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第一部 第一章 第四節 陰陽師と式神


 夜というものは、人間の世界からは消えつつあるのかもしれない。

 少なくとも、都会という環境下ではその思いを強くする。

高層ビルの立ち並ぶ都心ではビルの窓から明かりが煌々と漏れ出し、街灯が本来は暗い地上を明るく照らし出している。

 第一次世界大戦によって魔術が復権したとしても、それで時代が中世や古代に戻るわけではない。進歩を続ける科学は、魔術以上に人々に受け入れられ、人間の生存圏を地理的にも時間的にも広げていた。

 それは当然だろう、と有坂篁太郎は思う。多分に血統や先天的な才能に左右される魔術と違い、科学は生まれや血筋などに左右されない。実践するという一点において、科学は魔術よりもはるかに汎用性のある学問なのだ。

 彼が陰陽庁庁舎の屋上から見下ろす帝都の夜景は、まさしく科学技術の恩寵の上に成り立つものであった。

 法被のような和風の赤いフード付き外套を羽織った篁太郎は、屋上に設けられたヘリポートの淵に腰かけながら、庁舎内の自動販売機で買ってきた缶コーヒーを啜った。原材料の先頭が「練乳」と書いてある、黄色い缶に入った甘みの強いコーヒーである。


「相変わらず、有坂祓魔官は甘党の様だな」


 ヘリポートへと続く階段から現れた賀茂憲行は、面白がるような口調と共に篁太郎の手元にある缶コーヒーを見つめた。


「おいしいですよ、これ」


 賀茂の方を振り向きながら、缶を示す篁太郎。


「いや、私は遠慮しておくよ。私は甘いものよりアルコールが好きなのでな」


「お酒はほどほどに。体に良くないですよ」


「それは甘いものとて同じだろう? 貴官も精々、糖尿病には気を付けるのだな」


「ええ、ご忠告感謝します」


 そう言って、二人で小さく笑い合う。それを収めると、賀茂は真剣な表情になって、篁太郎に訊いた。


「成果の方はどうだ?」


「まあ、現状はそんなところです」


 篁太郎は屋上の一角を指さした。そこには、水を張った巨大な器が存在していた。そして、それに映っているのは東京二十三区を中心とする首都圏の地図だった。まるで、衛星写真ように、精密な地図である。


水鏡(みずかがみ)、か」


 ほう、と賀茂は感嘆の声を漏らす。水鏡は、水という触媒を通して遠方の景色を映し出したり、自らが望む映像を映し出す術式である。遠方の景色を映すという特性を利用して、遠方の相手との会話も出来る。現代でいうところの、モニターやテレビ電話のような術式でもあった。

 今、水面に映し出された首都圏の地図には、いくつかの光点が示されていた。


「“魂食い”のための魔法陣が描かれていた地点です。やはり、学校施設、病院施設、介護施設などが多いですね」


「つまり、大量の体調不良者を出しても怪しまれないところか」


「ええ、そのようです」


 そう言って、篁太郎は視線を東京の夜景に戻した。その横顔からは、感情を読み取れない。無表情ではあるが、冷たくはない。それは、この世の事象すべてを達観している者の表情だ。

 この二十歳を越えたか越えていないかという外見の人間が浮かべるには、ひどく不釣り合いな表情だと賀茂は思った。だがそれが、有坂篁太郎という名の陰陽師なのだ。


「それで、見たところ光点が二種類存在するようだが?」


 赤と青の光点があることを、純粋に不思議がった賀茂が問う。


「ああ、それは……」


「赤は(われ)の、青はあの小娘の式神が見つけた魔法陣よ」


 篁太郎の言葉を遮って、不意に女性の声が響く。

 水鏡の横に現れたのは、美貌というにはいささか妖艶に過ぎる顔立ちをした女性だった。背中に流した黒い髪は腰に届くほど長く、絶妙なまでに均勢のとれた体を包む濃い紫の衣服は古代東洋の女帝か、平安貴族の十二単を思わせた。

