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第一部 第四章 第二節 不穏の視線

 平成最後の更新となります。


 平成への感謝と、令和がより良き時代となることを祈って。

 朝、相馬家の台所には、兄の柊一と妹の楓の二人が立っていた。


「そっか、部活の朝練がなくなったのか」


 トントントン、とまな板の上で大根を切りながら、柊一は言った。


「うん、昨日の百鬼夜行の騒ぎで、先生たちが警備に駆り出されているんだって」


 食器棚から皿を用意しながら、楓が応じる。

 本来だったら、今朝は楓の所属する薙刀部の朝練があるはずであった。しかし、昨夜の百鬼夜行の出現により、学園周辺の霊的汚染がないかを確認するために、実技系の講師たちが駆り出されたらしい。

 楓のスマートフォンのメッセージ・アプリに、そういう連絡が回ってきたのだ。

 だから、今日は兄妹(きょうだい)二人で朝食と弁当の用意をしているのだ。


「よし、後は頼んだぞ」


 柊一は切った大根を鍋の中に投入する。沸騰する鍋の中には、すでに乾燥ワカメと油揚げが入れられてあった。


「了解、お兄ちゃん」


 つまりは、味噌汁の調理である。大根は灰汁が出るので、それを処理しなければならない。その後は、味噌を溶かし込んで出来上がりである。

 楓に味噌汁を任せる一方、柊一は弁当の調理に取り掛かっていた。事前に用意してあった片栗粉、豚ロース肉、茹でたニンジンにアスパラガス。

 空いたまな板の上でアスパラガスを手早く切り、最後に豚ロースを適度な大きさに切る。

 そうしてロースに野菜をくるくると巻いていき、片栗粉で固定。フライパンは楓が油を敷いて用意していた。

 ジュウ、という肉の焼けるいい音がする。

 楓はその間に弁当箱を用意し、炊飯器のご飯を詰めていく。その他、ほうれん草のゴマ和えなど、すでに用意していたおかずを詰める。

 そして、柊一は焼き上がった肉巻きをバランスよく二人分の弁当箱に分けていく。

 フライパンについた油や焦げをある程度、キッチンペーパーで拭きとると、今度は魚肉ソーセージとナスを切り出して、フライパンに投入した。

 適度に炒め、醤油を一回しかける。


「ほい、完成」


 そう言って、柊一は楓が差し出した平皿にナスとソーセージの醤油炒めを分けた。楓がそれをテーブルの上に並べ、ご飯と味噌汁をよそる。

 テーブルの上には、ご飯に味噌汁、ナスとソーセージの炒め物、そして昨夜の作り置きである金平ごぼうとひじきと豆の煮ものが並ぶ。

 二人が椅子につくと、「いただきます」の声と共に朝食が始まる。

 それは、いつもと変わらない相馬家の光景だった。


  ◇◇◇


 相馬家の自宅があるのは、江東区深川だった。

 築四十年近い物件を、両親が買ったという。何度かリフォームをしているのでそこまで古風な外見ではないが、屋根には瓦が乗り、縁側もあり、部屋は和室の数の方が多いなど、現代の建売住宅と比べれば十分に日本的な家屋だろう。あくまで、高度経済成長期の、という意味ではあるが。

 東京湾沖の清洲までは、都営バスと臨海新交通線を使って行く。臨海新交通線は、都鳥の名を冠した列車の名称で親しまれている路線である。

 臨海新交通線の「清洲駅」を降りれば、そこはもう学園の目の前である。

 清洲という埋立地は、その全域が陰陽学園関係の敷地であった。もちろん、教育関係の施設以外にも、研究所や附属病院などが存在している。とはいえ、清洲といえば、やはり陰陽学園の代名詞であることに変わりはない。

 車内のアナウンスの声を共に、相馬兄妹は車両から降りる。他にもぞろぞろと登校する生徒たちが駅へと降り、階段やエスカレーターを使って改札口へと向かう。


「あら、柊一と楓ちゃんじゃない」


 改札を出て学園の正門へ向かう人ごみの中、二人は後ろから声をかけられた。


「ん、アリスか。おはよう」


 振り返った柊一が、挨拶をする。上手く人ごみをかき分けてきたアリスが、二人の隣に並んだ。


「おはようございます、アリス先輩」楓が言う。「おんなじ電車だったんですね」


「みたいね」柔らかく、アリスは楓に微笑んだ。「全然気付かなかったけど」


「あっ、髪留め変えたんですか? 似合ってますよ」


 楓は、以前アリスと会った時と髪留めの種類が違っていることに気付く。

 ポニーテールを単にリボンやシュシュで留めている楓と違い、アリスはもう少し凝った髪形を好んでいた。側頭部の髪を三つ編みに縛り、それを後頭部に回して小さなポニーテールを作っている。そして、後頭部の長い髪はそのまま背中に流していた。

