第二部 第一章 第四節 真理の探究者たち
「人間は基本的に、言語によって思考し、記憶し、想像する」
高等部大講堂に、西洋魔術科講師・遠野沙夜の声が響く。
「まあ、これに関しては心理学の分野から異論が唱えられているが、少なくとも魔術に関しては言語と思考の関係性は大前提とされている」
大講堂で聴講しているのは、清洲陰陽学園の高等部二年の生徒たち。その中には、相馬柊一やその友人でイギリス(イングランド)からの留学生アリス・クリスティアン・エスターモントの姿もある。
「『魔術とは精神的手段によって世界の理に影響を及ぼす技術の総称』とは、とある十九世紀イギリスの魔術師が唱えた言葉で、まあ、魔術の本質を突いているとはいえるだろう。特に西洋魔術ではこの傾向が顕著だな」
階段状になった講堂の最も低い位置で、黒板を前にした沙夜は語る。
「だが、精神論だけですべてが語れるほど、魔術という学問・技術は簡単なものではない。ところで、お前たちはもう日本史の講義で近現代史はやったか?」
その質問に、一部の生徒が戸惑いの表情を浮かべる。
高等部二年の一学期では、まだ日本史は近現代史まで進んでいないのだ。とはいえ、そこに頓着する沙夜ではない。彼女にとって、生徒が自分の講義レベルに合わせられるよう努力すべきなのであって、逆は断じてあり得ないのだ。
「一九三〇年代後半、近衛文麿内閣が混迷を極める世界情勢に対応するために打ち出した政策の一つに『国民精神総動員運動』というものがあった。まあ、早い話が国難を精神力で乗り切ろう、というようなものだ。結果か? 考えずとも判るだろう? 近衛内閣は短期間で崩壊、精動もそれっきりだ。あとはまあ、敵の飛行機は機銃ではなく気迫で墜とすのだとか宣った陸軍軍人もいたな。まあ、これらの例を持ち出すまでもなく、精神力で何でもかんでも解決しようとすると、ロクな結果にならん。それは魔術であっても同じだ」
沙夜は軽く肩をすくめてみせた。
精神主義を唱える一部の講師たちに対する辛辣な批判となる発言であったが、当の本人は普段通りの不遜な態度を崩していない。
「……何というか、あれでよく他の先生との軋轢が生まれないな」
ひっそりと、柊一は隣のアリスに感想を述べる。
「いや、生まれているでしょうよ」あまり沙夜のことを好いていないアリスは、鼻で嗤うように言った。「特に精神論を第一とする魔導師との相性は最悪でしょうね。喧嘩を売っているとしか思えないわ」
「まあ、そうだろうな……。悪い先生じゃないんだろうけど……」
「あんたって、基本的に善人よね」
皮肉と微笑ましさが混じった声で、イギリスの少女は極東の友人を評する。
「何だよ、その口調?」
何となく年下の弟を見るような視線で言われたので、柊一はどうにも釈然としない思いを抱えた。
「いいえ、別に他意はないわよ。そのまんまの意味」
そう言って、金髪碧眼の少女は視線を壇上に立つ遠野沙夜へ戻した。
一瞬、沙夜から私語を咎めるような厳しい視線が飛んできた気もするが、アリスは無視した。
「……これは日本人ならば馴染み深いと思うが、『言霊』という概念はまさしく魔術の本質を突いたものだ。言葉には霊的な力があるとかつて人々は考え、それが魔術の呪文へと繋がってきた。身近なところで言えば、日本人は『四』という数字を不吉なものと捉える。これは『死』と発音が同じだからで、発音そのものが『不吉』という思考・感情を呼び起こす。端的に説明してしまえば、魔術における呪文とはそういうことだ。言葉によって想像されるものが精神に影響を及ぼし、精神は自身の霊力に影響を及ぼし、霊力は大気中の霊子に影響を及ぼして魔術となる。この理論を応用したのが、魔術における呪文というものだ」
沙夜の講話に一区切りついたところで、生徒の一人が挙手をした。
「それですと、自分が上手く物理現象を想像出来るなら、オリジナルの呪文も作れるということですか? あるいは、呪文の詠唱をせずに魔術を発現させることが出来るのですか?」
