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第一部 第五章 第五節 死霊の城

 それは、荒れ狂う大嵐だった。

 赤雷の瞳を輝かせた狐耳の少女は、両手に構えた刀で縦横無尽に襲いかかる異形たちを斬り捨てていく。

 ある屍鬼(グール)は一閃を喰らった上半身が消し飛び、またある屍鬼は頭部から両断される。斬られたいずれの個体も、刀のまとう青白い狐火によって燃やされていく。

 銀嶺の剣舞は、狂気じみた美しさを以って、死霊術によって操られた異形の魔獣たちを葬っていた。

 しかし、屍鬼たちは十重二十重に王子の狐を囲み、物量で押しつぶそうと突撃を続ける。


「馬鹿の一つ覚えだね」


 王子神社と同じ状況に、銀嶺は嘲りもあらわにする。

 篁太郎の指示に従って、久遠が見つけたというミュラーの拠点へと強襲を仕掛けた銀嶺。やはり久遠の見立てに間違いはなく、そこは大魔術師による強固な防御陣地となっていた。

 異形たちの肉壁に阻まれて、建物自体への突入は出来ていない。しかし、かといって銀嶺が追い詰められているわけでもない。


「私の霊力切れでも狙っているのかな?」


 間断なく襲いかかる異形の魔獣たち。斬っても斬っても、次から次へと出現する。

 ミュラーによる合成獣製造実験が失敗した結果、生み出された異形の存在たち。銀嶺に突進してくる異形の中には、王子神社で嗅いだあの〈人形〉、クローン式人造人間(ホムンクルス)と同じような臭いを持つものもいた。

 つまり、ミュラーは拠点の防衛のために、あえて失敗作のクローンを製造して死霊術で操っていたのだ。

 人間というのは度し難い、と銀嶺は思う。

 せっかく得た技術を、このようなことにしか使えないとは。

 その愚かしさを、銀嶺は千年の間、この関東の地で見続けていた。


「でも生憎と、私にも関東妖の総大将たる意地があってね」


 そう言って、休むことなく刀を振るい続ける。その動きに、疲労は見られなかった。

 銀嶺とて、久遠や虎徹に劣るものの、千年以上を生きた狐の妖である。幼い頃、平安時代と呼ばれる時代に吹き荒れた人間たちによる妖狩り、それを生き延び、関東の地に住まう妖の頂点に立つまでになった。

 そんな彼女に対して、霊力切れ狙った物量戦を、かつてほどの力を失った人間が挑むのは無謀とも言えた。

 恐らく、陣地を守護する屍鬼たちは何年にもわたってミュラーが魔力を注ぎ込んだものたちなのだろう。だが、銀嶺は何日でもこのおぞましい死霊術に操られた獣たちを相手にすることが出来る。

 人間の魔術師や低級な魔族、魔獣に対しては有効かもしれないが、今回は相手が相手である。いずれ、陣地が突破されるのは目に見えている。

 とはいえ、篁太郎はそこまで時間をかけることを望んでいないだろう。

 銀嶺は、近づく久遠の気配を明確に感知していた。


  ◇◇◇


「何とも醜悪なる眺めよ」


 嫌悪もあらわに久遠は吐き捨てる。彼女の眼下には、大量の魔獣の屍鬼に囲まれた中で剣舞を演じる銀嶺の姿があった。


 妖狐の少女の白刃の舞があまりにも美しい故に、かえってその周囲のおぞましさが目立っていた。


「我を虚仮にしたあの咎人の住処(すみか)、いっそ我が一撃で吹き飛ばしてやろうか?」


「やめて下さい」式神の声に本気を悟って、背に乗る篁太郎が苦笑する。「この辺り一帯を那須岳にするつもりですか」


 玉藻の前が封印された石が瘴気を発し、那須一帯を荒廃させたという殺生石伝説。

 それをこんなところで再現されては堪らない。


「まったく、自儘に力を振るうこともままならんとは、何とも窮屈なことよ」


 久遠はわざとらく嘆いてみせた。


「では、降りるぞ。しっかり掴まっておれ!」


 次の瞬間、久遠は空中を駆け出した。どんどん高度を下げていき、廃墟と化したコンクリート製の建物が迫ってくる。


「■■■■■■■■―――っ!」


 凄まじい咆哮と共に、銀嶺を何重にも包囲している異形の屍鬼たちを踏み潰し、引き裂き、轢き殺していく。狐火をまとっていたことにより、彼らは再起動することも出来ずに、その肉体を燃やされていった。

