第二部 序章
魔術とは、精神的手段によって現実世界に影響を及ぼそうとする学問・技術の総称である。
この世界には、人に宿る霊力(西洋的に言えば魔力)、大気に宿る霊子があり、それらを反応させることで世界を構築する理に働きかけるのが魔術である。
古代から連綿として受け継がれてきたこの技術は、しかし科学の発達によって“迷信”と断じられ、人々から顧みられない時代が続いたことがあった。
しかし、第一次世界大戦は、国家の持てる力すべてを戦争につぎ込んだ総力戦となり、故にこそ、それまで“迷信”とされてきた魔術もまた、戦争遂行のための要素として復権することとなったのである。
以来、人間社会を構成する要素の一つとして、魔術は二十一世紀になっても用いられ続けている。
そして、そのことはまた、国際社会において魔術やそれに伴う宗教観が新たな紛争の火種となることをも意味していた。
それは、第一次世界大戦という未曾有の戦禍がもたらした呪縛であったのか、人類が元々持っていた業であったのか、それはきっと、誰にも判らないだろう。
◇◇◇
アメリカ合衆国某所。
北米大陸の大国たるこの人造国家は、二十世紀以降、常に安全保障上の問題に晒されていた。
日英同盟陣営のカナダ、国家社会主義陣営のキューバに、親独政権の多い南米大陸。
アメリカの国土は、敵対する陣営に囲まれてしまっているのだ。第二次世界大戦後にフィリピンが独立し、太平洋戦争の結果、グアム島が日本領となった現在、アメリカという国家が影響力を十分に及ぼせる地域は中米諸国程度になっていた。
第二次世界大戦当時、ナチス・ドイツがヨーロッパを席巻するのを座視し、逆にそれと敵対していた日英同盟陣営との対決を選んだ結果であるともいえた。
とはいえ、太平洋戦争以来、日英同盟陣営や国家社会主義陣営との直接対決は発生していない。それは、互いに核兵器を持っていたことと、経済のグローバル化が進み、敵対していた陣営とも深い経済的繋がりが出来たため、不用意な対立はそのまま国家にとって打撃なってしまうことなどが、理由であった。
それでも、日英同盟陣営も、国家社会主義陣営も、複数の国家が同盟を結んだ連合体であるのに対し、アメリカは一国であるという問題は常に存在している。これは、アメリカ合衆国という国が一国で両陣営と対峙出来る超大国であることを示すと共に、アメリカ国民の安全保障上の孤立感を深めるものとなっていた。
「だからまあ、こういうことに手を出したくもなるわけだ」
一人の青年が独りごちて、薄暗い通路を歩く。
そこは、地下墓地のような静謐さとある種の不気味さを持った場所だった。部屋の中にずらりと並ぶ円筒形の培養槽。その中にいる人の形をしたものたち。
時折、培養槽に付属した魔術的装置が作動する駆動音が広い空間の中に響く。それ以外に聞こえるのは、青年自身の息づかいだけであった。
「〈ニーベルンゲン計画〉のアメリカ版、ってところだな」皮肉に青年は唇を歪ませる。「人間の業というのは、いつの時代も変わらないということか」
ニーベルンゲン計画。
第二次世界大戦中のドイツで行われた、ホムンクルス兵士化計画。その結果生み出された、ヴァルキュリヤ・シリーズと呼ばれる一連のホムンクルス。
計画は研究所が日英同盟軍の特殊部隊に襲撃されたことで挫折したが、研究の責任者であったエドゥアルト・フォン・ローゼンブルクは襲撃を生き延び、その後は国外へ逃亡した。その果てにあるのが、青年の目の前にある光景なのだ。
「無尽蔵の兵士。国家にとって、これほど素晴らしい存在はないな」
皮肉と自嘲と嫌悪の混じった声で、青年は独り言を続ける。
「なあ、そう思わないか、リンデ?」
不気味な静寂さを湛える空間に、足音が響いた。
「それは、人の感慨ですな」
カツン、と堅い床を靴底が叩く音と共に、一人の少女が培養槽の影から現われる。銀髪の、端麗な顔つきの少女だった。小柄で、女性にしては起伏の少ないすらりとした体型。ただ、容姿や均整の取れた体つきは、どこか古代ギリシャの彫像めいた人工的なものを感じさせる。
「我ら偽りのヴァルキュリヤ、戦うために生み出された存在なれば」
時代がかった発音と共に、少女は一礼する。
ジークリンデ。愛称リンデ。
彼女もまた、エドゥアルト・フォン・ローゼンブルクの技術によって生み出された人造人間の一人であった。
「それで、どうだった……ていうか、焼けたか、お前?」
不思議そうなものを見る目で、青年は人造人間たる少女を見る。
ローゼンベルクの技術によって生み出された人造人間は、一様に白い肌である。これは、作成者が白人種であることが原因だろう。
だというのに、ジークリンデの個体名称を与えられた人造人間は、どういうわけか、少し日に焼けていた。
「いや、拙、初めての海ということでいささかはしゃぎすぎてしまいまして……」
時代がかった格式張った口調のまま、言い辛そうに理由を告げるジークリンデ。
「……まあ、お前が楽しめたのなら何よりだ」
「日焼けはもう懲り懲りですな」
自分の失敗を、遠い目で語る人造人間。
「それで、ブリュンヒルデ殿以下“連中”の動向ですが、日本行きはひとまず情報収集をしてからにするようで」
