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第一部 第一章 第三節 魔導を志す者たち


 国立清洲陰陽学園は、文部科学省ではなく内務省陰陽庁の管轄下にある公的教育機関の一つである。

 将来の祓魔官を養成するための学校であり、全国にある同様の教育施設の中では、最大の規模のものであった。

 日本の教育制度は大日本帝国憲法改定後(改定後の憲法を、「明治憲法」に倣って「昭和憲法」と呼ぶ)の一九五〇年代に改革が行われ、小学校六年、中学校三年、高校三年、大学四年という形に現在では定められている。

 このため、陰陽庁の管轄下にあるとはいえ、陰陽学園も現行の学制を採用しており、学園は中等部、高等部、大学部の三学校を総合した形式をとっている。

 清洲と名付けられた埋立地のほぼ全域が陰陽学園の敷地であり、地方からやってきた生徒のための学生寮なども完備されている。もっとも、一部私立学校や陸海軍の各種学校などと違い、全寮制というわけではないので、東京近郊に実家がある生徒は自宅通いの割合が高い。






「ねえ、あんた。この後、時間ある?」


 高等部二年の相馬(そうま)柊一(しゅういち)が声をかけられたのは、一日の講義や掃除などがすべて終わって生徒たちが帰宅や自習など各々の行動を取り始めた時だった。

 かくいう柊一も、教科書類を鞄の中に詰めていた。


「何かあるのか、アリス?」


 柊一に声をかけたのは、金髪碧眼の少女だった。日本人の生徒がほとんどを占める学園の中で、少数派に属する留学生である。

 とはいえ、話す言葉は流暢な日本語だ。声だけ聞けば、外国人だとは判らないだろう。

 アリス・クリスティアン・エスターモント。それが少女の名前だった。高校一年の春に、イギリスから留学してきた人物だった。魔術師の家系で、湖水地方にある実家は子爵の地位を持つらしい。

 日本にも華族制度があるとはいえ、一般平民の家庭に生まれた柊一にとっては、貴族についての理解は薄い。

 日本語が流暢なのは、幼少時から何度も日本を訪れていたかららしい。軽井沢や帝国海外領土である南洋群島には別荘まで持っているそうだ。

 流石は貴族だと、それを聞いた時に柊一は思ったものである。

 全体的にほっそりとした少女だが、身長は西洋人らしく日本人男性の平均身長程度はある。日本人女性と比較すれば、長身の類に入るだろう。目鼻立ちはくっきりとしており、意志の強そうな瞳が印象的だった。


「今日は剣道部の放課後練もないでしょ? だから資料館の方にでも行こうと思って」


「ああ、なるほどな」


 柊一とアリスは、同じ剣道部に所属している。

 祓魔官を養成する施設であるが、部活に関しては一般的な学校と同じように存在している。一般の学校と違うのは、武術系の部活が多く、しかもそれを奨励しているということか。もちろんこれは、祓魔官としての職務をこなすにあたって体力や武術が必要となる場面が多いからだ。


「またちょっと付き合ってくれるかしら?」


「まあ、俺も図書館の方に行こうと思っていたし、ちょうどいいな」


 柊一は鞄に荷物を詰め終わると、立ち上がった。アリスと共に教室を出る。


「で、今日は資料館の方で何を読むつもりなんだ?」


「漢籍」端的に、アリスは答えた。「正直、漢文とくずし字は未だ慣れないわ」


「了解」


 柊一は応じた。日本語を完璧に操っているように見えるこのイギリス人の少女にも、まだ古文系は苦手なのだ。


「じゃあ、今度は俺が英文の魔導書を読むのを手伝ってくれ」


「いいわよ。お互い、得意分野で助け合えるのはいいことよね」


 アリスが小さく笑って言った。


  ◇◇◇


 全面ガラス張りの現代的な外観を誇る図書館棟に隣接して、教育資料館という施設が学園敷地内にはある。

 元は教育資料館の方が図書館棟であったのだが、現在ではその役割を新たに建てられた隣の建物に譲り、貴重な書物や資料を収める施設として利用されている。

 外観は枢密院庁舎や国会議事堂でもおなじみの古代ギリシャ式の白亜の建築物であり、現図書館棟と比べると歴史を感じさせる荘厳さがある。

 図書館と違い、資料館はその蔵書の貴重さから、学生証や教員証をカードリーダーにかざすだけでは入れない。厳重ではないにせよ、書庫に入るには一定の手続きが必要となる。

 遠野沙夜が書庫から出てくると、受付では高等部の生徒二人が今まさに入庫手続きを行っていた。放課後の自習に来たのだろう。

 教育資料館を利用するのは、主に大学部の学生か、教員である。その意味では、読解にそれなりの知識量を必要とする資料が収められたここを利用する高等部生徒は、勉強熱心と評して構わないだろう。

