければ、私が駄目なのだ」
(リージアが側にいなければメリル嬢には近付けなかった。頭痛、目眩と吐き気で耐えられない。それに、あんな酷い光景は、一人では見るのは耐えられなかった)
本心からの思いを告げれば、怒りで吊り上がった目は下がっていき口は半開きとなる。
怒りが消えた顔から熟れた林檎のように真っ赤に染まっていく様は、間抜けで和んだ。
ころころと表情を変化させる彼女は、出会った当初の印象と同じく小動物そのものだ。
(……可愛い? これが、可愛いということなの、か?)
可愛いという感情は知っていても、ユーリウスが異性に可愛いという感情を抱いたのは初めての経験だった。
胸の奥が疼く。
嫌な感覚では無く、もっと味わいたいような。否、味わったらいけないような、もどかしい気分になる。
(なんだ? 今の感覚は?)
早鐘を打つ心臓の真上に、胸の中央へ手を当てた。
「匂いが、するんだ」
「へ?」
ぽかんと口を開けたリージアの口から、間の抜けた声が出た。
数秒固まって、腕の匂いを嗅ぐ彼女にユーリウスは吹き出しそうになる。
「あのメリル嬢から、甘ったるい匂いがして頭痛や鼻の奥が痛くなる。果ては意識がぼんやりして、まともな思考では無くなる」
「えーっと、それは体臭みたいなものですかね?」
「あんなに甘ったるいのが体臭とは思えんが……だが、さっきのはリージアがいてくれて助かった。アノ匂いはもう駄目だし、視覚的にもアレは俺でも耐えられない」
片手でこめかみを押さえたユーリウスの変化に気付き、リージアは勢いよく顔を動かして見る。
「殿下、俺って?」
「あ、」
無意識だった。
取り繕うことも出来ずに、しまったという思いが顔に出てしまう。
失態にユーリウスは片手で口元を覆った。
いつの間にか、リージアに気を許してしまっていた。
スキルだけでなく、彼女が放つやわらかな雰囲気が心地好いのがいけない。
自分が抱える事情を話し、手を貸して欲しいと頼めば、不承不承の体で了承する。
「殿下」
初めて、異性に対して可愛いと、傍に居て心地好いと感じてしまったせいなのか。
可愛いと感じた彼女が「殿下」と呼ぶ度に、彼女が1歩距離をとって接していると感じる度、「つまらない」と思ってしまうのは。
「名前」
「え?」
「あの変態は名前で、何故俺のことは名前で呼ばない?」
こんなことは、子ども染みた不満だと理解していた。
顔を合わせていられず、ユーリウスは上半身ごと顔を背ける。
「へ? 名前?」
眉を寄せて考えたリージアは、おずおずと口を開いた。
「ユーリウス殿下?」
「違う」
殿下付けの呼び方は、他の者からも呼ばれている。
「じゃ、じゃあ、ユーリウス様?」
名を呼ばれただけで、ユーリウスのきつく結んだ唇が綻び笑みとなる。
「それで、いい」
心臓の鼓動が早くなる不思議な感覚の名前は、今はまだ知る必要は無いはずだ。
愛玩動物に抱く感情とは異なる感情に戸惑い、考えることを放棄したユーリウスは長椅子の隣に座るリージアの手を取った。
王子様もお年頃なんです。
少し手直しするかも。
誤字脱字報告ありがとうございます。
見落としが多いので、本当に助かります。