「ミュラーのホムンクルスの行方の調査、か」
先日、日本で発生した霊的騒擾事件。
アメリカの新聞では大きく取り上げられることはなかったが、ジークリンデは大日本帝国海外領土南洋群島まで出向くことで、日本国内で出回っている新聞報道などを調査してきた。
「ですが、日本の新聞報道などでは、我らが同胞たるホムンクルスのことは一切触れられておりませんでした」
この二人は、日本での霊的騒擾事件の影に、エドゥアルト・フォン・ローゼンブルクの技術を利用して生み出された人造人間が関わっていることを知っている。
「だろうな。お前たちヴァルキュリヤ・シリーズの存在は、最高機密事項だ。そうそう、情報は流れてこないだろうさ」
「して、我らは如何いたしますかな、我が主殿」
軍人然とした態度で、問いかけるジークリンデと呼ばれる人造人間の少女。
ヴァルキュリヤ・シリーズは、戦うために生み出された人造人間である。それを思い出させる、彼女の態度。
「日本に関しては、西欧教会が動いているんだろう?」
「エドヴアルト殿のご友人たるCIAの情報官からは、そのように言われているようですな」
「なら、父上も当分は様子見されるだろうさ」
特にどうといった感情も込めず、青年は言う。
「拙らも動かぬということで、よろしいのですかな?」
「今、俺たちが動いたところで、何にもならんだろうさ」青年は肩をすくめた。「精々、アメリカに居候させて貰っている分の宿代分だけ、働くだけだろうよ」
「とはいえ、あまりアメリカに深入りするのも得策とは、拙には思えませぬが?」
「父上も同じ考えだろうさ。だが、当面はアメリカ政府に匿って貰うのが一番だ。少なくとも、日英同盟陣営で俺たちを受け入れる国は少ないだろうからな」
「日本の神国派とやらは、我ら偽りのヴェルキュリヤの存在を欲していたようですが」
「しかし、政府の中の主流派ではないし、そもそも政策決定過程に関与出来るほどの政治勢力じゃない。むしろ、日本国内では反政府組織の色合いが強い。国家に害をもたらせば、俺たちを匿ってくれる国はなくなるだろうさ」
「それも道理ですな。しかし、エドゥアルト殿はいずれ日本へ行く意向のようですが?」
「父上の不老不死研究も行き詰まっているからな。まあ、魔物だの魔獣だのが跋扈するわけの判らん極東の島国に、不用意な手出しはしたくないが」
「だからこその、ヴォルフラム・ミュラーに西欧教会、というわけですな」
「まあ、そういうことだ。彼らには精々、カナリア役になってもらうじゃないか」
「主殿も、お人が悪いですな」
無表情に近い少女の表情の中で、唇だけがかすかに持ち上がる。
「……時に」
一歩、ジークリンデは青年に近付いた。
「主殿は、拙をいつ使って下さるおつもりですかな?」
自らの存在意義を確認するかのような、少女の問いかけた。
「いずれ機が来れば、だ」
「機、とは?」
「“連中”が、俺たちの拠点を突き止めた時。その時に、俺はあの不老不死に取り憑かれた父親から解放される」
「その時に、主殿は拙の力に頼って下さるのですな?」
天啓を受けた聖者のような晴れやかな声で、ジークリンデは応じた。
「ああ。それまでは精々、父の研究を手伝うとしよう」
自分自身を納得させるような声で青年はそう言い、培養槽が並ぶ空間を見渡す。
「……人の妄執の果て、か」
不老不死を求めた錬金術師、青年の父、エドゥアルト・フォン・ローゼンブルク。
しかし、二〇〇年近い歳月を生きたという父は、すでに衰えていた。自らの老化を防ぐために魔族や魔獣の魔力を取り込んだ結果、確かに長寿を実現していた。
だが、そんな彼でも、老化を防ぐことは出来なかった。
だからこそ、自らの霊的資質を受け継ぐ存在である子供を欲した。その子供に、不老不死の研究の完成の望みを託そうとした。例え自分が果たせずとも、子供に不老不死研究の望みを託せるのならば、自らの研究と生に意義があったと思えるからだろう。
研究へのある種の諦観をエドゥアルトが抱くようになったのは、やはり老いのためだろうか。
それは、息子たる青年には判らない。
だが、未だに父親が妄執を捨てていないことも理解している。
「そんな男の妄執の行き着く先を見てみるのも、また一興か」
ふん、と青年は嘲笑の意味を込めて鼻を鳴らした。
「まあ、その前に西欧教会の日本への対応を見極めるのが先だがな」
「また一波乱ありますかな?」
「あるだろうさ」
面白い映画でも見に行くかのような声で、青年は応じた。
「そうなるよう、俺と父上が仕向けたんだからな」
第一部の最後に登場したホムンクルスの片割れ、ジークリンデが再登場です。
第一部からちらほら名前の出ている、ある意味で篁太郎因縁の相手、エドゥアルト・フォン・ローゼンブルク陣営のお話です。
色々と裏で暗躍している設定なのですが、どうもそうした謀略的な描写が上手くいっていない気がいたします。その所為で、読者の皆さまには理解しにくい話になってしまったのではないかと懸念しております。
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