「理屈の上ではそうなる」沙夜は答えた。「しかし、簡単なものではないことは覚えておけ。まずオリジナル呪文に関していえば、作ること自体は確かに簡単だ。だが、呪文を唱えた時に常に同じ精神状態になれるのか、という問題が生じてくる。例えば、思春期の男子が好きそうなフレーズをふんだんに盛り込んだ呪文を作ったとする。だが、時が経つにつれて、そいつは自分の呪文の恥ずかしさに耐えられなくなるだろうよ。そうすれば、術式を発動させるための精神に悪影響を与え、最悪、術が暴発して死亡事故に繋がる恐れもある」
「……」
「……」
「……」
あっさりと死の危険性について口にしたことで、講堂内の生徒の顔に苦いものが広がっていく。
「次に、詠唱なしの魔術発動だが、これも理屈の上では可能だ。だが、そのためには周囲の状況に左右されない精神性が必要になる。霊災を修祓するという身の危険が迫るような状況で、自らの死の予感などそういった一切の邪念を排除して、起こしたい現象をイメージ出来るならば、まあ、可能だろう」
可能とは言いつつも、沙夜の口調は不可能と言っているようなものであった。
あくまで仮定の話であって、沙夜の言ったような条件を満たすことが出来たのならば、恐らく歴史に名を残す魔術師となれるだろう。
彼女の口調は、「この中にそんな奴はいない」と暗に告げているようなものであった。
「……まあ、正論よね」
アリスは渋々といった声で、沙夜の意見に同意した。
「珍しいな。なんか反論するのかと思ったら」
「失礼ね。私は狂犬みたいに見境なく他人に噛みついたりしないわよ」
思わず本音が漏れたらしい柊一に、アリスは唇を尖らせて遺憾の意を示した。
「言語というのは、長い時間をかけて人類が洗練してきたものだ」
沙夜の説明は続く。それを、生徒たちは真剣なまなざしで聞いている。
彼らは現在高等部二年であるが、三年に上がることには西洋魔術か東洋魔術かを選択しなければならない。これが大学部に上がれば、さらに細かい専攻分野に分かれていく。
そのために、沙夜の「魔術基礎Ⅱ」は、生徒たちにとって重要な講義なのであった。
「より洗練された言葉を求めて、修辞法という技法さえ存在するくらいだからな。つまりそれだけ、長い歴史の中で魔術師たちが編み出してきた呪文は、言語的に洗練されているわけだ。魔術の呪文というのは一定程度の普遍的効果を持って、我々を自然と魔術の発動に適した精神状態へと昇華させるためのものだ。まあ、一種の自己暗示だな。そして、それは魔法陣であっても同じことだ。こちらは言語ではなく、美術作品に近いがな。つまり、視覚情報によって精神に影響を与えることが、魔法陣の目的であるわけだ。こちらもやはり、一定程度の普遍的美しさを持った形となるよう、長い時間をかけて先人の魔術師たちが洗練していったものだ。魔術とは少し違うが、ユークリッド幾何学を元にしたイスラーム世界のアラベスク模様などは、まさにその実例の一つだな」
「先生、一点よろしいですか?」
また一人の生徒が、手を挙げた。
「何だ?」
「ある特定の精神状態に導くために呪文や魔法陣が必要なのであれば、魔術師の使う霊装はどのような意味を持つのですか?」
「ふむ、では逆に聞くが、霊装には魔術師にとってどのような効果がある? これは昨年の『魔術基礎Ⅰ』で習っているはずだが?」
沙夜は自身の持つオーク材の杖を示しながら、生徒に問いかけた。
「術者の発動させようとする魔術の補助装置、ではないのですか?」
「何だ、判っているじゃないか」
特に褒めることはなく、どこか小馬鹿にした調子で沙夜は応じた。
「では、どのようにして霊装は魔術師を補助するか、これは答えられるか?」
「霊装には予め術式や魔法陣を組み込んでおき、そこに魔力を流すことで、組み込まれた術式を発動させられます」
「ただ魔力を流すだけでいいのか?」
「は、いえ……」