 久遠はそのまま旋回し、王子の狐の横で停止する。

 妖狐の女帝が通った後の地面は、黒く焼け焦げ、煙を発していた。


「やれやれ、あなたは相変わらず出鱈目だ」


 嘆息するように零す銀嶺の横で、久遠は再び人型に変化(へんげ)する。


「これでも大分手加減しているのだろうから、つくづくあなたを敵に回したくないよ」


「ふむ、なかなか殊勝な心がけよ」


 千余年を生きる銀嶺とて、九尾の狐を前にしては子狐同然である。あるいは、女童(めわらわ)同然、か。


「それで、どうするんだい、篁太郎?」


 銀嶺、久遠、篁太郎がそれぞれ背中を預け合う形で立つ。


「久遠」


 篁太郎は銀嶺の質問に即座には答えず、己の式神の名だけを呼ぶ。


「良かろう。ここは我が任された故、お前たちは奥へ進むがよい」


 そして、久遠は銀嶺をちらりと見遣る。


「王子の狐よ、我が主を託すぞ」


「言われずとも、朋を死なせるような真似はしないよ」


 普段通りの淡泊な口調だったが、その唇は頼もしげに吊り上げられていた。


「では、お願いしますよ」


 篁太郎もすでに二振りの刀を抜いていた。


「行くがよい」


 久遠の背後に浮かぶ無数の魔法陣から、雷撃の如き光線が放たれる。それによって、包囲する屍鬼の群れの中に一本の建物へ通ずる道が出来た。

 篁太郎が素早くそこを駆け抜け、銀嶺が続く。


「さて」


 その背を見送って、久遠は自身を包囲する醜悪なる異形の群れを見回した。その時だった。

 一際大きな魔力反応。

 召喚魔法特有の、空間に生じる歪み。それと共に現れたのは、一体の巨獣。

 ユニコーンの角、鷲の翼を生やした漆黒の毛並みを持つ異形。それは虎徹の本来の姿と、瓜二つといえた。


「なるほど。失敗作とはいえ、その製造記録は持っているわけか」


 人型となった久遠が見上げるその異形の黒妖犬。

 だが、本来であれば美しい黒い毛皮としなやかな筋肉で構成されている肉体。それらすべてから、耐えがたい腐臭が発せられていた。

 奇しくもこの時、久遠が抱いた感情は先ほど銀嶺が抱いたものと同じだった。

 クローン技術を使った合成獣の増産。

 人間の愚かしさの一端を表す存在。


「人の世には今一度、誅罰をくれてやるべきかの」


 かつて妖たちを弾圧し、狩っていく人間たちに報復するため、久遠は人に化け、様々な国の王朝に潜り込み、謀略の限りを尽くして人の世に混乱をもたらしてきた。

 だからこそ、三度目の大戦というのも面白いだろう。

 一度目の大戦は、一発の銃声が引き起こしたという。

 二度目の大戦は、民主主義国家に現れた独裁者が引き起こしたという。

 ならば、三度目の大戦を起こすのだって難しくはなかろう。


「とはいえ、今は下らぬ妄想か」


 久遠は自嘲に唇を歪める。

 篁太郎という存在がある限り、自分はあの男の望みと共にあるだろう。


「どうしてだろうかのぅ? 我には、お前のあの叫びが忘れられんのだ」


 かつての大戦で、篁太郎が涙と共に憎悪の目で自分を睨み付けていた記憶が蘇る。あの時久遠は、生まれて初めて人を哀れに思ったのだ。

 こんなこと、本人の目の前では絶対に言えないのだが。


「さて、駄犬よ」


 久遠は感傷を切り捨て、目の前の屍鬼と化した黒妖犬と対峙する。そして、彼女の周囲を死体と化しながらも動く黒妖犬の眷属のごとき魔獣たちが取り囲む。


「誰の許しを得て、我を見下ろしている?」


 ぞっとするほどに冷酷な声。


「天に仰ぎ見るべきこの我への不敬、万死に値しようぞ!」


 刹那、久遠の周囲に金色に輝く梵字の魔法陣が出現する。その数は瞬時に百を超え、二百を超え、三百を超えた。

