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第一部 第一章 第一節 王子神社の異邦人


 東京都心の夜というのは、ひどく明るい。

 不夜城のごとく明かりをまき散らす高層ビルが林立する地域では特にそう感じるだろう。だが一方で、例外的な場所も存在した。

 とうに終電の時間を過ぎた京浜東北線、その王子駅からほど近くに深い緑に囲まれた(やしろ)があった。

 周囲がまばゆいからこそ存在する、色濃い闇。

 そんな闇へ向かって、男は歩いていた。鳥居をくぐり社へと続く石畳の道を、トレンチコートのポケットに両手を入れたまま、悠然とした足取りで歩む。

 男は、明らかに西洋人の特徴を持つ長身(日本人から見れば)の人物であった。茶色がかった金髪をオールバックにして広い額をあらわにした顔にはどことなく神経質そうな色が浮かび、眼光は鋭く夜の闇を射抜いていた。


「へぇ、珍しい参拝客もいたものだね」


 不意に、彼の頭上に涼やかな若い女性の声がかかった。男は警戒の目線で、顔を上げる。

 夜の闇を柔らかく照らし出す月光が、社の屋根に腰掛ける影の正体をあらわにしていた。

 まだ少女といえるだろう、華奢な体格の人影だった。月明りを受けて銀に光る白髪(はくはつ)、夜の中で炯々と光る少し釣り目がちな紅目。

 現代の日本人と比べて、少し奇妙な格好をしていた。軍服のような裾の長い白の上着は、袖の部分が水干のように広がっている。短めの黒のスカートから延びるしなやかな足には、頑丈そうな黒の長靴を履いていた。小ぶりな胸には、黒い胸当てをしている。

 何より異様なのは、頭の上にある一対の狐耳と、スカートの腰の部分から延びる尻尾であった。髪と同じく白い毛並みをした耳と尻尾は、先端だけが黒かった。


「こんな夜中に、何の用かな?」


 冷淡とまではいかないが、さばさばとした抑揚に乏しい口調。


「生憎と、ここは私の縄張り(シマ)なんだ」狐耳の少女は続ける。「もし私に挨拶しに来ただけならば、あなたの連れている式神、ああ、眷獣(サーヴァント)って言った方がいいのかな? 隠してないで出しなさい。そして、恭順の意を示すこと」


 傲慢には聞こえない。やはり淡泊な声のままだった。顔も、特に表情らしい表情は浮かんでいない。不思議と冷酷な印象は受けないが、彫刻のような硬質な冷たさを湛えている。

 ただ、男を見下ろす視線にだけは、明確に蔑みの感情が浮かんでいた。


 西洋人の男と、狐耳の少女の視線が交錯する。睨み合いは、だが長くは続かなかった。


「Los!」


 ドイツ語で、「行け」。男がそれだけを呟くと、彼の周囲の石畳に黒い(うろ)が開く。そこから出てきたのは、ひどく奇妙な生物たちだった。

 いや、もはやそれは生物とは呼べないのかもしれない。何故なら、そこには生物にあってしかるべき熱がないのだ。そしてそれを、生物と呼ぶこと自体、冒涜的な印象を見るものに与えた。

 それらは、異界生物(フリークス)と説明されても納得してしまいそうな、怪生物たちであった。

 ぶよぶよの肉体に異臭を放つ体液によってぬらりと光る、ガマガエルのような生物。牛の下半身に、鰐の頭部が三つある生物。獅子の体にガチョウの頭部と足を持った生物。それ以外にも、自然界には存在しえない異形の生物たちが男の周囲に出現する。

 まるで『地獄の辞典』の挿絵を再現しようとしたかのよにも思える、怖気を誘う姿であった。

 だが、それらと対峙する少女の瞳は、冷静なままだ。


「可哀そうな子たちだね」


 そして、その瞳には憐れみの感情も浮かんでいた。

 境内に出現した怪生物たちが、一斉に少女に飛び掛かる。

 ヒュン、と風を切る音ともに、最初に飛び掛かろうとした異形が両断された。少女の両手には、それぞれ長刀が握られている。

 怪生物たちの爪も牙も、彼女に触れることすら許されない。社の屋根で剣舞を演ずる少女の前に、出現した異形は次々と斬り捨てられていく。

 だが、男の表情は変わらない。パチン、と彼が指を鳴らすと、斬り捨てられた異形たちが再び動き出す。切断された部位が再び接合し、元の姿へと戻っていく。


「死霊術、か」


 少女は嫌悪感も滲ませて呟いた。

 死霊術(ネクロマンシー)