 髪留めは、左右の側頭部の三つ編みを縛っているものだ。以前、楓が見た時には簪のような髪留めだったが、今日は蝶を(かたど)った髪留めだった。


「あら、判る?」


「判ります。可愛いです」


「ありがとう」


「お兄ちゃんも、女の子の髪形や服装がいつもと変わっていたら、すぐに気付いてあげなきゃ」


 むくれた口調で、楓は兄を叱りつける。


「いや、とは言ってもな……」


 たかが髪留めだろ、という言葉を柊一は呑み込む。自分にとってはそうでも、彼女たちにとってはそうではないのかもしれない。


「それで、気付いてあげたら褒めてあげるまでが、女の子に対するマナーだからね」


「いや、マナーって……」


 それは少し言い過ぎではないかと、柊一は内心で苦笑いする。

 見れば、アリスはこちらを見てにやにやと笑っている。


「なんだよ……」


 何となくバツが悪くなって、柊一は憮然とした声を出してしまう。


「いえ、本当にあなたたちは仲いいな、って思っただけよ」


「……悪いかよ」


「まさか。むしろ結構なことじゃない」


「でも、お兄ちゃんはちょっと心配性なんですよ。私のこと、小学生で年齢が止まっているって思っているみたいなんです」


 楓としては、いつまでも兄から子供扱いされるのが不満らしい。


「確かに楓は、お兄ちゃんに比べて家事はまだまだですし、背格好もクラスのみんなに比べて小っちゃいですけど、それでも中学三年なんですよ」


「だって、“お兄ちゃん”」くすりと笑って、アリスは柊一に話を振る。「楓ちゃんも、一人前って認めてもらいたいみたいよ」


「いや、認めていないわけじゃないんだけど」


「それが楓ちゃんに伝わっていないと、意味はないわね」


 やれやれ、とばかりにアリスは肩をすくめた。

 そうして他愛ない雑談を交わしながら、三人は学園の正門を潜った。ここから先は校舎が違うので、柊一、アリスと楓は別方向に向かうことになる。


「じゃあ、楓。今日はお前の方が早いだろうから、帰ったら洗濯物取り込んでおいてくれ」


「夕飯や明日の分の買い物も済ませておこうか?」


「いや、それは俺が帰りにスーパーに寄るからいい。夕方以降は、やっぱりまだ危ないだろうから」


「ホント、お兄ちゃんは心配性過ぎるんだよ」


 柊一としては、“魂食い”に百鬼夜行の事件があったばかりで、楓をあまり一人で出歩かせておきたくないのだ。過保護かもしれないが、仕事であまり家に帰れない母からも楓のことは頼まれているのだ。このくらいは、許して欲しいと思う。


「でも、確かにちょっと不安だから、そうさせてもらうね」楓も、流石にニュースを見て心配になっていたらしい。「お兄ちゃんも気を付けてね」


「まあ、気を付けるだけ気を付けるよ」


 妹よりも魔術師としての才能の劣る柊一としては、そう言わざるをえない。


「あんたねぇ、そこは妹の手前、『大丈夫、心配ない』とでも言っておきなさいよ」


 呆れたように、アリスが言う。


「まあ、そこがお兄ちゃんですから」


 楓の方は苦笑した。


「じゃあ、今日も一日頑張ってくるね」


 そう言って、彼女は中等部の校舎へ向かおうとする。しかし、不意にその足が止まった。そして、楓は周囲をきょろきょろと見回す。


「どうしたんだ?」


「う~ん、何でもない」ちょっと首を傾げた楓だが、すぐにいつもの闊達な表情に戻る。「じゃあ、お兄ちゃんも頑張ってね。アリス先輩、お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします」


 そうして、楓は再び中等部校舎の方へと向かっていった。






「変な視線を感じた?」


 朝のホームルームの前、与えられた教室で楓は正門の近くで覚えた違和感を恵蘭に話した。


「う~ん、本当に一瞬だけだったから、私の勘違いかもしれないけど、なんか、変な感じで首筋がむずむずするなって」


「そう」


 恵蘭も首を傾げながら、頷いた。

 正直、楓の話した内容は漠然とし過ぎている。だから、原因が何であったのかは推測しようがない。本当に楓の言う通りに誰かの視線だったのか、それとも別の何かだったのか。

 ただ一ついえることは、巫女としての直感に優れた楓が何かを感じたということだ。「変な感じ」と彼女が言うからには、少なくとも負の存在が学園ないしは清洲の近くに存在しているということになる。