 そして、その容姿の中で最も特徴的なのは頭部に生えた二つの耳であろう。短い黄金色(こがねいろ)の体毛に覆われたそれは、鋭く尖っていた。


「あの小娘の眷獣(サーヴァント)と、少しばかり賭けをしていてな」


 そう言って、現れた若い女はうっすらと笑みを浮かべる。

 霊体化していた魔族の突然の出現にも、賀茂は驚かなかった。この魔族の女は、篁太郎の式神なのだ。

 式神とは陰陽師が使役する存在のことであり、西洋魔術における眷獣(使い魔)とは、根本的な違いがある。式神は、確かに眷獣と同じく陰陽師の使役する魔族が含まれるが、それ以外にも形代(かたしろ)など呪術で動かすことの出来る物体も同じく式神として扱われるのだ。

 ただし、実際に魔族を式神、あるいは眷獣として使役している祓魔官の数は圧倒的少数派である。

 (いにしえ)の大陰陽師、安倍晴明が十二神将を式神として従えていたことが伝説として語り継がれる事例の通り、魔族を配下に置くことは非常に難しいことであるからだ。

 魔族より人間の側に実力がなければ、そもそも従えること自体が困難なのだ。


「賭け、とは?」


 一歩、階段の方へ下がりながら、賀茂は問うた。


「ああ、久遠(くおん)と虎徹くん、どちらがより多くの魔法陣を発見出来るか二人で賭けをしているそうで」


 説明したのは、篁太郎である。この式神を前にして平然としていられるのは、この男程度のものだろう。賀茂は内心で苦笑する。

 自分は、この女と同じ空間にいること自体が耐えられないのだ。優秀な祓魔官だからこそ、賀茂はこの女魔族が破格の霊的存在であることを敏感に感じ取ってしまう。

 この女が傍にいることが、酷く恐ろしく感じてしまう。

 このような存在と共に仕事をするなど、とても耐えられそうにない。何かの拍子に自分が本当に喰われてしまうのではないかという恐怖感がある。自分の霊力、自分の精気、自分の血肉、それらすべてがこの女に霊力源として取り込まれてしまうのではないか、そんな思いを抱いてしまうのだ。

 だからこそなのか、有坂篁太郎は祓魔官の地位こそ持っているが、所属は陰陽寮ではない。彼は皇族の屋敷の霊的警備を任せられていることから判る通り、本来は宮内省の所属である。

 その宮内省でも、彼は特定の部署に属しているわけではない。

 つまり、彼とその式神はどの指揮系統からも外れた存在なのだ。


「賀茂さんが困っていますよ、久遠」


「ふむ、それは失礼した。本部長殿」


 ぞっとするほど艶やかな笑みで謝罪すると、久遠と呼ばれた式神は再び霊体化してその姿を消してしまった。

 身にのしかかる威圧感が消えたことに、賀茂は小さく息をつく。


「取りあえず、魔法陣の発見された地点には捜査官を派遣した方がいいでしょう。発動されても困りますから」


「そうだな」


 賀茂は疲れたような口調で同意した。


「俺と久遠はある程度、今夜の捜査に目途が付いたら、もう一つの捜査の方に戻らせてもらいます。それでいいですか?」


「そちらについては有坂祓魔官の判断に任せる」賀茂が言った。「貴官に対する命令権は、私にはない。貴官の判断で最善と思われる行動をとってくれればいい」


「判りました。そうさせていただけると、俺も楽ですから」


「私は下の本部に戻る。何かあれば、報告してくれ」


「判っていますよ。〈白銀の魔女〉からの報告も、全部本部の方に回しましょう」


「ああ、助かる」


 それだけ言うと、賀茂は屋上から退出してしまった。


「ふん、奴め。平然とした顔をしておるのに、我を恐れていることが丸判りだの」


 再び実体化した久遠は、篁太郎の腰かけるヘリポートの上にすとんと降り立った。


「不快に感じたのなら、許してあげて下さい」


「なに、侮られるよりもよい。それに、あの男は身の程を弁えておる。可愛げのあるというもの」


 尊大な態度で、久遠は陰陽庁の実質的ナンバーツーを評した。


「それよりも篁太郎、どうも今のところ、我があの駄犬に勝っているようだぞ」


 功を誇るように、久遠は水鏡を指示した。確かに、赤の光点は青の光点よりも多い。


「ふん、我が少し力を解放すれば、関東全域を探知範囲に収めることは造作もないというのに」


 霊力波を発して、別の霊力と接触する箇所を探す。原理は、電波探信儀(レーダー)と同じである。問題は逆探知されてこちらの位置も露見してしまう点であるが、犯人を誘き出すという観点から見れば問題ない。

