表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/36

第一部 第一章 第五節 ホムンクルスとの邂逅


「これで十六個目なのだ」


 すでに時刻は夜中の二時を回っていた。草木も眠る丑三つ時、である。

 そんな中でも虎徹は目を炯々と光らせ、眠気など微塵も感じさせない。

 とある高校の屋上に昇った彼の目の前にあるのは、複雑な紋様で構成された魔法陣だった。この夜だけで、すでに彼は同様の魔法陣をいくつも発見している。


「むぅ、久遠の方はもう三十三個も見つけているらしいのだ」


 このままでは、ご主人カンカンだろうな。負けず嫌いのご主人のことだ。いくらお師匠様の眷獣(サーヴァント)が相手とはいえ、負けようものならどんな折檻が待っていることか。

 そう思って、虎徹は軽く身震いした。


「……よし、もっと頑張るのだ」


 しかし、基本的に前向き思考な虎徹は、もっと頑張ればいいのだと気合を入れ直す。

 自分は偉大なお師匠様の弟子である偉大な魔女の眷獣(サーヴァント)なのだ。その顔に泥を塗るような結果だけは避けなければならない。


『駄犬よ』


 不意に、久遠の声がした。


「む、どうしたのだ、久遠?」


 声の元は、お師匠様から渡された呪符だった。遠隔会話用の術式が組み込まれたものだ。携帯電話をすぐ壊す虎徹のために、篁太郎が用意したものだった。


『賭けは、我の勝ちぞ』


「ん?」


 始め、通話の相手が何を言っているのか判らなかった。夜明けまで、あと数時間はある。まだ逆転は可能なはずだ。

 だが、そう思った次の瞬間、虎徹の鋭い嗅覚は()()を捉えた。

 ぐるるっ、と威嚇するような唸りを上げて、虎徹は給水塔の上を睨みつけた。

 そこに立っていたのは、白い少女だった。長く背中に流した銀髪に、病的なまでに色白の肌。ほっそりとした体を、ぶかぶかのコートで覆っている。

 形だけは整っている顔には、本来であればそこにあるべき感情の一切を欠いた、ひどく虚ろな表情が浮かんでいた。まるで、絵画に描かれた肖像画にそのまま実体を与えたかのような、人工的な顔立ちだった。

 虎徹の威嚇にも、何ら感情を動かされたような様子はない。


「オマエ、何だ?」


「……」


 だが、少女は答えない。その口はまるで能面に彫られた偽りの口のように、微動だにしない。

 鋭敏な嗅覚を誇る虎徹の鼻、その探知網を潜って自分に近づいてきたことに、彼は警戒心を強める。いや、今ですら、少女から漂う“匂い”は希薄なのだ。精気の“匂い”が、通常の人間ではありえないくらいに薄い。しかし、かといって彼女が「動く死体(リビングデッド)」といわれる屍鬼(しき)(グール)だとも判断しかねた。死者特有の腐臭は、まったくしないのだ。

 するとすれば、学園の保健室で嗅いだことのある薬品のような臭い程度か。


「オマエが、これを描いたのか?」


 虎徹は屋上の魔法陣を指さして尋ねる。

 少女は何も言わず、ただ首を振った。


「……そうか」


 何となく、この少女は嘘を言っていないような気がした。


「じゃあ、何でオマエはそんなところにいるのだ?」


 じっと睨みつける犬耳少年の視線が、白い少女を射抜く。だが、少女からの返答はなかった。

 代わりにあったのは、小さく呟かれた呪文のような言葉。


展開(アウスブレーテン)


 刹那、能面のごとき少女の表情が苦痛に歪んだ。それまで硬く閉ざされてきた唇が、わななくように震えている。


「ああああああああっ―――!」


 そして、少女の絶叫が屋上に響き渡り、彼女の体が光に包まれた。


◆   ◆   ◆


「なんとまあ……」


 この男が本気で驚いているところを、久遠は久々に見た気がした。

 久遠が妖力によって空中に映し出した映像には、虎徹と白い少女のいる屋上の様子が映し出されていた。

 絶叫と共に少女の体が光に包まれ、それが収まったかと思うと、彼女の装いは一変していた。

 羽根の生えた兜、金属製の胸当てや籠手、そして身の丈に合わない巨大な両刃の戦斧(せんぷ)


