第七話 舟和の芋ようかん
梅雨らしい梅雨の天気。
雨が降っている日は、なんとなく気分が落ち込んでくる。どうしても、いろんなことを思い出してしまう。
なので今日は帰り道に、ちょっと美味しいものを買って帰ることにする。
「お芋~お芋~♪」
ちょっと浮かれて鼻歌を歌ってしまったけれど、そこはご容赦いただきたい。
アーケード街は傘を差さなくて済むから好き。新仲見世商店街は新旧いろんなお店が入り混じっている。そして昔からやっているところの代表格が舟和だ。
「何本入りのにしようかな」
舟和の芋ようかんはほぼサツマイモで出来ていて、甘みを引き立たせる砂糖とほんの少しのお塩が入っているらしい。黄色いその見た目はまさに黄金。美味しそうである。
賞味期限が3日とわりと短いので、また買えばいいかと5本詰めのものを一箱購入した。ずしっとした重さもいい。今日は雨のせいか少しだけ肌寒いから、あっためて食べるのもいいなぁと思う。
アーケードを六区まで抜けて、傘を改めて差して家路を急ぐ。
暗い雲から絶え間なく降り注ぐ雨は嫌い。お気に入りのスカートの裾は濡れるし、靴だって防水スプレーはしておいたけど濡れていい気持ちにはなれない。
下だけを見て足早に歩いていたら、急に何かに躓いてすっ転んだ。傘を持っていた手の方に芋ようかんも持っていたので、右手でどうにか顔面着地は免れた。ロック通りは歩道がタイル敷なので、パンプスがどこかに引っかかったようだった。
「いてて……」
膝を見るとストッキングが破れて血がにじんでいる。擦りむいたらしい。
今日は本当に、とことんついていない。
はぁ、と溜息をひとつついて、立ち上がる。傘を上に持ち直すと、目の前のアーケードの入り口で口論をしている男女が見えた。
(ただでさえ気分が落ち込んでいるのに、こんなところで喧嘩なんてしなくても……)
傘で顔を隠すようにして横を通り過ぎようとした、その時。
聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
「まり姉が何と言おうがもう戻る気はない! 俺はちゃんと暮らしていける!」
はっとして思わず傘を持ち直す。
目の前にいたのは、ふたりの男女。背の高いストレートの黒髪の美女と、見慣れた短髪で筋肉質な体つきをした青年。
「まりだって困ってるんだよ。戻ってきてよ」
「自分で追い出しておいてそんな虫のいい話があるわけないだろ?! 馬鹿なのか?! 馬鹿なんだな!」
ものすごく怒っている重成くんを見るのは初めてだ。そして美女なのに一人称がどうやら自分の名前なのがとても残念なひとだな、とうっかり観察してしまう。
そういえば、同居人の性別も詳しい経緯もちゃんと聞いてはいなかった。そうか。異性だったのか。
「とにかく俺は戻らない! 父さんたちにも話してあるし、おじさん達にも話はいってるだろうな」
「だから戻ってきてって言ってるんじゃない! まりだけじゃ東京暮らしなんて駄目だって言われてるんだもの!」
「知るか馬鹿! まり姉の自業自得だろ!!」
どっちも頭に血がのぼっているっぽい。声をかけるタイミングが見つからない。
大声で話しているから、なんとなーくどういうことなのかは分かってきたけど、どうやらよりを戻したい、みたいな話っぽいのかな。
そーっと黒髪美女の真後ろに回って、重成くんの視界に入るようにしてみる。声をかける勇気は私にはない。すごい剣幕なんだもん。
「……っ!!」
びっくりした顔をした重成くんは、私に気付いたようだった。よしよし。これでちょっとは頭も冷える、かな?