 膨大な霊力が魔法陣から放たれ、辺りを吹き飛ばした。


  ◇◇◇


 建物の中は、濃い瘴気に包まれていた。並の術者であれば一呼吸で命を失うほどの濃度である。

 だが、銀嶺はその程度で倒れるほど柔ではなく、篁太郎もまた瘴気への耐性は付けていた。陰陽師たる彼にとって、呪詛や瘴気への対処はむしろ得意分野だった。

 とはいえ、廃墟内の不気味さは二人とも感じ取っていた。

 ミュラーの実験の犠牲となった魔族や魔獣、あるいは人造人間(ホムンクルス)、そしてもしかしたら人間、それらの無念と怨念と憎悪が積み重なり(おり)となって堆積した汚泥の中をくぐるような、そんな異様さである。

 そしてそれは、単なる感覚的な問題ではなかった。

 二人の脳裏に直接響くような、憎悪と怨嗟の声。

 聞く者の正気を奪うような声が、建物全体から響いてくる。

 それは実際に、ミュラーの犠牲となったものたちの声なのだろう。

 自身が奪ったものたちの魂すら縛り、自らのために搾取し尽くす。

 これが魔術師としてのあるべき姿ならば、篁太郎はそんなものになりたいとは思わない。


「気色悪いね」


 銀嶺が呟いた。正直な感想ではあるものの、普段通りの抑揚の少なさから彼女が平然としていることが判る。


「瘴気と悪霊の声、これだけでこの建物に足を踏み入れたものたちは死ぬか、正気を喪って廃人と化すでしょうね」


 やはりこちらも平然としている篁太郎が答える。


「シュヴァルツヴァルトの森も、こんな感じでしたね」


 虎徹と名付けられる前の異形のケルベロスと出会った場所を、篁太郎は思い出す。


「すべてが終わったら、浄化をないといけませんね」


 死したものたちの魂を、ここに留めておくのはあまりに残酷だろう。


「さて、いよいよお出迎えのようですよ」


 カシャカシャと、不気味に乾いた音がコンクリートの壁に響く。大量の人骨が、篁太郎と銀嶺の行く手を塞いでいた。

 骸骨兵(スケルトン)

 何とも死霊術を操る者らしい守備兵だった。

 その材料となったのは、製造に失敗した人造人間(ホムンクルス)のそれか。

 死霊術師であり、錬金術師でもあるヴォルフラム・ミュラーにとって、人造人間(ホムンクルス)を再利用した骸骨兵(スケルトン)は安価な戦力なのだろう。



「臨兵闘者皆陣列在前!」


 篁太郎は素早く九字を切り、骸骨兵部隊の先頭集団を粉砕すると、二振りの刀を抜いてその隊列に飛び込んだ。


「君の腕前、久々に見せてもらうよ」


 篁太郎と背中合わせになりながら、銀嶺はそう言う。


「剣の師匠の前で、無様な姿は見せられませんね」


 振るわれた白刃に、骸骨兵の一体が四散する。

 だが、粉砕された骸骨兵たちは、無事な骨を集めて再生していく。


「燃やし尽くしますよ、銀嶺」


「おう」


 銀嶺の刃に狐火が宿り、篁太郎の刃の片方に蒼い狐火が、もう片方に(あか)い狐火が灯される。

 篁太郎の刀は、久遠が持つ宝物の一部を下賜されて鍛えられたもの。

 妖狐の女帝が持っていた緋々色金(ひひいろかね)、それを久遠の狐火で鍛えたのだ。

 あるいは見るものが見れば、この妖狐の女帝の契約者もまた、化け物に見えたかもしれない。その剣舞は妖たる王子の狐に決して劣ることはなく、そして驚くほどの連携が取れていたのだから。

 そのまま、二人は背中を合わせたまま通路を奥へと進んでいた。炭になるまで燃やし尽くされた骸骨兵は、もう起動することは不可能だ。

 進んだ先には、本来であればエレベーターホールになっていたであろう広い空間があった。そして、エレベーターが設置されるはずであった場所は、建物を貫く大きな穴となっていた。