そこで、生徒は答えに詰まる。
「例えば私の持つこの魔杖、私の魔力波調に合わせてあるから使えるのは私だけだが、その私が単に魔力を流し込んだだけで、魔術は発動出来るのか?」
「……出来ないんじゃ、ないですかね?」
戸惑いの混じった口調で答えたのは、柊一だった。
「ほう、ではその理由は?」
獲物を見つけた狡猾な肉食動物のような目で、沙夜は柊一を見上げる。その視線に一瞬だけ気圧されたようになりながらも、柊一は言葉を続けた。
「えっと、この例えがいいのかは判りませんが、要するに魔術式をプログラムだとすれば、パソコンに電気を通すだけじゃ、ある特定のプログラムが開かないのと同じで、そのプログラムがあるファイルを開かないといけない、ってことですよね?」
「つまり?」
「つまり、その、霊装は術者の補助装置ですけど、根本的に組み込まれた術式を術者が覚えていないと霊装は使えないってことですよね?」
「まあ、及第点はやろう」
その言葉に、柊一はほっと息をついた。隣のアリスが渋い顔をしている。余計なことを言って、柊一が沙夜に目を付けられたことを苦々しく思っているのだろう。
「神話・伝承に出てくるレベルの特殊な霊装を除いて、基本的に霊装は術者の魔術発動の補助装置でしかない。つまり、主は術者自身だ。霊装にいくら魔術式や魔法陣を組み込んだところで、その呪文や魔法陣を術者自身が完璧に記憶していなければ、使い物にならん。もちろん、それさえ出来てしまえば霊装のお陰で呪文を詠唱する手間や、魔法陣を描く手間を省くことが出来る。特に魔法陣は、実戦の場で悠長に描いている時間がないから、予め霊装に刻んでおいた方がいい」
実戦経験を持つ祓魔官ならではの言葉に、一部の生徒が唾を飲み込んだ。
沙夜の授業では、時折こうして彼女自身の実戦経験に基づく話が出てくる。それもまた、沙夜の性格にも関わらず、彼女の講義が生徒から一定程度評価されている理由であった。
「使い捨てではあるが、呪符も立派な霊装の一種だ。むしろ、準備のしやすさや使い勝手の良さから、そちらの方を好む祓魔官も多いがな。特に陰陽道については長く呪符を使ってきた歴史があるため、呪符に書く文字の形から墨の濃淡、使用する紙の質など技術的に非常に洗練されているといっていいだろう。西洋魔術科の私が言うのも何だがな」
肩をすくめて、沙夜は言う。
「とはいえ、最初にも言ったが、言語・精神・魔術の関係が顕著なのは西洋魔術だ。東洋魔術、特に陰陽道は仏教・神道由来の呪文が多くある。いわゆる、“神や仏に分類される高次元の存在の力を借りる”形式の呪文だな。そうした呪文にはそれら高次元の存在に対する信心・敬神の念といったものも必要になってくる。とはいえ、ここらはそれぞれ専門の授業があるから、そちらに解説は任せておこう。まあ、そうした西洋魔術と東洋魔術の違いを含めて、魔術の基礎の基礎を固めるために中等部の三年と高等部の三年があるわけだ。魔術というのは一朝一夕には身につかん。つけられるとしたら、そいつは独立祓魔官になる素質があるだろうよ」
自らも陰陽庁長官直属の独立祓魔官である沙夜は、そう言い切った。
「とはいえ、別に独立祓魔官だけが祓魔官の目指すべきすべてではない。というよりも、その他大勢の官僚的祓魔官の方が、国家が必要としているものだ。陰陽庁も所詮は役所、官僚組織というのは独立祓魔官のような専門家ではなく、どのような業務もそつなくこなせる何でも屋を求めるところだからな。だから貴様らも、将来的に祓魔官として働くのであれば、一点特化型ではなく、多方面の分野に精通するよう努力しておくといい」
「……矛盾、よね」
苦笑して、アリスが呟いた。
「何が矛盾なんだ?」
「魔術師本来の在り方と、祓魔官としての在り方が、よ」アリスは小声で続ける。「魔術師とは本来、魔術という技術によってこの世の真理を解明しようとする、まあ科学者と表裏一体の存在なのよ」
「この間、遠野先生も言っていたな。近代科学は自然魔術から生まれた、って」