「……とりあえず、改めて話そう。帰れよ」
「いやよ。しげちゃんの家に泊めてよ」
「絶対いやだ! 帰れ!!」
さらにヒートアップの予感。なんだろうか、この火に油を注ぐスタイルの美女は。
「昔はあんなに素直だったのにー」
「……何でだろうな」
けっ、と横を向いて心底嫌そうな顔をした重成くんが、美女を見る目には嫌悪の感情しかない。自分がそう見られているわけではないのに、彼女越しにその視線を受けると胸が痛い。
ひとまず、喧嘩は終わりそうな気配だったので、私はそのまま家路を急いだ。
ああ、やっぱり今日はついていない。
家に帰って破れたストッキングをゴミ箱にダンクして、部屋着にしているTシャツとスウェットに着替えたところで玄関のドアが開いた音がした。
さて、無事に彼女は帰ったのかしら? 万が一連れてくるようなら、私は厳しめの対処をせねばいかん。家主ですし。
「おかえり」
階段から降りてきたところで、洗面所へ向かう重成くんと鉢合わせた。彼はすごくばつが悪い顔をして、腰を九十度に曲げてお辞儀をする。おー、じゃぱにーず謝罪すたーいる。
「すいません。見苦しいものをお見せしました」
「え、いや、別に。大丈夫だよ。ご飯は食べた?」
「はい……」
「あのさ、舟和の芋ようかん買ってきたから今から食べるんだけど、いっしょに食べてもらえる?」
ね、と私が笑いかけると、重成くんは申し訳なさそうな顔をして頷く。
「濡れている服を着替えたらリビングに行きます」
「うん。待ってるね」
さて、今夜はちょっと長くなりそうな予感。まぁ夜型人間なので別にいいんですけどね。
冷たいままの芋ようかんも美味しいけど、今日はやっぱり雨にも降られたし肌寒いから公式がおすすめしているレシピで食べようかと思います。気分的なBGMは三分クッキング。
「まずはフライパンに惜しげもなくバターを投入!」
たっぷり入れるのが美味しさの秘訣な気がするので、それを溶かしながら様子を見る。そしてここへダイレクトに芋ようかんをイン! じっくりとあたためながら、すこーし焦げ目がつくくらいが私的にベスト。
「何かいい匂いがしますね」
リビングにやってきた重成くんがくんくんと鼻を鳴らす。何だか犬みたいで、さっきまで怒っていた彼とのギャップに少し笑えてきた。
「この時間に食べるには背徳の食べ物だよ。あ、重成くんシナモン平気?」
「大丈夫です。あ、ハーゲンダッツのバニラ買ってきたんですけど、一緒に食べます?」
「いいね!」
美味しいものを前にするとさっきまでの落ち込んでいた気持ちがぐあっと上がるのを感じる。うんうん。美味しいものは正義なのだ。
「はい、こちら舟和おすすめの芋ようかんのバター焼き、シナモンの香り。バニラアイスを添えて、ですよー」
「すごい! 豪華ですね!」
なんだか暗い雰囲気だった重成くんの表情が明るくなる。うんうん。やっぱり笑顔だね。
「では、いただきまーす!」
「お召し上がりよしー」
あたためることによって芋の甘みがまた引き立つ。バニラアイスも、シナモンの香りも相乗効果でまた美味しい! 冷たい芋ようかんとあったかい緑茶の組み合わせも好きだけど、たまにはこういう食べ方もいいねー。和風なものが一気に洋風になる。
「美味しい~」
顔だってほころんじゃう。嫌なことはこの時ばかりはどっかに行っちゃうのだ。
「……福恵さん」
「なぁに?」
「その、さっきのことなんですけど……」
言いづらそうに重成くんが話してくれる。
「あれ、俺の従姉なんです。田舎では女王様みたいな人で、俺はお目付け役みたいな形で上京したんですけど……」
「同棲じゃないんだ」
「違いますっ! 全然違いますっ! あんなのと恋人になる人の気がしれませんよ」
遠い目をしているその目が、本当にうんざりとした嫌そうな顔だったので、私はそれ以上ツッコむのをやめた。本当に嫌なんだね。
「追い出しておいて、家事をやる人間がいないから帰ってこいだなんて、本当に俺のこと下に見て馬鹿にしてたんだなと思ったら、頭に血がのぼっちゃって」
どうやら大学で聞き込みをして、バイト先が浅草というのを掴んで張っていたらしい。
「帰らなくていいの?」
一番聞きたいことを聞く。まだ一か月も経っていないけど、この共同生活はすごく居心地がいいから。
「帰りたくないです」
重成くんが私の目をじっと見つめ返す。……いけない。これはいけない。勘違いしちゃうよ?
「……そっか」
だから、そう返すのが精いっぱいだった。私には彼女と重成くんのことを深く詮索する資格はない。
あたためた芋ようかんの焦げたところがほろ苦い。
それからは他愛のない話をして、このことについてはそれ以上の話はしなかった。
舟和さんは浅草のいろんなところにお店があります。
あと、芋ようかんだけならデパ地下でも。
久しぶりに食べたくなってきました。