 そんな生徒が誰なのかと、沙夜は少し興味を引かれた。

 一人は男子生徒、もう一人は女子生徒だった。どちらかといえば、女子生徒の方が印象に残る風貌だろう。何故なら、彼女の髪は日本では珍しい金髪だったのだから。

 男子生徒の方は、正直大勢の中に埋没してしまいそうな人物だった。取り立てて美男子というわけでもなく、かといって醜男(ぶおとこ)というわけでもない、あえて言うならば人の好さそうな顔立ちに見えないこともない、そういう生徒だった。

 そして沙夜は、その二人とも名前を覚えていた。


「誰かと思えば相馬兄妹(きょうだい)の兄の方に留学生ではないか」


 受付の用紙に記入していた男子生徒が手を止め、沙夜に一礼した。


「遠野先生も、いらしていたんですね」


「まあ、大学部の授業準備のためにな」


 沙夜は小脇にファイルを抱えていた。複写した資料の整理用だった。


「そういう貴様らは、何をしにきたんだ?」


 沙夜は二人の生徒を交互に見やった。講師に対する礼節を忘れない男子生徒に対して、金髪の女子生徒はいささか憮然としていた。まるで、ここで沙夜に会ったことが不愉快だと言わんばかりだ。

 沙夜自身、自分が万人に好かれる人間ではないと自覚している。いや、それ以上に敵を作りやすい性格であることも自覚している。

 だから、留学生である女子生徒の態度を、沙夜は大して不快に思わなかった。そんなものは鼻で笑ってやればよいとすら思っている。流石に、場所が悪いのでやらないが。


「ちょっと、漢籍の勉強をアリスがしたいって言うものですから」


「ああ、そういえばそっちの留学生は東洋の魔導書の読解が苦手だったな」


 相馬と呼ばれた男子生徒の答えに、沙夜が納得する。一方、アリスと呼ばれた女子生徒は、余計なことを言うなとばかりに男子生徒を睨んでいた。


「まあ、自主学習は結構なことだ。魔術師になるために、陰陽学園の十年などあっという間だぞ。精々、頑張るのだな」


「ありがとうございます」


 男子生徒は丁寧に礼を述べる。アリスと呼ばれた金髪の少女の表情は、相変わらずだった。


「ところで、貴様の妹は元気か、相馬兄?」


「なんか、俺が(かえで)の付属品みたいな言い方ですね」


 男子生徒は思わず苦笑していた。それは、この小柄な教師の言葉に不快感を覚えたわけではなく、自分自身の未熟さを自覚しての、顔の反応だった。


「貴様より妹の方が、遥かに祓魔官としての素質があるからな。教師陣の間でも相馬楓は評判だぞ。素直、真面目、成績優秀、表裏のない性格。これで魔族恐怖症さえなければ、将来は有望な祓魔官になれるだろう、とな」


 魔族恐怖症、の言葉に男子生徒は苦い表情を浮かべた。


「本当に、その節は妹がご迷惑をおかけしました」


 実直な口調で、彼はそう謝罪する。


「ふん、あれはいささか調子に乗っていた馬鹿犬が悪い」


 罵倒しているようだが、沙夜は暗に自分に非があることを認めていた。眷獣の不始末は主人の責任、それは彼女が師匠である青年から教わったことの一つであった。


「それと、私も同じ失敗をするほど愚かではない。アレには以後不用意に相馬楓に近づかんよう言いつけてある」


 動物が苦手な人間がいるように、誰もが魔族に慣れているわけではない。

 中等部の生徒であるこの男子生徒の妹は特にそれが酷く、入学直後に虎徹と遭遇、恐慌状態に陥り、霊力を暴走させたという事件が過去にあったのだ。


「色々と先生にご迷惑をかけてすみません」


 本当に、男子生徒はそう思っているようだった。要は、人が良いのだろう。だからこそ、留学生の勉強にも律義に付き合っているのだ。

 自分にはとても真似出来ないな、と沙夜は教員にあるまじき思いを抱く。

 自分の場合、教えるべきことを教えたら、あとは生徒本人が努力すべきとの教育方針を持っている。魔術の世界とは、畢竟、実力主義の世界なのだ。そのくらいの厳しさで構わないだろう、というのが沙夜の講師としての信念でもあった。