「だからこそ、魔術師は他の魔術師とは異なった成果を求めて研究する。その研究は一代で終わることもあるし、数代にわたって続くこともある。まあ、後者の方が圧倒的多数だけど。だから、魔導を極め、他者と隔絶した存在……それこそ、さっき遠野先生が言っていた“高次元の存在”……になることこそが、魔術師本来の姿。その結果が良いものにせよ、悪しきものにせよ、ね。でも、官僚組織の論理に従えばまったく逆。むしろ、一点特化型の人間ほど使いづらいものはない。ここは魔術師を養成する場所じゃなくて、祓魔官を養成する場所だから、当然と言えば当然だけど」
あるいは、祓魔官としての自覚を持たせることで、国家が魔術師を管理しやすくしようとしているのかもしれない。
ある意味では、近代国家における魔術政策・統制の一端を表しているのが、清洲陰陽学園のような魔術学校なのだ。当然、アリスの故郷である連合王国(日本人は一括りにイギリス人と呼んでいるようだが)にも、同種の教育機関はある。
古より、魔術師の帰属意識は魔導の探求そのものに向けられてきた。だが、近代国民国家にとって、帰属意識が国家に向いていないことは大問題である。だからこそ、第一次世界大戦で魔術というものが再び世に出て以来、各国は魔術師への統制とその養成のための学校施設の設立を強化してきたのかもしれない。
かつては師弟制度によって成り立っていた魔術の伝授も、今ではこうした学校制度に取って代わられている。
古い魔導の家系に生まれたアリスは、魔術師としての価値観、貴族としての価値観、そして現代に生まれた者の価値観が自分の中で奇妙に混ざり合っていることを自覚している。そこにどう折り合いを付けるのか、自分の中で明確に定まっていないというのが本音だった。
「というわけで、生徒の中には生来の霊力量を絶対視する人間がいるが、官僚組織において霊力量はある一つの評価基準に過ぎん」
壇上の沙夜がきっぱりとした口調で断言した。
「もちろん、霊力量が多いに越したことはないが、少ないからといって祓魔官への道が閉ざされるわけではない。霊力量の多さに驕る者、逆に少なさを嘆く者もいるが、そのような一つの価値観に縛られるなど馬鹿のすることだ」
「……複雑な気分だ」
唇をねじ曲げて、柊一は沙夜の講話に対する感想を述べた。
「ああ、あんた、魔術実技系の先生からの評価は低いからね」
慰めるように、アリスは言う。
相馬兄妹は、妹の楓の方が高い霊力量を持っており、巫女としての高い魔導適性を持っている。逆に兄の柊一は生来の霊力量が少ないために、実技科目の成績は平均的か実技の種類によってはそれ以下であった。
本人は気にしない素振りを見せているが、やはり内心では忸怩たるものがあるのだろう。
「まあ、私も日本の官僚制度を考えたら、癪だけど遠野先生の言っていることの方が正しいと思うわ。あまり気にしない方がいいわよ」
「官僚、ねぇ……」
未だ高校二年生の相馬柊一は、自らの将来について漠然とした思いしか持てなかった。
一応、陰陽道についてはある程度得意科目であるが、だからといって陰陽師として大成出来ると考えるほど、清洲陰陽学園で過ごした五年間は甘くない。
少年の歩む道がどこへ繋がっていくのか、それは誰にも判らないし、本人にも明確な指針があるわけではなかった。
あるいはそれは、彼が平和な時代に生きている若者故の悩みなのかもしれなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
清洲陰陽学園は、江東区の沖合に浮かぶ東京湾の埋め立て地の一つである。
清洲と呼ばれる埋め立て地のほとんどが、学園施設によって占められていた。
そのため、東京ゲートブリッジからは学園の建物などがよく見える。
「異教の魔術師を生み出す教育施設か。何とも、罪深いことだ」
橋の上に車を走らせながら、運転席の男性が嘆かわしげな声と共に溜息をついた。