 すんすん、と銀嶺は鼻をうごめかす。


「この下、だね」


 おそらくは地下駐車場か何かを作るはずだった、地下空間。そこへ向かって、篁太郎と銀嶺は飛び降りた。

 魔術で落下を調整し、篁太郎は危なげなく着地する。銀嶺はこの程度の高さなど何ともないとみえ、平然と着地した。

 だが、降りた先にあったのは、空漠たる地下空間ではなかった。明らかに新設されたと思われる壁と扉。

 当然ながら、それらには魔術による施錠と防御が施されている。


「ふんっ!」


 だが、銀嶺は刀を一閃、力技同然の方法で施錠を破壊する。さらにこの白狐の少女は回転蹴りで扉を破壊、そのまま室内に突入する。その後に、篁太郎が続いた。

 そこは、異様な空間だった。

 幾つもの円筒形の培養槽が部屋を埋め尽くし、ほの暗い光に満たされた魔術師の工房。

 コポコポと音がするのは、培養槽に取り付けられた機械が動いているからだ。その中には、未完成なのか、体の構築が不十分な人造人間(ホムンクルス)が浮いていた。

 工房の光景にかつてのリガでの記憶を呼び起こされ、篁太郎はギリッと唇を噛む。


「……お前は、何者だ?」


 不意に聞こえた声は、押し殺した怒りを湛えていた。

 工房の奥に、ヴォルフラム・ミュラーはいた。この陣地が破られたことに、魔術師としての敗北感を抱いているような、そんな表情だった。

 工房の壁面には、魔術で映写していると思われる映像が浮かんでいた。表で、襲いかかる黒妖犬の屍鬼に九尾の狐が多数の魔法陣で応戦している映像だった。


「九尾の狐の契約者となった、ただの人間ですよ」


「人間、人間か」


 その言葉を繰り返し、ミュラーは突然笑い声を上げた。


「はははははっ! あれだけの戦いぶりを見せておきながら、ただの人間と名乗るとはっ! やはり貴様は魔術の何なるかを理解せぬ愚か者よ!」


 そして、じっとりと嫉妬するような視線で死霊術師は篁太郎を睨み付ける。


「貴様の体は、九尾の狐の持つ魔力に犯されている。契約者でなければ、とっくに肉体が耐えきれず崩壊しているところだ。擬似的ではあるが、その肉体は契約が繋がっている限りは不老不死。貴様は魔族の力を体内に取り込んでいるのだ。まさしく、魔術師の目指すべき深奥の一端! それに達しておきながら、ただの人間とは!」


「いえ、やはりただの人間ですよ。不老不死など望みもしませんし、魔術の深奥などにも興味のない、ただ平穏な毎日が過ごせればいいと考える、ただの人間です」


 篁太郎はそう反論した。


「それに、俺は魔術師(メイジ)ではなく陰陽師(シャーマン)です」


「詭弁だな。やはり、度し難い愚かしさだ」


 ミュラーは吐き捨てた。


「魔術の深奥に触れた貴様は、それを伝授する義務があるはずだ。そうして魔術は深化を遂げ、やがて人間という存在をさらなる高みへと昇華させることが出来る。貴様が魔族と契約してその力に犯されつつもそれを取り込み、不老不死を実現しているならば、今度はその魔族を完全なる支配下に置きその能力を自在に引き出すことを目指す。それが魔術師としてあるべき姿なのだ」