 その意味では、沙夜は魔術師としての相馬柊一という生徒をまるで評価していない。

 だから、去り際の言葉も辛辣なものとなった。


「そう思っているのなら、成績で挽回するのだな、半人前陰陽師」


  ◇◇◇


「お前、遠野先生が嫌いなのか?」


 遠野沙夜と受付で別れてから柊一は言った。閲覧室へと向かう廊下でのことだった。


「正直、性格が悪いと思わない? 教師としてではなく、人間として」


 アリスは顔を歪めて、心底嫌そうに言うのだ。


「まあ、厳しいことズバズバ言う先生だとは思うぞ。でも、そこまで悪い人じゃない。何より、魔術師としての知識量が半端じゃないしな」


 柊一にも、人の好き嫌いはある。しかし、陰で人の、それも講師の悪口を言うことは気が引ける。

 それに、柊一は遠野沙夜の授業を結構気に入っているのだ。

 とはいえ、彼女からの評価が低いことも納得している。そもそも、自分はあまり魔術師に向いていないのだ。

 個人の持つ魔力量は、両親からの遺伝など生まれる前にほとんどが決まってしまう。

柊一は、生まれつき魔力量が少なかった。だから、そんな自分が魔術師として大成することなど、ありえないだろう。

 それは諦観というよりも、彼なりの自己認識であった。魔術の実技科目の成績は、入学以来低いままなのだ。これは本人の努力以前に、生来の魔力量の多寡が大きな影響を及ぼしている。

 生来の魔力量が魔術師としての能力を左右するのは、彼ら魔術師にとっては常識であったのだ。


「私、実は留学前からあの人のことを知っているの」


 そのような柊一の内心に構うことなく、唐突にアリスが言った。


「へえ、そりゃ初耳だな」


「あの人の師匠とうちの祖父が知り合いでね。第二次世界大戦頃からの付き合いらしいわ」


「そりゃ長いな」


 第二次世界大戦といえば、一九三九年に勃発した欧州を主戦場とした戦争だ。日英同盟に基づき、日本が対独参戦を果たしたのが翌四〇年八月のことである(それ以前から「義勇軍」の名の下に兵力を送り込んでいたが)。

 四七年五月のストックホルム講和会議によって戦争が終結したが、そこを起点に考えても彼女の祖父と遠野先生の師匠は七〇年以上にわたる長い付き合いということになる。

 遠野沙夜の師匠については、ある程度生徒たちの間でも情報が流れているが、本名や年齢、陰陽庁でどのような地位に就いているのかはよく知られていなかった。

 いったい、二人とも今年で何歳なんだ? 確か、アリスの祖父は存命だったはず……

 ふと、そんな疑問が柊一の頭に浮かんだ。


「まあ、そんなわけで、私が日本に留学することになったのも、そういう縁があったからよ。それに、小さい時から日本には何度も来ていたし」


「人に歴史あり、だな」


「人を年寄みたいに言わないでくれるかしら?」アリスが柊一の脇腹を軽く肘で突っついた。「それに、あんたと妹さんだって、言っちゃ悪いけど事情抱えてるでしょ?」


「まあ、な」


 歯切れ悪く、柊一が答えた。彼としても、妹の魔族恐怖症は心配の種なのだ。そして、それに対して何も出来ない自分がもどかしくもあった。


「まあ、高一の時からあんたには色々付き合ってもらってたし、何かあったら私もあんたに付き合ってあげるわ。等価交換、ってやつね」


「悪いな、アリス。何か、迷惑かけてるみたいで」


「そういう時はね、謝るんじゃなくて、素直に『ありがとう』とでも言っておきなさい」


「そういうもんか?」


「そういうものよ」


 断ずるように言って、アリスは閲覧室の扉を開いた。


 東京湾の埋め立て地の中には、関東大震災の際の瓦礫処理の中で生まれた場所があります。

 現実とは違う歴史を歩んだこの世界の日本では、そうした経緯で「清洲」という埋立地が出来たとご理解下さい。

 また、この世界の日本の学制ですが、あえて現実世界の日本の学制と同じにしてあります。

 これは、戦前の学制(尋常小学校、高等小学校、旧制中学校、旧制高等学校など)をそのまま作中で使用したのでは、筆者も含め、読者の皆様に非常に理解しにくい設定となってしまうと思ったからです。

 この他、アリスの描写でも出てきた通り、大日本帝国が存続しているので、史実では戦後、アメリカの信託統治領となっていた南洋群島は、当然この世界では日本の統治地域に含まれています。

 南沙諸島も史実では日本の領土に編入されたことがありますから、当時の日本が現代の日本と比べていかに広大な地域に支配権を及ぼしていたのかが判ります。

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