「主は、彼らをお許しになられるでしょうか?」
助手席に座る若い修道服姿の女性が、案ずるような視線を窓の外に見える清洲陰陽学園に向ける。
「主のお心を推し量るのは畏れ多いことだよ、シスター・コレット」
「はい、神父様」
「とはいえ、異教徒にも慈悲の心を忘れない君の心は尊いものだ」
「先日の彼も、主のお許しを得られればよいのですが」
窓の外を見つめたまま、シスター・コレットは呟く。
「ふむ、日本政府の者たちも彼の一件で自らの罪深さに気付いてくれるとよいのだが」
「あの司祭様も、哀れな人でした」悲しむように、女性は目尻を下げる。「異教徒や魔物たちと仲良くするなど、主への冒涜です」
「だからこそ、現世でこれ以上罪科を重ねる前に、我々の手で主の御許へと旅立たせてやらねばならなかった。後は、主のお心次第だ」
運転席の神父は、そう言って十字を切った。
「さて、今後の話だ、シスター。我々は、“白銀の魔女”遠野沙夜とその眷獣を討伐・捕縛せねばならぬ。異端の魔女がどのような末路を迎えるのかということを、改めて世界の魔術師たちに我がヴァチカンが示さねばならないのだ」
「でも、良いのでしょうか?」
「何がだね?」
「学園の子供たちも巻き込むのでしょう? 魔女の討伐に子供を利用するなど、主はお許しになられるのでしょうか?」
シスター・コレットはなおも憂いを帯びた視線で清洲陰陽学園を眺め続ける。
「シスター、君の懸念はもっともだが、子供とはいえ異教徒だ。大人になってさらに主への冒涜を重ねるよりも、年若く罪科の数も少ない今の内に主の御許に送り、これ以上罪を重ねるのを防いでやる。これこそが、異教徒に対する慈悲というものだよ」
「はい、神父様」
自分自身を納得させるような声で、修道服の女性は頷いた。
その膝の上には、清洲陰陽学園の生徒の名簿と写真が広げられていた。
◇◇◇
「ううぅぅぅぅぅぅ―――」
校舎の屋上のフェンスの上に、両手を付けた恰好でしゃがみ込む虎徹。
その口から、低い唸り声が発せられていた。
「先輩?」下から、抑揚に乏しい声がかけられる。「どうかされたのですか?」
ラーズグリーズは声に比例する無表情のまま、犬耳の少年を見上げていた。白い髪が、海風になびいている。
フェンス上の虎徹は、屋上から見える海の一点を睨み付けていた。
「良くない視線を感じるのだ」
後輩からの問いかけに、虎徹は視線を外さずに答える。
「視線、ですか?」
ラーズグリーズは彼と同じ方向を見つめるが、特に違和感を覚えない。
見えるのは、陽光を反射する東京湾の海面と、そこを行き交う船、そして彼方に見える東京ゲートブリッジくらいなものだ。
擬似的な神気を植え付けられた戦闘用人造人間、ヴァルキュリヤ・シリーズとして生み出されたラーズグリーズであるが、視力・聴覚などの感覚器官については人間のそれとさほど遜色はない。
犬の魔族、それも神獣に分類されるケルベロスたる少年に比べれば、その五感は比べるのもおこがましいほど鈍いと言わざるをえない。
少なくとも、自分がこの少年の能力を疑う理由はない。
「マスターにお伝えいたしますか?」
「う、リズに頼んだのだ」
虎徹はなおも気掛かりな視線を海上に向けたまま、こくりと頷いた。
「判りました、直ちに」
ラーズグリーズは一礼すると、階段へと向かった。
階段へと続く扉に手をかける前、白い少女は虎徹を振り返った。
小柄な少年にしか見えない、その背中。
自分は彼が背中を預けるに足る存在になれるのだろうかと、ふと少女は思った。
正直、日本の官僚制度ですと、一点特化型の魔術師は出世しにくいのではないかと思った次第です。
その意味では、独立祓魔官という制度は、そうした一点特化型の魔術師を官僚機構の外側に置いておく点で、有効なシステムなのかもしれません。
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