 昨日の百鬼夜行の残滓でも漂っているのか、それとも別の何かか。

 恵蘭は判断に迷う。

 学園そのものは講師たちが守っているし、沙夜と虎徹という優秀な魔術師主従の管轄地でもある。学園に居る限り、大きな心配はないだろう。

 だが、それでも不安ではある。

 楓の感じた内容が漠然としているため、講師たちに伝えてもまともに取り合ってくれる人間は少ないだろう。

 だが恵蘭は、篁太郎から霊的直観を軽視しないように教えられている。

 だとしたら、沙夜や虎徹には伝えるべきだろう。

 そう、彼女は判断した。


◆   ◆   ◆


 午前の早い時間帯に開かれた報告会議で、賀茂憲行は“魂食い”と昨夜の“百鬼夜行もどき”についての捜査報告を終えた。

 陰陽庁の大会議室には、長机を囲むようにして東京本部長や第一部長(公安部)、第二部長(霊災部)、第三部長(龍脈部)の各部長と課長級の人間、それと陰陽庁長官の土御門晴重に、教育局の長である教育総監・倉橋(くらはし)泰道(やすみち)などの陰陽庁幹部が座している。

 ちなみに、陰陽庁長官、東京本部長、教育総監の三職を、一般的には陰陽庁三長官と呼ぶ。

 賀茂の報告に、多くの出席者が一様に苦い顔をしている。陰陽庁ОBにして元国家祓魔官である人物が、一連の事件の首謀者である可能性が浮上したのだ。

 丹羽が退職したのは七年前であり、同期や彼を知る者は庁内に少なからずいる。

 官僚の地位というものは限られている。そのため、そのまま上の地位が与えられて出世する者と、地位が与えられない代わりに早期退職して天下りする者とに分かれるのだ。

 丹羽の天下りに内務省官僚として職場を斡旋した者は、陰陽庁内部にも存在するはずである。そうすれば、累は陰陽庁そのものに及ぶだろう。

 東京以外の魔導犯罪捜査を担当している第一部長は、特に丹羽がかつて魔導犯罪捜査官であった経歴から、最も責任を取らされやすい立場だろう。見れば、明らかに自分の将来を気にして神経質そうな表情になっている。

 第二部長は、陰陽庁の体面を汚されて不愉快だという顔。

 その他の面々も、だいたいにおいて似たような表情だ。

 さて、丹羽教光の件に関してどういう意見が出るだろうか。賀茂は身構えていた。


「賀茂本部長」


 沈黙を破って口を開いたのは、第一部長だった。


「昨夜の実行犯が逮捕されていない以上、今後、同様の事件が起こることを懸念すべきではないだろうか?」


 微妙に問題をすり替えた発言である。そのことを不愉快に思いながらも、賀茂は応じた。


「確かに、警戒はすべきでしょうな。現在、我が東京本部は捜査員を増やし、『百鬼夜行絵巻』によるさらなる霊的テロを警戒している。しかし一方で、昨夜の同時多発的な百鬼夜行の展開により、実行犯は大幅に霊力を消耗したと見るべきで、当面、同様の規模の百鬼夜行は出現しないというのが東京本部の見立てですな。例え相手が、“魂食い”によって膨大な霊力を収集していたとしても」


「それならば、遠野祓魔官を返していただきたいものですな」


 皮肉るように、教育総監の倉橋が言った。彼もまた、長官の土御門と同じく、安倍晴明の血筋に連なる者。土御門が本家で倉橋が分家という関係であるが、その血筋による矜持故に自分よりも実質的に地位が上の賀茂への敵対心のようなものを感じる。


「こうたびたび学園の教員を引き抜かれては、後進の育成にも関わりますからな」


「何度も言わせていただきますが、事件はまだ完全に解決したわけではありません。実行犯の確保はまだですし、それに協力する者たちの捜査も不完全なままです」


「待て、協力する者たちとは誰を差しているのだ?」


「今回の事件は、『百鬼夜行絵巻』を持つ術者による単独犯ではないのか?」


 一斉に、非難の視線が賀茂に集中する。累が自分たちにまで及ぶ可能性に怯えているのだ。


「それにしては、遠野祓魔官の式神を、ホムンクルスが待ち構えていたかのように迎撃したという不自然さが残ることになります」


 賀茂はホムンクルスと言ったが、その正確な正体を篁太郎から知らされているわけではなかった。取りあえず、彼も含めた陰陽庁幹部全員に対して、「ヴァルキュリヤ・シリーズ」についての情報は伏せられている。