 いわゆる、屍鬼(グール)やゾンビなどに代表される、死体を操る魔術の総称。

 この異形たちは、動物や魔族の死体をつなぎ合わせて誕生したのだろう。


「厄介、ではあるけれども……」


 死霊術をかけられた死体には痛覚がない。故に、体という存在が残っている内は何度でも再起動させることが出来る。

 だが。


「狐火」


 妖狐が操るとされる、霊力によって生み出される炎。それが、二振りの刀の刀身を取り巻いていく。


「もう、眠れ」


 再び襲い掛かる異形たちを、最初と同じように斬り捨てていく。

 炎をまとう刃に斬られた異形たちは、切断面から徐々に炎に呑み込まれていった。死霊術によって操られる対象は、特に体を焼き尽くす炎に弱い。

 体そのものを燃やされてしまっては、もはや再起動は不可能だ。

 社の周囲に、体を青い炎に包まれながら灰になっていく怪生物の肉片が散らばっていく。

 それでも、男の表情は最初と変わらなかった。


「さて、残りはあなただけみたいだけれども?」


 妖狐の少女は、屋根の上から西洋人の男を見下ろす。


「これでも私は、関東一円の(あやかし)たちの総大将。あまり舐めた真似はしないでもらえるかな?」


 そう言った彼女の口からは、鋭い犬歯がのぞいていた。社を取り巻く青い炎に照らされる少女の姿は、妖しくも美しかった。


「私をあなたの“作品”にでもしたかったのかな? いつかの黒妖犬のように」


 そこで初めて、男の表情に変化が生じた。眉をわずかに動かすという、微細な変化ではあったが。


「確かに、帝都東京はあなたみたいな魔族を使った“作品”を作る魔術師は最適な狩場かもしれないね」


 淡々と、事実を述べるように感情のこもっていない声で男に語り掛ける少女。


「でも、勘違いしないことだよ。ここは私の縄張り(シマ)であるとともに、妖狐の女帝の縄張り(シマ)でもあるんだから」


 男が何を思っているのか、少女には判らない。判ろうとも思わない。

 少女にとってこの場で最も大切なのは、自身の縄張りを荒らす相手は排除するという獣の理論のみ。


「だからまあ、これは私と篁太郎たちからの警告」


 その瞬間、ボン、という湿った重い音と共に男の腹部が破裂、上半身は後ろに、下半身は前に倒れる形で切断された。


「もう少し、抵抗なり防御魔術でも使うかと思ったけど」


 興覚めとばかりに、少女は長刀を両腰の鞘へと収める。そして、すんすんと鼻をうごめかし、臭いを嗅いだ。狐の鋭い嗅覚が、彼方から漂う硝煙の臭いを探知する。


「距離約一五〇〇メートルで狙撃。反則的に優秀な観測手が付いているとはいえ、凄いな」


 相変わらず感情の薄い淡々とした口調だったが、そこには確かに感嘆の色が混じっていた。


◆   ◆   ◆


『命中だ、篁太郎』


 神社の境内から離れた位置にある雑居ビルの屋上、その上に姿なき声が響いた。篁太郎の脳裏に直接語り掛ける声だった。


「……」


 篁太郎は無言のまま息を吐いた。屋上のコンクリートの上に伏せている彼は、アメリカ製対物ライフル、バレットM107A1を構えていた。

 篁太郎が立ち上がると、M107A1はコンクリートの上に生じた金色の波紋の中に消える。


「ありがとうございます」


 それをなした姿なき声の主に礼を述べた。


「とりあえず、現場検証をしましょう。空間転移を、久遠」


 篁太郎は虚空に向かってそう呼びかける。


『まったく、式神使いの荒い主よな』


 どこか古風な言い回しの口調は、この状況を少し楽しんでいるようだった。






 神社の境内に、上下に切断された死体が転がる様は異様だった。

 ただ、その場にいるものたちはそれを異様とは思っていなかった。血と臓物と飛び散らせた肉塊を前にしながらも、眉一つ動かさない。


「それで篁太郎、結局()()は何なんだ」


 死体を「これ」呼ばわりした狐耳の少女を非難するものは、誰もいなかった。


「クローン技術と、人造人間(ホムンクルス)の製造技術を掛け合わせた〈人形〉ですね」赤いフード付き外套を羽織った篁太郎が答えた。「おそらく、本人の遺伝子を使って、本人そっくりに仕上げた〈人形〉です」