「……」


 対峙する相手との価値観の食い違いは、篁太郎にとっては慣れている。だが、彼にとって朋ともいえる久遠や銀嶺の存在を貶められたことには、不快感を抱いていた。

 一方の銀嶺は白けた視線で、この死霊術師を見遣っている。


「……やはり、日本人は天皇(カイザー)に尻尾を振るしか能のない人間ばかりか」


 自身の言葉に一ミリの感銘も受けていない篁太郎の様子に、ミュラーは失望と共に嘆じた。

 ぱちん、と彼は指を鳴らす。


「私が屍鬼(グール)骸骨兵(スケルトン)以外に防御手段がないとでも思ったか」


 途端、机の上に置かれていた試験管が破裂して中の液体がぶちまけられる。

 それは、粘性の液体―――スライムだった。

 試験管内部の空間が歪められていたのか、スライムの体積は試験管以上の大きさへと瞬時に変化した。量にすれば風呂桶一杯分はあるだろうか。

 そのスライムの脅威を見抜いたのか、銀嶺が即座に飛びかかる。

 だが、スライムはミュラーの盾となるように伸び、彼の前に壁を作って王子の狐の刀を受け止める。


「ちっ!」


 伊達に最後の防衛手段ではない。

 スライムはその特性を活かして、刀身を包み込むように受け止めてしまったのだ。銀嶺が力を込めれば込めるほど、刀はスライムの中に埋まっていく。

 そして、スライムには自律防御機能が備えられていただけではない。盾となったスライムの一部が伸び、銀嶺を絡め取ろうとする。


「くっ!」


 銀嶺の判断は迅速だった。スライムに刀を差したまま、自分は柄から手を離して後退する。


「甘い」


 冷徹に、ミュラーは呟いた。瞬間、跳び退(すさ)ろうとする銀嶺の周囲にルーン文字の魔法陣が浮かび上がる。


「貴様こそ甘いわっ!」


 王子の狐は吠えた。爪を瞬時に延ばし、そこから伸びる鎖を弾いていく。

 ドワーフ族の鍛えたグレイプニルは容易に彼女の爪を砕いていくが、彼女は絶妙に爪で鎖の軌道を逸らし、見事な身のこなしで自身を捉えようとする鎖をかわしていった。

 そして、連続した銃声が響く。

 篁太郎がMP5で、スライムを牽制したのだ。降り注ぐ九ミリ弾から主を守るため、銀嶺に触手を伸ばしていたスライムが後退し、ミュラーの前に厚い壁を作る。


「助かったよ、篁太郎」


 銀嶺が篁太郎の隣にまで引き下がった。篁太郎はサブマシンガンの弾倉を取り替えて、再び構える。

 一方、銀嶺の刀を捕らえたスライムは、その刀を自らの中に取り込んで捕食してしまった。


「なるほど」


 その一部始終を見届けていた篁太郎は、霊装たるスライムの性能を見抜いていた。

 自律防御と自律攻撃、その二つの機能に加え、対象を捕食する性能も付与されている。そして恐らく、捕食した対象の能力を取り込む機能も付与されているだろう。

 火に弱い屍鬼の弱点を補うには有効な霊装である。


「銃火器などを使いおって、恥を知れ! 陰陽師!」


 そして、ミュラーにとって魔術師が現代兵器に頼ることはその倫理観が許さないのか、憤怒の声を上げる。あるいはそれは、篁太郎たちの側に状況を打開する決定的手段がないと判断した上での余裕だったのか。


「どうする、篁太郎?」


 銀嶺は鎖もそうだが、スライムもかなり厄介な存在だと判断していた。斬り結んだ瞬間に把握した魔力は、ただのスライムにしては異常だった。それこそ、年を経た魔族や龍族と同等程度の魔力は有している。

 つまり、それだけの相手を捕食してきたのだろう。

 銀嶺に残された武器は、鹵獲したダインスレイヴのみ。決して癒えぬ傷を残す剣とはいえ、形のない相手ではどこまで効果があるか疑問である。


「では、俺がやります。銀嶺、援護を頼みましたよ!」


 言うや否や、篁太郎はMP5を放り出し、緋々色金の刀を抜く。それを捧げ刀の姿勢に構え、刀印を刃に添える。


「ノウマク・サラバ・タタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク」


 真言(マントラ)の詠唱。

 大気中の霊子が、篁太郎を中心に渦巻き始める。


「むっ!」


 そのただならぬ様子に危機感を覚えたミュラーがスライムを操る。


「やらせないよ!」


 篁太郎の前に、銀嶺が立ち塞がる。伸ばした爪がスライムにめり込み、瞬時に彼女の腕を包み込む。


「グレイプニル!」


 さらに妖狐の少女を拘束しようと、魔法陣から鎖が伸びて彼女を絡め取る。


「ぐっ!」


 スライムに包み込まれた腕が焼けるように痛み、鎖で華奢な肉体が締め上げられる。

だが、ミュラーが銀嶺を排除するために使った数瞬。

 それは、篁太郎に与えるには長すぎる時間だった。


「サラバダ・タラタ・センダ・マカラシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビキンナン・ウンタラタ・カンマン」