「『ヴァルキュリヤ・シリーズ』をまた見ることになるとは」


 確かに篁太郎の呟き通り、少女の装備は北欧神話の戦乙女(ヴァルキューレ)と呼ぶに相応しいものであった。


『何だ、それは?』


 魔術による通信回線を開いている沙夜が、詰問するように尋ねる。


「ドイツ第三帝国の戦闘用人造人間(ホムンクルス)製造計画『ニーベルンゲン計画』で造られたシリーズの一つですよ。まあ、当時の記録自体が各国で機密指定扱いになっているので、知っている人間など何人いるか」


 沙夜の質問に対して、篁太郎はざっくりと答える。


『お前は、どこでそれを知った?』


「もちろん、一九四四年、ラトビア、リガの研究施設で」


 そこは当時、ドイツ第三帝国の占領下にあった場所である。


「ふん、所詮は人の作った傀儡(くぐつ)ではないか」


 嘲るように、久遠が言った。その背後の空中に、梵字のような文字の浮かんだ魔法陣をいくつも展開していた。


「さて、篁太郎よ。ここからでも、あの傀儡を狙えるが?」


『無用だ、女狐(めぎつね)。私の眷獣(サーヴァント)だけで事足りる』


 篁太郎が返答する前に、素早く沙夜が答えた。その呼ばれ方に、久遠は露骨に顔をしかめた。


「ほう、我に対してその不敬なる物言い。万死に値する大罪よ」


 展開した魔法陣の方向を、沙夜の居る清州の方向へと向ける久遠。


「沙夜、久遠」


 これまた珍しく、真剣な口調で諫める篁太郎。


「判りました。あの少女は虎徹くんに任せましょう。久遠は被害極限のために、あの場所に結界の展開を。絶対に戦闘の余波を建物や周辺地域に及ぼさないようにして下さい」


「誰に向かって言っている、我が主よ?」


 得意そうに笑みを浮かべながら、式神の女は言った。


「我は大妖九尾(きゅうび)ぞ。神代(しんだい)に生まれしものの力、甘く見るでない」


◆   ◆   ◆


 先に仕掛けたのは、ヴァルキューレの少女の方だった。

 身の丈に合わぬ長大な戦斧を軽々と持ち上げ、虎徹に叩きつける。


「むっ」


 だが、虎徹の反応は早かった。手の爪が瞬時にして伸び、戦斧の刃を弾き飛ばしてしまう。

 長くしなやかに伸びる十本の爪。それは鍛え上げられた日本刀を思わせる優美さだった。

 故に、彼の名は「虎徹」。

 白い少女は、弾き飛ばされた勢いのまま空中で一回転して着地する。

対する虎徹は、右足を前に出して腰を落とした。重心を低くして、構える。

 動いたのは、同時。

 少女は戦斧を振りかぶり、虎徹はコンクリートを蹴る。左の爪で斧を弾き、懐に潜り込み、相手の腹部に掌底を叩き込もうとする。それを少女は半身をずらすことで避け、受け流す。

 一瞬の交差と、互いの位置の逆転。

 少女はそのまま体を回転させるようにして戦斧を振るい、虎徹の背中を狙う。虎徹は片足を軸に強引に体を旋回、十本の爪を交差させて戦斧を受け止める。そのまま体を後ろに倒すようにして足を振り上げ、靴底で戦斧の柄を蹴り上げた。