 これは、「ヴァルキュリヤ・シリーズ」の存在自体が極度の機密事項であるからだ。


「それは単に、相手の動きを魔術的に探知していただけのことではないか?」


「立川の観測所にも探知できないような高位の魔術師がテロリストであるならば、事件はもっと深刻化しているはずです。何からの手段で、我々の動きが知られていたと見るべきでしょうな」


「憶測でものを言うものではないぞ、賀茂本部長」


 迷惑そうな口調で、第一部長が反論した。


「そうだ、ことは陰陽庁全体の信用問題に関わる。発言は慎重に頼みます」


「警察庁の手前、陰陽庁が変に浮足立つわけにもいかん。本部長は帝都東京の霊的安定に責任を持っておられる。あなたの軽率な行動で警察との連携が崩れたら、いったい陛下に対してどのようにお詫び申し上げるつもりなのですかな?」


 陛下、か。賀茂は内心で思った。聖上(おかみ)の名前を出せば、相手の反論を封じられると思っているのか。そのような人間が、真の忠臣と呼べるのか。

 内心の不快感を一切顔面には表さず、賀茂は思った。


「昨夜も、輪王寺宮殿下のお手を煩わせてしまったのだ。陰陽庁としてこれ以上の失態は重ねては、帝都の霊的治安の維持に貢献されおられる宮家に対しても、不忠と言わざるを得んだろう。その点を、本部長はどう考えておられるのか?」


 公にはされていないが、昨夜の百鬼夜行事件の際、宮家の介入があったことは、この場にいる者たちには知られている。

 その実態が久遠による百鬼夜行の撃退であったとしても、それを知らない彼らにとってみれば、昨夜の霊災テロを未遂に終わらせたのは宮家の功績なのである。

 つまりそれは、独力で事件を解決出来なかった賀茂を攻撃する理由にもなった。

 彼らはこのような時でも、自身の利益や組織利益を優先するのか。

 賀茂は内心で溜息をついた。もっとも、彼は出席者たちを説得できるとは微塵も思ってないのだ。なんという茶番、時間の浪費だろうか。


「陰陽庁の信頼に関わる問題だからこそ、内部調査が必要なのです。内部にテロリストの内通者を抱えた組織など、それこそ存在自体が陛下への不忠に他なりますまい」


 意趣返しとばかりに、賀茂はそう言った。不愉快そうな複数の視線が、彼に突き刺さる。


「内部調査の必要性、か」


 ここにきて初めて、長官の土御門が口を開いた。彼はあまりこうした場で発言したがらないのを、同期生である賀茂は知っている。安倍晴明の末裔というその血筋、そして陰陽庁長官という地位にある者が軽率な発言をしては、場の議論が決定的になってしまうからというのがその理由だ。

 それなのに口を開いたといことは、この報告会議が時間の浪費であると、土御門も気付いているからに他ならない。

 そして賀茂には、この同期生がどのような結論を下すのか、判り切っていた。彼もまた、官僚組織に生きる者なのだ。


「確かに、その必要性は認める。神国派の事件の際も、同様の事例があったからな」


 そう、陰陽庁内部にテロリストの内通者、あるいはテロリストそのものがいるというのは、決して荒唐無稽な話ではないのだ。

 一部の幹部たちの顔が強張るのが、賀茂には見えた。


「では、関係各部署の長は部内を調査し、その調査結果を私と賀茂本部長に報告書として提出するように」


 そして一瞬後には、幹部たちに安堵の空気が流れる。


「提出期限は、二日後だ」


 見事なまでの、官僚的対処法。形ばかりの内部調査。各部署に任せるだけの内部調査など、厳正に行われるはずがない


「東京本部長は、引き続き犯人逮捕とテロの阻止に全力を尽くして欲しい」

 そう言った土御門の目に、同期生の力になれず申し訳ないと訴える色があったことを、賀茂は見逃さなかった。






 執務室へと帰った賀茂は、疲れたように目の間をもんだ。

 官僚組織としての陰陽庁の限界を感じざるを得ない。元から判り切っていたことではあるが。

 独立祓魔官という地位が、羨ましく思える。彼らも陰陽庁の一員である以上、それなりに官僚組織の面倒が波及することがあるが、基本的には第一線に投入されるため、今日のような精神をすり減らすような会議に出席する必要がない。

