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第一部 第二章 第二節 蠢く者たち

「立川の観測所から、帝都内の霊的反応について何か報告はないか?」


 陰陽庁東京本部本部長執務室で、賀茂憲行は本部第一課(公安課)課長の廣岡(ひろおか)実典(さねのり)に尋ねた。賀茂にとって、自身の右腕ともいえる人物だった。


「定時連絡では、異常なしとのことです」


「ふむ」


 賀茂は執務机の上に広げた首都圏の地図に目を落としながら頷いた。

 立川には、龍脈など霊子・霊力の波動を感知する観測所が置かれている。管轄は陰陽庁第三部(龍脈部)であるが、そこからもたらされる情報は、魔導犯罪捜査にも役立てることが出来る。


「すでに昼を回ったが、首都圏のどこからも食中毒らしき症状を訴える者は出てきていないな?」


 時計を確認しながら、賀茂はさらに尋ねた。


「はい。警察、消防からもそのような情報は届いておりません。まあ、こちらに回していないだけかもしれませんが」


「内務大臣から達しが出ているのだ。無意味な派閥意識に情報伝達が妨げられることもなかろう」


 縦割り行政が問題になる日本の行政であるが、帝都での不穏な事件に際してまでその弊害が発揮されては困ると賀茂は思った。

 それに、警察との連携は以前から意外と上手くいっている。同じく治安を維持する組織であるが、上手く管轄が分かれているために、派閥意識が刺激されることも少ないのだろう。それに、同じ内務省職員という同族意識もある。

 また、日本の官僚組織の常であるのだが、人事異動によって警察庁関係の部署と陰陽庁関係の部署を両方経験している人間もいる。日本の官僚組織は、専門家の育成ではなく、様々な部署を経験させて万能型の人間を育成しようとするところに特徴がある。

 そうした意味では、警察庁も陰陽庁も、相手の仕事を理解しているといえた。


「すると、昨夜の二人は上手くやってくれたということか」


 発見された魔法陣は合計で五十三ヶ所。その全てを、解呪することに成功したというわけだ。

 体調不良者の情報が入ってきていない以上、霊力奪取の阻止には成功したといえるだろう。もちろん、事件が解決したとは言い難い状況ではあるが。

 夜になればまた、首都圏のどこかで“魂食い”が発生するかもしれない。あるいは、こちらが“魂食い”に気付いたとして、別の行動に移すかもしれない。

 まだまだ警戒は怠れそうにないのが現状である。


「二人とは、遠野祓魔官と式神の件ですか?」


 賀茂の呟きを拾った廣岡が、気掛かりそうな口調で言った。


「うむ。何か問題でもあるのかね?」


「いえ、こちらとしても応援はありがたいのですが、こうもたびたび学園の教師を引き抜くのはいかがなものかと思いまして」


「ふむ?」


 賀茂は一瞬にして、相手の言いたいことを理解した。それでも、相手の言うに任せる。部下の話を聞く上司というものを演じなければならないからだ。


「そもそも、学園の教師陣は次世代の祓魔官を養成するために必要な人材です」廣岡は言った。「その次世代を育てるべき人材を実戦に投入し、万が一、殉職するような事態になれば、それは将来的な人材をも喪うことに等しいことになります」


「ふむ、君の懸念はもっともだな」


 賀茂はあえて頷いて見せた。

 それは、理解のできる懸念であった。戦時において似たような事例が存在するからだ。人材の払底してきた軍隊は、新兵教育に当たるべき教官中心の部隊を編制することがある。確かに、一時的に精強な部隊が出来上がるが、新兵を育成すべき人間がいなくなり、長期的には戦力が低下してくるという事例である。

 それは、万年人材不足と揶揄される陰陽庁にも当てはまることであった。他者を教育出来る祓魔官とは、それだけの技量と知識を持った存在である。確かにその者を引き抜けば、魔導犯罪や霊災には対処しやすくなる。しかし、後進を育成すべき人材を喪ってしまうという危険性は常に付きまとうことになるのだ。

 だが、それを判っていて賀茂も、彼の上司であり同期生である土御門も、遠野沙夜を引き抜いているのだ。

 理由は、有坂篁太郎から要請があったというのもそうだが、根本的にはやはり人材不足があるからだ。


「すでに清洲の井上くんからも同様の懸念を示されている」


 賀茂は清洲陰陽学園学園長の井上定義(さだよし)の名前を出した。


「ああ、倉橋教育総監も同じだな。だが、それで我々の業務は回るかね?」


「遺憾ながら……」


「結局は、それが理由だ」どこか諦観を含んだ声で賀茂は言った。「人材不足。陰陽庁に巣食う宿痾。こればかりはどうしようもない。だからこそ、殉職の危険性が少ない技量の高い者……まあ、今回の場合は遠野祓魔官だな……を引き抜かざるを得ないわけだ」