 相手は“魂食い”を目的にしている。強い霊力源は格好の標的になるはずだ。


「そんなことをすれば、龍脈を探知している魔術装置などに悪影響が出ますよ」


 精密機械に磁気を近づけてはいけないのと同じ理由である。あまりに強すぎる霊力は、他の霊子・霊力に干渉してしまうのだ。


「だから単に臭いを探知するだけしか能がないあの駄犬を頼ったというわけか? 何とも原始的な方法よの。警察犬の仕事ではないか」


「あなたの矜持を傷付けてしまったのなら、謝罪しますよ」


「よい」そうは言いつつも、久遠はどこか不愉快そうな表情を浮かべる。「我はこの場に留まっているだけで魔術探知を行える。対してあの駄犬は首都圏中を駆けずり回りながら、捜査をしている。我とあの駄犬の優劣は明らかだ。別に、お前が我の矜持を傷付けたとは思っておらん」


「その割には、不機嫌そうですが?」


 穏やかに、篁太郎は問うた。かつて大妖とまで呼ばれたほどの存在である己の式神に対して、まったく臆する様子がない。


「お前はあの小娘に気を遣いすぎぞ。今回の件も、お前と我いれば十分であろうに。外津国(とつくに)の罪人の捕縛も、“魂食い”も同時に解決するくらい、お前と我ならば造作もなかろう? 加えて、王子の狐もいる。なのに篁太郎、お前は小娘をわざわざ今回の件に引き入れた。何故だ?」


 不機嫌の原因はそれであったらしい。式神として頼りにされていないと感じているのか、単なる虎徹への対抗心か。あるいは……


「まあ、俺は沙夜の庇護者ですから」


 久遠の内心を察しつつも、篁太郎は正直に理由を口にした。


「一つ、忠告してやろう」


 酷薄な、それでいて人を惹き付けるような笑みを浮かべたまま、久遠と呼ばれた式神は篁太郎に顔を近づけた。


「あの小娘は、お前の足枷にしかならんぞ。我としては、早めにあの娘を処分すべきだと思うがな」


 琥珀色をした美しい目が、青年の顔をのぞき込む。


「……」


 篁太郎は、表情を変えない。相変わらず、どこか達観したような穏やかさでそこに佇んでいる。

 すっと、久遠は白くしなやかな指で篁太郎の頬を撫でる。


「我に任せろ、篁太郎。あの小娘を、奴の眷獣共々、幸せな夢の中で死なせてやろう」


 残酷な忠告を平然と口にする式神の手に、篁太郎は己の手を重ねた。そして、自分の頬に触れているその手を引き剥がす。


「俺を心配してくれて、ありがとうございます。心に()めておきますよ」


 その声は、表情と同じく感情のさざ波を一切感じさせない凪いだものだった。


 この世界では大日本帝国が存続しているので、現実世界の「宮内庁」はこの世界では戦前と同じく「宮内省」のままです。当然ながら、職掌範囲は現実世界の宮内庁よりも広く、現実では警視庁の管轄である皇宮警察も、この世界では宮内省の管轄です。


 さて、ここまでお読みいただいた皆様の中には、執筆の焦点、つまり誰が主人公であるのか疑問に思っておられる方もいるかと思います。

 正直なところ、本作は魔術ファンタジーであるとともに、歴史改変小説でもあります。そのため、筆者自身の意図としては、主人公は大日本帝国そのものであり、ある種の群像劇を目指して執筆しております。


 余談ではありますが、これを執筆していて自分はつくづくケモミミ少女が好きなのだと思いました。

 現状、主要登場妖が全員ケモミミです(虎徹が男の子なので、完全にケモミミ少女だけというわけではありませんが)。

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