「ふぅん、なるほど」


 聞いておきながら、大した関心を示さない少女。

淡泊な口調と、感情に乏しい表情は先ほどと変わらない。そういう性格なのだ。だから篁太郎も、ことさら気にすることはない。


「ヴォルフラム・ミュラーは用心深い魔術師ですからね。いくら夜中とはいえ、都心を堂々と歩くことなんて絶対にしません。そうでなければ、国際魔道犯罪者として世界中から追われていながら、十五年以上も逃げ回ることなんて出来ませんよ」


「なるほど」


 とりあえず、といった感じで少女は相槌を打った。


「本人がどこかで遠隔操作しているはずなんですか……」


 篁太郎は少女を見る。


「悪いけど、これと同じ臭いの人間は、周囲五キロ圏内にはいないよ」


「そうですか。久遠は?」


 赤い外套の青年は虚空に向けて話しかける。


『残念だが、我も同じよ。遠隔操作の魔術に関しても、上手く逆探知出来ん』虚空から声が返ってきた。『嗅覚だけでは限界があるぞ。力を開放していいのなら、探知範囲を広げられるが?』


「いえ、今は止めておきましょう」篁太郎は答える。「そう簡単に捕捉出来る相手とは思っていませんから。今はとりあえず、この〈人形〉の臭いを覚えておいて下さい。ミュラーの捜索に役立つでしょうから」


「了解だ」


『うむ』


 その返事を聞いて、篁太郎が何かを返そうとした時だった。不意に、彼の懐にしまわれているスマートフォンが鳴り出した。「失礼」と言って、赤い外套の青年は通話に出る。


『東京本部長の賀茂だ』


 いささか渋めの男性の声が電話口に響いた。


「有坂です」


『そちらの首尾はどうだ?』


「ヴォルフラム・ミュラーの確保には失敗。ですが、警告は済んだ、といったところですね」


『やはり、そう簡単には捕まえられんか』あっさりとした口調で、通話の相手は言う。彼も予想通りの展開だったらしい。『だが、こちらでは厄介なことが起こったぞ』


「ほう?」


『例の集団食中毒の件、“魂食い”と見て間違いないとの捜査結果が出た』


「その結論を出すのが、少し遅いですね。すでに被害は相当拡大しているようですが?」


 辛辣な発言だが、篁太郎は単に事実を述べただけで他意はない。しかし、返ってきた声は流石に苦々しかった。


『うむ、遺憾なことにな。貴官にこちらの応援を頼めんか?』


「構いませんが……」篁太郎は一瞬だけ、思考のために言葉を切った。「ただし、ミュラーの捜査がありますので、全面的な協力は少し難しいですね。沙夜と虎徹くんに頼んでみますか?」


『そうしてもらえるならば助かる。後で捜査資料を送っておく。遠野祓魔官に渡してやってくれ』


「判りました。明日、沙夜に交渉してみますよ。虎徹くんの鼻は役に立ちますからね」


『すまんな』


「いいえ。それはあの子たちに言ってあげてください。では、また明日」


 そう言って、篁太郎は電話を切る。


『……』


 姿なき声の主が、少しだけ気配を不穏なものにする。


「どうしました?」


 それを敏感に感じ取った篁太郎が尋ねるが、答えはない。何となく理由が判って、彼は苦笑を浮かべた。

 少しへそを曲げられたかな、と思う。


「ところで篁太郎」その脇で、妖狐の少女が言った。「私への報酬は忘れていないだろうな?」


 念を押すような口調に、どこか切実さが滲んでいた。


「君手作りの、食い切れぬほどの稲荷ずし。期待しているからな」






 翌日の朝刊や朝のニュースのどこにも、この神社で起こった事件について報道するところはなかった。


 伝承に詳しい方ならばお気づきかと思いますが、すでに王子の狐に関して筆者独自の解釈が入っております。

 落語「王子の狐」では間抜けな存在として描かれている狐の妖怪ですが、本作では凛々しい妖の少女として描いていきたいと思います。

 こうした神話、伝承を自分なりに活用するのは、創作活動の一つの楽しみであると思う次第です。


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