「我々が不甲斐ないばかりに、申し訳ありません」


「貴官が責任を感じる必要はあるまい」賀茂は慰めた。「所詮、魔術師などという人種は生まれ持った才能で大半がその後を左右される融通の利かない生き物なのだからな」


 だからこそ、胎児の段階で生まれてくる赤子に霊的改造を施して、人工的に魔術師としての能力を高めようとする考え方も生まれてくるわけだ。

 その言葉を、賀茂は胸の中だけで呟いた。

 それは、国際的にも国内的にも違法な行為だ。だが、過去、それを実行してしまった者たちも存在することもまた事実なのである。

 それは、陰陽庁の暗部として封印されるべき事件だった。

 そして当然、賀茂はそれらの内心を一切表情に浮かび上がらせることはなかった。


「取りあえず、我々が心配すべきは次世代のことではなく、今目の前にある事件だ。刹那的と言われようが、事件を速やかに解決して遠野祓魔官を教育に専念させることが、次世代の育成にも繋がるのだからな」


「かしこまりました。引き続き、犯人逮捕に全力を尽くします」


 廣岡は一礼して、執務室を後にした。

 二人の間に、()()()()()()()()()()()()()()()。彼の存在を、廣岡は知らないのだ。だから、賀茂も有坂祓魔官の話題を出さなかった。

 あの男もまた、この国の魔術界の暗部を象徴するような存在なのだから。

 実直で職務に忠実、政治的信用も確かな廣岡とて、未だ機密情報に触れられる地位にはいないのだ。


「さて」


 賀茂は内線電話を上げ、番号を押した。数度の呼び出し音の後、副本部長が電話に出る。


「私は輪王寺宮(みやさま)のところに顔を出してくる。念のため、お屋敷の警備を厳重にしていただきたい旨、ご説明申し上げなければならないからな。夕方には帰るが、何かあれば携帯電話の方に報告するように」


 正直、皇族の方々には俗世に関わっていただきたくない。

 しかし、輪王寺宮とあれば仕方がない。かつて東叡大王と呼ばれ江戸の霊的安定を担っていた宮家は、第一次大戦後、江戸時代と同様、帝都の霊的安定を守るために、皇族の中で最も霊的素質を持った者を当主として再興されたのだから。


◆   ◆   ◆


 円筒形の水槽に備え付けられたポンプと濾過(ろか)装置が、静かな駆動音を立てている。

 薄い緑色の液体の中に浮かんでいるのは、眠るように目を閉じた裸の少女だった。まるで人形のように均整が取れているが、肉付きの薄い、触れれば折れてしまいそうなほど細い裸体である。

 それは、昨夜、虎徹と交戦した少女であった。


「あの魔犬とやり合ったにしては、肉体的損傷が思ったより軽微ですね」


 水槽脇に設けられた装置のモニターを見ながら、男はそう呟いた。堀の深い顔立ちに白い肌は、黄色人種のそれではない。明らかに白人の男性であった。

 実際、彼が使っているのは日本語ではなかった。聞く者が聞けば、それがドイツ語であると判っただろう。


「再調整まで、どのくらいかかりそうですか?」


 一方、尋ねた男の方は日本人的特徴を有する人物であった。どこか枯れた印象を与える初老の男性だ。

 こちらは、日本語を用いている。

 二人の間には、淡く光る水晶球が置かれている。簡易的な翻訳機能が魔術によって付与された水晶球であった。


「あと七時間二十六分。日付が変わる前までには完了するでしょう。しかし、このラーズグリーズは、あの魔犬に匂いを覚えられていると考えてください。この施設は犬系魔族対策の結界が張ってありますが、施設から一歩外に出ればラーズグリーズが探知される危険性があることはお忘れなく。出入りの際には、これまで通りダミーの拠点を経由した転移魔法陣を使うように」


 昨夜、この調整槽の中の少女が魔犬の少年と交戦した後、陰陽庁による追跡を避けてこの施設まで辿り着けたのは、転移魔法を利用したからだ。匂いが途切れてしまえば、犬には追跡することは出来ない。

 しかも、魔犬が電撃によって負傷していたことも、逃走成功の要因だった。魔犬の主か陰陽庁が諸共の攻撃を行ったのだろう。

 特に、遠野沙夜は自身の眷獣に対して容赦のない人間であると聞く。


「承知しました」日本人の男は言った。「貴殿と同じように、私もまだ捕まるわけにはいきませんからね」


 白人の方はその様子を冷たい目で見つめていた。


「まるで、事が成せれば捕まってもよいというように聞こえますが?」


「否定はしません、ミュラー博士(ドクトル・ミュラー)