 一回転して、後方に着地。戦斧の少女の追撃は、着地と同時に。

 虎徹は、さらに後ろに跳んだ。その先は転落防止柵。そしてその先は、校庭。

 一瞬の浮遊感。両膝を発条(バネ)代わりにして、着地の衝撃を吸収。

 上空からは、人をたやすく両断出来るであろう戦斧の煌めき。

 再び、跳躍。

 瞬間、戦斧が校庭に叩きつけられた。クレーターのごとき窪みが生じ、土煙が上がる。

 虎徹は十の爪を、少女へと振り下ろす。だが、少女の反応速度は尋常ではなかった。地面に刺さった戦斧を即座に引き抜き、迎撃。

 激突の火花と共に、虎徹の爪が砕け散った。


「むっ、強いな、オマエ」


 一瞬、虎徹はそんな呟きを漏らした。

 少女が返す刀で戦斧を振るう。とった、と恐らく彼女は確信したことであろう。

 だが、意に反して、響いたのは刃と刃が激突する金属音のようなもの。

 虎徹の爪は、再び名刀を思わせる鋭利さを伴って伸びていた。

 それに驚きの表情を浮かべるでもなく、ただ無表情にヴァルキューレの少女は戦斧で相手の胴を薙ぐ。

 虎徹はその場で跳躍。少女は振り下ろされた爪を、戦斧の柄で防ぐ。

 凄まじい圧力が、少女の両手に伸し掛かる。拮抗状態。だがわずかに、彼女の表情が歪んだ。

 次の瞬間、空中にあった虎徹の足が動いた。

 腹部に蹴りを喰らった少女の体が吹き飛ばされる。

 地面の上で、少女の華奢な体が数回跳ねた。


「ごめん、なのだ」


 倒れた少女の背中に膝を乗せて拘束しながら、首の横に爪を突き立てている虎徹は謝罪した。


「でも、こうでもしないとオマエ、止まらないだろう?」


 虎徹は、この神話の装いをした少女の体が限界まで酷使されていることに気付いていた。

 白い肌はさらに血の気を失って青白くなり、顔には玉のような汗が浮かび、眉間には皺が寄っている。固く閉ざされていた口も、今は苦痛に耐えるかのように歪んでいた。


「……あ、あ、あっ」


「おい、もう止めるのだ!」


 なおも抵抗しようとする少女に、虎徹は焦る。少女は強引に力で彼の拘束を抜け出そうとしているのだ。

 少女を気絶させるという器用さは、虎徹にはない。やろうとすれば、きっと少女の体を破壊してしまうだろう。それは、彼女を殺すことと同義だ。

 どうすればいい!? どうすればいい!?


「痛いのは嫌だって、本当はオマエもそう思っているのだ! だから……っ!」


 虎徹はその言葉を言い終えることが出来なかった。落雷の如き電撃が、少女と彼女を拘束している虎徹に降り注いだのだ。

 辺りが一瞬、網膜を焼かれるほどの凄まじい閃光に包まれる。


「……ぐっ、あっ……」


 苦悶の叫びを、虎徹は何とか呑み込む。

 電撃の直撃を喰らった虎徹は、それでもなお立ち上がる力を残していた。しかし、身にまとった水干のあちこちが焦げ落ち、体も上手く動かないほどの傷を負っている。


「……どういうつもりだ?」


 虎徹にしては珍しい、怒りの籠った口調。だが、向けられた相手は少女ではない。


『さっさと始末せぬか、この駄犬が』


 聞こえてきたのは、叱責するような久遠の声。


『貴様っ、余計なことを!』


 そして続く、自身の主の怒りの声。


『久遠』


 篁太郎の声は、久遠を制止するかのような響きがあった。

 あの電撃に込められた霊力の波長から、久遠の妖術で攻撃されたことは虎徹にも判っていた。そしてその怒りは、自身もろとも少女を攻撃しようとしたことではなく、攻撃が少女の命を危険に晒す威力のものだったことに向けられていた。自分が少女に覆いかぶさるような姿勢でなければ、きっと彼女は致命傷を負っていただろう。

 その戦乙女の装束をまとった少女は、黒く焦げた大地の上でゆっくりと立ち上がろうとする。その装いも所々が焼け焦げて、白い肌がむき出しになっていた。


「おい、無茶は止めるのだっ!」


 思わず少女の身を案じ、虎徹は叫んだ。

 だが、少女はぎこちない動作で立ち上がると、感情の読めない虚ろな視線を虎徹に向けた。そして、再び斧を担ぐと、跳躍と共に校庭のフェンスを飛び越えて逃走を開始する。


「待つのだ!」


 追いかけようと足に力を込めた途端、虎徹は激痛に襲われた。そのまま少女を追うことも出来ず、その場で歯を食いしばって痛みに耐える。

 そして、その行為はただ痛みに耐えるためだけではないことは、虎徹自身が一番判っていた。

 あの少女が逃げてくれてほっとしている、そんな自分が確かにいるのだ。


◆   ◆   ◆


「久遠」


 映像越しにすべてを見守っていた篁太郎が、背後にいる己の式神の名を呼ぶ。


「篁太郎よ、我が命じられたのは『戦闘の余波を他に及ぼさぬようにする結界』であって、『あの傀儡を閉じ込める結界』ではないぞ」


 己の展開した結界を強化することなく、少女の逃走を許した久遠は悪びれずにそう言い放った。

 篁太郎は彼女の方を振り返らず、ただ空中に映し出された映像と、その先にある帝都の夜景をじっと見つめていた。


『貴様の式神の所為だぞ、篁』通信越しに、沙夜が糾弾する。『確かに私の眷獣は手ぬるかったかもしれないが、あのまま拘束し続ければ、いずれあの少女(ホムンクルス)は力尽きただろう。そうすれば、労せず少女を拘束出来たろうに』