 ただし、独立祓魔官とは便利な制度である反面、名のある魔術の家系の人間たちには出世コースから外れた地位だと認識されている。

 独立祓魔官とは、基本的には現場担当。世間一般が想像する「悪霊や妖怪と戦う陰陽師」という幻想に一番近い魔術師たちだ。そして、現場担当で使い勝手がいい故に、その地位に長く留まり続けることになる。必然的に、同期に比べて出世が遅れる。

 だからこそ、独立祓魔官に選ばれるのは技量優秀、状況判断適確な魔術師であると同時に、魔術師としては無名な家系の出身者であることが多い。

 しかし、出世すればするだけ束縛するものが増える現実を考えると、出世せずに一生現場、というのも悪くないように思えてくる。特に独立祓魔官は陰陽庁長官直属であるため、長官の裁量次第ではかなり自由に行動することが可能だ。

 もし自分が独立祓魔官だったら、と賀茂は考えてしまう。同期の土御門が長官をやっている今の陰陽庁ならば、きっと自分はとことん捜査に打ち込むことが出来たはずだ。


『何とも不景気な(つら)をしておるなぁ、東京本部長よ』


 虚空から響いた声に、思わず賀茂は身構えた。それが、誰の声であるか判ったからだ。


「人の世というのは複雑怪奇。それを眺めるのは面白いが、同時に度し難い醜悪さに満ちておるな」


 黄金の光の粉を集めるようにして、大妖九尾が顕現する。人型をとったその唇は、冷笑の形に歪んでいた。


「我が主に成り代わって、貴様に忠告だ」


 有坂祓魔官の伝言役に甘んじるとは、意外なことがあったものだと思う。もっとも、単なる気まぐれかもしれないが。


「ほれ、それが清洲の辺りを飛び回っておったぞ」


 ぼとり、と久遠が執務机に落としたのは、カラスの死骸だった。一瞬、賀茂は目を見開くが、極度に驚くようなことはなかった。


「これは……」


 賀茂は、その死骸を検分する。魔獣でも何でもない、ただのカラスの死骸である。だが、その体に梵字で描かれた紋様が刻まれていることに気付く。


「式神、といったところですかな」


 この場合は、陰陽師が使役する魔族という意味ではない。単に動物を呪術で操り、一時的に陰陽師の支配下に置いたもののことを指す

 動物にもよるが、カラス程度の大きさの鳥ならば、支配下に置くのにそれほど魔力は消費しない。


「しかし、それが清洲周辺を飛び回っていたとなると、不穏なものを感じます」


「まあ、妥当な判断であろうな」


 大して面白くもなさそうに、久遠は言った。

 とはいえ、彼女としても式神による清洲陰陽学園の監視が、敵の次なる行動の予兆であることは理解していた。

 学園の生徒を対象にした“魂食い”でも始めるのか、あるいは別の目的があるのか。

 使役のために使った術式が梵字であることを考えると、ヴォルフラム・ミュラーの式神という線はないだろう。昨夜の百鬼夜行事件の首謀者と同一人物である可能性は高い。

 そうなると、使い果たしてしまった霊力を再び集めることで、再度、百鬼夜行を起こそうとしている可能性が高い。そのために、霊力の豊富な人間を襲うという最も直截的手段に出ようとしているのかもしれないのだ。


「わざわざ我々のためにお手間を取らせてしまい、申し訳ございません」


 あくまで、賀茂は下手に出た。この大妖の機嫌を損ねては堪らない。


「ふむ、その殊勝な態度は誉めてやろう。だが、人間同士が醜く争おうとも、所詮、我には関係なきこと。今はただ、我が主の顔を立ててやっているに過ぎぬ。それを(ゆめ)、忘れるでないぞ」

 それだけを言うと、再び久遠は金色の光の粉に溶けるように、姿を消してしまった。

 学園生徒たちの日常と、そこに迫る非日常。

 その落差、不気味さや緊迫感を描きたいと思っているのですが、なかなか上手くいかないものです。


 少年少女たちを主人公にして、彼らの活躍と成長を描きたいとは思っているのですが、歴史を研究しているとどうしても大人中心の世界観になってしまいます。

 今は篁太郎や久遠、そして陰陽庁などが物語の担い手となっておりますが、いずれそうした「大人の世界」と「少年少女たちの世界」の対峙というものを描いてみたいと思っております。

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