 一息に、真言(マントラ)を唱え終える。

 篁太郎が捧げ刀の姿勢で唱えた真言(マントラ)は、火界咒。不動明王の加護を得、一切の魔軍を焼き尽くす陰陽道最強呪文の一つである。

 瞬間、凄まじい霊力が工房内を荒れ狂った。

 建物内に巣くっていた悪霊、怨霊、そして屍鬼(グール)骸骨兵(スケルトン)がその余波によって浄化されていく。

 そして、ミュラーにとって最後の切り札ともいえるスライムの霊装もまた、内部に取り込まれたものたちの無念と共に霧散していった。

 そして、間髪容れず篁太郎は床を蹴る。


「ぐぅっ!」


 刀が、ミュラーの胸から背へと貫いていた。


「おのれ……」


 自分に深手を負わせた男を、ミュラーは憎悪の視線で見る。その口から、血の筋が垂れた。

 致命傷ではあるが、即死には至らない傷。魔術師であるならばかなりの確率で治癒できる傷でもあった。

 だが、ともかくもミュラーの動きは封じることには成功した。


「私を侮るなよ」苦しげに、西洋から来た錬金術師は呻く。「貴様に私は殺せない。この肉体が死ねば、私の魂はまた新たな肉体に移し替えられる。これが、魔術というものだ、陰陽師」


「でしょうね」


 篁太郎は刀を突き刺したまま冷たく同意した。

 不老不死を目指す魔術師たちは、そうやって魂を移し替える肉体を大抵用意しているのだ。

 それは主に、彼らと血の繋がった者、特に子息である場合が多い。血の関係が近ければ近いほど、魂は定着させやすい。

 ただし、基本的には本来の肉体であることが魂にとっては望ましいため、この方法では純粋な不老不死は望めない。あくまで、本来の肉体に万が一があった場合の保険として使われている。

 ミュラーに子息がいるという捜査情報はないので、おそらく血縁者の誰かに密かに術式を埋め込んでいるのだろう。誰だって、自分の肉体が誰かに乗っ取られるのを良しとはしない。


「ですが、ご心配なく。あなたのような魔術師と対峙したのは、今回が初めてではありませんので」


 酷薄にそう言うと、篁太郎は刀を引き抜いて跳び退る。


「久遠!」


 その呼び声に答えるように、金色(こんじき)の光が爆発した。金の光の粉が薄暗い空間を舞い踊る。

 狐の耳、九本の尾、艶やかな妖しさを湛えた美女が、着物の袖を翻して現れた。


「ようやく我の出番よな!」


 久遠は凶悪に、極悪に嗤った。その邪悪で凄絶な笑みは、まさしくいくつもの王朝を崩壊させてきた伝説を持つ妖に相応しいものだった。

 その様に、ミュラーがたじろぐように一歩下がった。


「さあ、罪人に相応しき末路を遂げるがよい!」


 妖狐の女帝が指を鳴らした瞬間、多方向から現れた鎖が工房内を縦横に走り、ミュラーに蛇のように巻き付いていく。


「ぐっ、ぐぁ……っ!」


 もがく罪人に鎖はきつく絡み、肉に喰い込み、骨を軋ませる。


「これぞ炮烙! 魂すらも焼き尽くす業火の中で、己の罪を悔やめよ、咎人!」


 死霊術師を拘束した鉄鎖は、現れた巨大な銅の柱に絡みつき、処刑すべき対象を縛り付ける。

 狐火が迸り、銅柱は瞬時にして真っ赤に熱された。

 髪が焼け、肉の焼ける臭いが漂い始めた。ミュラーは絶叫をあげてなりふり構わず暴れ回る。だが、炮烙の刑の主役たる銅柱はびくともしない。

 悲鳴と怨嗟と懇願と呪詛。

 男の絶叫がコンクリートの空間に木霊する。

 だが、久遠は何の呵責も覚えないどころか、さも楽しげな表情で処刑されていく男を見遣っていた。


「屠殺されていく豚の悲鳴の方が、哀れさを誘う分、これよりマシだね」


 その絶叫が断末魔へと変わる頃、銀嶺がぽつりと零した。

 篁太郎としても、まったくもって同感だった。

 久遠による炮烙の刑の執行が、第一部で一番描写したかった場面でした。

 しかし、彼女。作中一番のチートキャラであるため、他の登場人物・登場妖がどの程度強いのかが皆さまに伝わりにくくなってしまったような気がします。


 では、次回は終章となります。

 第二部以降への発展の意味も持たせ、以後の展開の中で活躍する予定キャラクターたちも登場させる予定です。


 感想、評価などいただけますと、今後の執筆の励みになります。

 よろしくお願いいたします。


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