「すみません」


 果たして沙夜の言う通りだろうかと疑問に思いつつも、篁太郎は素直に謝罪した。

 確かに、あの人造人間(ホムンクルス)の少女を拘束し、魔法陣との関係や彼女を製造した錬金術師などの背後関係を聞き出すことが事件解決のためには最善だったろう。

 それが、久遠の横槍によってすべてが水泡に帰した。そう見ることも出来よう。

 だが、それはあくまで希望的観測に過ぎない。恐らくあの人造人間(ホムンクルス)の少女は、あのまま無理な抵抗を続け、命を落としていたはずだ。

 それを、経験から篁太郎は理解していた。

 そして、少女(ホムンクルス)の死は実質的に犯人へ辿り着くための証拠の一つが消滅することも意味している。むしろ、この場合は逃げてくれた方がありがたいのだ。

 その行為が彼女の主人からの指示だったのか、彼女の自発的意思によるものかは判らないが、自分と久遠にとってその選択は悪手でしかない。


『私はその女狐を一度として信用したことはない』沙夜はなおも続けた。『篁、お前もいい加減、目を覚ませ。いずれ、その女狐はお前を喰らうぞ』


 久遠については吐き捨てるように、篁太郎に対しては懇願するように、彼女は言った。そして、それっきり通信は途切れてしまう。

 沙夜にとって、久遠は嫌悪すべき対象なのだ。


「……」


「……」


 今、陰陽庁の屋上には篁太郎と大妖たる九尾しかいない。二人の間に落ちた沈黙は、不思議なことに決して気まずいものではなかった。


「汚れ役を、自ら買って出る必要もないでしょうに」


 呆れるように、だがどこか感謝するように、篁太郎は言うのだ。


「何のことだ?」対する久遠は素っ気ない。「我はあの駄犬の手ぬるさが気に喰わなかっただけだ。敵は、叩いて潰す。それが戦いの鉄則よ」


 篁太郎は相変わらず久遠の方に顔を向けず、ただ夜の東京を見下ろしている。


「いつも、損な役割を背負わせてしまっているような気がします」


「はん、希代の悪女と呼ばれる我を式神としたことほど、損な役割もあるまい」


 久遠は篁太郎の言を鼻で嗤った。


「帝国の安寧のために、誰かが引き受けねばならなかった。でも俺は、それを損とは思っていませんよ」


「なかなかに含蓄に富んだ言い様よな」にやり、と久遠は唇を曲げた。「それは国家への献身のことを言っているのか、はたまた我を式神にしたことを言っているのか」


「後者と言ったら、あなたは喜びますか?」


 篁太郎はようやく、久遠へと顔を向けた。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。


「そこにお前の心が籠っているのならば、な」


「あなたを喜ばすのは、なかなか難しそうですね」


「うむ、期待しておるぞ」


 お互いに、笑みを交わす。

 篁太郎は再び視線を眼下の帝都に向けた。


「……東京は、広いですよ」


「ふん、狐の嗅覚を舐めてもらっては困るぞ」


 狐もイヌ科の動物。狐の魔族の頂点に位置する大妖九尾たる久遠にとって、臭いを追跡するのはそう困難なことではない。

 だから、臭いを探知された相手が久遠の追跡から逃れることは難しい。


「しかし、この九尾に連日犬の真似事をさせるとはな」


 不機嫌ではない。しかし、からかうような口調には不穏な響きが混じっていた。


「王子の狐は稲荷ずしだったか? 当然、我を犬代わりにした対価はそれなりのものでなければ承知せんぞ」


 脅すように、嬲るように、久遠は告げた。


「ええ、判っていますよ」


 そうした式神の態度に、笑いを含んだ声で篁太郎は応じるのだった。


 これにて、第一章は終了となります。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 伏線などが上手く描写出来ずに直接的な描写が多いなど、まだまだ拙い面があり、お見苦しい作品だったかと思います。

 戦闘描写もまだまだ未熟で、これからも精進していきたいと思います。

 また、素晴らしい作品を書かれた方々の影響を、まだまだ完全に脱し切れていないという思いもあり、独自性と面白さの追求という点で課題が残っている状態です。

 どうか、これからもお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