 ミュラーと呼ばれた白人男性は、理解できないとばかりに溜息をついた。


「別に私はちょび髭の伍長やナチの信奉者と違って日本人を劣等人種と嘲るつもりはありませんが、根本的に思考回路が異なる人種であることに関しては他の欧米人と意見を同じくしますよ。まあ、あなた方の同盟国であるイギリス人(ライミー)には、また違った見解があるのでしょうが」


「日本人は全員、天皇陛下に忠実な家臣、という意見ですか?」


「まあ、有体に言わせていただけるのならば」


「そういう人間がいることは否定しませんし、私は陛下のため、国家のために生きたいと思っていますよ」


「魔術師として真理の探究を行うよりも、天皇(カイザー)と国家への忠誠が優先されると?」


「これは、我が身を賭して帝国の現状へ警告を与えるために必要な行動なのです」

 

 断ずるように、日本人男性は言った。そこには悲壮感もなければ、自己陶酔もない。ただ、断乎たる信念だけがあるようだった。

 それ故にこそ、ヴォルフラム・ミュラーはこの男を信用しているのだ。

 国際魔導犯罪者である彼にとって、国家に巣食う魔術至上主義者は非常に利用価値のある相手だった。公権力を持つ彼らの協力を得られれば、自身の存在を捜査の目から隠すことが出来る。

 この日本人のような人間は、ミュラーの持つ魔導技術を欲している。ミュラーはそれを提供することで、自身を匿ってもらうことが出来るのだ。

 始めはヨーロッパで、その後は南米で、そして今、彼は日本に来た。

 これまで逃走してきた中で、日本ほど利用しやすい相手はなかった。この国に住まう魔術至上主義者は、魔術師による国家改造を目指している。それは八十年近く前の二・二六事件から変わらない。

 いったい、天皇自らが鎮圧に乗り出した事件の首謀者に共感する人間が天皇の臣下を語るなど、どういう思考回路をしているのだろうか?

 その矛盾をミュラーは内心で嗤っていたが、もちろん口にも表情にも出さない。

 とはいえ、公的魔術機関だけではなく、軍部にも未だ国家改造を目論む者たちがいるというのだから、利用する相手に事欠かない。

 ミュラーとの取引窓口となっているこの日本人―――丹羽(にわ)教光(のりみつ)と名乗った男の背後にはこの国の公的魔術機関が存在している。

 当分はこの国に腰を落ち着けることが出来そうだ、とミュラーは内心でほくそ笑む。

 先日は王子神社で自身の身代わり人形(ホムンクルス)を一体、失ってしまったが、その程度の損失は各国を逃走する上で何度も発生したことだ。こればかりは、自身の研究材料を集めなければならない以上、必要な危険性と割り切るしかない。


「今後も、ラーズグリーズが損傷した際は、ダミーの拠点からこちらへ転送するようにして下さい。この地にはサヤ・トオノとその眷獣(サーヴァント)がいますからね。直接、ここに来られては匂いを辿られる可能性があります。用心に越したことはありません」


「遠野祓魔官の式神の戦闘情報は?」


「すでにラーズグリーズに入力済み。あの魔犬のデータも入力しました。しかしまあ、良くて相打ち程度にしかなり得ません。あの犬とこの人形では、そもそも材料から完成度に至るまですべてが違いますから」


「いいのですか?」


 丹羽は確認のために訊いた。


「あの妖犬とて、貴殿の作品でしょうに。このままでは、この娘もあの犬も、壊すことになりますが?」


「それならば、その程度の作品であったということです。より高次の存在へと昇華することの出来なかった失敗作ならば、未練はありません。ただ、もし……」


 そこでいったん言葉を切ったミュラーの目に、先ほどとは違う光が宿る。氷の奥で炎が燃えているような、執念を感じさせる感情の色だった。


「もし、あの失敗作が何らかの形で十年前とは変化しているならば、それはそれで興味深い。それが私にとって進化といえる変化であれ、退化といえる変化であれ、今後の研究の参考になります」

 現実世界でもある縦割り行政の弊害。

 これは大日本帝国が存続しようがしまいが、絶対に生じる日本の問題でしょう。


 さて、物語の黒幕といえる人物を早々に描写してしまうことに、異論のある方もいらっしゃるかと思います。

 伏線を使ったり、ミステリー小説、刑事ドラマなどを参考にすればもっと上手く描写出来る可能性もあるのですが、現在の筆者の技量ですと難しいのです。

 申し訳ございません。

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